栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった〜シン・美肌クリーム | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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今月のオイルトリートメントBootCampで新しい美肌クリームを発表できたのは幸運でした。

コンテンツというのはいつも存在するのですが、発表する機会というのは稀です。

コンテンツ(新しい理論、新しい気功技術)はいつも観測すれば(意図すれば)存在を許されるのですが、それをシェア(発表)する機会こそが、ルー・タイスの言う「機会の通り道」です。

卒啄同時(そったくどうじ)を思わせます。

 

卒啄同時については、過去記事でも書いているので、そちらを参照してください。

c.f.【募集開始】大腰筋、ピエタ&エコーによるラポール、ブラックスワン、身体改造1Dayなど! 2016年05月31日

c.f.どんなにバカにされたって笑い飛ばして今最上級 冷めた現実 褪めた景色より目が覚めても覚めない夢を 2020年11月07日

 

「過去記事を参照してください」と書いたのですが、下に引用します。

むしろこの「機会の通り道」の感覚を明確に表現しているのが、卒啄同時(そったくどうじ)です。

 

(引用開始)

 

ヒーリングでもコーチングでも(メンタリングでも)同じですが、内部表現の書き換えというのは一瞬で行います。

「一瞬で行う」というと、「一瞬」しか必要ないのではないかと早合点する人がいますが、長い長い膠着状態での謎解きの時間があって、きっかけをつかみ、そして全体を一本背負いするように一挙に書き換えます。

これはヒーラーだけの仕事ではなく、クライアントだけの仕事でも毛頭なく、2人の共同作業です。2人の息があってはじめて実現するいわば奇跡です。

ヒーラーやメンターとして、奇跡を日常的に起こすことに長けたとしても、それはやはり「奇跡」と呼べるようなものです。確率が低く、そして得難いものです。そして苦労の先につかむ光のようなものです。

 

この共同作業というのは、平たく言えば、啐啄同時(そったくどうじ)というやつですね。

 

 

啐啄同時の啐とは、雛が卵から卒業しようと中から突くことです、啄とは親鳥が外から卵の殻をつつくことです。親鳥とひな鳥の息が合うと、孵化できるという仏教用語ですね。

 

内側から門ならぬ卵の硬い殻を突き続けてもだめですし、ひな鳥が準備できていないのに、親鳥が殻を壊してもダメ。両者のタイミングがぴったり合って、はじめて卵から飛び出すことができます。

もちろんこれはメタファーです。

 

弟子が現状の外側に出ようともがいており、師匠がそこから引き出そうと手を差し伸べる、、、その両者の呼吸があったその一瞬に書き換えが起こるのです。

 

知識を知れば移動できると考えるのが知識社会の常識です。

たしかに移動はできますが、師弟関係で目指しているのは横の水平移動ではなく、垂直方向の移動です。抽象度が上がる方向への移動です。

 

そのときはこの啐啄同時の感覚が必要で、その同時の瞬間が「一瞬で行う」の意味です。

 

師弟関係において、物理空間を共有するというのはきわめてレアなことだと思って、これが最初で最後だと(一期一会)思って、その瞬間に全てをかけなければ、永遠に殻から抜け出ることなく終わってしまいます。

 

親鳥サイドとしても、すべての卵が全く微動だにしていなければ(外に出ようという空気が無ければ)、その巣は見限るかもしれませんw

 

親鳥の持つ時間もまた有限だからです。

 

そして熱烈に現状から脱したい、殻を破って脱け出したいと思っているひな鳥は膨大にいます(多分)。

親鳥はそのひな達のお手伝いをしたいのです(多分w)。

 

機能を果たすことが我々のレゾンデートル(存在理由)であるならば、機能を果たせる場に移動するだけです。外に出る気のないひな鳥を相手にお世話をするのが親鳥の機能ではないので。

 

(引用終了)

 

後半3分の1はダイナソー(旧世代)の物言いですね〜。

今のパラダイムでは許されない表現になってきます(じゃあ削除しろよという話なのですが)。

 

 

僕自身の能力の輪というか、卓越性というか、そういうものの中に「忘れる」という機能があります。恐るべき勢いで忘れていくのですが、その勢いを加速させることを、かつての師匠のアドバイスによって、特に意識しています。すなわち、忘れる速度を早めようと意図しており、努力しており、あまつさえ、そのための気功技術もいくつも作っています(三途の川やDelete、そしてピエタにもその機能が結果的についてきますね)。

 

ですので、教師自身のタイミングも限定されているということです。

(ですので、文字通りのCognitive Genius的なチームは欲しいと思っています。講座名としてではなく、インナーサークルのチームです。いや、正直に言えば、求める前にもたらされているとは自覚しているのですが)(「求めよさらば与えられん」のシンの意味は「求めよ」そうすれば与えられるだろうではなく、求める前に実はもたらされているということだと思います。求めた瞬間に起こることはスコトーマが外れること。それをすでに手にしていたと気づくこと)

 

「そんな大事なコンテンツをそもそも忘れるなよ」と思われるかもしれませんが、でも僕らはそんなに記憶しているものですか?

たとえば、カーネマンの「経験の自己」「記憶の自己」ではないですが、強烈な体験、たとえば、あまりにもリアルな神秘体験を数日後に臨場感高く描写できるかどうか、数秒後と数日後では全く変わるのではないでしょうか?それを臨場感高く描写するだけではなく、論理的に相手の知識レベルを忖度しながら、理論を構築しつつ、プライミングを仕掛けつつ、実際にその神秘体験をわずかでも追体験させて、相手のゴールに絡めて喜ばすところまでがセミナーなどの発表の1つのフレームです。最小単位です(とか、書いちゃうあたりがダイナソーなのかもしれないけど、まあ良いか)。

目の前の人間の数秒前の言葉すらまともにEcho(言ったことを正確に再現)できないのに、、、(とか書いてはいけない(笑))。

 

 

話が脱線したので、元に戻します。

(というか、弟子たちが諌めたのに対して、貧しきものは時の始めから終わりまでいつでもいるが、俺は今しかないとのたもうたイエス様の傲岸不遜な物言いが最近、分かるようになってきました。傲岸不遜になったのかなw)

 

貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。(マタイ26:11)

 

冒頭に戻ると、、

冒頭にこう書きました。

 

今月のオイルトリートメントBootCampで新しい美肌クリームを発表できたのは幸運でした。

コンテンツというのはいつも存在するのですが、発表する機会というのは稀です。

 

で、今回書きたかったのは、細菌についてです。最近は細菌の話ばかりです。特に体内に意図的に細菌を住まわせ、そしてそれを次世代に意図的に伝えているという話を、昨日のBootCampのデモンストレーションのときにしました。

ここが一番の(学問的には)Critical Pointだったかと思います(それ以外もたくさんありましたが)。

 

そもそもは体内に細菌は存在しないというのが通説です。逆に体内に細菌が観測されたら、それは感染と呼ばれ、かつては破傷風などで死に至ることもしばしばでした。僕らも子供時代はちょっとした擦り傷で足が壊死したり、死ぬこともあると脅されていました(そして水銀入りの赤い薬剤を傷に塗っていました。誰もが知っているこの薬は、その危険性からほどなくして販売中止になりましたが)

ですので、細菌というのは身体の外側につくものであり、体表面と(トポロジカルには同じ平面上にある)消化器の内側にあると考えられています。ちくわの表面についているのです。

 

竹輪の磯辺揚げを想像してください。

 

そのとき青海苔はまんべんなく外側についています。

 

竹輪の穴の中にもたぶん青海苔がついていますが、竹輪自体の中にはつきません。

 

 

もし細胞内に入ってきたら、それは異常事態だよねというのがコンセンサス(同意事項)なわけです。その異常事態のことを「感染」と言います。ですから、たとえば傷からは感染しやすいので、手術では抗生剤を投入します。感染は不可避なので、菌の増殖を防ぐためです。

 

その大前提があることを想定した上で考えると、「体内に意図的に細菌を住まわせ、そしてそれを次世代に意図的に伝えているという話」は奇妙なのです。

 

第一に「体内に意図的に細菌を住ませる」のが奇妙です。そして、細菌を次世代に伝えるのも不思議です。

そもそも腸内細菌叢含む細菌叢を次世代に伝えるというのは特に経膣分娩において、磯辺揚げのように表層から表層へ(それが赤ちゃんの口から腸内へ)というのは分かります。もしくは「オリゴ糖」などをプレバイティクスとして細菌の餌を与えるのも分かります(オリゴ糖を分解する消化酵素をヒトは持っていません。しかし腸内細菌は代謝できます)。しかし、プロバイオティクスとして生きた細菌を母乳によって、ダイレクトに赤ん坊に与えているのです。

 

該当箇所を引用します。

10%Humanからの引用です。

 

(引用開始)

 

母乳にはオリゴ糖のほかにも意外な成分が含まれている。病院の母乳バンクは数十年前から、母乳育児中の母親による「献乳」を集めている。赤ん坊が未熟児で生まれてきたりひどい病気にかかっていたりすると、母親はすぐにお乳をあげられない。するとその母親は、そのままお乳が出なくなってしまうことがある。そんな赤ん坊にとって母乳バンクは頼みの綱だ。だが、母乳バンクには難渋する問題があった。提供される母乳がいつも細菌に汚染されているのだ。混入する細菌の多くは乳首や乳房の皮膚からきたものと思われたが、採乳するときどれだけしっかり皮膚を消毒しても、母乳の中の細菌をゼロにすることができなかった。

消毒の精度を極限まで上げた採乳技術とDNA解析技術を使って調べたところ、献乳の際に見つかる細菌は、もとから母乳にいた細菌だった。赤ん坊の口や母親の乳首から乗り移って混入したのではなく、乳房組織の中に入りこんでいた。いったいどこから? 乳房組織にいる細菌の多くは皮膚によくいる細菌とは違った。つまり、乳房の皮膚から乳汁に侵入したわけではない。乳房組織にいる細菌は、通常は膣や腸にいる乳酸菌だった。母親の糞便を解析すると、腸と母乳にいる細菌は同じだった。これらの微生物は大腸から乳房へと移動したようだ。

 

(引用中断)

 

お母さんのお乳の細菌汚染問題を調べていたら、それは汚染ではなく、意図的に母乳に必要な腸内細菌を赤ん坊のためにまぎれこませていたことが分かったということです。

 

じゃあ、どうやってその細菌(善玉菌)を運んだのでしょうか?

 

(引用再開)

 

血液を調べて移動ルートがわかった。樹状細胞と呼ばれる免疫細胞の中に入って移動していたのだ。樹状細胞は細菌の密入国を手助けすることで知られている。腸を取り囲む熱い免疫組織の中にある樹状細胞は、長い腕(樹状突起)を伸ばして腸内にどんな細菌がいるかをチェックする。そして通常は、病原体を見つけたらそれを飲みこみ、別の免疫細胞(ナチュラルキラー細胞)の軍団がやってきて退治してくれるのを待つ。ところがなんと、樹状細胞は害のない有益な細菌までつかまえて飲みこみ、血流に乗って乳房に運ぶ。

 

(引用中断)

 

本来は免疫組織である樹状細胞が「害のない有益な細菌」をつかまえて飲みこみ、血流に乗せて、乳房まで運んでいた、ということです。

 

この話はまだまだ続きます。

 

リンパ節に細菌が見つかる割合は、妊娠していないマウスでは一〇%だったが妊娠後期のマウスでは七〇%だった。出産するとリンパ節の中の細菌は急減するが、このとき同時に乳房組織に細菌が集まっていることが八〇%のマウスでも確認された

 

すなわち、「マウスでもヒトでも、免疫系は悪い微生物を追い出すだけではなく、いい微生物を新生児に引き渡す手伝いをしているらしい」のです。免疫に対する理解が変わります。そして免疫とは何かを真剣に考えるとバンガ(Bhanga)の神であるシヴァ神が現れます(Bangaは諸説ありますが、ここではマリファナのこと)。

 

 

(CB1が神経系に、CB2が免疫系に)

 

 

これ(赤ん坊に対する細菌叢の移譲)が非常に意図的であり、段階的であることを示すのが以下の議論です(アグニの神様の叡智の1つの現れです)

 

赤ん坊の成長に合わせて母乳のオリゴ糖含有量が変わるように、母乳に含まれる細菌も変わる。生後一日目に必要な微生物は、一ヶ月後、二ヶ月後、六ヶ月後に必要な微生物とは違う。出産直後の数日に出る初乳には数百種類の微生物が入っている。ラクトバチルス属、連鎖球菌属、エンテロコックス属、ブドウ球菌属の細菌はすべて含まれており、その数は一ミリリットルあたり一〇〇〇個体にもなる。赤ん坊は一日におよそ八〇万個の細菌を母乳のみで接種していることになる。やがて母乳に含まれる微生物は数を減らしながら種類を変えていく。出産から数ヶ月たった母乳には、成人の口内にいるのと同じ微生物が入っている。赤ん坊の離乳に備えてのことだろう。

 

我々はこの精妙なシステムを理解し始めたところですが、重要なことは邪魔しないことです。

 

邪魔をするなというのは、「ありのままで」というのとは違い、どちらかと言えば「思い煩うな」です(思い煩ったところで、我々の知性ではとうていどうしようもない叡智が目の前に広がっているからです。だから我々はそれに対して頭を垂れて、そのEcoSystemを邪魔せず、むしろ感謝して亢進させるようにデザインするのみと思います)。

 

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 (マタイ6:25)

 

僕はこれに続く、この一節が好きです。

 

野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 (マタイ6:28−29)

c.f.体質改善とは自我という関数を書き換える作業と考えるとスッキリする(かも) 2014年03月27日

 

端的に言えば、思い煩わずに、好きなものを好きなだけ食べれば良いのです。それがホンモノの食事であり、そして旬の素材を活かした美味しい料理であればなおさら。

 

 

 

【書籍紹介】

そろそろ読み返しても良い時期かも。新しい知見で読み返すとまた理解が変わります!