いまよりのち、お前たちは暗闇の中にあれ!もう誰の姿も見てはならぬ。 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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カッサンドラの悲劇は未来を見通せたことではなく、見通せた未来を超えることができなかったことにあるのではないかと思います。

恋人から予言の力を授けられた王女カッサンドラの悲劇は、ギリシャ神話の中で非劇中の悲劇です。アポロンはプレゼント攻撃でお相手を射止めるのを得意としていましたが、カッサンドラには何を間違ったのか予言の力を授けます。カッサンドラはその予言の力を駆使して、自分の未来を見てしまいます。

(引用開始)

アポローンに愛され、アポローンの恋人になる代わりに予言能力を授かった。しかし予言の力を授かった瞬間、アポローンの愛が冷めて自分を捨て去ってゆく未来が見えてしまったため、アポローンの愛を拒絶してしまう。憤慨したアポローンは、「カッサンドラーの予言を誰も信じないように」という呪いをかけてしまった。カッサンドラーは、パリスがヘレネーをさらってきたときも、トロイアの木馬をイリオス市民が市内に運び込もうとしたときも、これらが破滅につながることを予言して抗議したが、誰も信じなかった。

(引用終了)

しかし同じく悲劇を予言されながら(自身が予言したのではなく)、しかしその運命を超えた人物として我々はオイディプス王を思い出すことができます。

実際の物語よりもソポクレス版のほうがはるかに感動的です。ソポクレス版を読んだあとだと、ギリシャ神話の本編が冗長に感じます。オリジナルが良いわけではないのです(具体的な名前はあげられませんが、先日、有名なミュージカル作品のオリジナル版を観て同じ想いをしました。バレエ作品でも同様です)。二番煎じが二番煎じにならず、出藍の誉れになることはよくあるのです。

少し長いですが、引用します。

オイディプス王とはデルフォイの神託において(ソクラテスへの神託として「ソクラテス以上の賢者は1人もいない」と言ったあの神託です。「汝自身を知れ(Know thyself)」と門に書いてある神殿です)、「父を殺し、母と交わるであろう」と予言された息子です。
両親も予言を受けて、息子を遺棄するのですが、さすがギリシャ神話だけあって、うまく運命の歯車がまわり、予言は成就します。ここらへんの筋回しはお見事というしかありません。
自らの母を知らずに妻として迎え入れ、子供をつくります。

すべてが白日の下に照らされたときに、その子供たちに向かって言うオイディプス王の言葉がふるっています。

(引用開始)
お前たちの父親は、自分の父を殺した人間。自分の種がそこに蒔かれた、生みの母に種蒔いた男。自分がそこから生まれ出た、同じ腹からお前たちを得た父親。このような辱めの言葉を、お前たちは人から受けることだろう。
(ソポクレス オイディプス王 藤沢令夫訳 p.109  1967年)

(引用終了)

激しい言葉です。

奥様であり母でもある妃は自害します。前の夫であり、今の夫の父である前王ライオスを思い出しながら。

以下はその狂乱と自害のシーンです。あえてベッドに駆け込んでそこで死ぬというところに妃の想いを感じます。

(引用開始)
ただごとならぬ御様子で入り口の間にかけこんでこられると、お妃は、両の手でお髪をかきむしりながら、まっすぐにご夫婦の臥床をさして急いで行かれました。そしてその部屋にはいるや、扉をはげしくお閉めになり、亡くなられてすでに久しいライオスさまの名をお呼びになりました。呼びつつあのかたの想うのは、遠いむかしにその人によって生まれた子供のことであり、その子の手にかかって父親みずからの命は失われ、とりのこされた母親は、自分の生みの子との間に子種をなすことになった、そのいまわしい運命(さだめ)のことだったのです。またあのかたは、結婚の臥床をお嘆きになりました。そこで不幸にも、夫によって夫を生み、かくて二重の母となられたその臥床を--。
(略)

(引用中断)

「夫によって夫を生み、かくて二重の母となられたその臥床を」とあえて強調するところに、ソポクレスのそこはかとない悪意を感じます( ̄ー ̄)ニヤリ
いや、物語というのは冗長でない限り、わかってもらえないのでありとあらゆる方法を使ってくりかえすことが大事なのですが。

妃(妻であり母)の自害を知り、目にした我らが主人公のオイディプス王はより激しい行動に出ます。

(引用再開)
--そして、ああ、そこにわたしたちの目にしたのは、編まれた縄を首にからみ、宙に吊られたまま、なお揺れているお妃さまの姿だったのです。 そのお姿を目にされるや、いたましくも王は、獣(けもの)のようなおそろしい叫び声 をあげて、妃の首にかかっている紐を、ほどいておやりになりました。それから、不幸なお妃の亡骸(なきがら)が床に横たえられたとき、つづいて起った光景は、まことに目を掩わしめるほどのむごたらしいものでありました。すなわちあのかたは、妃の上衣を飾っていた、黄金づくりの留め金を引き抜くなり、高くそれをふりかざして、御自分の両の目ふかく、真っ向から突き刺されたのです。こう叫びながら。--もはやお前たちは、この身にふりかかってきた数々の禍も、おれがみずから犯してきたもろもろの罪業も見てくれるな!いまよりのち、お前たちは暗闇の中にあれ!目にはしてはならぬ人を見、知りたいとねがっていた人を見分けることのできなかったお前たちは、もう誰の姿も見てはならぬ。
(ソポクレス 藤沢令夫訳 岩波文庫オイディプス王 pp.94-97  1967年)

(引用終了)

目をつく...

自害にも増してこの行為が悲劇的であり、感動的であり、英雄的なのは、次に続く言葉によってです。

妻であり母であった妃が身に付けていた装飾品である黄金づくりの留め金を手にして、自らの目に突き刺しながらこう言います。

(引用開始)
--もはやお前たちは、この身にふりかかってきた数々の禍も、おれがみずから犯してきたもろもろの罪業も見てくれるな!いまよりのち、お前たちは暗闇の中にあれ!目にはしてはならぬ人を見、知りたいとねがっていた人を見分けることのできなかったお前たちは、もう誰の姿も見てはならぬ。
(引用終了)

「誰も寝てはならぬ」はトゥーランドットでしたが、「誰の姿も見てはならぬ」はイエスの言葉を思い起こします。新約聖書のマルコの福音書です。

(引用開始)
もし、あなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出しなさい。両眼がそろったままで地獄に投げ入れられるよりは、片目になって神の国に入る方がよい。
地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。(マルコによる福音書 9章47-48節)

(引用終了)

もちろんオイディプス王は両目をつぶしました。ちなみにソポクレスのほうがイエスよりはるかに前です。500年ほど前です。(オイディプス王のあらすじについてはWikipediaを

ちなみに、いまマルコの引用をしながら、ふと気付いたのですが、地の塩とはイエスにおいては「火」であることに今さらながら気付かされました。

山上の垂訓の有名な一節にも「あなたがたは地の塩である」とあります。

(引用開始)
あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。(マタイ 5章13節)
(引用終了)

続けて「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。」ともあります。ここではうっすらと「塩」と「光」が同じものとして、同じものの別な表現として示してあります。

同様にマルコにも先に引用した「片目を抜き出せ」という言葉のあとに50節でこう言います。

(引用開始)
塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい」。(マルコ9章50節)
(引用終了)

「あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。」と。
そして塩を持つこととで「互に和らぎなさい」と。

ただ興味深いことにこの前の節で、この塩とは実は火であると示されています。
引用します。

(引用開始)
地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。

人はすべて火で塩づけられねばならない。
(引用終了)マルコ9章48節ー49節

塩は保存料として機能します。漬物の原理です。
(発酵と言えば、漫画「もやしもん」が終わるそうで、残念です。年末に思わず作者さんの終了宣言投稿をリツイートしてしまいました)
生鮮食品はすぐに腐敗するので、塩漬けにして乳酸菌で発酵させて長期保存可能とします。

ミイラは塩漬けにすることで、水を抜いて腐敗を防ぎ長期保存可能にすることで、魂が戻ってきたときに乗り物が分解していないようにと配慮します(塩漬けの肉体に戻っても、もしくはカラカラの死体に戻ってもゾンビでしかないような気がしますが)。

イエスは地獄の業火を内なる塩として持てと言っているようにも読めます。


話を戻してオイディプス王です。

(引用開始)
--もはやお前たちは、この身にふりかかってきた数々の禍も、おれがみずから犯してきたもろもろの罪業も見てくれるな!いまよりのち、お前たちは暗闇の中にあれ!目にはしてはならぬ人を見、知りたいとねがっていた人を見分けることのできなかったお前たちは、もう誰の姿も見てはならぬ。
(引用終了)

目に向かって、目を突いた上で(殺した上で)、「もう誰の姿も見てはならぬ。」と叫びます。
(まあすでに見えないのですが)

余談ですが、しかし、最近、全盲の人に対してマイクロチップを入れることで視力を回復させる手術も成功しています。また、世界初のサイボーグとして有名なニール・ハービソンさんもいます。彼は完全な色盲で世界がモノトーンでしかなく色が無いのですが、アイボーグという装置によって、色を音で聞いています。色と音というと共感覚者のようですが、物理的なデバイスで色を文字通り聞いています。彼のTEDレクチャーはこちら。このTEDレクチャーの中で、彼が聞いているように音を色で聴けます。


話を戻して、オイディプス王は「誰の姿も見てはならぬ」と目をついたことで、視力を回復するのです。
文学的に言えば、本質を見通す力とも言うべき視力をです。
物語に沿うならば、あらがうことのできない運命に流されながらも、それを超える視点を手にいれるという成長の物語です。

そこからするとフロイトが「オイディプス王」から取って、エディプス・コンプレックスと名づけたのは、あまりに羊頭狗肉であったかと想います。

「未来を見通す」ということについて、カッサンドラからアラン・ケイの話を前振りにして、未来について語ろうと思ったのですが、余白があまりに少ないので、ここで一旦終わりにします。


ギュスターヴ・モローの「スフィンクスとオイディプス」です。オイディプスはスフィンクスの謎を解いたことでも有名。

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