ピカソは自分の贋作を作る贋作作家を自分の友達だと言います。
同じ風景を見た人は、自分の友達なのです。
その風景を観るために、どれだけの犠牲を払ったか、そしてその先にどれだけの喜びがあるかを知っている人は、見知らぬ他人であったとしても友達なのです。
それが資本主義的にも倫理的にも敵対していたとしても、友人なのです。
どうしてそんなことを? 私にはできない。どういうことになるかわかりきっている。私が予備裁判に行ったら、犯人が手錠をはめられて入ってくるだろうが、それは私の友人のひとりだろう(パブロ・ピカソ)
以前も言及しましたが、ピカソのパリの画商が、ピカソにあるアドバイスをします(この画商についてもいろいろと面白い話しがあるのですが、またいつかの機会に。
画家と画商は糾える縄のごとしです。お互いがお互いに影響しあい、そして伝説を創るのだな〜と思います。ゴッホは弟のテオが事実上の画商だったゆえに売れなかったと言えるかもしれませんし、全うできたと言えるかもしれません)。
ピカソの名前で出回っている贋作の件で裁判に訴えるようにと忠告します。
しかし、それに対してピカソは応じるどころか、意外な返答をします。
有り体に言えばピカソはNoと言うのです。
「どうしてそんなことを? 私にはできない。どういうことになるかわかりきっている。私が予備裁判に行ったら、犯人が手錠をはめられて入ってくるだろうが、それは私の友人のひとりだろう」(pp.158-159)
裁判所に雇われた美術専門家ジル・ペローが、ピカソの贋作家でもあった被告のギィリブを「もしピカソが生きていたら、彼を雇ったことだろう」(p.229)と高く評価した意味がよく分かります(その意味でジルペローも、違法ということはさておき、贋作を問題としていないことが良くわかります。むしろその芸術性を積極的に評価しています)。ピカソがギィリブを知ったら、きっと本当に雇ったのだと思います。
半グレと貧困女子について、先日のセミナーで話をしました。
これは我々ヒーラーにとってきわめて大事な問題です。
大事というか、我々の「友人のひとり」の問題だからです。
友人のひとりどころか、自分自身の問題かもしれません。
しっかり追体験し、そして情動を無駄に発火させすぎず(抑圧もさせすぎず)、その上で俯瞰してフレームを分析すると、悪魔的で天使的な方法論が見えてきます。
そんなセミナーを内輪ではなく(とは言え、「まといのば」セミナーですが)やりたいと思っています(近未来の予想も含めて)。
ぜひ、お楽しみに!!
(ああ、手帳講座=ゴール設定講座も今春はまだ開催せずに6月になってしまった!)
(オッペンハイマー講座、MadMax講座、ゴール設定(手帳)講座、貧困男子・女子講座は開催したいですね!!)
【書籍紹介】