それぞれの使命
酒場ル・プリーヌは兵士たちで賑わっていた。朱羽煌雀と玄蘒武炫が古ぼけた木の丸テーブルに腰を下ろすと、酔っ払った軍曹が絡んできた。
「(ヒック!おい坊やたち、ここは子供の来るところじゃねえぞ。ヒック!さっさとお家へ帰ってミルクでも飲んで寝な。)」
バーボンをボトルごと抱えてラッパ飲みしている。
「(ラチェット、民間人に絡むなよ。少佐に知れたらえれえことだぞ。)」
「(分かってるよ!分かってるけどよ、ちったあ俺らの大変さを考えてくれてもいいじゃねえか。俺らが有事に備えて常に警戒してるからこの坊やたちが安心して過ごしてられるんだぜ。なあ坊や。)」
ラチェット軍曹が朱羽煌雀の肩に手をかけ、酒臭い息を吐きかける。朱羽煌雀はその手を払い除けた。
「(何だよ、やるか?)」
軍曹がボクシングのポーズをとった。足元がふらついている。
「(止めといた方がいい。軍服にはうんざりしているんだ。怪我をするぞ。)」
朱羽煌雀は座ったまま軍曹をあしらった。
「(この野郎、空軍を舐めるんじゃねえ!)」
軍曹の右ストレートが朱羽煌雀の顔面を襲った。だが、その拳は虚しく空を切り、勢い余った軍曹は前のめりにもんどりうった。朱羽煌雀はいつの間にか隣の椅子に座っている。
「(言わんこっちゃない。)」
軍曹の顔が燃えるように真っ赤になり、朱羽煌雀に挑みかかろうとした時、酒場の入口から声が飛んだ。
「(止めときな、ラチェット!あんたの敵う相手じゃないよ。)」
蒼鱗龍娯が腕組みしながら立っていた。
「(ハッ!モンゴメリー少尉!)」
軍曹はその場で気を付けの姿勢を取り、敬礼した。
「(朱羽、玄蘒、お待たせ。あたしに着いて来てよ。)」
ル・プリーヌの裏口を抜けると、小さな宿屋に面していた。ペガサス・アウトモビリの白いバンがそこに横付けされている。
「(まずはそこの目立つ車を何とかしなきゃね。あそこに見える納屋に入れなよ。話は付けとくからさ。)」
蒼鱗龍娯はスクァーラルとモデナを指差して言った。
「(御一行は中でお待ちだよ。)」
「ご無事でしたか、朱羽煌雀様。案じましたぞ。」
宗陰が安堵の表情で溜息をついた。
「米倉はどうした?」
朱羽煌雀は部屋のメンバーを見渡して聞いた。
「消えました。かすみさんの容態を見に行くといってホテルを出たんですけど、病院には居なくて・・そして、かすみさんは・・かすみは亡くなりました。」
圭子が両手で顔を覆う。朱羽煌雀の顔色が蒼ざめた。
「生命維持装置が何者かによって外されたんだ。米倉さんはきっと犯人を追い駆けて行ったんだと思う。」
堤が続けた。
「リエさん、いや日夜子さんか、はどうした?」
「・・・消えたよ。詳しいことは後で説明しよう。透さん、俺はペガサス・アウトモビリ代表の座を降りる。君たちが解任したことにしてくれ。明日にでも俺はテロリストとして手配され、資産は凍結されるだろう。その前に君たちに移管したい。圭子さん、俺の頭の中にある設計図のようなものが入っている。透さんやマルコとともにペガサス・アウトモビリの設備を使って、それを形にしてもらいたい。情報はルシフェルに届けさせる。すぐにここを発ってくれ。三隅さん、そしてアキヒコのお母さん、あなたたちは日本に帰った方がいい。ドルフィン、きみもフミカを連れて日本へ帰ってくれ、頼む。」
朱羽煌雀はチラリと高野良子を見た。自分の息子の姿をした男に他人行儀に扱われ、辛そうな表情だ。
「私も圭子さんたちといっしょに行きます。日本へは帰りません。もう祠にいる必要はないでしょ?」
フミカが珍しく言い張った。
「分かった、好きにしたまえ。老師、ちょっと話がしたい。」
「あんたたち、表の車を使っていいよ。」
蒼鱗龍娯の言葉に押され、長谷川たちは朱羽煌雀に一礼して部屋を出て行った。
「米倉の過去はどのくらい知っている?」
朱羽煌雀は胸に渦巻く疑念を宗陰にぶつけた。
「あれは孤児ですじゃ。10才かそこらで乞食同然じゃったあれをワシが側において仕込みました。もともと不思議な力を持つ男で、陰陽師として資質十分と判断しましての。」
「四六時中側に仕えたか?」
「まあほとんどですかの。ワシが頼まれ仕事で家を空けるとき以外は。」
「米倉はブラック・クロスのメンバーだったらしい。」
朱羽煌雀の言葉に宗陰は束の間表情が固まった。
「・・・あの米倉が・・信じられん。あれほど可愛がっておったのに。」
「あなたが知らないとすれば今もブラック・クロスとつながっているのかもしれない。」
「じゃあワシらの極秘情報がブラッククロスに筒抜けじゃった可能性もあるわけだ。不覚じゃ・・。」
宗陰の肩がわなわな震え、吹き出るオーラのほとばしりが周囲に飛び散っていた。
宗陰も三隅や高野良子とともに日本へ帰るために部屋を出た。後には4人が残った。
「(どうするんだ?これから。)」
玄蘒武炫が誰にともなく問いかける。F1チャンプも今や過去の話。国際テロリストの濡れ衣を着せられ、もう表舞台に立つことは出来ないだろう。
「(蒼鱗、玄蘒、白牙、聞いてくれ。俺には使命がある。今詳しく話している余裕はないが、キミたちの力を借りる必要がある。差し当たってはブラッククロスから、いや今度はもっと大きな相手から身を隠しながら空を飛ぶ技術を学びたい。それも1ヶ月程度で戦闘機を飛ばせるようにしたい。蒼鱗、何とかならないか?)」
朱羽煌雀が3人を諭すような口調で言った。
「(1ヶ月でファイターを操るだって?寝言でも言ってるんじゃないの?大体普通の飛行機だって飛行時間1万時間でようやく一人前ってところだよ。一睡もせずに乗り続けたって・・)」
蒼鱗龍娯は言いかけた言葉を飲み込んだ。朱羽煌雀の真剣な視線の前には何を言ったところで通じそうにない。
「(分かったわ。一つだけ聞かせて。日夜子は救えるんでしょうね。)」
「(もちろんだ。そのために無理を言ってる。)」
「(だったら恰好の隠れ蓑があるよ。空軍外人部隊さ。紙切れ一枚の契約で素性なんか問われやしないし、誰からも探されない。あたしも舞台に加わるよう志願するよ。教官としてね。資格は十分だと思うから。)」
「(俺たちも・・だよな。)」
玄蘒武炫と白牙虎鉧がちょっとたじろぎながら言った。朱羽煌雀が黙って頷いた。
「ルシフェル、目を覚ませ。そして俺の体に入るんだ。」
宗陰に教わった催眠の術で朱羽煌雀は白牙虎鉧を眠らせた。そして右脳に眠るルシフェルに呼びかける。
「ああ、煌雀さん。どうしたの?」
「よく聞け、ルシフェル。俺に乗り移り、頭にある情報をコピーしろ。そしてネットに侵入し、ペガサス・アウトモビリで待つ圭子さんたちにそれを届けてもらいたい。お前にしか出来ないことだ。お前を信頼して、全てを委ねる。よろしく頼んだぞ。」
もしルシフェルに紗端の切れ端でも残っていたらとても危険な賭けになる。だが、今躊躇している余裕などなかった。朱羽煌雀は白牙虎鉧の手を握り、静かに目を閉じる。
「いいぞ。」
次に気が付いた時、朱羽煌雀は部屋の剥き出しになった電話線を握り締めていた。
「(ルシフェルとやらは、どうやら旅立ったようよ。)」
蒼鱗龍娯が静かに言った。
「(覚悟は出来て?じゃあご案内するわよ、地獄の猛特訓へ。)」
設計図
「やっと分かったわ!」
圭子が喜びの声を上げた。
「もう難攻不落の記号の羅列。長谷川さんが居なかったら永久に謎のままだったかも。お礼を言うわ。」
「僕が何か言いました?」
パソコンでスクァーラルの問い合わせリストをチェックしながら長谷川が聞いた。ペガサス・アウトモビリの工作室を見渡すように作られた狭い制御室で、2人はほとんど食事も取らずにルシフェルの持ち込んだ暗号のようなデータ処理に没頭していた。長谷川の伝手で入手した暗号解読ソフトに次々読ませたが全て解読不能だった。圭子が交代で取り組みだして丸一日、ル・プリーヌで朱羽煌雀と別れてから既に4日が経過していた。ここに来てすぐにCIAのエージェントらしき2人組が訊ねてきた。表向きは車を見たいということだったが、ショールームも持たないこの工場兼オフィスにそんな客が訪れるわけがない。それとなくオーナー高野アキヒコの話を聞きだそうとしたが、今はもう何の関係もないと言い張り、実際1度しかオフィスに来たことのないアキヒコの足跡が残っているはずもなかった。
「最初は“設計図”という言葉に捕われすぎたのよ。でもあなたはポツリと、人の記憶なら、見たり、聞いたりの五感情報かもなって言ったじゃない?その線で色々試してみたの。そしたらビンゴ!ある点を起点としてその周りの点の3次元座標と連鎖関係、そして次のグループへの接続情報、その無限に続く連続記号なのよ。複雑にしているのは各点に明暗の情報がくっついているせい。つまり目で見た物の形、陰影情報があるせいよ。ルールが分かったから今順調に解析中。もうすぐ答えが・・ほら見て。」
夜9時を回ったオフィスは物静かだ。普段は気にならないコンピューターの冷却ファンの音がやたら大きく聞こえる。その液晶画面に今、CADを介して朱羽煌雀の送りつけた記憶情報が映像化されていた。
「何だろ?螺旋状のトンネル?」
「ええ、そんな感じよね。このCADモデリング出来るでしょ?既に座標情報はインプットされたわけだからちょっとやってみて下さらない?」
圭子の注文に長谷川は頷いた。彼自身が是非確かめたいところだ。
「全体はこんな感じだ。中心部に球があって、その周りを細いチューブ状のものが取り巻いている。最初の映像はこのチューブの入口付近だね。」
画面にはモデリングされた全体像がゆっくりと回っていた。
「何かしら・・」
「チューブの入口は太くて、出口が中心の球に向けて発射口のように配置されているよね。何かを吸い込んで放出するんだと思えるけど。」
「このチューブの曲率は実に幾何学的だわ。そう・・遠心加速器!何のため?中央の球体が何かしら?」
「アキヒコ君、いや朱羽煌雀か、彼の不思議な能力は磁場の回転によるものだっていってたよね。じゃあこれもそうなんじゃないか?球体を高速回転させてそこに加速した何かをぶつけるんだとしたら・・」
「あなたって天才!それよ、それ。あとは任せて。明日の朝までにこいつの正体を判明させてみせるわ。」
圭子は長谷川にウインクした。リエの面影に通じたその美貌に、長谷川は電流のようなものを感じた。そう、以前リエに対して抱いたものをさらに数倍強くした感情を・・。
翌朝、マルコは朝食のサンドウィッチとコーヒーをもってオフィスのドアを開けた。そこには呆然とした圭子と長谷川の姿があった。
「(ヘイ、どうした?トオル。何か恐ろしいものでも見たか?)」
冗談交じりにマルコがからかった。差し入れのサンドウィッチをテーブルに置く。
「(ああ、とてつもないものを見た気がするよ・・)」
長谷川の表情に笑いはない。
「こんなものがどうしてあの人の頭に入っているの?いったい何者なのかしら・・」
圭子が深いクマの出来た目で遠くを見る。
「急いで作りましょうよ、私たちの手でこの夢の推進器を。出来るでしょ?ここの設備をフル稼働すれば。あの人の仰せの通りに。」
「そうだね。何かワクワクしてくるよ。僕はこいつを乗せる機体を設計してみたい。(マルコ、仕事だ!モデリングシステムの凄さを見せてやろうぜ!)」
「あっ、でもちょっと待って。普通の素材じゃとてもこの球体の回転で発する熱エネルギーは受け止められないわよ。瞬時に熔けるわ。どうしたらいいかしら・・ただの飾り物で終わるわね。」
「じゃあとりあえず出来るものから作るよ。そして彼からの連絡を待とうじゃないか。きっと指示があるはずさ。」
3人は忘れかけたテーブルの朝食にようやく向い合い、これからの作業に向けて活力を補給した。
ワシントンDC
「(そのアキヒコ・タカノは東京に出没したのだな?)」
「(イエス、大統領補佐官。我がCIAのエージェントも自分の目で確認しています。ただカメラには何故か捕えられませんでしたが。間違いないでしょう。)」
「(ウーム、どうやって入国したのか分からないが、事実として認めることが重要だろう。よし、東京にスタッフを集めろ。奴の居所を突き止め、何としても身柄を拘束するのだ。テロリストを衆人の前に曝け出すことがアメリカの威信を保つ一番の手段だ。それと引き続き同時多発テロとの関連を調査しろ。これを機に一気に片付けてしまおうではないか。)」
CIA長官ロバートは軽く敬礼して部屋を出て行った。大統領執務室の隣の部屋からゆっくりと細面のシルエットが現われた。
《その調子だワーグナー、じわりと奴を追い詰めろ。そして奴を匿う日本を、テロ国家に仕立て上げるのだ。証拠のテープは用意してあるからな。》
補佐官が黙って頷く。その眼鏡に隠れた目は虚ろだ。意識を操作されているのだろう。
《アラスカの発掘も隠蔽を忘れるな。あと一息まで来ているのだからな。》
狐顔が半歩前に進む。その顔半分に光が当たった。口の端を歪めた冷たい笑い。米倉がそこにいた・・・。
砂漠訓練の終結
朱羽煌雀はコクピットの中で急旋回によるGを感じ、回想から我に返った。もはや事態は後戻りできない状況だ。抜けるような青空の中で、キラリと光を反射する銀影が見えた。ここは内戦が危惧される中東の砂漠上空15000フィート。蒼鱗龍娯によるフランス空軍外人部隊の入隊訓練飛行を受けて2週間。毎日昼夜を問わない激しい特訓の成果が実ろうとしていた。
2機のミラージュ戦闘機は互いにもつれ合うように背後を取り合う。模擬空戦ではミサイルのロックオンを受けるか、弾頭のない機銃を撃ち込まれた方が負けだ。空戦を開始して15分、傍目に2機は全くの互角に見えた。
「(もういいよ、息が続かない。あたしのギブアップさ。)」
蒼鱗龍娯が無線で呼びかける。
「(まさか2週間でここまでになるなんて。もうこの強者揃いの外人部隊でも、あんたに敵う奴はいないよ。)」
2機はピタリと斜めに寄り添い、旋回しながら下降すると砂漠の滑走路に着陸した。強化ガラスのキャノピーを上げ、ヘルメット姿の朱羽煌雀がゆっくりと地上に足を下ろす。
砂漠の仮設テントに持ち込まれたノートパソコンに衛星回線を利用するための通信装置が繋がっている。衛星を利用出来るのは5分だ。それを超えるとアメリカの監視衛星が再び睨みを利かせてしまう。
「(さあ、やって来るかな伝書鳩は。)」
蒼鱗龍娯が画面に向かってニヤつきながら言った。ジジッという音と共に画面が揺らぎ、ぼんやりとした人の顔が現われる。
「(そんなこと言ってるともう来ないからね、オバサン。)」
ルシフェルの音声がスピーカーから流れた。
「(あんた聞こえてたの?それに何よ、あたしはこう見えてもピチピチの独身ギャルなんだからね。)」
「(僕から見れば立派なオバサンさ。口が悪いのは、拝借している翻訳ソフトのせいかもよ。)」
すっかり仲の良くなったコンビに朱羽煌雀が口を挟んだ。
「(お楽しみもいいが、時間がないぞ。向うの様子はどうだ?)」
「(形になって来たってさ。透さんは航空力学専攻だって?ボディシェルの設計を生き生きしながらやってるよ。マルコさんは今回は完全に透さんの手下だってぼやいてる。モデリングシステムの加工精度はバッチリだけど、圭子さんは紫外線硬化樹脂の強度と耐熱性じゃとてもじゃないけどもたないんじゃないかって。)」
「(そうか・・何機作ってる?)」
「(4機同時に製作中。あと1週間あれば完成するそうだよ。)」
「(分かった。こちらもほぼ準備OKだ。2日後にはここを出るつもりだ。)」
ビーッ、ビーッと残り時間10秒を告げる警報ブザーが鳴り出した。
「(俺の気配は分かるな?一段落ついたらネット上に気を流すから見つけてくれ。)」
「(了解!)」
画面がバチッと切れ、ルシフェルは電波に乗って彼方へ消えた。
「(何を作らせてるのさ、朱羽。)」
蒼鱗龍娯が朱羽煌雀ににじり寄る。
「(飛行機さ。)」
朱羽煌雀がさり気なく答えた。
「(飛行機?そんなものわざわざ作らなくったってあたしが調達してくるよ。最新鋭は難しいけどさ。)」
「(盗みは良くないな。それにちょっと普通とは違う飛行機だ。)」
キュイーン・・・。ジェット戦闘機の着陸音がテントに響いた。
「(2人組みのお帰りだ。揃ったら説明しよう。)」
「(もうクタクタだ。白牙の子守りは疲れる。)」
玄蘒武炫が重い足取りでテントの入口を捲り上げた。
「(空は面白いよ。立体的に動けるのがいい!横滑りのGなんてドリフトの比じゃないよ。急降下なんて失神しそうさ。周りに何もない分、目で見たスピード感には欠けるけどね。)」
白牙虎鉧が興奮気味に対照的な軽い足取りで入ってきた。
「(急降下で失神したらそのまま昇天だからね。素人さんが無茶しないでよ。)」
蒼鱗龍娯が怒った口調で注意する。
「(冗談に決まってるじゃないか、マジに取るなよ。)」
白牙虎鉧が笑ってやり過ごした。
「(みんな、そこに座ってくれ。そろそろこれからの行動に付いて話したい。)」
朱羽煌雀の呼びかけに、3人は小さな丸テーブルを囲むように折畳みの布製の椅子に腰掛けた。
「(蒼鱗のお陰で戦闘機の操縦技術も様になった。明日もう1日仕上げ訓練をして、ここを出たいと思う。)」
「(ちょっと待って、外人部隊の契約は最低6ヶ月よ。それ以前に隊を離れれば脱走と見なされて銃殺よ。)」
蒼鱗龍娯が遮った。
「(何を寝言みたいなこと言ってるんだ。我々は既に追われる立場、闇に潜むテロリスト扱いなんだぞ。世話にはなったがここは単なる訓練の場だ。用がなくなったら去るだけだ。時間がないのだからな。)」
朱羽煌雀がやや声を荒げた。
「(・・ごめんなさい、つい。アン・モンゴメリーの記憶にずっと同調していたからアンの意識に触れてしまったわ。今の言葉は忘れて。)」
蒼鱗龍娯が神妙な顔をする。
「(うん。じゃあそろそろ話しておくべきだろう、俺の知る限りのことを。)」
朱羽煌雀はグルリと3人を見渡す。蒼鱗がゴクリと唾を飲み込んだ。
四神獣の意味
「(俺は悠久の時を自在に駆け巡る生命体の子孫。最後の記憶は5000年前、人々がまだ自らの文明を持たず、神々と呼ばれる幾多の精霊たちが大地に安住していた時代だ。俺の前身は死というものを知らず、常に細胞を代謝し、再生し、自らを最高の状態に保つ機能を持っていた。ちょうどトカゲが尻尾を再生できるように、全身のあらゆる部分に超胚細胞を送り込んで新しい組織に再生することが出来た。光速を越えて飛ぶ能力を持ち、時空に自在に出入りする。その時数万度に達する摩擦熱は生命体の表面を燃やし、まるで火に包まれたように見えた。空間を移動するための翼を持った鳥のような姿は後に、火の鳥、不死鳥、フェニックスといった伝説として語り継がれた。古代中国ではより実像に近い神の使いと崇めた。前身はその朱雀という呼び名が気に入ったようだ。)」
朱羽煌雀の語りだした興味深い話に、蒼鱗、玄蘒、白牙の3人は、日々の緊張を忘れて身を乗り出す。
「(俺の前身、朱雀は遥か太古から存在した。と言うよりは太古も知っていたと言うほうが正しいだろう。今は記憶の極一部しか持たないから細部までは語れないが、この地球が海を作り、そこに生命の可能性が誕生したことを知って、朱雀は時空に生を受けたようだ。原始細胞はそのままでは意思など持とうはずがない。朱雀は、微かな記憶では、時空の塵に混じった意味ありげな電磁パルスを原始細胞の一つに与えた。長い年月をかけてその電磁パルスはDNAと共に変化し、やがて意味を持つ情報に進化していった。複数個の細胞間を繋ぐコントロール情報、すなわち意思だ。意思こそが生命の本質。意思は多様化し、細胞個数の増加と共に成長し、細胞を変化させて多彩な生物を作り出していった。朱雀はその中の優れた意識種を生物の死と共に時空に引き上げ、さらに意味あるものに培養していった。タイミングを見計らって進化した有機体に与えるためにね。)」
驚くべき話だ。進化した有機体が何を指すかは3人にも予想出来た。
「(地上では温暖な気候が巧を奏し恐竜と呼ばれる大きな有機体が闊歩するようになった。その頃、時空で異変が起きたのだ。)」
朱羽煌雀は立ち上がるとコップに水を注いで飲み干した。喋りつづけると咽が渇く。
「(宇宙のビッグバンで、消えた反物質がもう一つの宇宙を形成しているのは俺の作り出すブラックホールでも分かるだろう。この宇宙を表とすれば裏宇宙とでも呼ぶべきか。そしてそこにはやはり時空があり、地球と符号を逆にした座標に朱雀と同じような存在、裏朱雀がいたんだ。ある時、大きな隕石が地球に衝突し、時空にも大きな歪が出来た。裏朱雀は表宇宙である地球上に飛び出し、当時栄華を誇った有機体に寄生した。)」
「(恐竜?)」
蒼鱗龍娯の問に朱羽煌雀はゆっくりと頷く。
「(ニューロン・パラサイト、それが奴の武器。脳神経に寄生し、体を自在に操る。裏朱雀の宿った恐竜は種をまとめ、集団を形成した。集団は全て奴の意識を宿し、瞬く間に巨大な力へと進化していった。奴の種は現在ではラプトルと呼ばれる。恐ろしく発達した知能と俊敏な筋肉。集団で狩をする奴らは史上最強の生物と言われているが、古代生物学者たちは一つ大きな見落としをしているのさ。奴らは地上で最古の文明を築いた。今の人類に勝るとも劣らない発達した文明をね。そしてその矛先を徹底的な自然破壊に向けたんだ。裏朱雀が成長するためのエネルギーは負の神経パルスだ。恐れ、悲しみ、絶望・・生物が本能的に忌み嫌う感情をこよなく好むのさ。奴らは食うためではなく、狩のための恐竜殺戮を繰り返し、植物をなぎ倒し、そこに渦巻くマイナスエネルギーを糧にますます巨大化していった。俺の前身は後にそれを紗端と名付けた。)」
「(何故ラプトルの文明の遺跡が出て来ない?)」
玄蘒武炫がポツリと言った。
「(地球の怒りを買ったのさ。ラプトル、すなわち紗端は地球環境をとことん破壊した。今の人類の比ではないさ。森林はなくなり砂漠化し、海洋は酸性化し生命の源などとは呼べない水になった。大気中の酸素は枯渇し、オゾンのなくなった空からは紫外線が降り注ぎ、生物は死に果てた。今もって謎とされている恐竜の絶滅は、自然現象ではないのさ。紗端のせいだ。ラプトルたちはある大陸に自分たちの楽園を築いた。恐竜を家畜のように飼育し、狩をしながら貪り食う。そこでは浄化された水と合成酸素に富み、死に絶えた地表とは別世界のようだった。ある日、その大陸はとてつもない地殻変動に襲われた。大地震に地表は割れ、マグマが噴出し、竜巻と稲妻がラプトルたちの楽園を粉砕した。見上げるような津波が押し寄せ、大陸は海の底に沈んだのさ。)」
朱羽煌雀は自らの記憶を辿るように目を瞑る。
「(ムー大陸?)」
白牙虎鉧が閃いたように言った。
「(5000万年前にそこで人類が誕生し、文明が築かれたという伝説の大陸・・文明は本当だったのか。でも人類ではなく・・)」
「(地球の怒りなんて、まるで地球に意思があるみたいな言い方ね。)」
蒼鱗龍娯が朱羽煌雀をからかうように言った。
「(そうさ。地球は生きている。生きて意思を持っている。現にキミたちは地球の意思じゃないか。)」
「(えっ!?)」
朱羽煌雀の意外な答えに3人は同時に声を上げた。
「(四神獣は朱雀を除いては地球の怒りを神格化したものさ。玄武は噴火する火山を亀と蛇に。白虎は落雷を虎の牙に見立てた。蒼龍は荒れ狂う竜巻が竜の姿に見えたのさ。みんなキミたちが人々に見せたデモンストレーションじゃないか。まあ、記憶の伝承を受けてないからしょうがないか。)」
朱羽煌雀は一拍置いて続ける。
「(ムー大陸の消滅後、数万年の歳月をかけて地球環境は再び生命を育む状態に回復した。前回は数億年かけて進化した生命はその数百倍の速度で進化を遂げ、最終段階として哺乳類に2足歩行の類人猿が登場した。朱雀はそこに2度目の細工を施した。培養した優れた意識種を1対の類人猿に与えたのさ。それが人類の始まり。朱雀は時空に優れた意識種が自然に育つエリアを形成した。争いを好まず、創造を喜びとする正のエネルギーの海だ。そしてエリアから地上への搬送通路も作った。人の子宮へと繋がる時空の通路さ。人の意識は有機体の死と共に時空のエリアに舞い戻り、リフレッシュされ、再び子宮へと送り出される。全ては紗端の寄生を繰り返さない予防策としてね。何かの偶然でエリアから元の有機体に蘇生した人は、自分の見たエリアを“天国”と称した。そしてそこで見た朱雀を鳳凰と呼んだ。)」
「(紗端はラプトルと共に消滅しなかったの?)」
「(ああ。何かに寄生してじっと時を待ったらしい。あれだけ巨大な奴が何に身を潜めていたかは分からない。そして今から約5000年前、再び紗端は現われた。人類が四大文明を築き上げ、繁栄の道を歩み始めた時にさ。それは“殺人”という行為として出現した。朱雀が培養した優良意識種にはそんな残虐な欲求が芽生えるはずがなかった。生命の進化は時に予想を越えた道を歩むが、それは突然すぎる出来事だった。各地に出現した“殺人者”は何の目的もなく人を殺し、それを取り押さえた者たちが憎しみの感情からそいつを血祭りに上げた。すると今度はそいつらが次の“殺人者”となった。悪循環は急速に広がり、群れを離れた“殺人者”たちは寄り集まり、秩序のある集団を形成した。奴らはムー文明を再建しよう活動を始めた。今度は家畜となるのは恐竜ではない、人間だ。朱雀は今度は黙ってみているわけには行かなかった。放っておけば結果は明らかだ。紗端は人類を支配し、ありとあらゆる生物に恐怖の死を与え、自然を破壊し、やがては地球の罰を受ける。人類は朱雀が手塩にかけた可愛い子供たち。朱雀は心を鬼にして、紗端という癌細胞に犯された集団を生きたまま時空のブラックホールに放り込んだ。反物質の世界で細胞が消滅する苦しみは想像を絶するものだったろう・・・)」
「(地獄・・・)」
玄蘒武炫が静かにその言葉を口に出した。朱羽煌雀がゆっくりと頷く。
「(現世で悪事を働くと地獄に落ちるというのは5000年前からの言い伝えなのさ。死神ならぬ朱雀の道案内でね。朱雀は紗端を地獄と称する時空に追いやったが、その代償として超胚細胞を作り出す組織に致命的な傷を負ってしまったんだ。朱雀は不死の体を失ったが、紗端は再びあちこちで現われた。奴は知らないうちに人間のDNAに忍び込み、右脳で育っていたんだ。そしてバイオレンスへの欲求に負けた人間は意識を紗端に奪われる。朱雀は限りある時間で次々に人間の右脳を封じ、紗端の育つ環境を断っていったんだ。)」
朱羽煌雀は一旦言葉を区切ると静かな口調で話を続け出した。
「(朱雀はついに最後の時を迎えることになった。体に蓄えた超胚細胞を自らの新陳代謝に使えばあと100年は生きられただろう。だが朱雀はそれをしなかった。残された超胚細胞で自らの体に人間の胎児を宿したのだ。日本の富士の麓で朱雀から生まれた俺は人であって人でなかった。朱雀の記憶を受け継ぎ、普通の人間には真似できない特殊能力を操った。俺は朱雀の亡骸を富士の霊水に浸し、保存した。そして世界を廻り、朱雀の意思を継いで紗端の残党をくまなく探し出してブラックホールの地獄へ送り込んだ。人の右脳は自然に使われなくなり、紗端の育つ場所は失せた。俺は紗端が時空を抜け出ないよう結界を築き、使命を終えた。だが俺には紗端が大人しく元の棲家に収まっているはずがないことは分かっていた。奴は最初よりも遥かに巨大化し、腹を空かしている。そして地上にはちょっとつつけば負のエネルギーを惜しみなく放出する人間が溢れている。時空に歪が生じれば再び紗端は舞い戻る。俺は平和な時の中、精霊の声を聞く巫女、日夜子と出会い、結ばれた。そして富士の地下に朱雀の祠を築き、日夜子と居を構えた。生まれた子供は優れた記憶力を持っていた。俺は朱雀から受け継いだ記憶の重要な部分を我が子に託した。自分はやがて死に、いつの日かこの世に戻るだろう。だが、地上に戻るためには今度は子宮への道を通らなければならず、その時記憶は失われてしまうことを俺は知っていたんだ。)」
3人はじっと朱羽煌雀の話に聞き入っていた。普段なら軽口を叩きそうな白牙虎鉧も真剣な表情だ。
「(俺はまた、朱雀の飛行器官の構造を記憶に追加した。再びこの世に生を受けし時、進化した文明がその飛行器官を作り出せることを願って。そしてもう一つ必要になるであろうアイテムをこの世に残した。神宝として誰にも手を付けさせないように。)」
「(あんたのことはよく分かったわ、朱羽。朱雀は本当の神、そしてあんたはその子供ね。でもあたしたちはどうなんだい?地球の意思とか言われたって、もう少し説明してくれなきゃ分からないわ。知っているんでしょ?)」
蒼鱗龍娯が虚勢を張って聞いた。自分の正体が不明なのはとても不安なことだ。
「(キミらも神の子さ。朱雀が人間の意識を作った神なら、キミらは自然の創造主の子供さ。人間が紗端に蝕まれた時、地球はラプトルの時と同じように人間の消滅を図ろうとした。振り上げた剣は、だが下ろされることはなかった。地球は今度は朱雀に任せたが、紗端を育てる栄養素を持つ人間に警戒を与えるために3人の人間に意思を送り込んだのさ。彼らは地上の各地を回り、残忍な負のエネルギーを感じると地球の怒りを特殊能力で代弁した。地震や噴火を起こす玄蘒武炫、竜巻や洪水を操る蒼鱗龍娯、そして嵐や雷をもたらす白牙虎鉧。キミらも神の使いとして崇められ、朱雀と共に四神獣が祭られるようになったのさ。)」
朱羽煌雀の答えに蒼鱗龍娯はちょっと面白くなかった。
「(じゃああたしたちは地球の気まぐれで作られた存在なのかい?あんたと違ってさ。)」
「(そうじゃない。意味もなく生まれる奴なんていないさ。キミらは将来の万が一に備えて何かを作り、年月をかけて熟成させているはずだ。それらは奇跡を起こす神宝として何処かに保管されている。キミらを神と祭る者たちによってね。)」
「(だが残念ながら俺たちにはその記憶はない。神宝があったとして、それが何で、何処にあるかは永遠に謎だ。)」
玄蘒武炫がお手上げの素振りをした。
「(いや、それが分かるのさ。)」
朱羽煌雀はニヤリと笑うと、3人を手招きして耳打ちした。
アザの秘密
「よし、出来た。スキャンした画像を重ねるよ。」
長谷川が液晶モニターを2台繋げたコンピューターを前にして言った。片方の画面には球面の世界地図が、そしてもう片方の画面には4つのシルエットが表示されていた。シルエットは髭の形、牙の形、甲羅の形、そして羽の形をしている。朱羽煌雀たち4人の体に刻まれたアザを写し、高解像度でスキャンしたものだ。
「5000年前の地形だから現在と微妙に違うかもしれないけど、大きな地殻変動はなかったから必ず一致するはずだ。透さん、頼むよ。」
朱羽煌雀の言葉を受け、長谷川は頷いた。4つのアザのシルエットを球面世界地図の画面にコピーする。世界地図には等高線が印され地形のうねりを正確に表現していた。ルシフェルがデンマークの国際地理研究所から戴いてきた、衛星写真をもとに作り上げた精密な地球儀だ。アザのシルエットを1つ中央に配置し、真上から見た地球地図に投影する。シルエットを回転し、地図の縮尺を変えながら、コンピューターの画像処理にかけていった。ハードディスクがせわしなく回転する音が響く。人の手でやろうとしたら一生かけても終わらないかもしれない。
「どのくらいかかるんだい?」
脇で見つめる蒼鱗龍娯が聞いた。
「分からない。運がよければ数10分、悪ければ数週間かな。」
長谷川はコンピューターが加熱してハングアップすることだけが心配だった。部屋には一応クーラーがあるが、汗が滲む気温だ。朱羽煌雀と合流したここエジプトの気候は、日本育ちの彼にはなかなか馴染めない。金さえ出せば世界中のたいていの場所で最新鋭のパソコンを手に入れることは出来るが、目立たずに仕事を進めるためには快適な一流ホテルに陣取るわけにも行かなかった。
燃料を満載して空戦訓練に飛び立ち、そのまま外人部隊を離脱した4人はフランス空軍のお尋ね者だ。見つかれば軍法会議にかけられ、銃殺だろう。もっとも朱羽煌雀に正面切って銃弾を打ち込んでも無駄だろうが・・。4人はナイル近くに2機の2座訓練機を胴体着陸させると、1昼夜砂漠を彷徨い歩いた。容赦なく体の水分を絞り出す灼熱の太陽と、身を切り裂くような夜の凍て付きは、鍛え上げた彼らをもってしても、体力の限界との戦いだった。焦点の虚ろになりかけた視界に街の灯が見えた時、朱羽煌雀は拳を握り締めた。
「機体は完成したのかい?」
朱羽煌雀が聞く。
「うん、何とか形はね。ただ材質が問題だ。モデリングシステムの最高グレードの樹脂を使ってはいるけど、音速で飛ばせば大気との摩擦熱にやられると思う。」
長谷川はすっかり朱羽煌雀に慣れた。特殊な能力を持ち、髪や目の色は違うとはいえ、見た目は親愛なるアキヒコなのだ。
「中身も?」
「うん。設計図の解読に苦労したけど、機構はバッチリさ。だけどすごい代物だね。圭子さんが熱中してるよ。早く試運転して見たいってさ。」
“圭子”の名を口にする時、長谷川は顔がちょっと熱くなるのを感じた。
「ピピッ!」
コンピューターが短い警告音を鳴らした。画面上のシルエットが点滅し、地図上のある場所で止まっている。
「やった!まず1つヒットだ。思ったよりも順調だぞ。このままいけば今日中に終わるかもしれない。」
長谷川は画面をハードコピーするとともに、データーを記憶させようとした。朱羽煌雀がそれを遮る。
「何もしなくていい。頭に記憶したから。」
プリントされた地図をビリビリに破ると灰皿の中で火を付けた。
荒らされたピラミッド
深夜のピラミッドは正に不気味だ。古代エジプト王朝の得体の知れぬ呪いが降りかかってくる気がする。特に墓荒しを受けた古いこのピラミッドは格別だ。装飾物を全て奪われ、神聖なミイラまで奪われた静かな怒りに満ちている。
朱羽煌雀は玄蘒武炫とともにすっかり空になった棺の部屋にたたずんでいた。甲羅のアザのシルエットが指した神宝の在りかはこのピラミッド。だが、訪れた2人に焦りと絶望感が湧き上がる。何人、何十人がここを荒らしたか分からない。壁や天井も壊され、隠し部屋も全て暴かれている。神宝があったとしても既に誰かの手に渡っている可能性が高かった。懐中電灯の電池が消耗し、灯りがチラツキ始める。
ふと朱羽煌雀は暗闇に気配を感じた。懐中電灯を向けようとして声に制される。
「(動くな!お前たち何者か?)」
暗闇でも動ける目をもつようだ。少なくとも7,8人の気を感じた。
「(ただの観光客と言ったらどうする?)」
朱羽煌雀が落ち着き払って答える。
「(お前たち銃向けられてる。脅しではない。怪しい者撃つ。ここは観光場所ではない。もう荒らされて何もなくなった。お前たちの来る場所ではない。すぐに立ち去れ!)」
朱羽煌雀は懐中電灯を消した。カチ、カチッと撃鉄を起こす音が響く。
「(待て、銃を下ろせ。)」
リーダーと目される男が一団に命令した。彼の咽笛には朱羽煌雀のナイフが当てられていた。
「(玄蘒、胸のアザを見せてやれよ。)」
玄蘒武炫がカーキシャツのボタンを外し、逞しい胸をはだける。朱羽煌雀が懐中電灯の光をそこに向けた。その鳩尾に浮かんだ甲羅形のアザを目にしたとたん一団は銃を投げ出し、床に跪いた。頭を平伏し、身動き一つしない。
「(どうした?何か恐いものでも見たかい?)」
リーダーの震える体を抑えながら朱羽煌雀がからかった。
「(ゲンブ様、我が神、玄武様のお使いだ!奇跡の時が来た!)」
リーダーが鳥肌を立てながら叫んだ。
「(どうぞここに横になって下さい。)」
イムファンと名乗ったリーダーが、玄蘒武炫を棺の部屋の中央に誘導した。そこには持ち去られた棺の高さに合わせた寝台が用意されている。7人の馬賊の部下たちはピラミッドの外で見張りに立ち、神聖なる儀式をガードしている。
玄蘒武炫は上半身裸になり、硬い寝台に横たわった。
「(もう少し上へ、輪郭に合わせて下さい。)」
暗がりで寝台を手探りすると浅く体の輪郭に溝が削られているのが分かった。玄蘒武炫はそれに合わせて体をずらした。イムファンは寝台の革ベルトで玄蘒武炫の手足を固定する。
「(では始めます。我が種族は神玄武の子孫が現われるまでこのピラミッドを守るよう代々語り継がれてきました。玄武様の子孫は胸に甲羅のアザを持つ。過去に偶然アザを持つ者が見つかり、一度この儀式を行ったことがあります。その者は胸を焼かれ、命を落としました。もしあなたが玄武様の子孫でなければ二度と日の光を見ることはなくなるでしょう。それでもよろしいですか?)」
イムファンが緊張した声色で確認した。
「(俺たちはもう後戻りなど出来ない。さっさとやってくれ。)」
玄蘒武炫が苛立つように答えた。まな板の上の鯉の気分だ。
「(では深呼吸して気持ちを整えて下さい。お連れの方はこちらへ。)」
朱羽煌雀を部屋の片隅に避難させると、イムファンは壁の一部を押した。石が外れ、開いた穴に腕を深く差し込む。
「(いきます!)」
イムファンが壁の中のレバーを手探りで引いた。天井から光が現われ、玄蘒武炫の胸を照らす。光は徐々に強さを増し、胸のアザを焦がしだした。玄蘒武炫の顔が苦痛で歪む。
「(レーザー光線。月光を何かのプリズムで増幅しているな。)」
朱羽煌雀の呟きにイムファンが首を縦に振った。
「(このピラミッドは散々荒らされましたが、我らは見逃して来ました。頂にあるルビーのプリズムを守ることだけが使命でしたから。)」
玄蘒武炫のアザがレーザーに焼かれ煙を出す。激痛を精神力で耐えるその額には、玉の汗がほとばしる。やがて煙が消え、アザが輝きだした。
「(本物だ・・やはり奇跡の時が来たのだ。)」
アザは輝きを増したレーザーをはね返し、壁に甲羅の図形を照らし出す。壁が熔け、人一人入れる程度の小さな部屋が現われた。
「(よくこの部屋が見つからなかったな。)」
玄蘒武炫が覗き込みながら言った。
「(この壁以外は壊すことなど出来ないよ。周りは相当厚い石で囲まれている。それに例え壊す者があったとしても、一瞬にして命を奪われただろうな。)」
部屋を調べた朱羽煌雀が答えた。床にはボロボロになった骨が落ちている。壁には小さな噴霧口。甲羅形のレーザー照射で安全装置が作動したようだが、骨の状態を見れば相当な毒ガスであることは察しが付いた。恐らくピラミッドを作った時に効き目を確かめる生贄となったのだろう。
骨を取り除くと、床に手形が彫られていた。朱羽煌雀はそこに手を合わせた。
ガシャン!激しい音と共に小部屋には尖った槍が所狭しと飛び出し、中が見えないほどになった。
「(朱羽!!)」
玄蘒武炫が叫んだ。
「(玄蘒、キミでないとダメなようだ。)」
背後から朱羽煌雀が声をかけた。一瞬のうちに危険を予知し、時を止めて逃れたのだ。小部屋の槍は自然に元に戻った。玄蘒武炫は朱羽煌雀に替わって小部屋に入ると、しばらく躊躇しながらも手形に右手を置いた。今度は槍は飛び出さない。ゴゴッという鈍い音がしたと思うと小部屋の床がずれ、玄蘒武炫は地下深く吸い込まれていった。
地底100mにそれはあった。地熱で温度はサウナのように熱く、天然の高圧釜のような場所だった。ピラミッドから長いロープを下ろして玄蘒武炫を追った朱羽煌雀はそこで第1の神宝を手にした。黄金の容器に溜まった透明な液体。長い年月をかけて上から滴り落ちたものだ。
「(これが何であるか、俺はここに落ちてようやく思い出したよ。)」
玄蘒武炫の言葉に朱羽煌雀は微笑んだ。
ツンドラの老木
極寒のシベリア、ツンドラの大地を歩む2人の男たち。白牙虎鉧の腋の下に刻まれたアザはこの白い大地の一点を指し示した。地図と磁石を頼りに自分たちの足で大地を歩み始めて3日、最低限の食料を背負った軽装備とは言え、足が鉛のように重い。朱羽煌雀たちは眠りを必要としない体になっていた。封印された脳を解放したことにより、広いエリアを使用できた。機能を休めることなく、常時必要な代謝を行えるのだ。夜の闇を付け狙う狼たちに対する警戒も万全と言えた。ただ体に溜まる乳酸はごまかしようがなかった。機能を極限に高めることが出来るとはいえ、もとは生身の有機体。エネルギーを消費すれば老廃物が出ることに変わりはない。時折襲う雪嵐は頼りの磁石を使い物にならなくする。朱羽煌雀たちは無理することなく、その時を利用して針葉樹林の幹に体を横たえ、休養をとった。
3日目の夕刻、その地点に待ち受けたのは巨大な老木だった。幹の直径は、ゆうに10mはあろうか。ただし地上15m辺りで無惨に切られている。自然のままならどれほどの高さになっているか想像もつかない。老木の生命力は、切株と変わらぬ残された巨大な幹から若い枝を何本も天に向けて伸ばしていた。ここにどんな神宝があるのか、白牙虎鉧の記憶が鮮明に戻らぬ限りはエジプトの時と同じくこの地を守るはずの一族の出現に頼るしかない。朱羽煌雀たちは荷物を下ろすと、じっと時を待った。
辺りは闇に包まれ、何処かで狼の遠吠えが聞こえてきた。朱羽煌雀は目を閉じて気配を探る。何頭かの狼が2人を狙っていた。
『何時でも襲って来い、可愛がってやるぞ。』
にじり寄る狼たちは飛び掛るタイミングを計っていた。まさにその時、群れは突然踵を返したように森の奥へ立ち去っていった。
『何だこの殺気は。狼のものではない、ましてや人間の出せるものではない。』
得体の知れない気配に朱羽煌雀は立ち上がった。白牙虎鉧も感じたらしい。
「(恐ろしい殺気だな。ちょっとでも油断すると命がなさそうだ。)」
白牙虎鉧が緊張した声で呟いた。額から滴り落ちるひと筋の汗が寒さで凍りつく。気配は瞬時に2箇所に分かれた。挟み撃ちする気だ。ゆっくりと足音を殺して近付いて来る。不気味な息遣いが聞こえる。あと5mぐらいか。2つの気配はそこでピタリと歩みを止めた。
天を覆う雲が切れ、微かな月明かりが差し込んだ。闇に慣れた2人の目にはそれで十分だった。両側に待ち受けた殺気の持ち主は体長3mはある2頭の白い虎だった。
「(サーベルタイガー・・正式にはスミロドンか。)」
上顎から突き出た2本の長い牙。数万年前に絶滅したとされる幻の動物だ。
「(どうする?キミのブラックホールに吸い込むかい?)」
素手では敵いそうにない強敵に白牙虎鉧はややたじろいでいる。彼の特殊能力もこの距離では通用しないだろう。雷雲を発生させる間に咽笛を噛み切られそうだ。
「(ちょっと待てよ、白虎の聖地に幻の白いサーベルタイガー。偶然にしては出来すぎだぞ。)」
朱羽煌雀は戦いを挑む前に友好を試みた。
《俺の意思が伝わったら答えて欲しい。キミたちはこの木を守るためにここに居るんじゃないか?そうだったら1回唸ってくれ。》
サーベルタイガーの目をじっと見つめながらテレパシーを送り込む。
「グルル・・」
朱羽煌雀の側にいるサーベルタイガーが低く1回唸った。
「ゴロゴロゴロ」
虎が咽を鳴らす音が聞こえた。サーベルタイガーが奏でたものではない。朱羽煌雀は音の方向を向く。それは白牙虎鉧が発した音だった。
「ゴログルルル」
サーベルタイガーがあたかもそれに答えるように咽を鳴らす。
「(白牙、ひょっとして会話したのかい?)」
朱羽煌雀が訊ねる。
「(ああ、こいつらが唸ったとたん、それが理解できたんだ。こいつは“そうだが、お前たちは誰だ”と言ったんだ。頭の中で“僕はお前のご主人様さ”と考えたら自然に咽が鳴ってた。)」
「(サーベルタイガーは何と答えた?)」
「(証拠はあるかとさ。)」
朱羽煌雀はニヤリと笑うと白牙虎鉧に上半身裸になるよう頼んだ。咽を鳴らして会話出来ること自体十分証拠のような気もするが。
「(本気かよ、肺炎になったら看病頼むぞ。)」
白牙虎鉧は意を決すると毛皮の上着を脱ぎ、シャツを脱いだ。カミソリのような冷気が肌を切り裂く。白牙虎鉧は気合を入れて左脇のアザをサーベルタイガーに向けた。
「ガッ・・キュウゥゥン」
サーベルタイガーがまるで猫のような声を出す。白牙虎鉧は急いで毛皮を羽織る。体の感覚が戻るとガチガチ震えが来た。
「(何だって?)」
朱羽煌雀が通訳を頼む。
「(察しは付くだろ?“おお我が神よ、時は来たれり”だとさ。)」
白牙虎鉧はヒラリとサーベルタイガーの背中に乗った。
「(乗れってさ。)」
朱羽煌雀ももう1頭の背中に跨る。サーベルタイガーは前足で2度凍土を掻くと、老木に向けて突進しだした。朱羽煌雀は振り落とされないようにタイガーの首にしがみつく。2頭のサーベルタイガーは老木の手前でジャンプすると、幹の瘤を巧みに利用してあっというまに切株の頂上に登った。5、6階建てのビルの高さはある。それをいとも簡単に跳ね登る恐るべき跳躍力だ。
「ゴルルル・・」
2人を屋上のような切株の真中に降ろすと、白牙虎鉧を乗せてきたサーベルタイガーが唸った。
「(また脱ぐのかよ。分かった分かった。)」
白牙虎鉧は上着を脱ぐと切株の年輪の中央に座禅を組んだ。サーベルタイガーの目配せに従って。両手を天に向けてかざす。切株の真上にあっという間に黒雲が立ち込め、雷を宿した光を放った。2頭のサーベルタイガーは2人を頭ではね飛ばし、自分たちも切株から飛んだ。朱羽煌雀は空中で切株が雷に切り裂かれるのを見た。同時に大地を揺るがす雷鳴が轟く。空中で1回転し、着地した時には老木は真っ二つに割れて煙をくすぶっていた。地上にいたら自分たちも黒焦げだったろう。朱羽煌雀は自分の脇に降り立ったサーベルタイガーの首に手を伸ばすと、頬を摺り寄せて感謝の意を表した。
割れた老木の根本には琥珀色の玉が幾つも転がっていた。2人はそれらを拾い集めるとリュックに仕舞う。
「(僕は前世を少し思い出した。動物と会話する、それが僕のもう一つの特殊能力だ。こいつらは僕と暮らし、守ってくれた白虎たちの子孫だ。連れて帰りたくなったよ。)」
白牙虎鉧が白いサーベルタイガーの頭を撫でながら呟いた。
「(だけどそれは出来ないな。こいつら何代にも渡って僕のために身を隠しながらこの木を守り続けてきたんだ。もう何万年も前に絶滅したと思われてるこいつらを世間の目に曝せばどうなるか・・このままここでお別れするのがこいつらにとって一番なんだ。)」
白牙虎鉧の目に涙が光る。サーベルタイガーがそれに応えるように低く咽を鳴らした。
蘇る支配者
「(ようし、そのまま氷ごとクレーンで吊り上げろ。1台じゃ無理だ3台で慎重にやれよ。史上最大の発見なんだからな。)」
ホワイトハウス直々の指示でアラスカの大地を密かに掘り進めた特殊作業員たちは、自分たちの目の前に出現した代物を、夢でも見ているかのような上気した目で眺めている。あまり近付く気にはならない。氷の中に冷凍保存された状態とはいえ、その何物をも切り裂く鉤爪の放つ鈍い光は背筋に冷たいものを走らせた。
ヴェロキラプトル。古代生物学者たちの中には最強の恐竜としてその名を上げる者も多い。肉食竜の王様ティラノサウルスには体格ではとても及ばない。だがヴェロキラプトルは牙や爪以上の武器として、その頭蓋骨からおそらく人間に匹敵する知能があっただろうと言われている。これまで結構な数の骨は発掘されているが、今目の前にあるのは完全なる個体なのだ。生きたまま氷付けになったのだろう。前身の骨格どころではない。筋肉も、皮膚も、何一つ欠けることなく揃っている。その全身は、一部の学者たちが予想はしていたが、羽毛に覆われていた。
発端は大統領補佐官が数年前、何処からか仕入れた機密情報だった。アラスカのある地域、氷の遥か下にとてつもない物が眠っているという。CIAは最新の地質調査機器を用いて機密情報の信憑性を確認した。2方向から超音波を地底に放ち、その干渉波を観測する。地質の硬さで共振は異なり、コンピューターで周波数解析を行うことで地下の様子がレントゲンのように映像化されるのだ。その機器を駆使して3ヶ月、調査員たちは奇妙な影を発見した。中型の恐竜の群れ。9頭のほぼ完全なる骨格の中央にぼやけた物体が映っていた。密かに集められた専門家たちをメンバーに加えた国家緊急プロジェクトが結成され、やや離れた地点から油田調査を繕ったボーリングが行われた。地下鉄工事並みのトンネルが掘られ、2年の歳月をかけてついに目的の物体に到達したのだ。
発掘作業は大統領には報告されないまま進められた。彼の暗殺でアメリカが揺れ動く中でも、ここだけは別世界のように時間が止まっていた。今となっては報告の機会さえ失われてしまったというのに、それを悔やむ気持ちよりも黒い鉤爪の放つ冷たい魅力に吸い寄せられる昂揚感の方が強いことを誰もが否めなかった。
ラプトルの凍結体は鋼鉄の数十倍の剛性を持つ特殊合金の檻に入れられ、さらに冷凍コンテナに納められた。遠くアリゾナの地下に作られた、地図には載らない空軍基地に運び込まれ、マイナス50℃の大型低温実験室で開封された。周りを囲んだ9頭の骨のジグソーパズルを楽しんだ生物学者を中心とした研究員たちは、その完成を放り出してまるで初めて学校に通う子供たちのように緊張と期待に胸を膨らませてガラス越しに実験室を凝視していた。
檻ごとレントゲンやCTにかけられ、未知の生命組織のベールが少しずつ剥がされていく。最初は万が一を考えて石橋を叩くような扱いをしていた研究員たちも、次第にその恐ろしい姿に慣れ、標本のような感覚に変わっていった。実際生きている兆候は全くなかった。数千万年氷付けにされていたのだから。
ワーグナー大統領補佐官が訪れた時、実験室には活発な空気が流れていた。流れ作業のように様々なデーターが取られ、ヴェロキラプトルの生きていた時の能力が推定されていく。
「(どうだね、進行具合は?)」
ワーグナーはチーフに声をかけた。
「(これは補佐官、ようこそおいで下さいました。まあ御覧下さい、間近で見ると凄みがありませんか?こいつの身体能力は驚くべきものだと思われます。氷を通しての調査なので正確ではありませんが、体重に占める筋肉の比率からして人間の3倍の運動能力があったでしょう。筋肉を構成するタンパク質も未知のものだと思われます。ひょっとしたら10倍ぐらいの瞬発力を持っている可能性もあります。)」
チーフ研究員は興奮気味に答えた。
「(それに脳の大きさが異常です。体重比で人間よりも多いなんて・・この何割が活動していたかは分かりませんが、かなり高い知能を有していたことは間違いないでしょう。)」
「(もっと詳しく知りたいだろう?)」
ワーグナーはニヤリと笑いながら聞いた。
「(ええ、そりゃまあ・・)」
「(だったら氷を溶かしたらどうだ。どうせ死んでるんだ。直接触れれば何だってはっきりするぞ。)」
ワーグナーの思わぬ言葉にチーフ研究員は驚いた。
「(よろしいんですか、もし何かあったら・・)」
「(総責任者の私が許可しているんだ。何を躊躇することがある。)」
ワーグナーの強い口調にチーフ研究員は口を噤んだ。
低温実験室の冷凍温調機が切られ、数台のジェットヒーターが持ち込まれた。真っ赤に燃えた送風口から吐き出された熱風が、氷を水に変えてゆく。2時間で厚い氷は完全に溶かされ、排水溝に消えていった。湿った羽毛も乾き、温風に揺れている。研究員たちは重い防寒着を脱ぎ捨て、身軽な滅菌スーツに着替えて檻の周りを取り囲む。一人が恐る恐るラプトルの羽毛に手を触れた。固唾を飲んで見守る一同は、微動だしないラプトルに安心し、各自の持ち場に散った。
低温実験室の出入り口の脇に、壁に寄りかかるように立っていたワーグナーが、いつの間にか外に出たことに気付いた者は少なかった。夢中で測定機械の設定を行う研究員たちの頭上、エアコン送風口から黒い霧のようなガスが吹き込んでいた。筋肉組織を調べようと電極をラプトルの太い足に付けようとした若い研究員の手が止まった。
「(どうした、恐いか?)」
操作盤をいじるもう一人がからかう。
「(何か動いたような気がして・・)」
「(ハハ、恐いと思う気持ちがそう見せるのさ。どれ貸してみろよ。)」
相棒は若い研究員から電極を受け取り、ラプトルの足に手を伸ばした。ラプトルの鉤爪がピクリと揺れる。相棒の研究員は手を止めてラプトルの頭にゆっくりと視線を移した。そこにはギロリと睨みを利かす鋭く丸い目があった。
「(うわあぁぁ・・)」
パニックを起こした叫び声が木霊す。檻を囲んだ10人近い研究員たちは驚いて檻から飛び退き、出入り口に殺到した。そこは外側からロックされていた。非常事態に備え、中からは絶対に開かないようになっている。研究員たちが檻を振り向くと、いとも簡単に特殊合金の棒を捻じ曲げるヴェロキラプトルの姿があった。ラプトルは8mの距離を軽くジャンプし、あっという間に1人の頭を食い千切る。首から鮮血が飛び散り、白い実験室が血の池地獄に変わっていった。
ラプトルはゆっくりと狩を楽しんだ。恐怖に逃げ惑う研究員たちの行く手を塞ぎ、腹を引き裂き、死への恐れと絶望と悲しみの感情をまるでワインの香りを楽しむように吸い込んだ。全員が息絶えた時、実験室のロックは解かれ、ラプトルは自由の身となった。廊下にたたずむ2人の男たち。ワーグナーと狐目の米倉だ。
《よくやったぞ、下僕たちよ。我は再び完全な体を手に入れた。》
ラプトルから身震いするような恐怖感を伴ったテレパシーが送られる。
《下僕?何を言う。お前と俺はもとは同体、再びこの地上を楽園とするためにその体を掘り起こしたのだ。働いてもらうぞ。》
米倉がムッとした表情でテレパシーを返す。
《自惚れるな。その人間の体がいかに役立たずか忘れたわけではあるまい。朱雀に、そして朱羽煌雀に全く歯が立たずに時空に投げ込まれたではないか。お前もここに来い。こいつは完全体だ。》
ヴェロキラプトルは素早く跳躍すると、米倉の頭を鉤爪で突き刺した。黒い霧がそこから抜けると、ラプトルの口に吸い込まれる。ワーグナーが操り糸の切れた人形のようにバタリと倒れた。
「ギャウオォォォン・・」
身の毛もよだつ咆哮が地下施設に響き渡った。