ドラえもんの昔の映画でしたか、「もしもボックス」のようなドラえもんの道具で、魔法が認知されている社会に移動するという話がありました。
魔法が普通に使えて、社会的に認知されている社会です。
もしもそのような社会があったらという仮定が実際になりたっている社会に、ドラえもんとのび太が移動します。
魔法が普通に使える社会はなんて素晴らしいんだろうとのび太くんが浅はかにも考えたことによって実現しました。
その社会では魔法が普通に使われているのですが、面白いことに義務教育でも魔法が教えられており、そして当然のようにのび太くんはそこでも落ちこぼれています。
面白いです。
僕自身も魔法が普通に使える社会って魅力的だなとのび太くんのように考えていたので、このディストピアっぷりはむしろ感動的でした。
自分が理想の社会だと考えるものというのは、大概実現するとディストピアなんだろうなと思いました。
気功も同じです。
「気功がもっと社会的に認知されると良いですよね」とこちらに気を遣(つか)っておっしゃってくださる方は多いのですが、「そうですね〜」としか答えようがありません。社会的に認知ということは、相対的に頭の不自由な人が参入してきて、めちゃくちゃになりますので、良いことはありません。
(緊急事態宣言下に夜のクラブ活動に参加したということだけで、議員辞職というトンデモな社会に移行した我々の社会も同様です)
現代がきわめて呪術的な世界に突入したことに対して、僕ら気功師は喜んではいません(喜ぶ理由はありませんし)。「いよいよ俺たちの時代が来た」とも思っていません(思う理由がありませんし)。面倒なことになったなと思い、火炙りにあわないようにますます気をつけようと思っています(マスクは必須です)。
時代は変えようがない。
わたしたちの方が合わせなくてはならないので、時代はわたしたちに合わせたりはしてくれない。オーダーメイドじゃないんだ。(カール・ラガーフェルド)
*そういう映画でした。
時代に合わせて、ヤクザは半グレにならないといけない、と(違うか、いや違わないと思いますけど)。
*僕らも世が世なら「気功」ではなく、アロマセラピストやら整体師やらと名前を変えていきます。気功にこだわってはおらず、人の役に立つ人生にこだわっているので。
気功を広く認知させたいとか、もっと多くの人に使ってもらいたいというのは、ビギナーが陥りがちな罠です。
こんなに素晴らしいものを広めないのは不健全だと思うのかもしれませんが、良いものを広めるのは良いことという信念そのものを疑った方が良いかもしれません。
*ヒカルさんの新曲にも(ヒカルさんの希望で)「四次元ポケット」という歌詞が入ったそうで。
同様に「気功がプラセボや思い込みではないことを理解してもらいたい!」とか、「気功と思い込みの差がどうしても分かりません」という質問がよくあります。
第一に「理解してもらいたい!」という場合、「誰に?」という問題があります。そして「なぜ?」と。
「全ての人に理解してもらいたい!」などと夢想するのはお子様過ぎる発想です。
(なんで全ての人に理解してもらいたいのかを深く考えると、結局自分が理解していないからという闇に激突したりします)
(多くの人に認められたいと思う人の多くが自分が自分を認めていないだけということがよくあるように)
特定少数の人に「理解してもらいたい!」としても、そこにも「なぜ?」という問題があります。
たとえば、おそらく理解してもらいたいのは友人や家族でしょう。
友人や家族に関して言えば、最後まであなたのことを理解しない、、、と予言しておきます(笑)
いや、予言でなくても良いのですが、友人や家族に理解してもらうことを早めに諦めると、気功師としてうまくいきます。
それでもどうしても「分かって欲しい」と思うのであれば、その情熱を仕事に注ぐことです。
きっちりと気功を用いて、人様の役に立って、お金を稼いで、法人をつくって、法人税をしっかり収めて、その様をちらっと家族や友人に見せることです(多くの隠れ拝金主義者たちはお金を見れば、意見を変えますw)。
あなたの気功を理解しなくても、あなたが稼いでいることに対してはリスペクトするのです。
ですので、特定少数の特に家族や友人に対しては、稼ぐことで擬似的に「理解してもらう」ことを目指しましょう。
「いやいや、でもクライアントさんには理解してもらいたいです!」というのも「なぜ?」って思います。
クライアントが欲しているのは、気功の科学的理解でしょうか?
いやいや、彼らがそれを望んでいると口に出して言ったとしても、それは間違いです。
彼らが欲しているのは、自分のより良い未来、そして今の現実の改善です。
ですので、気功が催眠や思い込みではないことを理解してもしなくても良いので、サクサクと内部表現を書き換えて、現実を変化させることです。
そうしたら、「これは思い込みではないんですか?」みたいな神学論争に巻き込まれることも無くなります。
思い込みと何が違うんですか?という質問に対して、「思い込みだったとして何か問題?」と思います。夢が叶うなら何でも良いでしょ、と。
「まといのば」のもともとのクライアントさんはバレリーナばかりでした。
彼女たちは悪魔に魂を売ってもつま先を伸ばしたい、毒を飲んでも細くなりたいという強烈な欲の塊(もとい本気のゴールがある人たち)でした。
だから、気功でも催眠でも整体でも何でも良いから、結果を欲していました。
ですから、こちらも説明することもなく、淡々と施術をして結果を出せばOKでした。
手かざしをしようが、マッサージをしようが、つま先が伸びて美しく踊れれば彼らは良いのです。
マフィアと似てて、バレリーナは「Show me the money」なのです。
彼らとしては、御託(ごたく)は言いから結果を見せて欲しいのです。
(というか、そういうクライアントさんだとセッションも楽しいです)
*トム・クルーズ主演映画「ザ・エージェント」の中の最高のシーン!
ちなみに、ある一定層の人々は自分が賢いと思っていて、「気功を仕事にするような馬鹿なやつらを論破してやろう」と手ぐすね引いて待っていたりします。
(ちなみに、しばしば勘違いされがちですが医療従事者の多くはそのポジションと対称的に気功に対して理解があります。ただ建前上はそう表立って言えないだけです)
で、その人々の挑発に乗って、議論に勝っても(負けても)、あなたの得はありません。彼らが意見を替えて良いクライアントになることもありません(いや、可能性はゼロではないですけど、そこにリソースを費やすほど、暇じゃないので)。
それよりは真摯に「成功したい」とか「変わりたい」という人たちに対して、有益なアドバイスと方法論を与えつつ、気功で書き換えを進めていけば良いことです。
「でも、それでは不誠実な感じがする!」と思うのであれば、自分に対する関係を変えます。
フィードバックを精密にすることです。
明らかに通常の「思い込み」や「催眠」では不可能なレベルにまで厳しい制約を課して、その上で気功を一瞬行い、そしてフィードバックを取ることです。
このときにぼんやりとやっていたり、客観的具体的なフィードバックに落とし込まないから、ダメなのです。
たとえば「痛みは少なくなりましたか?」は相手の主観に委ねたフィードバックです(痛みも重要なフィードバックですが)。
それよりは「可動域の大幅な変化」を確認すれば客観的具体的なフィードバックとなります。
炎症の腫れや赤みが2日経って消えるのであれば、それは通常の代謝や治癒反応ですが、2秒で変わるならば、さすがに「通常」とは言い難いものがあります。
「まといのば」のメンバーには医療従事者もとても多いので、彼らはそのせっかくの知識と経験をフル活用すれば、医学的にありえることとありえないことの境界が僕らより分かるでしょう。
そうやってフィードバックを取ることです。
気功はバカでも(トリガーを引ければ)使えます。
でもフィードバックを取るには知性が必要です。
(ここ重要w)
重要なので繰り返します。
伝授されていれば、誰でも気功を使うことは使えます。
(信じることとか、理解していることとか、知性とか、そういうものは初歩レベルでは不要です。iPhoneを猿でも使えるのと同じです。2才児でもiPadを駆使します)。
でも、気功の効果をフィードバックを取ることはとても難しいものです。
そこには少々の知性が必要です。でも頭を使えば可能です。
そして脳は筋肉と似ていて、使えば使うほど強くなります。賢くなるのです。
ちなみにかつては「気功の効果なのか、思い込みなのか分からない」と質問されたときは、「すべて気功のおかげと考えろ」と答えていました。
これは今もそんなに変わりません。すべては気功のおかげと思っておけば、無意識が勝手に喜んで、勝手に気功を上達させてくれます。
でも、自分の中の猜疑心(さいぎしん)が沸き立つのであれば、厳しい制約を課したフィードバックを正確に取ることです。
というわけで、楽しんで気功を使っていきましょう!
気功に使われることなく、我々のゴールの達成の手段として気功を使役しましょう!
【ドラえもん】
この映画っぽいです。