気功って一体何ですか?どこが科学的なのですか? | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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気功とは苫米地理論で言えば、ホメオスタシス同調です。
ヒーラーとクライアント(術者と受け手)の二人のホメオスタシスを同調させることで、影響を与えあうのがホメオスタシス同調です。

その同調を単なる同調で終わらせず、同調をコントロールするのが気功です。

ホメオスタシス同調としてよく知られているのが、同居している女性の生理周期が重なる現象です。そしてその生理周期が同調する媒介となったのが、脇(ワキ)の下の匂い物質で、それをフェロモンと名付けたと書籍にはあります。会社や学校などで、誰かが生理になると、ほかの人も生理になることを「生理がうつる」と言ったりしますが、それも同調現象でしょう。

気功という現象のホメオスタシス同調を、何が媒介しているかはよく分かっていません。もちろん対面の場合は言語や仕草なども暗示的に影響するでしょう。気功を真面目に研究している科学者たちは、電磁波だとか赤外線(同じものですが)だとか磁力(これまた同じですね)だとか言っていますが、おそらく違います。これら光ならば壁を通過できませんし、距離の二乗に反比例して力は減るはずですが、気功ではそのような現象は見られません。
反証実験として、紙一枚挟んでも気は作用します。
ここらへんの議論も苫米地先生の書籍にありますね。

手から何か気が出ているというのは、臨場感を高めるためであり、気功の本質ではありません。手からは物理的には熱しか出ません(汗も出ますが)。もちろん気功師はリアルに何か出ているのを感じ、確信し、それを作用させる必要があります。そのことと科学的な議論は別です。気功師が確信しているのは、情報空間のことであり、科学者が興味があるのは物理空間のことです。

物理空間に気という実体が何か存在すると言ったらオカルトか、もしくは宗教です。もちろん気功は効けば何でもいいのですが、「まといのば」では科学的な気功の立場を取ります。そちらのほうがシンプルだからです。

科学のポイントは真理ではなく、説明のシンプルさだと思います。天動説が地動説に道を譲ったのは、そのシンプルさにあり、真理にはありません。もちろん真理など存在しないというのがゲーデルの不完全性定理の結論でしたね。

ただよりシンプルな理論は存在します。より整合性の高い理論モデルは存在するでしょう。それが抽象度が高いということです。ニュートンが偉大であったのは、月の運動とリンゴの落下の両方を同時に説明できる理論モデルを見つけたからです。天と地を統合し整合化したのです。

苫米地先生は気功の本質は量子化通信ではないかと推測されていますが、いずれにせよまだ分かりませんし、しかし分からなくても使えればいいのです。効けば何でもいいのです。
誤解されがちですが、医学も同様です。効くものをあとから理論が追いかけます。後述しますが、科学の歴史とは、すべからくそのような性質があります。

余談ですが、媒介が不明であるから気功は非科学的だと言う人もいますが、それは不思議な信仰です。何を考えようが、信じようがその人の自由ですのでいいのですが。
たとえば、飛行機が飛ぶなんて科学的にありえないと言って、飛行機に乗らないのと同じです(実際に流体力学では未だにどうして浮くのかの整合的な説明はついていないそうです。どう浮くかは風洞実験で検証できますし、理論モデルもあるでしょうが、なぜ飛ぶのか自体は不明のようです(これについて何か新しい理論をご存知の方は教えてください))。

気功は理論的な科学モデルは認知科学で成立しています。媒介がわからないことは本質的な問題ではありません。

科学史を振り返れば、媒介が不明であったものとしては、光(光子)があります。もちろんエーテルという仮説は存在しましたが、マイケルソン・モーリーの実験で否定されます(それがアインシュタインの相対論につながります。ここでも実験が先であり理論が後を追いかけています)。光は波と粒子のどちらの性質も示し、媒体も不明だったのがニュートン以来の光の立場でした。ですが、その光の存在を非科学的と言う人はいません。たとえ媒介が不明であり、本質が不明であってもです。

今は実験室では光のスピードを遅くして自転車よりも遅くできたそうです。また量子としての光の振る舞いの奇妙さは、アインシュタインでなくとも「神はサイコロを振らない」と言いたくなるほどにオカルト的です。でも我々の認識が科学の最先端に追い付いていないだけです。かつて地球が丸いと主張する人に、「では反対側に住む人はなぜ落下して宇宙に放り出されないのだ」と反論する知識人を僕らは笑えません。

科学は技術と一緒に歩みます。テクノロジーが先行して理論が後から続くことはよくあります。
電流も電子が発見される前に現象が先行しています。マイナスの電荷を持つものが電流の正体であったという歴史的経緯が、電流の向きと電子の動きが真逆という不思議な(少なくとも学生にとっては面倒な)事態を引き起こしています。

熱力学が完成する前に蒸気機関が実用化され、テコの原理が発明される前に投石器が存在し、ピタゴラスの定理が証明される前に、直角を求める土木技術があったのと同じです。

気功もまずは現象があり、理論はゆっくりとついてきます。ただ認知科学によって、呪術や呪いや魔法やヒーリングが、神や絶対者を不要としたことは事実です。そして相当に科学技術化したのも事実でしょう。

ですからこれから先の10年で、以前は考えられないほどにヒーラーが増え、ヒーリングが普通になることは当然と言えます。なぜなら認知科学、もしくは苫米地理論によって、気功が科学化されたからです。科学化される最大のメリットは普遍化されるということです。すなわち普通の人が普通に使えるということです。無線通信ではなく携帯電話に、MS-DOSではなくWindowsになったようなものです。
才能や特殊な訓練が不要になったということです。

もちろん苫米地先生の近刊ではないですが、ツイッターやブログやインターネット自体も、技術的にはいわば軍事技術の払い下げ品であるように、気功も軍事的な遠隔洗脳の払い下げで品であることを考えれば、無邪気に気功の科学技術化を喜んでいいのか考えものですが、まあいずれにせよ便利な科学技術(=気功)はどんどん使いましょう。軍事技術の民生化ではない科学技術など(おそらくは)無いのでしょうし、ブログやツイッターを新しい技術だと喜ぶように(十分に古臭い技術だそうですが)、古くて新しい気功という科学技術を楽しみましょう。