支え

 

《私たちどうなるのかしら。》

リエの意識が語りかける。

《分からないけど、今はまだ無事なことは確かね。》

かすみがそれに答えた。2人が合体した白布衣日夜子の体は仮死状態にあった。ここは絶対零度、-273℃の世界だ。色のない濃い灰色の薄暗い中、所々に黒い竜巻のような支柱が見える。上も下もない空間を、縦横無尽に突き抜けている。遠くに一筋の光の支柱があり、それが微かな明るさをこの世界にもたらしていた。電磁シールドに常に何かが当り、ピチピチと小さな火花を放っている。音はない。この空間には音を伝える伝達物質など存在しないのだろう。電磁シールドはやがてなくなる・・2人はそのことを直感で理解していた。周りはおそらく反物質の世界。シールドが消えた瞬間、2人の意識も消滅する。

かすみとリエは人の意識が微量ながら質量を持つ物質であることを体感した。朱雀が原始細胞に与えた電磁パルスは、より安定な状態へと形を変え、進化したのだ。それは自由電子に似た小さな電荷微粒子。自在に脳の神経シナプスを遊泳する。脳の中では最小単位のブロックで存在し、今は集合体として体を離れた空間に彷徨う。

《恐いわね、この先起きることが耐えようもなく恐いわ。》

リエの意識が怯え、萎縮する。

《そうね、でも少なくとも孤独ではないわ。私たちは一つだけど、今は2人。支えあうことが出来るわ。私に出来ることはこれね。ルールルル、ルル、ルルルル・・・》

かすみはリエにメロディを送り始めた。『ウイング』、アキヒコへの思いを込めたアップテンポなラブソング。暗い空間に目には見えない暖かな光が灯る・・。

 

 

最後の合致

 

「あと一つがどうしても合致しないな。」

長谷川がアザのシルエットとコンピューター上の精密な地球地図を睨みながら呟いた。画面には“Not Found”の文字が黄色いコーションマークとともに表示されている。縮尺を変え、向きを変え、5日に渡り取り組んだがコンピューターの返答は冷たい。朱羽煌雀の背にある羽のアザは既にヒットしていた。言うまでもなく日本の富士の裾野、朱雀の祠を見事に指していた。だが朱羽煌雀は朱雀の祠へは、いや日本へはなかなか足を向けようとしなかった。

今CIAの目は東京に向いている。そう、朱羽煌雀の目撃報告が東京で頻繁にあるのだ。それが何を意味するものか、朱羽煌雀本人には理解できた。宗陰だ。宗陰がおそらくは陰陽の式神を使って朱羽煌雀の幻影を見せているのだ。その間にやるべきことをやってしまわねば折角の宗陰の努力が無になる。

「海だ・・」

朱羽煌雀が言った。

「これだけ探して見つからなければもう見えている場所ではないよ。水に隠れた海の中に一致する場所があるんじゃないかな。」

「そうか!」

長谷川が膝を叩いた。が、その手が虚しく宙に止まる。

「でもどうやって海の地形を調べよう・・水を蒸発させるわけにはいかないし。」

「ねえ、よく見て、海の明暗が微妙に違うわ。これって深さに関係あるんじゃない?丹念に画像処理すれば海底の地形が分かるんじゃないかしら・・」

圭子が画面に目を凝らして言った。

「ああ、本当だ。こいつは気が付かなかった。よし、急がば回れ、やってみるよ。ありがとう、圭子さん。」

長谷川は背筋を伸ばして気合を入れると、再びコンピューターとの格闘を始めた。

 

「これじゃ分からないわけだ・・」

目の周りにくまを作り、疲れ切った表情の長谷川が呟いた。水面の微妙な濃淡を調べながらコンピュータの画像処理に取り組んで10時間、無精髭を生やした口元から大きな溜息が漏れる。

「アキヒコ君・・じゃないか、朱羽煌雀様、見つけたよ。最後の場所を。」

朱羽煌雀たちがコンピューターを囲んだ。

「海でもなかったよ。いや海に近いかな。とにかく水の底だ。」

画面には中国中央部の地形が広がっている。広大な川、黄河。そのはるか上流に位置する青海(チンハイ)湖。竜の髭は黄河に沿ってうねり、青海湖の中央を指していた。

「(でも場所が分かったはいいけど、どうやってこの湖の底に行く気だい?この冬の最中、潜れっていうんじゃ・・)」

蒼鱗龍娯がチラリと朱羽煌雀を見る。朱羽煌雀はにこやかに頷いた。

「(聞くんじゃなかった!分かったわよ。さっさと済ませましょ。)」

 

 

初飛行

 

ペガサスアウトモビリの車体製造工場には美しい曲線を描いた4つの機影があった。朱羽煌雀の記憶から呼び起こした推進器の設計図を基に、長谷川がデザインした光速飛行機だ。かつて学んだ航空力学もせいぜい音速の2~3倍程度の理論。それ以上の領域では空気の壁はジュラルミンさえも真っ赤に染め、歪んだ機体は悲鳴を上げて分解するだろう。だが長谷川の前に現われた推進器は不可能を可能に換えようとしていた。フラップやラダーといった可動部を作っては強度的に持たない。機体は一切の繋ぎ目を持たない一体成形。方向を変えるのは推進器の出力を一部利用すれば良い。

「綺麗だ。いかにも光速で飛びそうな姿だ。」

朱羽煌雀がうっとりとした目で言った。

「うん。だけどこのままでは動かないよ。前にも言った通り推進器の球体は摩擦熱で瞬時に溶けるだろう。」

長谷川が機体を撫でながら答える。

「どうにかなるの?これが動くところを見てみたいわ。」

圭子の声だ。いつの間にかフミカとブルー・ドルフィンを従えて工場に現われていた。

 

「(玄蘒、白牙、キミたちの神宝をここに出してくれ。)」

朱羽煌雀の指示に2人は黄金の器と琥珀の珠をテーブルの上に置いた。

「まずは玄蘒武炫の神宝だけど、液体ダイヤとでも称すべきもので、非常に高純度の炭素単原子だ。こいつに接触した通常の炭素原子は急激に結晶化し、ダイヤモンド構造となる。地球上で最も硬く安定な結晶構造にね。迂闊に手を触れるなよ、人間ダイヤの出来上がりになってしまうから。」

朱羽煌雀は輪ゴムを1本取り出すと、ピンセットで摘んで金の器に浸した。すぐに引き上げるとキラキラ輝く赤茶色のリングが出来上がっていた。指で摘んで鉄の支柱に向けて投げると、リングは突き刺さって止まった。

「さて次に白牙虎鉧の神宝だ。琥珀グリースとでも言えそうなこれは、究極の潤滑剤。これだけ科学が進歩した現在でも動物の関節の摩擦係数は桁違いに低い。均一な分子を均一に並べる技術は、生物の仕組みには敵わないということさ。関節の場合は水の介在を必要とするけど、こいつは末端特性を自分で変える機能を持つから水や油を必要としないのさ。」

朱羽煌雀はオフィスから拝借した消しゴムを床に置くと圭子に滑らせて見るように促した。消しゴムの抵抗は強く、動かすには結構な力がいる。次に琥珀の珠をライターであぶり、融けた部分で消しゴムの表面を撫でるとそっと床に置いた。フッと息を吹きかけると消しゴムは蹴飛ばされたように工場の床を滑り出す。壁で跳ね返ってきた消しゴムを抑えた長谷川は裏側を触ってみた。ヌルヌルとした得も知れぬ感触に一瞬指先が縮む。

 

4機の小型飛行体はそれぞれ赤、青、白、黒に塗装された後、アルミホイルで包まれ、液体ダイヤを噴霧された。心臓部とも言うべき推進器にも噴霧される。そして加熱して液化された琥珀グリースが吸入口を通じて推進器に注入された。

「5000年の時が必要だったと言う事さ。高温高圧での液体ダイヤの生成、樹液をもとにした気の遠くなるような琥珀グリースの熟成、そしてそれらを受け止める人間文明の進歩。有機体である琥珀グリースは液体ダイヤで結晶化された表面に触れるとどうなると思う?それ自身の基盤骨格が結晶化されて飛躍的に耐熱性が上がるのさ。どんな高温化でも焼き付かない究極の潤滑剤だ。」

朱羽煌雀が目を輝かせて説明する。もうすぐ光速で飛ぶことの出来る飛行体が完成するのだ。

「あなたはそれを最初から知っていたの?だから私たちに形だけ再現するように仕向けたの?」

圭子が聞いた。15年にも渡る彼女の科学者としての知識を持ってしても、すんなりとは理解し難い話だ。朱羽煌雀は首を横に振った。

「神宝の隠された場所へ行くまでは分からなかったよ。全ては地球の意思。俺はそこで感じた地球の声をキミたちに代弁しただけさ。」

「にわかには信じ難いけど、これだけの事実を目の前に見せられたら反論も出来ないよ。僕ら人間なんて実にちっぽけな存在なんだな。地球という大自然の前では赤子同然か。それを破壊しつつあるなんて恐ろしいことだね。」

長谷川の言葉に圭子もフミカも堤も頷いた。

 

クリアレッドに輝くSuzakuと名付けられた飛行体のコクピットに身を沈めると、朱羽煌雀は接続スイッチをオンにした。推進器に磁力を与えるのに最初だけ電気エネルギーを必要とする。一度起動した後はエネルギーは無限に得られるのだ。

推進器の中央に磁場が発生し、球体が浮遊する。静かに回転を始めるとキラキラと光子を振りまきだした。朱羽煌雀は推力レバーをゆっくりと上げる。シュイーンという回転音とともにSuzakuはフワリと宙に浮いた。

拍手が鳴り響く。長谷川と圭子は手を取り合って飛び跳ね、抱き合って、すぐに離れた。玄蘒武炫と白牙虎鉧は腕をガッチリとクロスする。Suzakuを着地させると朱羽煌雀はコクピットの風防を上げ、満足気に微笑んだ。

 

深夜2時、玄蘒武炫と白牙虎鉧はペガサス・スクァーラルに乗り込むとエンジンをかけ、暖機もそこそこにペガサスアウトモビリのガレージをけたたましく飛び出した。万が一CIAの見張りがいた場合に備えて目を引くためだ。1ブロック離れた建物の陰から2人の男が飛び出すのが見えた。玄蘒武炫はスクァーラルを止めると一体型のボディを上げる。男たちの視線が突き刺さるのが分かった。

シャッターが開いたままのガレージから2機の飛行物体が音もなく飛び立ったのに見張りの男たちは気が付かなかった。クリアレッドのSuzakuとクリアブルーのSouryu。男たちがスクァーラルに気を取られている間に忍び寄ったマルコと長谷川が背中をポンと叩いた。

「(こんな時間に何かありました?)」

男たちはギクリとして振り向く。

「(いや、自分たちは別に・・)」

スクァーラルはその一瞬に再び轟音とともに走り去る。

「(うちの新型車ですよ。近所迷惑とは思いながらも発売が迫ってまして、ちょっとテストドライブにね。興味がお有りならカタログでも差し上げましょうか?ようやく出来上がったところですよ。)」

長谷川の笑顔に男たちは手を上げて立ち去った。

 

朱羽煌雀はSuzakuの推力レバーを僅かに上げながら操縦桿を手前に引いた。機体は機首をグンと上げ急上昇していく。

Suzakuの操作はいたって単純だ。加減速も方向操舵も全て推進器の噴射量と方向を制御することで行われる。推進器のメイン噴射口は後に向けて大きく開かれており、さらに操縦桿に連動して上下左右のバイパスバルブがバネにより開く仕組みになっていた。発進時はメイン噴射口を閉じ、垂直下方向のバイパスのみを開くことによって真上にも上昇することができる。減速時にはやはりメイン噴射口が閉じ、前向きの噴射バイパスが一時的に開くことで強力なブレーキがかかる。

目の前のメーターは3つ。推進器の回転数を示す推力計と毎秒当りの速さを示す速度計、そして高度計だ。今デジタルの速度計は0.7km/秒、マッハ表示で2.4である。時速に直せば約2500km/hという速さだ。しかしSuzakuの秘めたる能力からすればまだまだアイドリング状態。光速は約30万km/秒、Suzakuはこれを越えるために作り出された飛行体なのだ。

高度3万フィート、約1万mで朱羽煌雀はマッハ20まで加速した。後にピタリとSouryuが続く。地球上に現存する航空機では到底到達できない速度域、宇宙を飛ぶロケットの速さだ。大気の摩擦はSuzakuの機体を真赤に燃やすが、実際に燃えているのは周りの酸素であり、液体ダイヤで組成を強化された機体は何の損傷もなかった。しかし朱羽煌雀は不安を覚えた。まだまだこんなものではない。宇宙空間でならともかく、地球上で光速に近付くためには想像を絶する空気の壁を破らなければならない。このままでは無理だ。微かに残る朱雀の記憶の断片が直感として教えた。

視界にヒマラヤ山脈が現われる。朱羽煌雀の目は闇の中でも物を認識することができた。いや見える気がするだけかもしれない。予知能力がそこに物があることを教えるのだ。朱羽煌雀は高度を落してヒマラヤの山肌ギリギリを飛びながら減速した。どこかのレーダーが自分たちを捕えたとしても隕石としか思わないだろう。そしてヒマラヤの何処かに吸い込まれて消滅したと判断されるはずだ。素晴らしい飛行技術、蒼鱗龍娯も必死に続く。もっともぶつかる心配はなかった。高速で回転する推進器の影響でSuzakuとSouryuは強力な磁気を帯び、地球の引力と反発するのだ。

暗闇の中、中国領空に入ると、10分で青海湖に到着した。湖の上を水面ギリギリで旋回した2機は、木立に囲まれた小さな空き地を見つけて静かに着地させた。初飛行の興奮が体を陶酔させている。しばしコクピットで目を閉じ、余韻に浸った。

 

 

湖底の村落

 

「(アクアラングも潜水服もなくてどうやって潜ろうっていうのさ。湖の底に着く前に息が続かなくなるか、凍え死ぬよ。)」

蒼鱗龍娯が悪態をつく。彼女はてっきり潜水道具を調達するものだと思っていた。だが朱羽煌雀には一向にその気配はなく、じっと湖を見据えるだけだ。

「(まだ自分が普通の人間のつもりかい?)」

朱羽煌雀は蒼鱗の方を向くと、服を脱いで裸になった。一瞬たじろぐ蒼鱗を尻目に、オーラを強めて体の周りに膜を作り出した。

「(気体を通して液体を封じる目の細かさにすればいい。水を自在に操るキミなら造作もないだろ?)」

朱羽煌雀の挑発気味の態度に蒼鱗龍娯は意を決して裸になると、同じようなオーラの膜を作った。

「(これでいいんだね?ご主人様!)」

褐色のビーナスに朱羽煌雀は満足気に頷いた。

「(行こう。)」

湖に1歩足を踏み入れる。オーラの膜は水の浸入を許さず、冷たさは感じなかった。腰を沈めると静かに湖に潜る。オーラの膜は水中の酸素を取り込み、二酸化炭素を外に出す。2人は空中を散歩するかの如く、湖の底を目指して泳いでいった。

 

底には小高い丘のような盛り上がりが見えた。丘の裾から背びれのような細い盛り上がりが湖畔に向けて伸びている。まるで何かを搬送する天然のチューブのようにも見えた。丘の周りをグルリと散策すると、岩陰に小さな鳥居を見つけた。その脇に人一人がようやく潜れそうな穴があった。朱羽煌雀は蒼鱗龍娯に先に入るように目配せする。蒼鱗龍娯はしょうがないというポーズをとると穴に身をよじらせた。

そこは天然のドームだった。朱雀の祠を見た時の驚きが蘇る。ドームの中は空気で満たされ、なんと小さな村落があった。人気はなく、朽ち果てた家々の外観は、もう遥か昔にこの村落が滅びた様相を示している。朱羽煌雀と蒼鱗龍娯は家々の中を覗き回った。やはり人の生活している雰囲気はない。しかし・・・こんな湖の底に村落があるということ自体、ここが特別な場所である証拠だ。

朱羽煌雀は背中に視線を感じた。蒼鱗龍娯も同様に感じたようだ。2人は合図して振り返った。

 

いつの間に集まったのか、そこには20人を超える人々が手に鍬や鋤を持って気配を殺していた。蒼鱗龍娯は思わず朱羽煌雀の陰に隠れた。何も身に付けていない体に焼き付く視線を感じ、顔が火照る。2人に向けてバサッと着物が放られた。身に付けろと言うことだろう。素早く羽織ると紐を結ぶ。素肌に麻の繊維がチクチク感じられた。

「(どうやってここに入った。)」

集団の先頭に立つ男が早口に喋った。中国語の独特のイントネーションに耳がキンキンする。

「(湖を散策していたら偶然に入口を見つけてね。)」

朱羽煌雀が例によって惚ける。

「(見え透いた嘘を言うな。お前たち何者だ。ここを知ったからにはもう生きて出られると思うな。俺たちはこの神聖なる竜宮を守るのが宿命。何にしろお前たちをここから帰すわけにはいかない。)」

男はそう言うと鍬を振りかざした。農耕具の形をした武器は鋭利に砥がれ、鈍い光を放っている。

「(そうか、竜宮城ってわけだ。だったら乙姫様にお目にかかりたいところだな。ひょっとして乙姫様はこんなことが出来るんじゃないかい?)」

朱羽煌雀は蒼鱗龍娯に合図した。蒼鱗は頷くと足元に点在する豊富な水を集めて小さな竜巻を起こした。竜巻は廃墟と化した小屋を1軒根こそぎ巻き込みながら人々の周りを周回した。人々は驚き、武器を構えながら竜巻から離れる方向に後ずさりする。

「(よし、あんたたち、二度とは見せないから目を大きく開けときなよ。)」

蒼鱗龍娯は竜巻を鎮めながら言った。片足を木の桶に乗せると着物の裾をはだける。人々はそこに現われた竜の髭の形をしたアザにどよめく。

「(姫様だ。伝説の乙姫、蒼鱗龍娯様だ。何をボヤボヤしている。皆の者、祝宴の用意だ。ついに我らが姫様が姿を御見せになられたのだ。)」

村落の中央にうずたかく積まれた藁をどけると、そこには煌びやかな城が現われた。城といってもそんなに大きなものではない。外観がこうでなければ普通の民家と見間違うだろう。だが、様々な彫刻が施され、金銀を主体とした極彩色で彩られた壁が特別の空気を醸し出していた。中は床も壁も天井も所狭しと華やかな絵で飾られ、そこに居る者を空想の世界へと誘っていた。何処から運んだのか豪華絢爛な食事が大きな円形のテーブルに並べられ、2脚の椅子が用意された。2人は暫しもてなしの宴で疲れを癒した。

 

「(我々がここに来たのは目的があってのこと。)」

小一時間寛いだ朱羽煌雀がタイミングを見計らって切り出した。口にした料理はとても美味い。だが妙に乾いた味に感じられた。

「(分かっております。この竜宮はかつて乙姫様が神宝をお作りになるためにご用意された空間、完全なる無菌で、ここでは一切の物が腐りません。お口に召した料理は私、周栄徳が幼少の頃より既にその場所にございました。そして我らは再び乙姫様が神宝を取りに来られる時まで、万が一にもここが荒らされる事のないよう守りを仰せつかった一族。5000年の時を経てようやく役目を終えることが出来るのです。我らが先祖様も草葉の陰でこの時を待ち望んだことでしょう。)」

朱羽煌雀は思わず料理を吐き出したくなった。周栄徳と名乗った男は笑いながらスクッと立ち上がると、2人をドームの奥へ案内した。蒼鱗龍娯に前世の記憶がフラッシュバックする。

滝の音が聞こえてきた。近付くにつれて何か異様な感じが強まる。それは俄かには信じ難い光景だった。滝の逆流、水が勢い良く下から上に吹き上がり、岩に当って激しく砕け散る。水飛沫は辺りに霧のように広がり、地面に小さな池を作っていた。細い川がそこから集落へと流れ出している。

「(この滝の裏側でございます。ただ、この滝を止める手立てがありません。近寄れば皮膚は切り裂かれ、全身血まみれとなります。一族はカマイタチの滝と恐れ、誰も近付きません。唯一乙姫様がこの滝を止めることが出来たとか・・・)」

周の言葉を蒼鱗龍娯が左手で遮った。オーラを集中させると滝の水を絡めて竜巻を作る。それを90度捻じ曲げると滝の裏側が現われた。

「(凄まじい水圧が気流を乱して真空を作るのよ。その竜巻に吸い込まれたら皮膚が切れるどころでは済まないわよ。)」

そう言いながら蒼鱗龍娯は慎重に滝の裏側に滑り込んだ。大きな岩盤の下方に見慣れた髭の形が浮き彫りになっている。太腿を曝け出すと、蒼鱗は内側に刻まれたアザをその岩の浮き彫りに合わせた。

ゴゴゴゴ・・・大きな音とともに岩盤が縦に割れ、中に水溜りが出現した。

「(これだわ、あたしの神宝は。朱羽、何だかは分かるでしょ。)」

「(ああ、鏡水だ。)」

周栄徳が合図すると、女が宴の城から壺と杯を抱えて来た。どちらも内側は鏡になっている。

「(その壺と杯はかつて乙姫様がご用意された物でございます。その神宝はそれらの物以外に入れることは出来ないと言い伝えられております。)」

朱羽煌雀は鏡の壺を水溜りの下に置くと杯で慎重に鏡水を汲み出す。一滴の雫が着物の裾に落ちると、たちまち水は消え、麻の着物は鏡の光沢を持った。

随分な時間がかかったが、水は残らず壺に納められた。杯を蓋代わりに被せる。その間竜巻を捻じ曲げ続けた蒼鱗龍娯の顔にやや疲労の色が浮かんでいた。

「(世話になったね。)」

2人は周栄徳に礼を言うと、案内された地上への階段を昇り始めた。外から眺めた時に背びれのように見えたあの細い盛り上がりだ。気の遠くなる段数を軽やかに登りつめるとそこには岩の蓋があった。下から押し上げるとそれは用意に開いた。出たのは井戸の底、丸い夜空が頭上に輝く。足元の井戸底はこちら側からは開かなかった。どうやらここは出口専用のようだ。朱羽煌雀と蒼鱗龍娯はつるべを利用して地上に上がると、闇の中を機体目指して進んだ。

 

 

禁断のボタン

 

アリゾナからテキサスにかけて、いくつかの町がゴーストタウンと化したことは公にはされなかった。数万人の人々が変死するという大事件は新聞にもニュースにも載らずに闇に葬られた。だが血の海から奇跡的に生還した若者の口により、とてつもない怪物の存在が伝えられ、インターネットの怪情報として飛び交った。若者は一時回復へと向かったが、何者かによって始末され、インターネットの怪情報も次第に信憑性を欠いていった。

ワシントンの地下に掘られたシェルターに、ヴェロキラプトルの姿があった。側に従う虚ろな目のワーグナー補佐官は、ラプトルの操り人形となっていた。そう、ラプトルこそ完全に蘇った紗端の姿だ。人間狩りに満足し、次の快楽に舌なめずりしている。

《その後朱羽煌雀に関する情報は入ったか?》

延髄を震撼させる嫌なテレパシーにワーグナーの指先が痙攣する。

「(いいえ、相変わらず東京に出没しているようですが、決定的な情報はありません。どうも雲のような奴で・・)」

ワーグナーは口篭もりながら答えた。

《これだから人間は困る。何も朱羽一人を捕らえて始末する必要はないのだ。東京にいるのなら東京ごと消滅させればよい。》

「(え?!)」

ワーグナーは我が耳を疑った。

《分からぬのか?お前たちが誇る最終兵器を試すよいチャンスではないか。そこにある赤いボタンを押せばよいのだろう?》

紗端が顎で指し示す先には2つの鍵でガードされた核ミサイルの発射ボタンがある。ワーグナーは掌に緊張の汗を感じた。米倉が目の前に蘇る。

『奴を追い詰めて、奴を囲う日本をテロ国家に仕立てよ。』

米倉の言葉が頭の中に木霊する。その米倉を切り裂き、魂を取り込んだ古代生物はもっとせっかちなようだ。そう、人間社会のルールなどこの悪魔には全く関係ない話なのだから。

《どうした?我の言葉は聞けぬとでも言うか?》

ヴェロキラプトルは鋭い鉤爪を妖しく光らせた。ワーグナーの脳裏に米倉の血飛沫が浮かぶ。

「(いえ、そういうわけでは・・ただこのボタンは1人では押せないのです。本来大統領ともう一人、国防長官の持つ鍵が必要でして。)」

こめかみに伝う汗を拭うことも出来ず、ワーグナーは硬直して答えた。

「ブフン!フシュルル・・」

ヴェロキラプトルが激しい鼻息を洩らす。

《お前の欲しいものはこれか?》

ワーグナーの背後のドアが開くと双子の姉妹が現われた。その手には金色に光る大き目の鍵が握られている。サーシャとマーシャのルビンスキー姉妹だ。

「(まさか国防長官まで・・・)」

サーシャは二コリと笑うと硬直したワーグナーの首にぶら下がるもう一つの鍵をむしりとった。

《フハハハハ、いよいよ世紀のショーの始まりだ。我が世に向けて秒読みに入ったな。》

紗端の笑いを背に、サーシャとマーシャはゆっくりとミサイル制御盤に向けて階段を歩んだ。

 

 

損傷

 

「うわあ、まさかこれほどとは!」

SuzakuとSouryuの推進器を分解した長谷川が声を上げた。圭子も覗き込んで眉をしかめる。

推進器の本体となる電磁球体とそれを囲む壁は無数のピンホールが開き、ひび割れしているところもあった。一見クリーンエンジンで、燃焼させる燃料も廃棄物も出さない理想の高速推進器は、その実小型の核反応炉なのだ。核といってもウラニウムや水素を使った核分裂、核融合とは全く異なる。吸入口から取入れた何らかの元素は、曲率を持った細いパイプの中を球体の作り出す電磁場によって加速されていく。元素は最外殻電子から順に引き離され、電子は軽い質量でさらに速度を上げてエネルギーを蓄えながら中心部へと向かう。2本のパイプの出口は89度のアングルで向い合い、電子と原子核を激しく衝突させて陽子のプラス電荷を遊離させる。そう、反物質の陽電子を人工的に出現させるのである。陽電子は瞬時に回りの電子に触れて膨大なエネルギーと光子を発散して消滅する。反物質融合推進器・・強いて名前を付ければそうなるだろうか。

反物質融合の副生成物として放出される中性子は高速のまま球体の回転に乗って放出される。だが球体の回転を上げて出力を増そうとした時、放出された中性子が球体の回転を離れて中性子同士の衝突が起き、核融合の基となる低速中性子が発生したのだろう。それが球体表面と隔壁に穴を開けた犯人だった・・これは圭子の推論であり、分析設備を持たないこの場所では確証を持つには至らないが、目の前の無惨な推進器を見れば誰もが納得した。朱羽煌雀がSuzakuをさらに加速させていたらSuzakuごと消滅していた可能性もある。朱羽煌雀の予知能力が不安という形で惨事を防いだのだ。

 

「何か手はあるの?」

圭子が朱羽煌雀に尋ねた。理想の推進器の思わぬトラブル。音速の数倍程度で飛行する分には十分だろうが、未知の限界を見たくなるのは当然の欲求である。

「あるよ。あたしたちが持ち帰ったお土産がそうさ。」

蒼鱗龍娯が代わりに答えた。褐色のビーナスが話す日本語に圭子はちょっとドキリとした。手にするは竜宮土産の玉手箱ならぬ鏡の壺である。

「まずは推進器を大至急作り直して欲しい。全てはそれからだ。」

朱羽煌雀の指示に長谷川は頷いた。そばに神妙に腕組みするマルコと手早く話すと、早速スタッフと共に紫外線モデリングシステムの稼動準備に入った。

 

「(どっちみち4つの神宝が揃わなければSuzakuの能力を引き出すことは出来ないのさ。反物質の満ちる時空の裏側に飛び込めば液体ダイヤの機体も意味をなさずに消滅する。蒼鱗の神宝鏡水はそれに触れる何物をも跳ね返す。鏡が光を跳ね返すようにあらゆるエネルギーを跳ね返すのさ。反物質の陽電子しかり、低速中性子しかりだ。)」

朱羽煌雀が玄蘒武炫と白牙虎鉧に説明する。圭子にもおおよそは理解できた。

「(だったら俺の神宝液体ダイヤも白牙の琥珀グリースもその鏡水さえあれば無用の長物じゃないか。なぜそいつを最初に手に入れなかったんだ。)」

玄蘒武炫がちょっと立腹した態度を示した。

「(そうじゃないさ。鏡水を施すには特別な下地が必要。超鏡面の液体ダイヤ処理がね。それに物自体の強度は鏡水では得られない。そして稼動部の隙間には琥珀グリースがなくては高速になるほどエネルギー損失で行き詰まるさ。コクピットの気密も保てないしね。)」

朱羽煌雀の返答に2人は納得した表情で微笑んだ。

「(ところで最後の神宝は何なのさ。朱羽、あなたの神宝は。)」

蒼鱗龍娯が聞く。4つの神宝が揃わなければSuzaku、Souryu、Genbu、Byakoの飛行物体は能力を発揮できないとなれば当然の質問だ。

「(この世界では必要ない。時空を越えた世界で使う代物だ。)」

朱羽煌雀は虚空を見つめながら答える。その目線の先には遠く隔たった白布衣日夜子の姿があった。

 

 

東京消滅

 

「ピーッ、ピーッ、ピーッ」

自衛隊の防空レーダーの警告音が鳴り響く。

「どうした?領空侵犯か。」

当直の士官が緊張の面持ちで近寄った。

「いえ、航空機ではありません。速すぎます。ミ、ミサイルだ!それも大型です。長距離型ICBMと思われます。」

若い隊員が動揺を露わに大声で喚く。

「何だと!?何処からだ?核か?すぐに米軍基地に連絡して迎撃ミサイルを発射してもらえ!我が国の防空ミサイルも発射準備だ!」

士官は非常ブザーを押すと仮眠についていた他の当直隊員を叩き起こした。眠気眼を擦りながらやってきた隊員たちはただならぬ雰囲気を肌で感じて手早く持ち場に着く。

「防空ミサイル発射準備完了です。発射します!」

自衛官は震える手で地対空ミサイルの発射ボタンを押した。熱線追尾モードで発射された3発の動きをレーダーで見守る。こんなものをまさか使う事態が起きようとは、訓練でさえ扱ったことはなかった。

「米軍基地と連絡が取れません。非常通話も繋がりません!」

無線のヘッドホンを片耳に当てたまま通信担当員が叫ぶ。レーダー上では長距離ミサイルに3つの光が近寄り、一致した。

「どうだ?打ち落としたか?」

士官が結果の確認を急かす。早くこの悪夢のから覚めて一風呂浴びたい気分だ。もちろんこの顛末を報告書にまとめてからになるが。

「だ、だめです!爆発しません!どうやら友軍識別信号をキャッチして起爆装置が切れたようです。」

レーダー担当員のキンキン声に、士官の顔色がみるみる蒼ざめる。

「どういうことだ・・?」

相変わらずレーダー上に光る輝点を凝視しながらようやくの思いで声を絞り出した。咽がカラカラに渇いて上ずった声が掠れていた。

「唯一の可能性はミサイルがアメリカから発射されたということです。我が国に向けて・・」

極限に追い込まれ、開き直ったように落ち着いたレーダー担当員が状況を分析する。

「冗談だろ?中東か北朝鮮に照準が合っているんだろ?ここは単なる通過点で・・」

士官のすがるような物の言い方に担当員は首を横に振る。

「照準は・・東京です。」

 

不夜城の都会に昼よりも明るい閃光が走り、その中心部から衝撃波と熱波がスローモーションのように周囲に広がっていく。電車や車は熔けながら舞い上がり、空にそびえ立つ高層ビルはくの字型に折れ曲がった後、塵のように吹き飛んでいく。道行く若者たちは自分に押し寄せる未知の煙幕に恐怖の叫びを上げる間もなく飲み込まれた。過半数の人々は眠りから覚める間もなく一瞬のうちに骨となり、その直後の衝撃波に消滅した。世界に名だたる大都市東京の上空に今、巨大な雲柱が立ち昇っていく。全てを無にする不気味なキノコ雲が・・・。

 

《ケーッヘッヘ、いい眺めだ。悲鳴を上げた魂がのたうちまわっている。当分ご馳走に困らないな。早くあそこに行きたいものだ。》

ヴェロキラプトル・紗端が舌なめずりしながら巨大モニターに写しだされた哨戒機からのライブ映像に奇声を上げた。

《しかし恐ろしい娘に育ったものよ。何の躊躇もなくスイッチを押すとはな。人間にしておくのは勿体無い。》

サーシャとマーシャはうっとりした表情でキノコ雲に見とれている。自分たちの仕事の出来栄えに満足するように。

《一応はお前たちの兄貴だろ?日本の風習で線香でも上げてやるか?》

東京に潜伏する朱羽煌雀を葬り去った充足感に、紗端は何時になく上機嫌だ。1千万の無抵抗な市民を巻き込み、CIAのエージェントを犠牲にしたことになど何の感情も湧かない。いずれは家畜になる存在に憐れみは不要だ。しかし随分簡単に始末できたものだ。本当に朱羽煌雀は消滅したのか?紗端の一抹の疑問も、燃えさかる都市の美しき断末魔の前に掻き消されていった。

 

「(臨時ニュースをお知らせします。本日現地時間午前2時、東京がアメリカの核攻撃を受けて消滅しました。アメリカは大統領殺害のテロリストを保護する日本を激しく非難する声明を出しており、本日の核攻撃はテロ国家に対する報復だと述べております。米国民の6割は本日の行為を指示している模様です。繰り返します。東京がアメリカの核攻撃を受け、消滅しました。)」

圭子の頬に一筋の涙が伝う。誰も言葉が出ない。重苦しい空気を破るようにペガサスアウトモビリのドアが開いた。

「聞いたか?とんでもないことになっちまった!」

ブルードルフィン堤がフミカを連れてホテルから駆けつけた。

「お父様は大丈夫かしら・・」

圭子が宗陰の身を案じる。東京に居たとすればほぼ絶望的だが誰もそれを口にすることは出来ない。三隅も、高野良子も、都心から外れた場所とはいえ無事ではあるまい。五木田を始めとするフューチャークリエイト財団のみんなもおそらく助かってはいまい。

「テロリストを保護する日本と言ってたな。アメリカは俺が東京にいるという目論見で強硬手段に出たのだろう。おそらくは、いや間違いなく老師が例の式神を使ったのだ。少しでもここからCIAの目を反らすために・・」

朱羽煌雀が冷静を保って言った。彼の内に眠るアキヒコの感情が激しく波打つ。恐ろしく深い悲しみと怒り。だがそれを解放してはならない。負の精神エネルギーは紗端の生きる糧。マイナスの時空に引き込まれてしまう。

「(起きてしまったことは現実として受け止めるしかない。大事なのはこれからどうするかだ。マルコ、透さん、推進装置の補修を急いでくれ。完成次第日本へ飛ぶ。)」

朱羽煌雀の言葉に場が引き締まる。全員が無言で頷き、それぞれの持ち場へ散った。誰かが朱羽の手を握る。小さなフミカの手だ。朱雀の祠の長老という重責から解放された観光気分はもう何処にもない。朱羽煌雀はそんなフミカを包み込んでやりたい感情を抱いた。自分の娘が出来たらこんな感じなのだろうか・・。

 

 

核シェルター

 

「どう責任を取ると言うのだ、宗陰よ。」

東京の地下に掘られたシェルターには政界の首脳が顔を揃えていた。皇居、首相官邸、国会議事堂、それに各省庁等複数の場所から細い地下壕によって繋がれたこの場所に首脳たちは間一髪逃げ延びていた。アメリカからの核ミサイル襲来の警報からキノコ雲が舞い上がるまでの猶予は僅かに10分、ここに辿り着けたものは運が良かったとしか言いようがない。午前2時に緊急閣議が開かれていなければこれほど多くの面々が助かることはなかっただろう。

「私に責任を取れと?閣議でも散々申し上げた筈ですぞ、もはやアメリカは信用できないと。もっと早く警戒態勢を取っていればこんな最悪の事態は避けられたでしょうに。何百万の命が失われたことやら、その確認さえ難しい。」

「ええい、言うな。お前がその目で確かめたわけでもあるまいに。高野アキヒコとやらとアメリカを秤にかけられるわけがなかろう。アメリカがテロリストだと言えばテロリストだ。さっさと引き渡せばそれこそこんな事態にはならなかったのだ。」

「総理、あなたは勘違いをしているようだ。私が忠誠を誓っているのは陛下であり、あなたではない。私に対して暴言を吐くのなら挿げ替える首はいくらでもあるというもの。」

 

「発言してもよいか?」

宮内庁長官に傅かれ、テーブルから離れた椅子に座った人物が静かに口を開いた。

「今は国家の一大事、身内で争う時ではないと思うぞ。」

物静かながら風格のあるその声に、場の誰もが背筋を伸ばす。 “国家の象徴”、そして僅か半世紀前までは“神”だった存在だ。

「起きてしまった事に対する責任をなすりつけてもしょうがない。余の前でこれから何をすべきか、皆率直な意見を述べよ。」

“議長”は決まった。この場を収拾するのにこれ以上の適任者はいまい。

「おそれながら陛下、すみやかにアメリカに謝罪し許しを得るべきです。テロリストは西側共通の犯罪者、それを差し出せなかった我々に責任があります。」

防衛庁長官が真っ先に口火を切った。軍事大国を敵に回す恐ろしさを一番良く知る人物だ。

「これほどの非道を受けながらなお従属するというのか?我々は奴隷ではないぞ。玉砕しても報復を考えるべきだ。」

戦前の精神いまだ健在の法務大臣が反論する。

「従属ではない、とりあえず我が国の西側諸国としての姿勢を示した上でその先を考えようではないか。死んでしまった者たかが1人、テロリストだったと認めれば良い話だろう。」

と外務大臣。

「たかが1人と?証拠もなしに国民の栄誉をなんと心得る!そんなことをすればアメリカの思う壺、日本人全てがテロリストの濡れ衣を着せられかねないぞ!」

厚生労働大臣が声を荒げてなじる。

 

「宗陰、お前はどう思うのだ。」

“議長”の投げかけに宗陰がそれまで俯いていた顔を上げた。

「まずは皆の思い違いを正しておく必要がありますな。ご存知のようにワシは占いを商いとしておる。古来ワシら陰陽師の声は何を差し置いても重視されるほどその占いは正確じゃ。そのワシが日本国の未来を知ることが出来なくなりましての。決してワシの力が衰えたとかいう問題ではない。この国の、いやおそらくはこの星の未来が闇に覆われてしまったのじゃ。」

宗陰の予想もしない言葉にざわめきが起こる。

「いいかの、日本がどうのアメリカがどうのという問題ではないと考えていただきたい。アメリカはおそらく、もはや人類ではない何かに支配されておる。人間の起こす行動ならワシの占いで見えないはずがないのじゃ。これは人類対何かの戦いの序曲じゃ。」

「一体何だ?その何かとは。」

総理の問に宗陰は暫し目を閉じた後、答えた。

「我が国で言えば鬼。西洋で言えば悪魔。共通なる呼び名は“紗端”。」

「サタンだと?馬鹿も休み休み・・」

「決して絵空事を言っておるわけではない!」

総理の言葉を遮るように宗陰が怒鳴りつけた。宗陰は場の全員を見渡し、素早くその心を読む。

「防衛庁長官、外務大臣、それに経済産業大臣。あなた方3人にはここから先の話を聞かせるわけにはいかない。速やかに退室願おう。」

宗陰は鋭い眼光で3人を睨みつける。紗端の響きに興奮を示した彼らは十中八九ブラッククロスの息がかかっている。米倉に裏切られたという煮えたぎる感情が、宗陰の言葉に凄みを与えていた。

 

「紗端は我々の手に負える相手ではない。放っておけば間違いなく人類は破滅するじゃろう。唯一救えるのが朱羽煌雀様、高野アキヒコですじゃ。」

「シュバノコウシ?何だそれは。それに高野何某はもうこの世におらんのだろう?」

宗陰に年の近い法務大臣が言った。宗陰はニヤッと笑うと静かに答えた。

「皆を騙して悪かったが、東京に居たとされる煌雀様はワシの式神、まやかしじゃ。本物は海の向うでご無事のはず、アメリカの目を煌雀様から反らすにはこうするしかなかったのじゃ。」

総理の顔が見る見る紅潮する。

「言ったな宗陰!やはりお前は国家の重罪人、この責任その首一つでは取りきれないぞ。」

「待ちなさい、総理大臣。話は最後まで聞くものぞ。宗陰よ、そこまでして守り抜こうとした朱羽煌雀とは何者だ?」

“議長”が身を乗り出して聞いた。口元に湛えた笑いは見ようによっては冷酷だ。事と次第ではこの場で宗陰を始末しかねない。宗陰は一同の視線を一身に受け、ゆっくりと答えた。

「陛下を前に恐れ多いのですが、あの方は本物の“神”。我らを紗端の恐怖から救う最後の砦なのです。」

 

 

 

 

[第三部④へ続く]