天才たちの逸話には語学の話が大概つきまとう印象ですが、オッペンハイマーもその例には漏れません。
(ただ音楽の才能はなかったそうで、アインシュタインがバイオリンを奏でたように、物理学者の多くは音楽を愛した、と。オッペンハイマーは耐えられなかったそうです)。
今回のBodyDesignBootCamp3期「密教タントラ」の第4回のテーマは、、、、、
Oppy!
でした!
Oppyとはオッペンハイマーの通称です。
またまた「Oppyる」(おぴる、おっぴーる)という造語を勝手に「まといのば」で作り、そしてそれを広めようとしました。
「Oppyる」とは、天才が知らず知らずのうちにその気がないのに、周りを傷つけて、周りの怒りを買うことを言います。そして公職追放されたりします。
でも、天才はナチュラルにそう思っているから、そう言っているだけであって、決して侮辱でもマウントでもひけらかしでもありません。
逆にそういうエゴがあればまだマシです。
この人にもそういうかわいい部分があるんだなーと笑えます。
僕もいわゆる「天才」と目される人を身近に観察させてもらう機会があり、それを痛感してきました。
ナチュラルにOppyってしまうのです。
たとえば、
ときどき、知的なものに対するロバートの才能は、単なるひけらかしの域を超えていた。ワイマンは、ある春の暑い日にオッペンハイマーが彼の部屋に入ってきたときのことを思い出す。「何て暑い日だ。午後ずっとベッドに寝転んでジーンズの『気体の動力学理論』を読んで過ごしたよ。こんな暑い日に他のことができるかい?(同上)
3年でハーバードを首席で卒業し、「こっちは、ただハーバードを卒業するだけで一生懸命だったのに」とルームメートに言わせる天才です。
でも、「漂白化」というフーバー長官やマッカーシー的な時代とは無関係に(←ここ重要)、この「Oppyる」のはやめた方が良いのです。
親が子供にトイレトレーニングをするように、僕らも適切な場所で「Oppyる」練習をしていく必要があります!
煎じ詰めれば、所作であり、ご挨拶であり、適切なテンプレートを素早く出せるようにするだけです。
それこそが共同体で生きるということなのです。
これに関して、真に驚くべき例題を見つけたのですが、ここに書くには余白が小さすぎる。
(ヒントだけ書くと、セミナーでお馴染みの藤井聡太八冠の黒版と小泉進次郎首相の第3形態についてです!)