2018/2/3 エリトリア旅行記その1 マッサワ観光 | まとばの公営競技つれづれ

まとばの公営競技つれづれ

払戻金の金額を入力します。

1/30-31 ムンバイ、ドバイ経由でエリトリアへ

2/1 デブレビゼン修道院

2/2 マッサワへ移動、観光

2/3 マッサワからアスマラへ帰還

2/4 ケレン日帰り観光

2/5-6 ドバイ、ムンバイ経由で帰国

 

 

午前中にマッサワを観光してアスマラに戻ります。

 

朝。昨日は夜なので気付きませんでしたがプール付きの大きなホテルでした。

 

ホテルから望むマッサワ島

 

朝食。

アスマラのホテルは朝食込みだったけど、ここは別料金。

これとオレンジジュースのセット実質パンだけで約1000円は高い。

ただアスマラのホテルもビジター利用だと同じくらいの値段なので、この国ではこれが相場なのかも。

 

エリトリアのテレビ番組、たぶんニュース。

時間が夜になってるけど、昨夜と同じ内容だったので録画放送かな。

他にもスーダンやエジプト、サウジの放送が観られて面白かった。

スーダンの番組なんて普通観ない、というか観られない。

 

チェックアウトしてマッサワ島に向かいます。

 

ホテル近くの崩壊した建物。

オスマントルコの時代に建てられた歴史ある建物で、

エチオピア皇帝も使用していたそうです。

しかしエリトリア独立戦争でエチオピアの攻撃を受けて無残な有様に。

 

完全に廃墟で中に入れません。

 

マッサワ島へ。

 

大使館のサイトによると1930年代の建物だそうです。

 

開いているお店はごく僅か。

水着屋があったんだけど需要はあるのだろうか。

 

島の入口、おそらく昔は駅だったのでしょうか。

現在はバス乗り場になっています。

 

古い街並みとクレーンが同居しています。

左右でギャップがあって面白い。

 

こちらも独立戦争で破壊された旧イタリア銀行、1920年代の建築。

細かい部分まで綺麗に作ってあって、マッサワが栄えていた当時を偲ばせる。

 

左の新しそうな建物は税関。

 

モスク。年代は分からないけどこれもかなり古そう。

 

いたるところに廃墟がありますが人は住んでいます。

建物はボロいけどアンテナがあるので、生活レベルは最低限確保されているように見える。

 

港の入口。この奥にアラビア半島からイスラム教が伝来したときに作った古いモスクがあるそうなんですが、港の中なので入れません。

 

港と国内を結ぶトラック群

 

廃墟。独立戦争で破壊されてそのまま放置

 

Sheik Hamal Mosque

建設は1580年だとか。その割に綺麗な状態で現存しています。

 

廃墟の隣に住居。

人と廃墟が同居している姿は、2016年に訪れたアブハジアを彷彿とさせます。

 

そんな中に新しいバスがいるので違和感が凄い。

 

スーク(市場)に入ります。

現在は廃れてしまって跡地のような格好ですが建物は残っています。

 

営業している店も僅かに残っていますが、ほとんどの扉は閉ざされたまま。

看板が寂しく残っています。

1500年代、オスマントルコの治世で建設が進んだそうで、500年前から残る建物もあるようです。

 

市場が形成されたのはオスマントルコの治世ですが、

マッサワが最盛期を迎えたのは1869年のスエズ運河開通後。

地中海経由でヨーロッパとアジアを結ぶルートの寄港地として栄えたようです。

当時は閉まっている扉も全て開いていて、港町としての賑わいが存在していたのでしょう。

 

第二次大戦で宗主国だったイタリアが敗戦、その後エチオピアとの独立戦争で破壊され、現在は独裁政権。

街は衰退し、現在に至ります。

この街が当時のまま栄えている姿を見たかった。

 

本当にタイムスリップしたような感じ。

大使館のサイトによるとクウェートの資本でリニューアルするって書いてあるけど、

このままの状態で観光客を呼べる状態になって欲しい。

現代の人の手で観光地化された場所はいくらでもあるので、自然に古いものが残っている、という形にできないものか。

それだけ価値のある一帯だと思う。

 

バスを待つ地元の人たち。

 

アスマラへ戻るため、マッサワ島を後にして大陸側へ向かいます。

少年たちが釣りをしていました。

釣り糸をそのまま投げて手繰り寄せる原始的なやつ。

 

この後は旧マッサワ駅を見つつバスでアスマラに戻ります。