もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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自分が理解したものをどうやって示せば良いのでしょう?

 

別な言い方をすれば、「分かった」という状態になると、どうなるのでしょう?

 

我々の先達である偉人たちはどうしているでしょう。

 

 

これに対する分かりやすい例は、イエスの荒野の誘惑ですね。

(いや、それだけではなく、たくさんありますが)

 

イエスは試みられて、このように返しています。

 

人はパンのみに生きるにあらず、と。

 

これは、神の子なら、石をパンにしてみろという試みに対する回答です。

 

見事な返答ですが、それ以上に見事なのは、これは引用だということです。

 

 

(引用開始)

 

すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。

 

イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

 

(引用終了)(マタイ4:3−4

 

 

ダラダラと引っ張るのも嫌なので、結論から言いますが、何かを深く理解したとき、我々はこのような表現方法を取るのです。

 

そして、それがまた人口に膾炙していくのです。

 

もちろんこれはモーセの申命記の一節であり、イエスにとっての律法(僕らが旧約聖書と呼ぶもの)の一節です。

 

 

(引用開始)

2 あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。

3 それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。(引用終了)(申命記8:2−3

 

 

 

なぜイエスはわざわざ引用を用いたのでしょう?

 

なぜ「自分の言葉」で語らなかったのでしょう(これは国語でよくある「自分の言葉で書きなさい」に対するあてつけです)。

 

 

この理由はシンプルです。

(シンプルですが、ほとんどの人が理解していません)

 

「自分の言葉」なるものに変えた瞬間に何かが失われるからです。

何か重要なものが失われるからです。

 

プルースト風に言えば、そこにある魂が失われるのです。

 

だからこそ、正確な引用にこだわるのです。

 

だからこそ、Jobsは「Stay hungry. Stay foolish. 」と正確に引用しました。

「自分の言葉」ではなく、引用で語るのです。

 

 

 

*これがジョブズの言及したWhole Earth Epilogの最終刊。

 

 

ルー・タイスの「アファメーション」も、きちんと読んでいる方はご存知のように、最も重要なメッセージは、引用でつづられているのです。

 

 

「君のレースはきつすぎる。全行程を一人で走ったらきっと死んでしまうよ。リレーだと考えるといい。できるかぎり一生懸命走ったら、あとは次の人にバトンを渡すんだ」(ルー・タイス『アファメーション』p.414)

「私の後ろを歩かないでください、私はあなたを指導しているのではないのだから。私の前をあるかないでください、私はあなたに従いたいのではないのだから。私の隣を歩いてください。ただ、私の友人になってください」。私が言いたいことも、これと同じです。(ルー・タイス『アファメーション』p.416−417)

 

 

イエスが荒野の誘惑において、その返答のすべてが律法からの引用であることは印象的です。

 

いやいや、彼の言葉をリストアップすれば、そのほとんどが聖書の引用です。

 

むしろそれを奨励しています。

 

(引用開始)

 

するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。

 

彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。

 

(引用終了)

 

 

 

この「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」はきわめて重要です。

 

これを当時のユダヤ教の文脈として理解してしまうから、僕らは永遠に井戸の中から外へ出れないのです。

 

 

というわけで、今回も回答を紹介します!

 

ちなみに問題はこちらです!

 

私の人生はかつて思い描いたものとは、まったく異なるものになっています。
 
あなたの成功も思ったとおりの形では訪れないかもしれません。しかし、将来振り返ったときは、私のように「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」と言っているかもしれません。つまり、大きな理想を描くときには、細かい計画をしないほうがいいのです。方法や手段を固定するのも良策とはいえません。結果を思い描き、方法や手段には柔軟性を持たせましょう。
(p.295-296  ルー・タイス『アファメーション』)
 
 
Q.1 以上の文章を読み、ルー・タイスはなぜここで「しかし」を使っているのか、何が逆接なのかを読み解いて、説明しなさい。

 
原書で読む方は、
 
My life is very different from the way I thought it would be.
 
Your success may not come the way you thought it would either. But if you stop and reflect back, you may say with me, “Well, what do you know, I am a coach.” So, be careful that you don’t map the way to some of your big ideals. Don’t lock on to some method or means. Keep the end in mind, but be flexible about ways and means.



Q. 2文目の「Your success may not come the way you thought it would either. 」の文法的構造を解きほぐしつつ、なぜこの次に続くのが「But」なのかを説明しなさい。

 

 

(引用開始)

 

おはようございます。昨日はありがとうございました!!

今回の課題になっている文章も、ルーとキプチョゲとの会話の文章も、音読して何度も読んでみました。

課題に再チャレンジさせていただきます。

Q.1 上記の文章を読み、ルー・タイスはなぜここで「しかし」を使っているのか、その前後で何が逆接なのかを読み解いて、説明しなさい。

Q. 2文目の「Your success may not come the way you thought it would either. 」の文法的構造を解きほぐしつつ、なぜこの次に続くのが「But」なのかを説明しなさい。



A.この「Your success may not come the way you thought it would either. 」では、mayにnotがつくことでcome が打ち消され、not come つまり「来ない」になっています。

続く「But if you stop and reflect back, you may say with me, “Well, what do you know, I am a coach.”」では mayにnotはついておらず、say以降の文「say with me, “Well, what do you know, I am a coach.”」を否定していません。


「Your success may not come the way you thought it would either. But if you stop and reflect back, you may say with me, “Well, what do you know, I am a coach.” 」

について便宜上、Butを境に前文を、①Your success may not come the way you thought it would either.とし、後ろに来る文を② if you stop and reflect back, you may say with me, “Well, what do you know, I am a coach.”と表記してみます。

①のmay not と②のmayが逆になることから「But」という逆接の接続詞が使われ、

「思った通りの形では訪れない」ことと、「思った通りの形ではないけれど(コーチとして)訪れている」ことが逆接だと考えます。





また 接続詞but を置くことでルー・タイスが何を伝えてくれようとしているのかについて思い至ったことがありました。

「まといのばブログ」2021年05月09日付記事に記載の

「たしかにニュートンはずっと一人で考えていましたが、彼には友達がいませんでした(あ、そういえば3人いましたね。ひとりはプラトン、ひとりはアリストテレス。でも本当の親友は真理でした。
この話しの読解は、、、、 真理を友だちにしたことによって、前の親友を弾き飛ばした ということです)。
c.f.プラトンは私の友、アリストテレスも私の友、しかし最大の友は真理である 最高の開運法とは? 2018年06月16日」


を読み


プラトンは私の友人だ。そしてアリストテレスも私の友人だ。しかし、親友は真理のみだ、と。
Plato is my friend, Aristotle is my friend, but my best friend is truth.
(プラトンは私の友、アリストテレスも私の友、しかし最大の友は真理である)

の「but」により、「but」の後に来る文で言っていることが、butの前の文で言っていることよりも「真」だという構造(?)が見えた気がしました。

とすると、butは「逆接」であり、さらに、but の後ろの文がbutの前の文よりも「真」であることも表すのかと思いました。


またここで、ルー・タイスの

「Your success may not come the way you thought it would either. But if you stop and reflect back, you may say with me, “Well, what do you know, I am a coach.” 」

に戻ってみると、ルー・タイスは、but の後の文は butの前の文よりも「真」であることを私たちに伝えようとしてくれているのかと思い至りました。


すると、

「Your success may not come the way you thought it would either. But if you stop and reflect back, you may say with me, “Well, what do you know, I am a coach.”」
「あなたの成功も思ったとおりの形では訪れないかもしれません。しかし、将来振り返ったときは、私のように「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」と言っているかもしれません。」

に続く

「So, be careful that you don’t map the way to some of your big ideals. Don’t lock on to some method or means. Keep the end in mind, but be flexible about ways and means.」
「つまり、大きな理想を描くときには、細かい計画をしないほうがいいのです。方法や手段を固定するのも良策とはいえません。結果を思い描き、方法や手段には柔軟性を持たせましょう。」


So「つまり」が「要約」ではなく、再確認を促す「だから」という意味で、ルー・タイスが最も伝えたいことなのだと感じました。



クライアントとのセッションに限らず、全ての会話において、
「しかし」「でも」「けれど」という言葉が相手から出てきた時に、相手の心が今どこにあるのか、を見つけるヒントが見つかったような気がしましたが、その理解でいいのかどうか、この先も「まといのば」で学び続けながら考え続けてみます。

すばらしい学びの機会をありがとうございます!

 

(引用終了)

 

 

butは「逆接」であり、さらに、but の後ろの文がbutの前の文よりも「真」であることも表すのかと思いました。」という視点は面白いのですが、「真」というよりは、重要性を付加しているくらいの意味で大丈夫です。

 

以前の英語講座のパラグラフリーディングにおいては、Butが出てきたら、それ以下の文章は重要だと著者が考えているから、と伝えていました。

 

 

 

そして、こちらの新しい課題について、解いてくれた方がいました。

 

 

私があなたに厳しい課題を与えるつもりであることを最初に知っておいてください。私が何を言おうとしているのかを解き明かすのに苦労することもあるでしょう。しかし、一度理解して自分のものにすれば、周囲の人にも伝えることができます。チームを築き、自分の夢を実現させることができるのです。(ルー・タイス『アファメーション』)

 

Q.1 何が「しかし」なのでしょう。何がこの接続詞の前後で逆接となっているのでしょうか?

 

Q.2 「自分の夢を実現させることができる」の直前になぜ「チームを築き」とあるのかを、本書の中から引用して根拠を示して述べなさい。

 

Q.3 私があなたに与えるつもりである「厳しい課題」とは何か?具体的に述べなさい。

 

 

(引用開始)

 

ブログの課題の回答を送らせていただきます!


Q1 しかし
理解するまでの苦労と、手に入れた後のメリットを対比させ、メリットを強調している「強調のしかし」に見えました。

Q2 チーム
私たちは周囲の人たちに影響を与えたいと思っているし、チームや組織にも応用が効くから。

引用

私たちは周囲の人たちに影響を与えたいと思っているのです。

より良い自分をつくることで、より良い世界を築く人物になれるのです。

Q3 厳しい課題
目標に向けて、継続的、長期的な行動を取り続けるように背中を押すこと。


原文が気になってしまって、英語の方の本も買ってしまいましたw

他の方の回答を読むのが面白いです。


そして、

「豚に真珠の豚は、私だったか…」と、これまで自分がいかに傲慢に生きてきたか、そして、向上の余地があるどころか、余地だらけであることに、気づかせていただきました!

この喜びは、プライスレスですね。

ありがとうございます!

 

 

(引用終了)

 

プライスレスな喜び、良いですね!!

 

気付くことで、拓けていく道があります!!

 

 

引き続き、考え続けてください!

 

「正解は?」という気持ちは分かりますし、「正解はあるのですか?」という尤(もっと)もな質問もいただきましたが、もちろんありますw。

 

それに、自分の力で正解に至ったら「ユーレカ!!」となりますので、分かります!

(まあ、もちろんユーレカとなったので、皆さん回答を寄せて下さったいるのでしょうが、、、、)