アルゴリズムとプラトン主義は筋斗雲のようなものだが、月並みの国というお釈迦様の手を出れない | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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気功はセンスと才能だと言ったりすることもあるのですが、その「センスと才能」の方向が重要です。

いわゆる霊感とか、気が視えるとか、トランスに入れるとか、抽象思考が得意とか、これらはそれほど重要ではありません。

実際のところは、霊感が強かったり、気感が強かったり、気やオーラの視覚化するのは、むしろ上達の邪魔になることが多いのです。

なぜ邪魔になるかと言えば、その抽象度でウロウロしがちだからです。
九九がすぐに暗唱できたからと言って、数学に強くなるわけではないのと同じです。
同じドリルを繰り返し解いても上には行けません。

またトランスに深く入れることや、抽象思考に長けていることも大事ですが、それほど重要ではありません。トランスに深く入るのはもちろん気功の前提です。しかし、それは練習量がものを言いいます。ひたすら練習すればいいことです。

また回答のある問題をひたすらに考えてきたような学校秀才もちょっと厄介です。
答えがない問題、解いても仕方ない問題、解くのに永遠の半分くらいの時間がかかる問題があることを知っており、それを論理と直感によって腑分けすることからスタートする癖がある人はOKです。
学校秀才はすべての山は登るべき山であり、登れる山だと思い込んでしまうのですが、それは間違いです。ほとんどの問題(山)は登る価値は無いのです。下手に登ると遭難しますしね。

裏山とか砂場で遊んでいるのは子供時代だけで良いのです。


では、センスと才能のベクトルはどこに向いているべきなのでしょう。

これは気功に限ったことではないと思うのですが、僕にはとりあえず気功しかわからないので、気功に限って話します。

気功のためのセンスと才能のベクトルは「アルゴリズム」の理解に向くべきです。
カラクリを知り、そのことでカラクリに介入できるということを皮膚感覚で知っているという感じです。

たとえば、3+5という演算ができるのも、3や5という数字(Data)の理解と、+という演算のカラクリが分かっているからできます。

ある関数を微分できるのも、微分というアルゴリズムを理解しているからです。

お勉強において重要なのは、勉強そのものではなく、その後ろにある法則やアルゴリズム、公理、カラクリなどを見抜き、理解し、運用することを覚えることにあります。

気功におけるセンスもこのアルゴリズム感覚の理解です。

そしてそのアルゴリズム感覚を頭ではなく、身体と頭で理解したいのです。
(その意味で自画自賛ですが、身体改造1Dayスクールはかなり面白かったですね。身体改造が脳の問題であることがよく分かり、アルゴリズムが視えると脳も肉体も変わるのが分かります。それも身をもって理解できます。脳は分かったつもりが得意な臓器なので、本当に腹落ちするための仕掛けは必要です)


自転車に乗れるようになるのもアルゴリズムの習得です。頭で分かるだけではなく、身体が条件反射的に持続的に理解したアルゴリズム通りに動かないといけません。
言語習得もアルゴリズムの習得であり、それが無意識に出てくるまで繰り返し落とし込みます。

踊ることも絵を描くことも同じでしょう。

気功も同じです。

気功と言うと、魔法のような、オカルトチックな、スピリチュアルな雰囲気がありますが、実際は非常に数学的であり、論理的です。

ですから、アルゴリズム感覚がしっかりあると、気功は非常に習得が早いです。

気功とは、プログラムを組み替えているような、機械を修理しているような感じです。ヒーリングをしているという感じはしないかもしれません。


気功の膨大な内容もアルゴリズムの感覚があると、サクサクと頭に入ります(ただ実感を伴うためには、一つ一つ丁寧に実践を積み重ねるしかありません。その時もアルゴリズムが大事です。アルゴリズム無き体験は、ざるで水をすくうようなものです。言い換えれば仮説と検証のような感覚です)。



アルゴリズムと言えば、最近のサイキックアタックなり、内なる覚醒(あの世編)でも言及しました。我々とは無関係な世界を覗き込もうとしたときに、アルゴリズムは助けになります。

サイキックアタック講座では「悪意ある人」というのを定義しました。
その属性は「平気で嘘をつく」「人を操るのが好き」「人を口先だけで破滅させることに喜びを覚える」などでした。

我々が「悪意ある人」を想定できないのは、我々の中に猛烈な「悪意」が不在だからです。
もともと持っていたものを失うのであれば、喪失感と共にその存在は強く残りますが、もともと持っていないものを知ることは難しいのです。スコトーマになるのです。

強烈に醸成された悪意を理解するには、経験談でも共感でもなく(どちらもRASのフィルターを通り抜けます)アルゴリズムです。


悪意ある人たちは子供の頃から「嘘をつく」ことの報酬を手にしてきました。
嘘をついて親を騙す、嘘をついて友達を騙し、不和にさせたり、陥れたりを幼少期からスタートさせます。
もちろん「嘘をつく」ことは発達心理学で言えば、大事な脳機能の発現です。
しかし、それによって効率的に人をだまし、人を操作することに長けて、そこに報酬系が発火するようになると、ひたすらその練習を続けます。

嘘をつくとはその現実世界とは矛盾した臨場感空間に対して強いホメオスタシスをつくるということです。ということは、まさにトランスの練習です。

そして一つの嘘は一万の嘘を呼ぶと言うように、嘘は嘘によって塗り固める必要があります。
整合性を取るために、猛烈に論理性が必要になります(論理性とごまかし能力ですね)。
ごまかし能力という意味でも、ラポールを築く努力は共同体の誰よりもします。

報酬系が発火し、トランスを生成し、論理性を駆使し、ラポールを強化する、、、、、。

まさにヒーラーと同じです。

違うのは唯一ゴール設定のみです。ヒーラーはクライアントのゴールを達成する手伝いをしますが、悪意ある人は自分のエゴとねじれた喜びを満足させるために、これらの技術を使います。

とは言え、彼らは24時間やり続けており、キャリアのスタートが物心がつくころですので、年季が入っています。そして何よりも彼らは「バレたら終わり」なのです。

人間の共同体は基本的には性善説でつくられています。ただ性善説でつくられていますが、悪意ある人に対しては厳しく排除します。
悪意ある人が見つかった場合は、共同体からほとんどの場合は追い出されます。
そして本人もそれを知っています。

共同体にとって、癌でありテロリストのような存在です。関係を捻じ曲げたり、不和を起こしたり、共同体を乗っ取ろうとしたりするのが「悪意ある人」の存在意義なので。

ということは、いつバレるか分からず、バレ無いように全力を尽くしますが、バレたら追い出されます。共同体から追い出されとは、共同体における死を意味します。すなわちきわめてVitalということです。命にかかわるトレーニングを24時間しているということです。

ゴールを設定し、報酬系が発火し、トランスを生成し、論理性を駆使し、ラポールを強化し、そしてきわめてVitalである(過負荷でもありますね)、、、良いヒーラーになるためのトレーニングをひたすらにしているようなものです。それも実践で。すごいことです。


ですから生半可なヒーラーだと、さすがに「悪意ある人」には敵(かな)わないのです。

ですのでカーネマンではないですが、逃げるが勝ちだと思います。関わり合いにならないか、仕掛けられたら、必死で闘うことです。適切な助けも求めつつ。



まあ、それはともかく、ポイントは「悪意ある人」を我々は原理的に知ることができないので、その現状の外側にある知識をどう知るかと言えば、アルゴリズムの目を通してです。

アルゴリズムの目を通して、不可知なことを「知る」ことができます。


アルゴリズムの極北にはプラトン主義が待ち構えています。
キリスト教もグノーシス主義もヘルメスカバラ主義も近代科学もそして哲学もプラトン主義に収斂します。我々の思考はプラトン主義に染まっています。

アルゴリズムを使えば、異なる領域にまたがって学ぶことも、加速して学ぶことも、知ることも可能です。

しかしアルゴリズムには限界があります(とは言っても、非合理性に跳ぶわけではありません。直感や不合理な信仰を復活させるわけではありません)。

アルゴリズムはたしかに孫悟空にとっての筋斗雲(きんとうん)のようなもので、遠くへ連れていってくれますし、どこへもひとっ飛びです。歩いてはたどり着けないところへ、我々を連れていってくれます。

しかしそれはタレブの言う「月並みの国」の中だけです。
月並みの国というお釈迦様の手のひらの中を我々は世界全体だと思い込んでしまいます。

ですが、事件は現場で起きているのです。

我々にとって重要なのは果ての国に住むブラックスワンです。


明日開校のスクールでは、まずは気功の全貌を非常に怜悧(れいり)なアルゴリズム(公理、ロゴス、カラクリ)で斬ります。そのことで非常に見通しが良くなり、また自分が進化する道筋がはっきりと分かると思います。

その上でブラックスワンということを気功と絡めて考えます。

気功が依然として人類に役立つのは、優秀なヒーラー(気功師)はブラックスワンに配慮しているからです(多分w)。