ポールの創作の秘密と糖質制限だけではダメな理由 〜何を食べようかと思いわずらうな〜 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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「まといのば」では糖質制限という言い方を嫌って、ケトン体質とか、もっと地味に体質改善と言っています。

というのも、安易な糖質制限には反対だからです。そもそも糖質は肉を食べていても付きまといます(人間と同じで血の中には血糖として糖があるので)。

ということに関する記事は膨大に書いてきたので、そちらを参照してください。

端的に言えば、「これをすれば健康的にやせられる!」という方法は無いということです。たとえば糖質を制限し、炭水化物を排除すれば健康的に痩せるとか、酵素ジュースを飲めば健康的に痩せられるというわけではありません(というかなんだか疑似科学の典型のような酵素ジュースは一過性のブームか、健康被害続出で消えると思っているので、いまは生暖かく見守ろうと思っています)。

ただ唯一、健康的にやせる方法があるとすれば、ゴールでしょう。
圧倒的なゴールが存在すると、勝手に身体は健康になり、勝手に最適な体重に落ちていきます。

平たく言えば「恋をするとやせる」というやつです。

恋というのは、抽象度が低そうですが、少しだけ抽象度があります。恋をした二人は(いや、一人でもいいのですが)、二人の未来に対して高い臨場感を描きます。二人の楽しい未来に対して強い臨場感を持ちます。これはゴールの世界に対する臨場感と同じです(レベルはどうあれ)。




ですから、恋をするとやせるのです(いや、やせることが多いと言うべきでしょう)。

不健康に相手を思いつめて、綺麗にやせていきます。

大好きだったはずのケーキやアイスが喉を通らず、いわゆる恋煩いに落ちます(恋煩いに堕ちるのは重力のせいばかりとは言えないでしょうが)。

健康的なのか、不健康なのかはともかく、綺麗にやせていきますw


というか逆に言えば、この恋に恋する状態は、ゴールの世界に臨場感を持つのと似ています(似ているだけです。厳密には似ても似つかないとも言えます)。

ご承知のとおり、多くの詩歌が恋唄なのは、共有できる「ゴールの世界の臨場感」が恋愛沙汰くらいしかないからです。ポール・マッカトニーのYesterdayは母親に対する痛切な歌だったそうですが、しかし別れた恋人への哀切を歌っているようにも聞こえます。

余談ながら、実際、ご本人も後で考えると母親への歌であると感じるとおっしゃっています。興味深いのはポールが最初に曲を書いたのは、母の死の直後であることです。母の死を悼んでかもしれませんが、タイトルは” I Lost My Little Girl ”です。森進一さんの唄う「おふくろさん」ということにはなりません。

ただこれは、心理学的に考えると妥当かもしれません。Yesterdayもそうですが、転移(Transference)ということを考えると妥当に思えてきます。もちろん心理学で言う転移の定義は患者が医師に対して親に接するような情動を持つことです。まさに医師に親を転移させてしまうということです。そして、その現象をより抽象化させると、我々が人を好きになるとき(それが異性愛であれば)異性の親への愛情を最初は転移させることがわかります。ですからポールの楽曲も妥当な帰結ということです。

Yesterdayについてはポールは面白いことを言っています。

Yesterdayのメロディは夢の中で生まれたそうですが、そのコードを見つけてメロディにしているときに出てきた歌詞が「スクランブルエッグ」だったそうです。

Scrambled eggs, oh my baby how I love your legs, duh duh duh duh duh duh duh duh duh, I believe in scrambled eggs


これはまさに創作の秘密ですね~

この意味不明な歌詞をリライトしたのが我々が知るYesterdayだそうです(リライトしてくれて良かったです)。



オリジナルの歌詞であるスクランブルエッグで歌ってみると、ポールの戸惑いが体感できるかもしれません。
「メロディは素晴らしいのに、なんだこの歌詞は」という戸惑いがw


話を戻しますと、抽象度を上げると、健康的にヤセますよ、ということです。
厳密に言えば、抽象度を上げると、恋煩いのようにして痩せる可能性があるということです。


生化学や栄養学などよく出す例ですが、「君の名は」という脂肪の歴史があります。

「君の名は」というのはもちろん昭和初期のNHKラジオドラマです。映画にも、テレビにも芝居にもなっています。メールもLINEもSNSも無い時代には会えそうで会えないということが可能であり、それがドラマになりうるという典型です。「君の名は」というタイトルを知らなくても、冒頭の「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」は耳に残ります。

炭水化物は最初は炭水化物という名前ですが、分解されていって糖質と名を変えます(もちろん炭水化物=糖質ですが)。たとえば小腸でグルコースとして膜消化されて、糖代謝していく中で次々と名前が変わります。ピルビン酸、アセチルCoAとなり、クエン酸回路に入っても、ATPがすでに十分にあれば、クエン酸からアセチルCoAに戻り、脂肪酸へと代謝していきます。そして立派な中性脂肪に早変わりです。

炭水化物から糖を通過し、糖代謝のそれぞれの名前を経て、クエン酸から脂肪酸へと変わり、中性脂肪になります。そして、メタボ検診でひっかかって、「この肉」がとつままれます。炭水化物、糖、クエン酸、脂肪酸、中性脂肪、そして「肉」。結局、ほんとうの名前は何なのでしょうw

「君の名は」と問いたくなります(冗談です、、、一応)。

この次々と名前が変わっていくさまが生化学や栄養学の醍醐味です。ただ情報だけが残り、本体は次々と細かくされていきます。カタボリック(異化作用)ですね。

糖代謝も同様です。澱粉なりの多糖の状態から、二糖類や単糖類に化学的に分解され、次々と糖代謝されながら、名前と状態を変えていきます。しかし最後は炭素は酸素と反応して二酸化炭素として外に出され、電子の運び屋である水素も運び終えるとお役御免で酸素と反応して水になります。

この糖の長い旅で、最終的に身体が欲しかったのはアデノシン3リン酸(ATP)です(どうでもいいですが、ATPは後ろから読むとPTAです)。しかし、これもアデノシン2リン酸(ADP)のリン酸化でしかありません。アデノシンに2つのリン酸しか無い状態を3つにするためだけに、電子が必要で、その電子を運ぶための水素が必要です。たかだかリン酸化のための長い旅と膨大な工程が必要なのです。

炭水化物と糖質はほぼ同じものとは言え、消化吸収されたあとは、原形をとどめないくらいに変わっていきます。アセチルCoAなどはアミノ酸からも脂肪酸のβ酸化からも、もちろん糖質からも来ますので、アセチルCoAだけを見て、何由来かは分かりません(多分)。


まさに「君の名は」です。

名前も形もどんどん変わっていきます。そこで伝わっていくのは、ドミノ倒しと同じく、情報です。



ドミノも一つ目のドミノがずっと移動しているわけではなく、倒れるという運動エネルギーだけが移動していきます(代謝の場合はもちろん物質も移動しますので、厳密には異なりますが。ただ単純な物理の移動というよりは、化学エネルギーの移動になります。特に糖代謝とATPの産生はそれが明瞭です)。

ちなみに、ダンサーの間では、プロテインは太ると言われることもあるそうです。
太るというのは筋肉太りという意味ではなく、中性脂肪です。

カラクリはもちろんシンプルで、摂取したプロテイン(タンパク質)の分解物であるアミノ酸が使用されずに、糖新生を起こし、糖から脂肪酸、そして中性脂肪になるということでしょう。

糖が糖の状態では保存が効かず(血糖としてわずかに)、肝臓や筋肉の中でグリコーゲンとしている以外は中性脂肪として保存するように、アミノ酸自体もほとんど貯蔵はできないので、糖新生して、中性脂肪に落ち着いていきます。

水が低きに流れるように、すべての道は脂肪細胞に通じるかのようです。

ですから、単純に糖質を制限しても、結果的に脂肪細胞は太るし、筋肉はやせ細る可能性があるのです。


糖質制限で体重が落ちたという人の多くは、単純にカロリー制限をしてしまい(少食になり)、筋肉が激しく落ちたせいの場合が多いように思います。筋肉は運動負荷をかけないと簡単に落ちていきます。

東大の石井教授は人は1年に1%ずつ筋肉が落ちると言います。しかし、寝たきりや入院となると1日でそれくらい落ちることがあるといいます。1日で1%落ちると、100日で100%なのかという無粋なツッコミはさておき、ともかく寝たきりというのが感覚的にも経験的にも筋肉が落ちるのは事実です。入院生活などを思い浮かべれば、容易にその大変さが想像できます。

じゃあ、どうすれば良いのか、という点については、決定打があるわけではありません。ただ単純にこれを食べれば良いとか、これを食べなければ良いというものではないということです。

もちろん単純に運動すれば良いというわけでもありません。


「まといのば」では3つのポイントを体質改善には掲げています。

一つは糖中毒です。食品としてというよりはすでにドラッグの粋に達した炭水化物や糖質についてその中毒性を認識することです(中毒が良いとか悪いと言っていません。現象の解説です)。

次に栄養失調です。必要なアミノ酸があまりに足りていないのが、現代の我々の食生活です。もちろん有史以来足りたことなど無いでしょうが、現在のような飽食の時代におけるダークサイドはこの見えない栄養失調です。むしろ栄養過多だと思わされていますが、それは糖質過多であり、炭水化物過剰の間違いです。

そして2つ目とも関連しますが、アミノ酸不足ゆえにそして運動不足ゆえに我々は筋肉不足です。たしかに便利な世界なので、筋力や筋肉量など不要に思えます。しかし我々はまともに身体を動かすのに十分な筋肉すらなくなっています。それが大きな問題です。

これら3つとも、いわばサイレント・キラーであり、そっと長い時間をかけて忍び寄ってきたものです。ですので、拙速に対策を講じるよりは、じっくりと腰を据えて知識を蓄えながら認識を深めるほうが良いと思います。食生活は変えずに、すなわち口に入れるものではなく、頭のなかのものを再整理するのです。


それが結果的には早いように思います。


ただこの3つも所詮(しょせん)は、現象であり分析でしかありません。
体質改善を牽引するのはどこまでもゴールであり、未来であり、夢です。

猛烈な未来からのメッセージが我々を突き動かすのであって、口に入れたものが我々を変えるわけではありません。

最後にお馴染みのイエスの言葉を紹介します。

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。マタイ6章25節