♪アブラハムには七人の子♪ 人間的で魅力的な神話と宗教の登場人物たち! | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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♪アブラハムには7人の子♪というアブラハムの歌、子供の頃に歌った人も多いのではないでしょうか?

世界宗教をざっくりと見ると2人の人物に集約できます。

一人目がアブラハム。
そしてもう一人が釈迦です。

そこにシュメールやエジプト、古代ローマ、古代ギリシャの古い宗教を足すとほぼ完成です。

寺子屋「宗教史」では、アブラハム、釈迦、ゼウスのトリニティを起点として、世界宗教史を旅しました。



アブラハムは99歳のときに生まれます。

アブラムおじいちゃんが史上はじめて神様と契約します。そのときに契約のしるしとして、神からhをもらって、名がアブラムからアブラハムになります。


英語版はこちら!
*動画を変更しました(2018/03/28)

17:1 アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。
17:2 わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」。
17:3 アブラムは、ひれ伏した。神はまた彼に言われた、
17:4「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。
17:5 あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。


創世記の有名な一節ですが、創世記を含む旧約聖書も、福音書を含む新約聖書もかなり面白いです。

知的に面白いというだけではなく、実際にボケ・ツッコミレベルで面白いです。聖書書記もかなり楽しんで書いているのではと想像します。

たとえば、、、、

アブラハムは神様の大言壮語に思わず笑ってしまいます。
喜びで笑うというよりは、嘲笑というか、「またまた神様そんな大言壮語な」という感じでの笑いです。

どうして笑うかと言えば、神様が100歳と90歳の夫婦にこれから子供が生まれると予言したからです。

17:17 アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、「百歳の者にどうして子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか」。

というか、そもそも「11:30 サライはうまずめで、子がなかった。」と先にあります。

そしてサラもまた主に対して、反発し、笑います。


18:10 そのひとりが言った、「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう」。サラはうしろの方の天幕の入口で聞いていた。
18:11 さてアブラハムとサラとは年がすすみ、老人となり、サラは女の月のものが、すでに止まっていた。
18:12 それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。
18:13 主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。
18:14 主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。
18:15 サラは恐れたので、これを打ち消して言った、「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いました」。


すごくざっくりと言えば、主から男の子をこれから授かると言われて、アブラハムの妻サラは「月のものが、すでに止まっていた」のであり、老人であるのにどうしてこれから子供を授かろうかと笑います。

そしたら、主は「なぜ笑った」と聞き、サラは「「わたしは笑いません」と答え、主は「いや、あなたは笑いました」と答えます。

ほとんどコントです。


このアブラハムがユダヤの民の元であり、キリスト教の先祖であり、アラブの民の祖先です。
ユダヤ、キリスト教、イスラム教はアブラハムの宗教ということです。


アブラハムといえば偉大な祖ですが、その人となりはきわめて人間的であり、共感できるものです。そして神様との距離が近く、神様と友人のように対話しています。その聖書の感触は重要かと思います。

予言通りにアブラハムはイサクを授かります。
そのイサクを燔祭にかけなければいけないという悲劇なり試練がまた彼を襲います。
これも非常に興味深い物語です。

以下はレンブラントの絵画で、アブラハムがイサクを犠牲の子羊にする瞬間、殺す瞬間に天使が止めに入るところです。




アブラハムだけではなく、ユダヤ教をスタートさせたモーセも、キリスト教の開祖であるキリストも非常に人間的な一面を持っています

たとえば「まといのば」ではよく引用しますが、呪うイエスですw

朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。
そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。
弟子たちはこれを見て、驚いて言った。「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。
イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。
また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」。(マタイ21.18-22)



仕事が長引いて朝帰りしたワーカホリックが、帰宅して何か口にしたいと思って冷蔵庫は開けたら何もなくて、冷蔵庫に逆ギレしたみたいな話です。

「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」とはまたひどい物言いです。

そして、「いちじくの木はたちまち枯れた。」のです。

可哀想なのはとばっちりを受けたいちじくの木です。

ちなみに、マルコ福音書ではうっかり八兵衛のペテロがこう言います。

そこで、ペテロは思い出してイエスに言った、「先生、ごらんなさい。あなたがのろわれたいちじくが、枯れています」(マルコによる福音書11.21)


「先生、ごらんなさい。あなたがのろわれたいちじくが、枯れています」とのたもうたのですw

あなたが「呪われた」と断定してしまっています。のちの初代ローマ教皇であり、第一の使徒であるペテロの口から出た言葉です(^o^)


ちなみに、モーセも神様からいただいた大事な契約の石版を怒りにまかせて割ります。

短気過ぎます。

それもよりによって神様からいただいた石版を、神様がお手ずから彫った石版をw



モーセの物語が笑えるのは、先に神がキレて、それをモーセがなだめている点です。

モーセが神をなだめて、神は意見を改めています。

そのあとにシナイ山を降りたモーセは怒りにまかせて砕きます。もうめちゃくちゃです。

ちなみに聖書書記もこのくだりは笑いを噛み殺しながら書いたのではないでしょうか?

やたらに板に執着していて、最後にその板が割られるからです。盛り上げて、盛り上げて、最後に落とす感じです。

(引用開始)
32:14 それで、主はその民に下すと言われた災について思い直された。
32:15 モーセは身を転じて山を下った。彼の手には、かの二枚のあかしの板があった。板はその両面に文字があった。すなわち、この面にも、かの面にも文字があった。
32:16 その板は神の作、その文字は神の文字であって、板に彫ったものである。

32:17 ヨシュアは民の呼ばわる声を聞いて、モーセに言った、「宿営の中に戦いの声がします」。
32:18 しかし、モーセは言った、「勝どきの声でなく、敗北の叫び声でもない。わたしの聞くのは歌の声である」。
32:19 モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板を投げうち、これを山のふもとで砕いた。
(引用終了)



モーセやアブラハム、イエスというと崇め奉ってしまいますが、彼らもまた人間であり、聖書もまた物語です。楽しい物語です。
我々の物語です。

その視点から宗教史を見直すと、風景が全く違います!!!


来週、寺子屋「世界宗教史」追加開催です!!

来月は宗教史の恐るべき裏側に迫ります。
ヘルメス文書、死海文書、ナグ・ハマディ、グノーシス主義、ゾロアスター、新プラトン主義などに迫ります。