「なぜあなたのゴールが叶いにくいのか」と言えば、「それはゴールを言葉で考えているから」というのが、シン・ゴール設定&更新講座のテーマというか、問題意識です。
コーチングというか、メンタリング的なものをやっているときに、クライアントさんから言われるのは「でも、これは現状の中ですよね(ゴールは現状の外じゃなきゃダメですよね)」というものです。
その言葉から遅かれ早かれ推論されるのは「でも、現状の中しか見えないのだから、そもそも現状の外のゴールを見つけるなんて無理ゲーですよね」というものです。
この諦観で系が閉じて(フレームが終了して)、「やっぱりゴールが見つかりません」に着地します。
何というか、言葉が言葉を生み、その言葉がまた言葉を生み、有限な時間と有限なメモリを圧迫するのです。だからこそ、その意味での言葉から逃れる必要があります。
言葉のA.T.フィールドを補完する必要があります(意味不明w)。
世界的振り付け家のベジャールさんが言うように、言葉は分断をもたらすのです。
なぜなら、言葉は部分関数だからです。より明確には概念は部分関数であり、世界を(もしそれがあるとして)2つ以上に分割するのです。
だから、言葉を話せば話すほど、世界はバラバラになっていきます。
インフォデミック講座でもテーマになりましたが、新しい感染症をめぐる言論が内ゲバの論理を内包すると言ったその根源は「言葉」や「概念」そのものが持つ特性にあるのです。
その言葉を超えるもの、もしくは超情報場と最近呼んでいるところの情報空間というのは、本来は鵺(ぬえ)のように名付けることもかたどることも難しいものです。あいまいというか、あやふやというか、不定形なものです。
その部分に我々はとりあえず「鵺(ぬえ)」と名付けています。
鵺は文字通り夜の鳥です。真夜中に不気味な声で鳴く鳥です。真っ暗闇の中で手探り状態の中で、声だけが聞こえてきます。存在はするのでしょうが、観えないのです。
超情報場も同じで、存在する気がするのですが、見ることも触ることも難しいのです。
ゴールも同様です。
ですから、共感覚の翼を広げて(もしくは共感覚の触手を広く伸ばしてw)、まず超情報場にアクセスする必要があります(アクセスというとすでに存在しているようですが、本来は何も無いところに生み出すものです。認識より前に世界が存在するはずもないという立場なので)。
我々は自分のゴールをまず共感覚によって認識し、そのあとにその「鵺」のような不定形の存在に名前をつけるのです。
名前をつけることによって、鵺をピン留めするのです。
情報空間の中である部分をピン留めします。
これが「固有名は固定指示詞である」(クリプキ)ということです。
「ユニコーンは存在するけど世界は存在しない」マルクスガブリエルは釣り糸を垂らすと言いました。僕のイメージは串刺しです。いやこれはクリプキ様のイメージだったか。
*クリプキ様
ともかくピン留めするのです。でなければ、暗闇の中に再びまぎれて、闇夜に溶けていなくなって、二度と出会えないからです。
だから、見つけたと同時にピン留めしないといけないのです。
そのピン留めを言語化とか、名指しと言います。
認知科学的な用語で言えば、トリガーです。トリガーを名前でつけるのです。
これがゴールの感触です。
我々は言葉でゴールを探してしまうのですが、実際は全く逆のことをしているのです。
ゴールに関するパラダイム・シフトをこっそりと心の中でするしかありません。
ゴールを言葉で探すのではなく、ゴールを共感覚で探すのです。
暗闇の中に光を見つけ、身体がふっとゆるむ超情報場を探し、光をアジュナチャクラで感じられる情報空間の居場所を見つけるのです。
まず共感覚でゴールを求め、見つけたあとにその鵺に対して、何らかの名前で名指しするのです(だから名前は何でも良いのです)。
我々は生涯の恋人を結婚相談所で探しながら、名札の名前ばかり見ているようなものです。
名前ではなく、人を探しましょう。
名前には何もありません。それがロミオであろうが、カエサルであろうが。
そうやって人を見ずに、名札の名前ばかり見ていると、ジュリエットから突っ込まれます。
名前が何だと言うの、と。
薔薇の花を別の名前で呼んでみても甘い香りは失せはしない。(ロミオとジュリエット)
大事なのは共感覚の翼を広げて、本当に自分の超情報場を見つけることです。名前は重要ではありません。名前は我々がつけるのです。ここでの言葉は符丁に過ぎないのです(ただ一周回って、鵺の上にロゴスが広がるというのが、呪言師養成スクールの要諦でした)。
(引用開始)
モンタギューでなくても、あなたは矢張りあなたなのだもの。
ああ、名前を変へて!
モンタギューが何だと言ふの?
手でもない、足でもない、腕でも顔でもない、生れ附き人の身に備わつているやうなものとは違う。
名前に何があると言ふの?
薔薇の花を別の名前で呼んでみても甘い香りは失せはしない。
(引用終了)(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』)
言い換えれば、僕らは頭で考えすぎなのです。
「自分は何がしたいのだろう?」
「自分の真のゴールは何だろう?」
「何をしているときが一番楽しいのだろう?」
「何が自分のWant toなんだろう?」
「現状の外のゴールって何だろう?」
「お金?名声?承認?」
「成功?それとも充実感?」
「やりがい?幸福?」
と頭で考えすぎなのです。
頭で考えるというのは、言い換えれば言葉で考えるということです。
禅であれば、喝とされるやつですね。言葉を滅したいのです。
禅における無念無想とは「言葉」を滅したいのであって、脳機能を停止ではありません。
植物人間をひとつの理想とするはずもないわけです。そうではなく、言葉を滅して、イメージ(というかビジョン)で満たしたいのです。
ですから、マインドフルネスはまさしく名は体を表している大きな間違いです。マインドフルではなく、マインドを滅したいのです(まあ、マインドを何と定義するかにもよりますが)。
その状態は、最初は怖いと思いますが(当分の間は怖いでしょうが)、頭の中から言葉を滅してしまい、感覚だけになるイメージです。実際は共感覚だけになり、その感覚を広げていきます。
ただし、これも頭でやってはダメです。身体でやるのです。身体で共感覚センサーを広げるのです。
(これは簡単そうですが、我々はポケットに入っている新世紀の石器によって、言葉で頭を満たされるようにハックされています。便利な石器ですが、一方で共感覚の妨げともなります。別名をスマートフォンと言います。賢くなったのは電話ばかりで、我々はスマートさを妨げられているのかもしれません)
かつてはマウスが新世紀の石器でしたが、マット・リドレーが予言したように、石器ほどの長い寿命はもちろんありませんでした(パソコンの消失ではなく、マウスの消失です)。
*恐怖と愚かさによって文明が静かに破壊されている現代こそ、読み直したい本です!
そんな講座をシン・ゴール設定&更新講座でやります。
(だからこそ共感覚講座は事前に復習しておいて欲しいです。特にワークをしっかりと)
気功共感覚徹底鍛錬講座のお申し込みはこちら!(受講要件はメンター生、スクール生です)。
このパラダイム・シフトが第一で、そして共感覚によってゴールを実際に捕まえるワークが第二のテーマです。
共感覚によって捕まえたゴールを「まといのば」ではとりあえず今はVisonと呼んで、あえてゴールと区別しています。
言語によって捕捉されたゴールは分断しかもたらせず、達成はおぼつかないのです。いや、むしろ達成した方が不幸だったりします(なぜならそれはミメーシスであることが多いから。そもそも言葉は社会の共有財です)。
ビジョンという鵺を捕まえて、そしてそれをピン留めするために言葉をトリガーとして用いるのです。
かつての我々は言葉からゴールを探そうとしていましたが、これから共感覚で鵺を捕まえて、そして言葉でピン留めします。これが今回起こしたいパラダイム・シフトです。
ちなみに、誤解しないで欲しいのは、コーチングの理論はそもそもがパラダイム・シフト後です。というか、我々が理論を言葉で理解しようとしたから起きた不具合が今の世界の状況なのです。
パラダイム・シフトなど本来は不要だったのです。
ルー・タイスと真摯に向き合うならば、彼が鵺の国から来た人であることはよくわかります。
だからあれほどCrazy Oneなのです。
リングもレフリーもグローブも無いのに(見つかるあてもないのに)ボクシング大会を企画するのです。
パラダイム・シフトは本来は不要だったのですが、我々の浅はかな理解によって(もしくは文字を信じすぎたことによって)、ボタンの掛け違いが起きました。
掛け違えたボタンを正しく直すのが今回の講座です。
そうすると世界はもっとスッキリとします。
少なくともゴール設定に関わる理論がかなりスッキリとします。
我々はクリプキのGrue,Bleenのように同じものを指しているのに、別な解釈をしていたのです(この比喩自体が混乱を招くw)。
何が言いたいかと言えば、同じ名前で違うものを指していたということです。
ルー・タイスはゴールと言って鵺を指していたのに、我々はゴールと言って言葉を指していた、と。
鵺をルー・タイスがテレパシーで伝えるわけにいかないので、言語を介在させて伝えます(いや、でもルー・タイスはテレパシーも使いましたね〜(笑)。ただ問題は僕が今でもまだそれを受信中ということです)でも、そのことによって(言葉で説明することで)、大きな誤解が生まれやすくなるのです(言葉は分断を生じさせます)。
(このルー・タイスの「テレパシー」については、シン・メンター養成スクールでやります。というか、当初の予定を大幅に超えてコンテンツができそうなので、がんばって、何とかそこまで行きましょう!なにせ「シン」シリーズですからw)
真逆のものになるのです。
ヘレン・ケラーにとってのかつての記号としてのモノマネでしかないWaterの綴りと、Waterがこの手に流れる水を指し示すとユーレカしたあとのWaterの違いのようなものです。
(引用開始)
ふたりは井戸小屋をおおうているスイカズラの甘い香りにひかれて、庭の小径(こみち)を下って行きました。だれかが水を汲みあげていましたので、先生は樋口(ひぐち)の下へ私の手をおいて、冷たい水が私の片手の上を勢いよく流れている間に、別の手に初めはゆっくりと、次には迅速(じんそく)に「水(ウォーター)」という語をつづられました。私は身動きもせず立ったままで、全身の注意を先生の指の運動にそそいでいました。ところが突然私は、何かしら忘れていたものを思い出すような、あるいはよみがえってこようとする思想のおののきといった一種の神秘な自覚を感じました。この時初めて私はw-a-t-e-rはいま自分の片手の上を流れているふしぎな冷たい物の名であることを知りました。この生きた一言が、私の魂をめざまし、それに光と希望と喜びとを与え、私の魂を解放することになったのです。もちろん、まだまだ数知れぬ障害物が残ってはいましたが、それはやがて取り除くことのできるものばかりでありました。
私は急に熱心になって、いそいそと井戸小屋を出ました。こうして物にはみな名のあることが分かったのです。しかも一つ一つの名はそれぞれ新しい思想を生んでくれるのでした。そうして庭から家に帰った時、私の手に触れるあらゆる物が、生命をもって躍動しているように感じはじめました。(引用終了)(ヘレン・ケラー『わたしの生涯』pp.30-31岩橋武夫訳 角川文庫)
c.f.家に帰った時、私の手に触れるあらゆる物が、生命をもって躍動しているように感じはじめました。 2017年06月06日
我々も「ゴール」という言葉において、そのような激烈なパラダイム・シフトを起こしましょう!
というわけで、いよいよ今週末となったシン・ゴール設定&更新講座お楽しみに!!
まだまだ募集中です!!(ライブ受講やヴァーチャル受講も!)
【まといのば講座『シン・ゴール設定&更新講座 〜ビジョンを観るための気功共感覚〜』】
【日時】 3月26日(金)19:00~22:00
【場所】 四ツ谷のセミナールーム(丸ノ内線四谷三丁目駅、都営新宿線曙橋駅が最寄り)
【受講料】 30,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください)
【受講資格】 「まといのば」スクール修了生、OnLine MenTor受講生・修了生
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具
【お申し込み】お申し込みはこちらから!!
(Zoomによるライブ受講、そしてビデオ教材によるヴァーチャル受講も可能です!ヴァーチャルの方で希望者には遠隔伝授をします)。
上記のようにシン・メンター養成スクールは、呪言師養成スクールの成功を受けて、大幅にレベルアップします!
ストロング・スタイルという方法論をイントロダクションにして、鵺をいかにマネージメントするか、いかにビジョンを見つけ、共有するかを、理論を丁寧に追いつつ、ワークで鍛え上げていきましょう!
【シン・メンター養成スクール 〜混迷の時代に必要とされる羅針盤たれ〜】
【日時】 4月17日(土)13:00〜18:00
4月18日(日)13:00〜18:00
【場所】 四ツ谷のセミナールーム(丸ノ内線四谷三丁目駅、都営新宿線曙橋駅が最寄り)
【受講料】 230,000円(銀行振込もしくはPayPal決済)
*Zoomによるライブ受講あります!!
*動画教材(当初はZoom版、その後高画質版)によるヴァーチャル受講もあります!
【受講資格】 「まといのば」のセミナー受講生、メンター生・修了生
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具、動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちら!!(←フォームメーラー)
(↑Coubic)