いまさら聞けない動物霊の浄化方法 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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いまさら聞けないシリーズです。

「動物霊の浄化はどうやればいいですか?」とはいまさらさすがに聞けないという人も多いと思いますので、先に回答しておきます。

いろいろな方法があります。

それに、浄化や浄霊と同じで自分の得意技を磨くと良いです。
この方法がベストというものはありません。
どれでも良いのです。うまくいくなら何を使っても、何をやってもOKです。

それから、浄霊という言うと「まといのば」は「霊の存在を前提としているのか!」などというお叱りをいただくので、先回りして回答しますが、霊は存在します。
サンタクロースが存在するように、存在します。リラックマなり、くまのプーさんが存在するように存在します。情報的な存在であるということです。心の中に存在するということです。
(心の中に存在するというと厳密には語弊があります。内部表現というのは心と思うにはあまりにざっくりとしています。心と体と考えるのも、その意味が本当に分かっていなければ、曖昧すぎます。ちなみに僕が尊敬するとある武術系の先生はこれを理解していません。現代科学の肝なのですが)

さて、ですので霊は存在します。ただ物理的なものとして実在はしません。しても困ります。
網膜にうつる霊の姿は、霊に反射した光が網膜に吸収されて、その化学反応が脳にいくわけではありません。心に写った霊の物語が網膜に写ったように共感覚で見えるということです。
チャネリングなどと同じです。例えば、チャネリングは心に声が響きます。でもセルフトークはすべからく心に響く声です。霊を見るというのは錯覚とか誤解と同じです。しかし錯覚している時点では、何か物理的に実在しているものを見ているという確信が存在します。

ここらへんを曖昧にしたままにするときわめて厄介なことが起こります。

例えば、全身の浄化の方法として、ある人が「イメージでクライアントの全身の生皮をはいでいき、そこに海水を浴びせて、塩をまぶす」という因幡の白兎も真っ青な手法を見出したとします。
これを聞いてPTAの方々は非難轟々です(PTAというのはジョークです)。
しかし、戦前の某中華大国ではないのですから、本気でリアルに生皮を剥ぐわけではありません。
情報空間で剥ぐのです。そして情報空間ですなわちイメージの中で海水を浴びせて、塩をまぶすのです。
これで全身の浄化ができれば何が問題なのでしょう。
クライアントは施術を受けたり、遠隔ヒーリングを受けるときわめて気持ちが良く、かつ症状も改善するとしたら問題は無いのではないでしょうか?
物理と情報を混合するのは厄介です。
我々の社会生活で問題であるという倫理を情報空間に持ち込まれると困ります。

しかししばしば僕らはこのミスを犯します。「生皮を剥ぐなんて、何と残酷なの」と。いや、現実に物理的にやったら犯罪です。傷害罪でしょう。しかし、ヒーリングの手法として許可をもらって気功をするのは合法的ですし、感謝すらされます。

僕は骨の調整のときに、「骨を砕け」と言います。
アイスピックで氷を砕くようなイメージで壊したり、ペットボトルをグシャッと壊すイメージです。
人によっては、ミキサーにかける(イメージをする)人もいます。
そうすると、関節の調整には最高に効きます。
しかし寡聞にして、その方法論を聞いて「なんと残酷な」と批判した人はいません(そんなことを言えば、ぶっ飛ばされることが分かっているからかもしれませんが。もちろん批判や意見や質問は自由です)。
確かに最初は抵抗があるのは分かります。ですが、何度か仲間内で練習すれば、骨を砕いても、クライアントの骨が骨折していないことはわかります。むしろ可動域が増します。

物理と情報は違う世界なのです。
物理的現実世界でやっていはいけないことはたくさんあります。しかしそのルールをそのまま情報空間で適用してはいけません。
その区別がつかない人が、青少年なんたら浄霊(失敬、条例)のようなものを作ってしまいます。


さて、浄霊の方法論についてですが、シンプルです。

いろいろな方法があります。

例えば、液体窒素をかけて急冷して、トンカチなどで砕いて細々にするイメージや、首を切り落とす、その首を踏みつけるなどあります。好きな方法を使うことです。

僕は身体を情報空間で巨大にして(大周天と呼ばれる伝統的な手法です)、間違えてプチっと踏んでしまうという方法を使います。
外を歩いていて、僕らは多くの生命を奪っています。意図的にアリを踏まなくても、気付いていたら踏んでいたり、気付かず踏んでいることがあります。間違って踏んでしまい「あ、ごめん」と思うという感じで、動物霊なり、何かを踏みます。もちろん即死です。

別に情報空間で踏みつけたり、切ったり、殺しても現実世界でそうするわけではありません。
情報空間でやったこと(ヒーリング)のおかげで、現実世界で感謝されたり、良いことが多くあります。

機能にフォーカスして、情報空間に現実世界の「常識」を変に情報空間に持ち込まないことが肝要です。

社会科学の一つの結論でしょうが、「常識」や「通念」は大概が間違っています(自然科学にいたっては正気では生きていけないほどです)。別に「すべてを疑え」とデカルトのようなことを言っているわけではありません(別にデカルトは真理に至る方法として、方法的には懐疑したでしょうが、目の前の朝食の真偽性をいちいち疑っていはいなかったでしょう)。常識という規制がアプリオリだと見做すと気功は下手くそになります。

間違えないためにも機能にフォーカスすることです。