その回答です!
と、その前にキャッチーなLINE@の話からです!!
LINE@をスタートしてまだ数日ですが、高い敷居が低くなったというよりは、壁の中のコミュニケーションコストが下がったという感じですね。
壁はむしろ高くなっているのかもしれませんし、逆かもしれません。にわかには分かりません。
まあ勇気を持って壁を乗り越えてくる人にとっては、どちらでも同じことでしょうし。
ちなみにLINE@は「まといのば」から配信するときは、全員一斉に配信されますが、返信は個別的です。
ですので、気楽に返信してください。
メーリングリストのように自分の返信が全員に流れるということはありません。
また自分の匿名性を保ちたい方は、返信さえしなければ誰が登録したかはこちらからは分からないシステムです。安心して登録してくださいw
というわけでLINE@のお知らせです。
まといのばLINE@開始しました!!
気楽に登録してください!
*スマホでクリックしてください!
もしくはLINE、LINE@から"@matoinoba"をID(@マーク含む)で検索していただくと見つかります。
たくさん返信を頂きますm(_ _)m
いま熱心に通っている方から、お久しぶりの方、そしてはじめましての方など多くいらっしゃいます。内容も多岐に渡っています。質問から近況報告までたくさんです。嬉しい限りです!
講座の内容の感想や質問から、タレブの新刊についての質問など様々なことを聞かれますし、何でも気軽に聞いてくださいw
(そんなにすぐには返信できませんが〜)
ちなみに、「まといのば」のメンバーはお医者様や理学療法士、バレエダンサーやミュージカルダンサー、会社経営者などの印象がありますし、実際にそうですが、意外と若い方も参加されています。
一番若い受講生は小学校高学年ですし、かつては(数年前は)中学生を対象にした中学生講座なるものもありました。
高校生や大学生も受講されていますし、大学生であれば起業している方もいます。
そしてセミナー告知です!
月曜日火曜日はセミナーが続きます!
月曜日はArrival講座です。
「運命は完全に決まっていて、完全に自由」という一見するとパラドックスな物言いが、理論的にも肌感覚でも分かる、そんなセミナーです。
時間の哲学について初めてセミナーで言及します!
完全に少人数ですので、こってり学べます!お楽しみに!
そして、寺子屋リニューアル版もいよいよ第7弾です!
火曜日に開催です!
第7弾は「数論」です!
数学がもっともっと好きになる講座です!
お楽しみに!!
どちらも予習は必須ですが、予習ゼロでも理解はできます(多分w)。
それから、インスタグラムを開始しました!!
と言っても、まといのばではなく、Rayまといのばの方です!
たくさんのフォローお待ちしております!!
というわけで、ようやく本題です!( ー`дー´)キリッ
最近の2本のブログに関連して、非常に良い質問をいただきました!
2本前のブログがこちらです。
ミネルヴァのふくろうは、たそがれに飛び立つ。五輪書と三丁目の夕日、書を破れの意味 2017-07-22
直近のブログがこちらです↓
身近な大切な誰かが死に瀕していて、自分がなんとかしてそこから救い出したいと願う 2017-07-23NEW !
で、ミネルヴァのフクロウ記事の結論が「信じるな」でした。
そして、その次の記事の結論が「地獄を見ろ」ということでした(そうなのか?w)。
で、ご質問の方の内容を前後を削除して引用します!
(①、②などの数字は引用者がつけました)
(引用開始)7月22,23日のブログの内容に関して質問です。
①まず、22日のブログでの「信じるな」という記述はパラダイム論ときに言及されていた「信じる」という話とどう違うのでしょうか。
②次に、22,23日の両ブログの内容に関してです。両ブログとも一番肝心なところはテクニック云々で語れるようなものでもなく、個人がもっとも心から取り組みたいことに忠実であれというと趣旨と理解しました。
③ただそうすると心から望むゴールに出会えるのは何かすごい運命にあった人、何か英雄じみた人、圧倒的な天才しかおらず、圧倒的少数の人しかゴールに関係がないように思えてしまいます。
④ただそれだと何かしらの教育が不可能ということになってしまい、教育の意味がかなり疑問視されることになってしまわないでしょうか。例えば、天才は勝手に天才になり、凡人はどうあがいても凡人であらざるをえないのだから、特に変わったことはしなくてもいいとことにならないでしょうか。(引用終了)
とても良い質問です。
まず①です。
これはシンプルです。
パラダイム論では「信じろ」と言われ、ブログでは「信じるな」と言われ、矛盾しているではないかという主旨かと思います。
これもパラダイム論での議論のとおりです。
われわれはまずはパラダイムに従います。そこは盲目的に従います。
カラスは白いと言われたら白いのです。
その上で、隠れた実在に対する予感に従います。このフェイズが「信じるな」なのです。
パラダイムではなく、自分の直観を信じろということです。
書ではなく、自分の心を信じるのです。
②はその通りですね。
ただ前段の「一番肝心なところはテクニック云々で語れるようなものでもなく」はその通りですが、後段の「個人がもっとも心から取り組みたいことに忠実であれ」というような具体的なアドバイスまではこのブログ内で言及していないかと思います。
ただ心情的にはその通りです。
③については重要な指摘です!
「ただそうすると心から望むゴールに出会えるのは何かすごい運命にあった人、何か英雄じみた人、圧倒的な天才しかおらず、圧倒的少数の人しかゴールに関係がないように思えてしまいます。」
これは本音を言えば、Yesです。
そして逆に「なぜそれが問題なのでしょう?」と逆に質問したくなります。
ポイントはシンプルです。
自分は「圧倒的少数の人」であると気付けば良いのです。
自分は「何かすごい運命にあった人、何か英雄じみた人、圧倒的な天才しかおらず、圧倒的少数の人」の1人なのです。
「それがブログ本文から、どう読解できるのですか?」と質問されるとしたら、その回答は冒頭の辛子だねのたとえです。
釈迦はそのような体験をしたことが無い人などこの世にはいないと喝破したのです(厳密にはそのような家族がいないということです。たとえば赤ん坊や幼児であれば、そのような経験がまだ無い可能性はあります。もしくは認識が難しいかもしれません)。
であれば、「圧倒的少数なのではなく、多数と言うかほぼ全員じゃないですか」という反論はありえます。
それはYesでありNoです。
森有正先生風に言うならば、そのような体験をするものは多く(ほぼ全員で)、その体験を経験にまで高める人が圧倒的少数なのです。
(「そこまで厳密にブログで書け」という批判はあるかと思いますし、甘受しますが、僕自身はこのブログを読む人は、良い意味で「圧倒的少数の人」なので、そこまでの言及は不要かなと考えました)
最後の④については再掲します。
④ただそれだと何かしらの教育が不可能ということになってしまい、教育の意味がかなり疑問視されることになってしまわないでしょうか。例えば、天才は勝手に天才になり、凡人はどうあがいても凡人であらざるをえないのだから、特に変わったことはしなくてもいいとことにならないでしょうか。
これは答えるのが難しい質問です。
まっすぐに回答するならば、偉大な人や天才にのみ教育は必要だと思います。もしくは少数者のみに必要なのです。
もし凡人というのがいるのであれば、凡人に必要なのは教育という名の下の職業訓練でしょう。
圧倒的少数の人が、ゴールなり夢を実現するために教育が必要となってくるのです。
ゴールが先で、教育が後です。
そしてその教育という系の中で、もしくは学びの系の中で、「信じる」ということが有効になってきます。
息を止めて、水の中にもぐるように、信じて知の世界にもぐるのです。
いつまでも息を止めていることができないように、いつまでも信じることはできず、どこかで離れる時期が来ます。
それが「信じるな」のフェイズです。
信じる、信じないは交感神経と副交感神経みたいなもので、スイッチしても良いし、両方走らせても良いのです。
そして、これは矛盾しません。
サッカー中にボールを手で持たないというルールを守ることもできるし、破ることもできます。同様に、あるパラダイムを深く信じることも、信じないこともできるのです。
天才は勝手に天才になり、凡人はどうあがいても凡人にというのは、かなり強い言い方ですが、確率論的にはその通りです。でもこれも確率論的な話です。
自動的に確実になるのではなく、おおよそはそうなるくらいな話です。
偏差値による合格率みたいなものです。いつでも下剋上もあるし、高転びもあります。
ただ全体の傾向としてはそうなります。
このことを考えるときに僕はいつも思うのは、アインシュタインが言っていないとされる次の言葉です。
Everyone is a genius. But if you judge a fish by its ability to climb a tree, it will live its whole life believing that it is stupid. https://en.wikiquote.org/wiki/Albert_Einstein
人はみな天才だ!
でも、もし魚が木登りで判断されるのであれば、その魚は自分が愚かだと思って一生過ごすだろう。
*書き込まれたゴールではなく、自分の心からのゴールであれば、木登りをしたいと思う魚は生まれないのです。神様はそんなミスマッチをされないし、無意識はそんなアホではないのです。
そして、「特に変わったことはしなくても良い」もその通りです。「学び」というのはかなり保守的なものです。ソクラテスの時代から変わりません(「まといのば」が加速学習と名付けているものはその意味では保守的なものであり、先祖返りです。通常の学校教育の学習が新しく、おかしいのです)
*アレクサンダーを教えるアリストテレス
*アリストテレスを教えるプラトン
というわけで、まとめると、、、、
第一に自分は良い意味での少数者であり、英雄的な人生を送っていると確信するところからスタートしましょう、ということです。
しばしばわれわれは自分を大衆と見做し、弱者と見做し、凡庸で平凡な人生を過ごしていると見做すところからスタートしがちです。
しかし、そこに何ら建設的なメリットはありませんし、事実でもありません。
どんな凡庸に見える人でも、それぞれの人生にそれぞれの重いドラマがあるものです。
たしかにドストエフスキーのように、死刑執行の直前での恩赦(その後のシベリア送り)のような経験は無くても、それに類するような強烈な体験は多かれ少なかれあるものです(釈迦が辛子だねの喩えで示したように)。
真のゴールに出会えることはたしかに稀でしょうが、しかし自分はすでに未来において真のゴールに出会っていると考えることは可能です。
そしてその未来から情報がやってきて、いまの私を構成していると想像することも可能です。
仮定の話ではなく、そう確信することも可能です。
どんな情報が未来から自分の周りにもたらされているのだろうか、と本気で考えれば、生活は変わります。映画Arrivalのように一瞬一瞬が貴重で重要な瞬間に変わるのです。
そして、そのような地道な作業こそが、自分を真に偉大にしていくのです。
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