積み上げていくのではなく、ワープしかないのです。
ワープということは、強烈な移動です。
何の話かと言えば、成長とか学ぶということについてです。
ロングショットで見れば、コツコツ日々努力しているように見えます。でもクローズアップして、よく見てみると、そこは離散的であることが分かります。
c.f.「人生はずっと悲劇だと思っていた。でも、本当は喜劇だったと気付いた」(『JOKER』) 2019年10月05日
離散的であることをワープと呼んでいます。
1回1回はユニークなワープなのです。べったりとした移動ではないのです。
Beam me up状態なのです。
c.f.Beam me up, Scotty(転送してくれ、スコッティ)〜キミコさんとウォーホル 2022年08月30日
ここが難しいところで、わかりにくいところです。
同じところを本当にぐるぐる回っていては、現状から逃れられません。
ただ、傍から見て、同じことを繰り返しているようでも、1回1回がジャンプしているならば(エブエブジャンプ的に)、ワープしているならば、それで良いのです。
c.f.多くの天才は子供のころに周囲の人から才能を見落とされ、人知れずスキルを伸ばす。 2019年08月08日
「判で押す」とか「機械になりたい」「機械であるべき(アンディ・ウォーホル)」などを読むと、ついつい単調増加を想像してしまうのですが、実はワープを繰り返す指数関数的増大がポイントなのです。
c.f.私は機械になりたい(アンディ・ウォーホル)マシーンのように無心に淡々と、それが成功の秘訣! 2020年05月01日
c.f.「私が思うに、全ての人が機械であるべきだ」(アンディー・ウォーホル) 2022年12月28日
ここらへんのマインドセットが一般的な(社会的洗脳的な)「コツコツ努力」型だと、螺旋階段をぐるぐる回りながら、奈落へ落ちてしまうのです。
一方で、Crazy Onesなルー・タイス型だと、1回1回に機会の通り道を探し、1回1回にワープが含まれるので、気付いた時は大きな成果が手に入るのです。
c.f.「私が? どうやって私はここまでたどり着いたんだろう?」。明白な機会の通り道を進んだからです。 2022年09月25日
ただ、これも「気付いた時」には、です。
結果そのものを求めているわけではなく、良きプロセスのために、ゴールを設定しているのです。
山道を一歩一歩離散的に登っていくのと同じです。右足左足右足左足と交互に歩むのは同じです。
しかし、ある人はその場歩きで人生が終わり、ある人は次々と山を踏破します。
その違いは、1回1回がユニークなワープであることを肝に銘じているか否か、いつも機会の通り道を探しているか否かにあります。
ここらへんの感触を伝えるのはとても難しいです。
これは体感するしかなく、痛感するしかありません。文字通り痛いほど分かるしかないのです。人生という棍棒で殴られて、はじめて目覚めるところがあります。
チャンスが明確に目の前に提示されても、また次があると勘違いしてしまう人には、人生の最晩年になっても「ああ、あれが唯一のチャンスだったんだ」と後悔する暇もありません(悪い意味で凡庸なことを後生大事に急いでやることに忙しいからです)。
一方で離散的にワープし続けている人は、そのチャンスが盛大に捨て去られる様を見ながら「もったいない」けど「仕方ない」と思い、自分のターンが来たら、絶対に逃しません。
アランではないですが、幸福と同様にチャンスも砂糖菓子ではありません。
周りがお膳立てしてくれるものでも、誰かが懇切丁寧に解説してくれるものでもありません(「まといのば」は比較的に「懇切丁寧に解説」するのですが、本気にされることは稀です。本気に捉えた人のみが成長しています。周りはそれを才能と言います。僕は「本気にするか否か」の差でしかないと思っています。チャンスをきちんとチャンスと認識し、そしてひたすらに作業を続ければ、機会の通り道を通過できます)。
抽象的な話をしているように読めるでしょうが、リアルで具体的な話です。
本日より、新しい解剖学であるMATLASの最新版であり、豪華版とも言えるGood-RayMATLASスクールがスタートします!
後悔のないように今を生き抜きましょう!!
みなさまのおかげでこのような奇跡が起こっており、非常にありがたいことと思っております!