宇宙はさびしいからできたのか? | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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四ツ谷にありますバレリーナ専門の気功整体「まといのば」のブログです。
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観測問題に端を発し、量子論に至る過程で我々が得た宇宙論は奇妙なものです。
我々の外に環境や宇宙があるという考え方が誤りであることが分かり、観測によって存在が生じることが分かりました。
観測によって存在が生じるとは、哲学の唯識論を思わせます。

しかし唯識論と決定的に違うのは、形式化されたということと、実証されたということです。
すなわち数学で表記され、実験で検証されたということです。
量子論では奇妙な宇宙観を証明する奇妙な実験が多くあり、それが指し示すのはまさに「観測が存在を生む」ということです。
ということは、観測者なき存在はありえないということになります。
不確定性原理はそれを示します。

ということはビッグバンを観察した人がいるということになります。

ビッグバンの観測者?!

神しか浮かびませんが、神はここではいません。人間が観測しているのです。

ここで時間という概念を丁寧に考えます。歴史的に考察しましょう。

まずニュートンです。ニュートンは絶対時間と絶対空間という概念を打ち立てます。
これは我々にとって最も馴染みやすい考え方です。我々の直観に近い形式です。
そしてそれはカントにまで受け継がれ、アプリオリな思考の枠組みとして絶対時間空間は設定されます。

しかし、光速度一定という奇妙な実験結果を受けて、思考実験を繰り返したアインシュタインは時間と空間は絶対的ではないという結論に至ります。同じ慣性系でのみ時空を共有し、別の慣性系では別の時間が流れ(加速度場では時間は遅れ)、空間もゆがみます(加速度方向に縮む)。これは一つの場(慣性系)において一つの空間と時間があるということです。
時間の遅れに関しては実証されています。原子時計と人工衛星を使った実験で遅れまで正確に計算通りでした。

厳密にはある二人が同じ慣性系にいるかのようでも、微妙に異なります。ですから一人一宇宙に近づきます。もっと厳密には頭とつま先では別の慣性系です。人工衛星の実験と変わりません。
我々は情報空間と物理空間に住みます。時空とは物理現象です。情報宇宙では定義上、時空を超えます。
ですから我々はビッグバンを観察可能です。もちろん波動方程式としてです。
我々が(波動方程式を読めてそこに臨場感を持てる物理学者が)いまビッグバンを波動方程式で読むことで、我々の宇宙にビッグバンが生じます。
時間は未来から過去へ流れるとすれば、今の「観測」が過去を変えても(生み出しても)おかしくはありません。
逆に言えば波動方程式が認識できなければ、その人の宇宙にはビッグバンはありません。認識が存在を生むからです。苫米地先生の言い方で言えば「猿にはビッグバンはない」ということです。その場合、その人なりの宇宙創成のあり方があるのだと思います。ちなみに宇宙創成3秒前仮説というのもあります。これは間違っていることを証明する術はありません。だからと言って正しいと証明されているわけでももちろんありませんが。

よって不確定性原理により、「宇宙ができたのはさびしいから」は正しいと言えると思います。さびしさのポイントは物理次元という自我の共有地を欲したということですし、その意図が(認識が)存在を生んで、生み続けているという認識で良いと思います。

逆に「さびしくなくなる」と宇宙は消滅するのだと思います。「さびしくない」とはどういうことでしょう。それは「意識」が他者を求めないということです。すなわちゴールが消えるということです。ゴールとは「他者」のことです。ゴールそれ自体が他者を前提とします。ゴールや夢は他者との関係性の中でしか存在しません。ですから、「さびしくない」すなわち「他者が不要」なとき、それが「死」だと思います。死ねばその人の宇宙は消え、ビッグバンも消えます。


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