*次の月曜日(祝日)に開催する『能力の輪』をテーマにしたヒーラー養成1Dayスクールは、13時開始と告知していましたが、14時スタートです!
ヒーラー養成1Dayスクール『能力の輪の実習』〜自分の才能を人知れず開発する技〜
9月23日(月・祝)14時〜19時(受講料16万円)
*来月のヒーラー養成スクール特別編のギルド=ゴールドスクール(「能力の輪」と天才を作るギルド集団、そしてミエリン鞘、ディーププラクティスに関するスクールです)の開催日程は10月12日、13日の土日です!
ヒーラー養成スクール 〜ギルド=ゴールドスクール、天才を生み出す集団の秘密〜
10月12日(土)13日(日)
です!お申し込みはこちら!
*ヴァーチャル教材配信開始!!
お待たせしました!!
Meditation School(瞑想スクール)初日を配信開始です!!お申し込みはこちら
*ヴァーチャル教材:はじめての気功「身体操作の抽象度〜Dots、アディクショ
アディトレの原型となるネタをふんだんに話しています。そしてDotsのコツについても!!
*お待たせしました!!!リニューアル第26回【ハイゼンベルクの不確定性原理 〜量子論の真髄と小澤の不等式〜】(受講料3万円)配信開始です!!お申し込みはこちら
*9月のセミナー予定です!
・9月23日(月・祝)ヒーラー養成1Dayスクール『能力の輪の実習 〜自分の才能を人知れず開発する技〜』 14時〜19時 お申し込みはこちら
・9月24日(火)寺子屋「はじめての解剖学」(リニューアル寺子屋はロスタイムに入りました!)お申し込みはこちら
・9月26日(木)まといのば講座「武術の身体」お申し込みはこちら
眼輪筋(がんりんきん)というのは目の周囲にある筋肉です。
(ちなみに、ブログタイトルはブラッド・ピットの言葉です!)
「目が笑っていない」と言ったときに、ポイントになるのは眼輪筋です。
眼輪筋というのは目を閉じる筋肉です。
その眼輪筋が動いていると、目が笑っていると思われ、眼輪筋が動かないと、目が笑っていないと思われます。
であれば、眼輪筋を動かせれば、心から笑っているように思われます。
というと、これは単なるテクニックに感じます。テクニックであることは間違いないのですが、それ以上のものがあります。
というのも、眼輪筋を動かすと、心も動くのです。
筋肉を意図的に動かすと、心は変わるのです。
姿勢を変えたり、重心を変えるだけで、気分は大きく変わります。背中に強く意識がいくと、心は変わります。
眼輪筋のような非常に小さな筋肉から気功の世界に入る裂け目が見えてきます。
気功というのは、ざっくり言えば、情報空間の中に飛び込んで情報を書き換えることです。そのことで物理を結果的に書き換えます。
でも、この説明は気功を知らない人からすると、雲をつかむような話です。
情報空間の情報を書き換える???
という感じです。
*「中丹田ラポール」講座でも話題に出たお馴染みのミランダ・カー!!
ですので、もっとシンプルでささやかなところから実験をしていきたいのです。
それが眼輪筋のワークであったり、口角を上げたりするワークです。
口角を上げるだけで、笑顔のような顔になり、その顔に引きずられるようにして、心が変わってしまうことがあります。眼輪筋を軽く押して刺激して、眼輪筋が動くようになると、目の周りの筋肉が動き、そして心が動きます。
身体と心は密接につながっていて、身体を変えることで心は変わります。
もちろん心を変えても、身体は変わります。
なにか楽しいことを思い浮かべて、つい笑みがこぼれてしまうことはあります。
大好きな人とのデートが決まって、嬉しくて走り出したくなるときもあるでしょう。
これが、気功の本質的なカラクリです。
心を書き換えようと思ったときに、たとえば身体、それも一部の筋肉をそっと変えることで、結果を出したりします。
多くの人は異なるアプローチを取ろうとします。
それをアランは「さわると手が傷つくような把手(とって)を選ぶ」と言いました。
どんな出来事にも2つの把手(とって)があるのですが、簡単に持てる方の把手を持ちたいものです。
c.f.どんな出来事にも二つの把手があって、さわると手が傷つくような把手を選ぶのは賢明な選択肢ではない 2019年09月20日
たとえば、心が浮かないときに、心を心で書き換えようとするのは悪手です。
それよりは伸びをしたり、背中に意識を置いたり、口角を上げたり、眼輪筋をそっと押してみることです。
筋肉という把手を持つことで、心を闇からすくいあげるのです。
逆に「前屈が柔らかくなりたい!」というような身体の目標がある場合は、心を書き換えます。
心を書き換えるというと、非常に抽象的で難しい感じがしますが、実際はシンプルな話です。
心は大量の言葉が書き込まれてできています。大量の言葉でプログラムされているイメージです。
そして、多くのプログラムがダメなプログラムです。
ですので、そのプログラムの一部をちょっと書き換えてあげると、身体のパフォーマンスは上がります。
たとえば前屈しようとすると、多くの人は腰を曲げようとします。腰椎を屈曲させようとするのです。でも腰椎はそんなに大きくは曲がりません。
むしろ曲げるべきは股関節です。
ですので、第1に股関節を意識しそこを折り曲げようと考えます。そのときに良く股関節に触ると良いです。
そして第2に骨盤の上部のグリグリするところ(上前腸骨棘)を触ります。
そして、そこがピョンと前落ちていくイメージを持ちます。
多くの人は腰を固めたまま、前屈しようとします。
なぜならバランスを崩すのが怖いから。
でも、バランスを崩しても手をつけば良いだけなので、恐れずに骨盤ごと前へ落としましょう。
そうすると、、、
意外なことにあっさりと前屈ができます。
多くの人は「さわると手が傷つくような把手(とって)」を選びます。
身体をがむしゃらに押して、前屈を柔らかくしようとしたり、ちょっと解剖学が分かると、たとえば、ハムストリングスが硬い気がすると言って、ハムストリングスという腿裏を一生懸命に伸ばしたりします。
それは手だけではなく、全身が傷ついていきます。
そして結果にも結びつきません。
気功が「情報空間を書き換える」と言った場合に、単にこれだけのことである場合が多いのです。
心を口角や眼輪筋で書き換えたり、身体を知識で書き換えたりするのです。
これが「情報空間に入って、情報を書き換える」ということです。
ですので、シンプルなワークをたくさんやることです。
眼輪筋のワークひとつをとっても、とことんやると、本当に心と身体がつながっていることがわかり、目がぱっちりして、視界が広がり、心も変わるのが分かります。
そして、他の部分もゆるんだりします。身体はすべてが繋がっていて、心もつながっていることが実感されるのです。
そして、やればやるほど結果が素早く出て(上手になるので)、楽しくなります。
筋肉は手をかければ変わることや、身体の部分と全体は対応していることが手触りを持ってわかるようになり、そして心と身体が繋がっていることまで確信できます。
そんな入り口から気功の世界に入ると、気功をよく分からない魔法としてではなく、自分の手の中におさまる魔法のような技術として使えます。
小さなところから、たっぷりと楽しむことが、大きく成長するコツです!!
【映画紹介】
クエンティン・タランティーノ監督で、レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピット(そしてアル・パチーノまで!)と言ったら観るしかないという感じですね!
最高でした!!
楽しすぎます。
映画の世界が好きな人にはたまらない作品です。
ブルース・リーも出てきます!
ディカプリオもブラッド・ピットも最高です!
そして同じくブラッド・ピット主演作品!
いやーーーーSFもここまでリアルに作り込まれるようになったかと思わされます。
すごいです。
*ブラッド・ピット主演(制作も)のアド・アストラ
というわけで(どういうわけだ!)、ブラッド・ピットもディカプリオもインタビューで非常に良いことを言っていたので、ここでシェアします!
(Once Upon a Time...in Hollywoodのパンフレットより)
まずはディカプリオから!
ーーーご自身のキャリアに関して心配になることはありますか。
これから先もずっと浮き沈みはあるよ。キャリアには、引き潮の時もあれば満ち潮のときもある。昔からぼくは、これを長距離レースだと考えてやってきた。ブラッドもぼくもーーー彼とぼくは同じ時期にブレイクしたから同世代と言ってもいいと思うんだけどーーーそのことがわかっているし、感謝している。ぼくはできる限り最善の選択をしようとしてきたし、ブラッドもぼくも自分自身にチャレンジを課すことを考えてきたと思うんだ。
ーーー長い間この業界にいますが、若い頃の自分に何か言えるとしたらどんなアドバイスをしますか。
プロセスをもっと楽しめ、と言うだろうね。自分の限界までがんばれ、でもその過程を楽しめってね。すべてに対して真剣に取り組むべきだけど、その旅路は楽しむように言うね。(レオナルド・ディカプリオ)
ディカプリオですら、キャリアの浮き沈みがあると考えているのが感慨深いです!
そして、「長距離レース」と考えているのが良いですねー。
僕らもプロセスを楽しみましょう!一喜一憂しすぎずに!
そしてブラッド・ピット!
ーーーこの作品では、期待通りにいかないことへのフラストレーションも描かれていますが、あなたもそういう思いを抱くことがありますか。
つまるところ、ぼくらはみな人間だ。もちろん、常に葛藤はあるよ。自信のなさをコントロールしなきゃいけない、事実を受け入れなきゃいけないとか。自分たちがやったことの結果に意味を求めることは大きな過ちだ。そうではなくて、1日の過ごし方に意味を求めるべきだ。最終的にはそこにいきつくと思う。(ブラッド・ピット)
自分たちのやったことの結果に意味を求めるのではなく、1日の過ごし方に意味を求めるべきというのは至言かと!