最後の神宝

 

重く立ち込めた灰色の雲。所々で稲光が走る。足元に厚く降り積もった死の灰。瓦礫の山は新しい主として君臨し、生ある者の歩みを拒む。生身の体で放射能に満ちたこの地に立つことは自殺行為だ。全身をオーラのバリアで包んだ朱羽煌雀は、つま先に当った焼け焦げた看板を拾い上げ何とも言えぬ感慨に耽る。

(C1)

青地に白で書かれたその文字は、かつてアキヒコが湧き上がる青春のエネルギーを撒き散らし、凌ぎを削った特別な場所を示すものだ。首都高環状線・・・遥か遠い昔の記憶に感じるが、思い起こせばペガサスとの出会いから1年、僅か1年なのだ。朱羽煌雀はオーラを纏った袖口で看板の塵を軽く拭うと、そっと地面に置いた。唇をギュッと噛み締めて拳を握り締める。

『決着を付けようじゃないか、紗端。』

後方にはモノクロフィルムにそこだけ着色したような、鮮やかなクリアレッドのSuzakuが光る。暗闇を照らす火の鳥のように・・・。

 

音もなく舞い上がり、西の空に消えてゆく紅い機影。白茶けた死の灰を振り払うように地面から頭をもたげた金属体がその姿を追うように首を振っていた。双眼鏡のような形の10cm四方の小さなヘッドは直径1cmの棒によって支えられ、50cm程の細いアンテナを空に向けて突き出している。二つの丸いレンズの間の赤いランプが点滅し、何処かに向けて映像を通信中であることを示していた。

 

富士の裾野に広がる樹海。東京を無惨に崩壊した核の影響もここまでは及んでいない。紅い機体が鳥のように森の上を旋回すると、深い木々に吸い込まれるように消えた。

朱羽煌雀は樹海の空気を肺一杯に吸い込む。鼻腔をくすぐる森の香りが、リエに連れられてここを訪れたアキヒコの記憶を呼び覚ます。手を伸ばせば足早に樹海を進むリエがいるような気がする。だが、目の前に立つシルエットは褐色の肌を持つ蒼鱗龍娯のものだった。

「(故郷の空気は味わえたかい?あんたを出迎える人波はあったかい?)」

蒼鱗龍娯が厳しい表情で言った。かつての彼女、アン・モンゴメリーにはもともと故郷などない。理性とは裏腹に感情が口を動かしていた。消滅した東京を見に行くと言い出した朱羽煌雀に対して・・。

朱羽煌雀は寂しい笑顔でそれをやり過ごすと他のメンバーに向けて言った。

「(俺はこれから最後の神宝を取りに行く。フミカ、一緒に来てくれ。玄蘒、白牙、そして蒼鱗、キミたちはここに待機して欲しい。1時間で戻らなければ俺はこの世にいないと思ってくれ。その時はもう自由にしていい。)」

「(今更自由も何もあるか。成り行きとはいえあんたのお陰で俺たちはもう世界的なお尋ね者、そのうち賞金首にでもなりそうな身だ。戻る場所はない。勘違いしないでくれよ、あんたは俺たちに最高にやりがいある仕事をもたらしたんだ。F1でさえチャチに見える仕事をな。例えあんたに何かあっても俺たちは例の悪魔を叩き潰すまで戦うだけさ。)」

玄蘒武炫が言い返す。白牙虎鉧も蒼鱗龍娯も頷いた。

 

朱羽煌雀はSuzakuに乗り込むと樹海を縫ってトンネルの入口にフミカを降ろす。朱雀の祠へ通ずる場所だ。再びSuzakuを浮かせると何処かへ飛び去り、10分程で早足で戻った。

「飛行機は何処へ?」

フミカが聞く。

「出口の近くへ停めてきた。神宝を手に入れ次第彼らと合流できるようにな。」

答えながら朱羽煌雀は真っ暗なトンネルへ躊躇なく進んだ。苔は今や十分な明りを提供していた。最初に来た時はよほど精神を集中させなければ見えなかった弱いオーラが今は普通に蛍光塗料のごとく見える。まさに “光苔”の呼び名が相応しい。あっという間に縦穴に辿り着いた朱羽煌雀は、手を引いたフミカを振り返る。

「先に行けるか?」

フミカは無言で頷くと足を下に穴に身を投じた。朱羽煌雀もすぐに続く。マグマの熱風が2人の体を無重力の世界へいざなった。

眩しく輝く横穴に向けて遊泳し、歩みを進めると懐かしい祠が目の前に現われた。本当に懐かしい。アキヒコの記憶ではない懐かしさ、5000年の時が一瞬にして遡る。ここは朱羽煌雀の本当の故郷、我家だ。中には妻、白布衣日夜子が自分の帰りを待ちわびる気がする・・。

 

神殿には巫女たちが揃っていた。彼女たちにとってもここは故郷、他に行きよう場所もなく、長老がその役目を終えた今でも変わらぬ日常が流れていた。光苔の作り出す胡桃に似たオーラの実は他の食料を不要とし、この空間を完全に俗世間から切り離す役割を果たしていた。全ては朱羽煌雀が作り上げた理想郷、凡人の目には薄暗い自然の要塞はオーラの光が満ち溢れる楽園なのだ。

朱羽煌雀は迷うことなく神殿の中央付近に鎮座した金色の椅子を動かす。オーラの力で動かされた朱雀を模った椅子の跡からは人が1人通れる穴が出現した。覗き込むとそこは霊峰富士の水で満たされた深い池になっていた。

「フミカ、お前は自分の力をまだ知らない。お前はテレパシーを使えるはずなのだ。俺はお前の力を必要としている。日夜子がいない今、頼れるのはお前だけなのだ。」

朱羽煌雀はフミカの両肩を軽く掴んで揺すった。何故か確信があった。フミカはかつて自分と白布衣日夜子の間に生まれた娘の生まれ変わり。抜群の記憶力と電声を操った娘、不見火の。

《不見火、記憶を呼び覚ませ。お前の頭の奥深く秘められた記憶を・・。お前はこの祠で生を受けた初めての子、霊峰富士の清き水に洗われ、濁りなき光苔のオーラに包まれ、比類なき頭脳を得た。さあ、眠れる力を呼び起こせ!》

朱羽煌雀は両掌からフミカに電声を送り込む。フミカの指先がピクリと反応した。光苔を磨いだ霊水を口に含ませると再び電声を送る。

《不見火、答えよ不見火!》

《お父さん?・・》

テレパシーが朱羽煌雀の頭に響いた。

《そうだ、思い出したか不見火。》

フミカが頷いた。特殊能力は子供の方が発現しやすい。かつて5才までの自分がそうだったように。

 

《よし、よく聞けよ不見火。俺は今からこの霊水の池に潜る。この水はマイナス5℃、普通なら凍っている状態だ。この水はオーラをはねつける。潜るためにはオーラのバリアを使うことは出来ないのだ。》

フミカが心配顔で頷く。

《生身の体では5分で気を失うだろう。たちまち心肺機能は停止し、2度と帰らぬ者となる。俺が正気を保てるようにテレパシーを送りつづけて欲しいのだ。》

《どうしてそんな無理してまでやらなくてはいけないの?紗端と戦う準備は出来ているんでしょ?》

フミカは心で朱羽煌雀に呼びかけた。

《お前の母親、日夜子を救い出すためだ。そして紗端の本性と戦うためだ。》

朱羽煌雀はフミカの飲み込みの良さに微笑んだ。ポンと軽くフミカの頭を叩くと光苔の実を1粒口に含む。万能のエネルギーは数分間の無呼吸状態を救ってくれるはずだ。

気休めのウエットスーツを纏うと朱羽煌雀は精神を集中させる。ふと全裸で蒼鱗龍娯と潜った青海湖を思い出した。

『恥ずかしさを別にすればあの時の方が格段に気楽だったな。』

全身の毛穴から発するオーラの防護膜は保温効果と酸素の供給を果たしてくれた。今回はその切り札が使えないのだ。不安を一蹴し息を吸い込むと、朱羽煌雀はマイナス5℃の水中に身を投じた。

 

キリキリと全身を針で指すような痛みが襲う。血液の循環が急激に悪くなり、意識が朦朧とする。幻覚が現れ、現実からの逃避を誘う。

《大丈夫?お父さん!冷たくない?》

フミカの電声の呼びかけに、朱羽煌雀は現実に引き戻された。

《大丈夫だ。いい呼びかけだったぞ。》

指先を動かして神経を呼び覚ますと、朱羽煌雀は重い手足を気力で動かして黒い湖底へ向かった。

《あったぞ。》

水深7mにそれは一見無防備に沈められていた。鍵付きの容器に入れられるでもなく、隠されるでもなく。岩をくり抜いた穴に納められ、蓋さえもなかった。暗い水中に鈍く妖しい光を放つ紅い球体。手を伸ばせば造作なく取れそうだ。だが神宝が容易く手に入るわけはない。そこには5000年の時が作り出した自然の罠が張り巡らされていた。朦朧とした意識で手を伸ばしていたら腕が痛みもなく細切れになっていたことだろう。

《気をつけて!》

フミカのテレパシーに一瞬頭が軽く揺れた。朱羽煌雀の網膜は球体の紅い光の微かな揺らめきを認識し、本能が伸ばしかけた腕を止めた。肘の辺りから赤い筋が立ち昇る。潜水服が鋭利に切れ、皮膚をも切り裂いていた。

富士のミネラルを多量に含んだ霊水はマイナス5℃でも凍らない。だがほとんど見えない水流が岩穴の上で複雑な渦を巻き、その境界面ではミネラルの含有量に変化が生じて凝固点が上がっていたのだ。見えないカミソリのような氷の刃、それが朱羽煌雀を傷つけた正体だった。

『どうする?何か手があるはずだ。考えろ!』

朱羽煌雀は自分に活を入れた。この水温では1秒が千金に値する。コンマ1秒、いや百分の1秒でも早くキーポイントを見つけなくてはならない。体中の血液が頭に集中し、スーパーコンピューターも及ばない脳の演算機能がフルに動き出した。

『何でこんな簡単なことを思いつかないんだ!』

これまでの3つの神宝を思い起こせば誰でも気が付く共通点、5000年前の自分になく今の自分にあるもの、そうアザだ。背中の羽のアザを忘れていた。だがアザをどう使うというのだ。まだ何か足りない・・・。朱羽煌雀に焦りが生じ始める。ここに入る前にもっと考えるべきだった。不見火のテレパシーのことだけに気を取られ過ぎた。一度上がって出直すべきか、だが体の回復には小一時間はかかろう。あの朱雀の椅子にもたれて・・・。

『!』

朱羽煌雀の脳裏に突然羽の形が浮かんだ。朱雀の頭部に逆立つ羽、あれこそ自分の背中のアザにそっくりではないか!その瞬間封じられていた最も重要な記憶が蘇った。

《不見火!巫女たちを集めて椅子を、朱雀の椅子を元の位置に戻せ!早くしてくれ!》

《分かりました。》

頭上に振動が響くと四角く開いた明るい場所が塞がれていき、水中に完全な闇が訪れた。朱羽煌雀は一度目を閉じて再び開ける。一筋の細い光が斜めに差し込んでいる。光の終着点にはクッキリと羽の形が描かれていた。朱雀の頭の羽で反射した神殿の灯りが朱雀の目に埋め込まれたルビーをプリズムとしてそこを照らし出しているのだ。

朱羽煌雀は硬直した手を必死で動かすとウエットスーツを脱ぎ去った。胸を下に向け、灯りの照らし出す羽に体を重ねていく。背中のアザに湖面からの光が当り、熱く疼く。体をずらすと焼け付くような痛みがアザに走った。光とアザが完全に一致した時、体を突き抜けるエネルギーを感じた。湖底に振動が走り、細かい泡が吹き出す。泡はゆっくりと、やがて勢い良く水面に向けて昇りだした。朱羽煌雀は体の周りに温かさを感じた。気のせいではない。眠れるマグマの瞬きほどの活動が、マイナス5℃の凍れる地底湖を温泉に変貌させたのだ。手足の麻痺が急激に回復し体に自由が戻る。朱羽煌雀は湖底から跳ね起きると、氷のカミソリが消えた岩穴から輝きを増した紅い球体をそっと取り出した。かつて朱雀の胸に輝いた第3の目、それが最後の神宝だった。時空の全てを刻み込んだ唯一の羅針盤、これなくしては例え時空に入ったとしても永遠に迷宮を彷徨うことになるのだ。朱羽煌雀は胸に幻の紅き水晶体を抱えながら再び明かりの差した水面に向かった。

 

 

交戦

 

溶岩地帯の地下を縫った天然のウォータースライダーを滑り降りながら朱羽煌雀はこのトンネルの生い立ちを思い出していた。朱雀の祠を要塞とするために入口に度胸試しの仕掛けを作った。招かざる侵入者はマグマの熱風によるクッションを受けることができない。熱風の噴出し口は強く正しきオーラによって開かれるのだ。最初は出口を作るつもりはなかった。紗端に毒された人間たちの断末魔に滅入り、若き余生を白布衣日夜子とともにここで送るつもりだった。だが地上に蔓延る紗端のウイルスはそれを許さなかった。地底深く届く人々の悲鳴に耐えかねた朱羽煌雀は例の漆黒の球体で溶岩地帯に空気穴を開けるとそこを地上に向けて滑り出たのだった。

スベスベの壁面を持つ曲がりくねったスライダートンネルは一見下に向けて滑り降りる感覚に捕われるが、実のところは祠は富士の地下深くにあり、地上に向けて昇り出て行くのであった。重力に逆らって滑っていく仕掛けは、トンネルの出口付近に強力な重力磁場を持つ溶岩があるためだ。それも朱羽煌雀が作ったものだが・・・

祠を出たとたん、朱羽煌雀は空気の乱れを感じた。上空に目を凝らすとキラキラと動く無数の輝きがあった。20機以上の航空機が複雑な弧を描きながら飛び回わっている。音速を超える速度で旋回するところからして戦闘機だ。掻き乱されたジグザグの曳航は空中戦が展開されていることを示していた。

朱羽煌雀は茂みに隠したSuzakuに飛び乗ると垂直に上昇させ、空中の戦場へ一気に加速した。機銃の曳航弾が目指す先には小さな機影が見える。弾が届く寸前にフッと消え去った。

《遅いぜ、リーダー。先に始めさせてもらったぞ。》

玄蘒武炫のテレパシーがSuzakuのコックピットに響いた。一瞬疑問に思ったがすぐにその理由を理解した。この光速飛行体の心臓部には強力な磁場がある。意識を解放するコツさえ掴めば微弱な心の声は電気信号として増幅され、通信することができるのだ。

《これはいったいどういうことだ?》

大空の狭い空間に密集し飛び交う戦闘機。事態を把握できない朱羽煌雀が訊ねる。Suzakuに襲い掛かる機関砲の弾を、翼を軽く捻ってよけた。

《あんたが神宝を取りにいなくなってからすぐよ。何処からともなく現われて、樹海に向けていきなり焼夷弾を放ってきたんだよ。ほっといたらフジヤマを丸焦げにしそうな勢いだったから、思わず囮に飛び出してたよ。》

蒼鱗龍娯が割り込んで説明する。下方では樹海のあちこちに火の手が上がっていた。

《それにしてもこいつらどこの回し者だろう。日の丸も星条旗もついてない。機体もこんな極東でお目にかかれる物じゃない。》

白牙虎鉧の声だ。もう3人とも自在にテレパシー通信を操っているのも驚きだ。

朱羽煌雀は周囲を飛び回る戦闘機を凝視する。EC諸国が共同で開発したEF2000最新機。ヨーロッパならいざ知らず、日本の上空を飛び交うのは妙だ。

《いいかげん逃げ回るだけの戯れも疲れたよ。何か武器はないのかい?この飛行体には。》

蒼鱗が痺れを切らしたように問いかける。朱羽煌雀はSuzakuの心臓部に渦巻くエネルギーの流れに意識を集中する。諸刃の陽電子は発生してすぐに原子に衝突して消滅していく。だが、所々数秒もの間ユラユラと浮遊する黒い空間の存在を感じた。陽電子が核となって小さなブラックホールを呼び出しているのだ。朱羽は扱いなれた黒い毬藻のようなその物体を、推進器の扉に整列させる。鏡水でコーティングされていなければ壁面が消滅しているところだ。ブレーキ代わりの前方噴射口、スロットルを閉じてそのバイパスバルブを開けると毬藻が堰を切ったように打ち出された。前方を飛ぶEF2000の後部が漆黒の弾丸に撃ち抜かれ、キラキラと光子を飛ばしながら音もなく消滅する。バランスを崩した機体が錐揉み状態で落下した。パイロットは脱出し、パラシュートが開く。

《何だい、今のは!》

乱れた蒼鱗のテレパシーが飛び込む。おそらくコクピットで大声を出したのだろう。

《ブラックキャノン、ってところかな。》

朱羽煌雀はそう答えながら突然理解した。ブラッククロス!そうだ、あの宗教団体だ!ナショナルマークのないヨーロッパの戦闘機。そんな途方もない物を調達できるのは世界有数のマネープールをバックに持つブラッククロスしかないではないか。だがどうやってこのエリアにEF2000を飛ばしているのだろう・・。航続距離の短い戦闘機がヨーロッパから飛来することなどできない。秘密裏に航空母艦でも配備したのか、いや、それも有り得ない。そんな大型の船体が移動すればすぐに各国に警戒されたことだろう。

《教えろよ、やり方を。早いとここの場を切り抜けたい。》

玄蘒武炫が催促する。だが『ブラックキャノン』は朱羽煌雀の専売特許、彼らの飛行体でも内部には小さなブラックホールができては消滅していることだろうが、それをコントロールする術がない。

《今は無理さ、だが・・》

朱羽は飛行体推進器の僅かな改造でブラックキャノンが玄蘒たちにも使えそうなことを感じていた。ブラックホールの生成するエリアはほぼ一定している。推進器の磁場の影響なのだろう。そこから前方噴射口まで道を作ってやればいい。チャンバーのように溜める形状にすれば弾薬庫の出来上がりだ。使っても使っても弾薬は次々と生成される。

『武器か・・本当はそんなものこの世にないほうが良いのだろうが・・』

朱羽煌雀の心に波紋が広がる。増幅された電気信号がSuzakuからSouryuやGenbu、Byakoに伝わり、好戦的になっていた蒼鱗たちの心に穏やかな光が差した。

《分かったよ、今日はキミに任せる。僕らがルアー役をやるから飛びついたピラニアの牙を抜いて放してやりなよ。》

白牙虎鉧がヒラヒラと翼を振ってEF2000を惹きつけにかかる。7、8機がそこに群がっていく。戦闘機の数は確実に増えていた。いったい何処から飛来してくるのか・・。

朱羽煌雀は白牙のByakoに張り付いた集団にブラックキャノンを浴びせる。2機がバランスを崩して落下していった。続いてもう1機葬り去る。

《ぐずぐずしないでこっちも頼むよ、朱羽!》

蒼鱗龍娯のテレパシーが飛び込んだ。見ると10機近く従えてアクロバットの教習飛行中だ。玄蘒武炫も同じく10機は引き連れている。気がつくとSuzakuの後にも何機か追尾していた。こんなペースではとても手に負えそうにない。何か手はないか、朱羽煌雀の脳裏に推進器が作り出す強力な磁場がイメージされる。

『そうか、これを利用すれば!』

朱羽は3人に呼びかけた。

《みんな聞いてくれ、キミたちの特殊能力を使うんだ。この飛行体が持つ磁場は能力を数倍、数十倍にも増幅してくれるはず。こうしてテレパシー通信できるのが何よりの証拠さ。飛行機1機や2機落すことはわけないだろう。》

《ようし、そうこなくちゃ。早速電気の鞭を喰らわせてやろう。》

白牙虎鉧は言うやいなや小規模な雷雲を発生させる。そこから木の根のような青白い閃光が、追手の一群に向けて一斉に伸びた。5機のEF2000は計器類の機能を失い、ゆっくりと地上に向けて滑空していく。耐圧スーツのお陰で感電を免れたパイロットたちは懸命に出力の回復を試みるが、無駄骨に終わり手動の脱出レバーを引いた。1機のコクピットは開くことなく徐々に落下速度を速めていく。そしてそのまま樹海へと吸い込まれていった。初の犠牲者に白牙虎鉧の顔が歪む。だがこれが戦闘と言うもの、憐憫の情に決断が遅れたら自分が屍と化すであろう。

 

 

天空の要塞

 

富士の周りを囲む湖から水柱が天高く突き上げた。渦を巻き、細い槍と化したそれは蒼鱗龍娯を追い回す10機以上の戦闘機に突き刺さった。翼をもがれ、胴体を二つに裂かれた音速機たちが次々と空のステージから去っていく。勝ち誇ったようにSouryuが翼を翻した。

 

《フン、俺は空飛ぶ相手には無力だな。》

玄蘒武炫が不機嫌そうに通信する。その後には12、3機のお供が懸命に喰らいついている。

《玄蘒、あの雲は何だろう?》

富士山の上空10000mに樽形をした積乱雲が渦巻いている。ちょっと不自然な形だ。

《よし、ここは蒼鱗と白牙に任せて調べよう。》

2機はスロットルを開けるとグングン加速しながら上昇していく。EF2000は完全に振り切られて視界から消えた。一瞬のうちに雲に近付き、速度を緩める。と、そのとたん3機のEF2000とすれ違った。

《なんだ、何故あいつらこんなところにいるんだ?》

玄蘒武炫が驚いた電声を送る。朱羽煌雀はSuzakuを反転させると下降する3つの機影にブラックキャノンをお見舞いした。

《気を付けろ!後にいるぞ!》

玄蘒武炫の声と同時にコクピットを機関砲の弾がかすめる。朱羽煌雀は機首を真下に向けて失速させると、次の瞬間力の限り操縦桿を引き上げた。目の前に新手のEF2000の尾翼が現われる。そこにすかさずブラックキャノンを放つ。相手のパイロットにしたらSuzakuが消えたように見えたことだろう。

《すごいアクロバットだな、いつの間にそんな芸当を身に付けたんだい?木の葉が舞うような複雑な動き、まるでそこだけに吹く風に乗ったみたいだ。》

玄蘒武炫が賞賛する。まるで生まれながらの戦闘機乗りのようだ。

《『枯葉の舞』、蒼鱗相手に空戦トレーニングしていた頃に思いついたんだ。いつか彼女に試してやろうと奥の手にしてたんだけど、いきなり使う場面がこようとはね。ところで今の1機は何処から現われたんだ?空から湧いたようにしか思えないが・・》

朱羽煌雀が首を傾げる。すれ違った3機にしても自分たちを追いかけた集団であるはずがない。マッハ10は出したであろうこのSuzakuを追い越せる性能はEF2000はおろか地球上のあらゆる戦闘機にさえないのだ。

《雲だ・・あの雲から現われた・・》

玄蘒武炫が信じられないといった波長で答える。朱羽煌雀は目の前に立ち塞がる巨大な縦長の積乱雲をつぶさに観察した。雲はゆっくりと時計回りに回転し、中心部は身動ぎもしない。横に広がることなくまるで何かを包み込むように静かに回っている。朱羽は玄蘒に合図すると雲の中に突入した。激しい気流がSuzakuを襲い、計器が狂いだす。雲の中心に向かっていたつもりがいつのまにか流され、外に弾き出されていた。

 

《・・たぞ、気を付けろ、新手だ!聞こえるか?新手が雲から現われたぞ。》

玄蘒武炫のテレパシーが突然飛び込んだ。雲の中は電気信号を通さないらしい。朱羽煌雀は素早く周りを見回す。頭上後方45度に小型の黒い三角翼が見えた。EF2000ではない、今まで見たこともない機体だ。朱羽は機首を上に向けるやいなや、ブラックキャノンを静かにたたずむ三角翼に連射する。三角翼はそれをもろに喰らい、落下していった。だが次の瞬間朱羽と玄蘒は我が目を疑った。黒い三角翼は再び機首を立て直すと2人をからかうように翼を振り、消えた。

 

《夢でも見ているのか?あんたのブラックキャノンをまともに受けて何故消滅しない。それに最後は何だ?消えたように見えたが・・》

《分からない・・我々と同じように鏡水でも使っているのか・・いや、そんなはずはない。神宝は荒らされた形跡などなかったし、その存在自体誰にも知られていないのだから・・》

朱羽煌雀の脳裏にあの映像が浮かんだ。ブラッククロスの城で閉じ込められた電磁シールド。危うく潰されかけ、ついにはかけがえのない存在の白布衣日夜子を時空に連れ去ったあのシールド。

《あんたもそう思うか。俺も同じことを考えてた。》

朱羽の回想が玄蘒武炫にも伝わったらしい。

《玄蘒、あの雲を払えないかな?》

朱羽煌雀は雲の中にいるであろう相手をひと目見たくなった。いや見ておく必要があるだろう。

《俺が操れるのは大地の波動、空の上では無力だ・・》

《その波動をあの雲にぶつけたら。》

朱羽の言葉に玄蘒武炫の目が輝く。

《よし、一か八かやってみよう。援護頼むぜ。》

黒いGenbuが翼を翻して積乱雲に近付いていった。雲に突入すると激しい気流に耐えながら大地をも揺るがす思念波動を発散する。雲の回転が乱れ、ふやけた麩のように揺れながら膨張した。弾き飛ばされたGenbuがSuzakuに並んで拡散する雲の中心を見つめる。

ぼんやりと何かが見え始めた。巨大な円錐形、尖った頂点を下に向け、その大きさたるや山のようだ。そしてコーンアイスのように緩やかに斜めに盛り上がった上部には、記憶にあるシルエットが見えた。タンデオンの古城・・スイスアルプスの一角に聳えたブラッククロスの魔の拠点。雲は完全に晴れる間もなく、再び円錐を包み始める。朱羽煌雀は意識を集中して10mほどのブラックホールを作り上げると、古城のシルエットに放った。雲をキラキラと蹴散らしながらブラックホールは突き進む。だが円錐に到達する前に眩い光が広がり、黒球は消滅した。

《天空の要塞・・》

玄蘒武炫の心の呟きが伝わる。再び樽形となった積乱雲は、ゆっくりと上昇しながら大陸の方へ向かいだした。遠く広がる自然の雲がやがてそれを包み込み、要塞は完全に姿を眩ました。

 

《朱雀の祠を葬りに来たのかもしれないな。俺の生みの親ルリが持っていた記憶はブラッククロスのコンピューターにインプットされていることだろうから。それにしてもあれほどの化け物をいつの間に作り上げたのやら・・・》

樹海上空で合流したSouryuとByakoを従えて朱羽煌雀は自分の思考をまとめようとした。

《あんな巨大な物が何故浮くのかも謎だが、例の黒い三角翼も気になる。奴ら俺たちが予想するよりも遥かに進んだ兵器を持っている気がする。使い道によっては人類が、いや地球そのものが消え去ってしまうんじゃないか?》

常識を超えた現実を目の当たりにした玄蘒武炫が動揺を押さえて言った。自分がGenbuという常識外の乗り物に乗っていなければ、錯覚として片付けたかもしれない。東京消滅は終わりではない。もっと大きな異変の序曲にすぎない事を4人は肌で感じていた。

 

 

ホワイトハウスの騒動

 

去年起きたニューヨークテロは、ウォール街の金融パニックを引き起こし第二のブラックマンデーが襲ってくるのではないかという不安を人々に抱かせた。だが大国アメリカは揺るぐことなく一丸となってそれを阻止し、盛り返した。彼らの底力は自分たちこそ世界のリーダーだという自負からくるものだろう。そして彼らがテロ組織壊滅を銘打って振り下ろした報復の鉄槌は威厳を示すに十分であり、機に乗じて牽引車の座につくことを目論んだであろう欧州の国々も挙げかけた手を密かに下ろさざるを得なかった。

だが、東京はそういうわけにはいかなかった。今度のは規模が違う、ビル一つではなく都市そのものが消滅したのだ。そして何より相手は圧倒的な軍事力を世界に見せつけた大国なのだ。

形だけの株式市場は大阪に居を移され再開されたが、もともと信用を失っていた上にアメリカの暗黙の睨みを効かされた日本の金融に救いの手は差し伸べる者はなかった。株価の暴落で経済は完全に崩壊し、麻痺した。完全失業率はあっという間に二桁を超え、人々の心を暗雲で包んだ。治安のなくなった廃墟東京を中心に、島国は暴力の支配する無法地帯になりつつあった。

 

一方のアメリカも知らず知らず無法地帯へ変貌していた。それはシカゴから始まった。白昼堂々無差別殺人が起き、犯人はすぐさま笑いを浮かべた警官に射殺された。警官は別の男に背後から首をへし折られ、その男もまた銃弾をくらって地面に横たわる。ショーウインドウは叩き割られ、物は奪われ尽くした。そしてスポイトで垂らしたシミのようにその現象はじわじわと周辺に広がっていった。外からの揺さぶりにびくともしなかった大国は内部から崩壊しつつあったのだ。東京が消滅して3週間、世界は急激にその姿を変えつつあった。

 

《ウイルスガスの効果はなかなかのものだ。アルプスの地に眠った我が分身とも言うべきこのウイルスを蘇らせたブラッククロスの研究者どもには感謝の念が絶えん。しかし人間というのは分からん、自らの破滅を予感させる恐るべきウイルスを何故掘り出して培養してみるのだろうな。俺様への信仰心か?飽くなき探究心か?グファファファファ》

アメリカを崩壊させつつある個体が愉快そうに笑う。大統領を殺し、補佐官を恐怖で操り、この国を裏側から蝕みつつある本物の悪魔は、地上最強の生物ヴェロキラプトルの体を満足そうに鉤爪で摩る。

《我がサタンウイルスは皮膚感染により人間の右脳を支配し、冷酷無比な殺人マシンを作り出す。かつてもそうだった、5000年前の再現だ。今度は朱雀の邪魔立てもないだろう。見目麗しき朱羽煌雀様は東京とともに昇天されたことだしな。ケッケッケッ》

側にたたずむワーグナーは頭に響く不快で恐ろしいテレパシーに冷水を浴びた気分だ。今更ながら自分のしてしまったことに後悔の念が絶えない。何故こんな化け物を蘇えらせてしまったのか、何故核ミサイルの発射をむざむざ許してしまったのか。命が惜しかったのは事実だ、だがそれよりも何よりも米倉のおぞましい最後が脳裏に焼き付いて離れないのだ。大統領の死後フラリと現れたはずなのに、誰よりも自分を理解し安心感を与えてくれた男。彼といっしょにいる時は夢心地になれたのに。ああいう死に方は嫌だ、銃で撃たれたほうがどれだけましだろう。

「(そうかい、銃で撃たれるのが望みか。)」

聞き慣れた声にワーグナーはドキリとして振り向いた。狐顔の東洋人・・幽霊がそこに居た。

「(ミスター米倉・・私は夢でも見ているのか?)」

「(夢でも幻でもないさ。あんたが目撃した無惨な死体は式神と言って、俺を弟子にした馬鹿なジジイから盗んでやった秘術だ。リアルだったろう?オーラが強ければ強いほど現実味を増すからな。お陰であんたは恐怖心を植えつけられ、俺のコントロールなしでラプトルに仕えるようになった。)」

『コントロール?何を言っているんだこの男は。』

ワーグナーは状況を理解できずに呆然としていた。

《フシュルルル・・我が分身よ、ご苦労だったな。お前が運んだウイルスは効果絶大だ。間もなくこの地上は殺戮の世界となり、恐怖と恨みと怒りのオーラに満ちた我が楽園となろう。》

《すんなりいくとは限らないぜ。なんせ朱羽煌雀はまだ健在なのだからな。》

米倉のテレパシーにヴェロキラプトルの目がギョロリと動く。

《何?どういうことだ。》

《東京には俺を教えた陰陽師、広沢宗陰が居たって事だよ。つまりはCIAが確認してた朱羽煌雀は全て奴の作り出した幻影、式神だったのさ。》

《何故分かる?》

《ウイルス培養の目処が立った後、俺は目障りな朱雀の祠を消すべく、完成した反重力要塞を日本に差し向けた。そして艦載機で富士を総攻撃するのと並行して、あんたの成果を見てやろうと東京の廃墟に数台の監視ロボットを飛ばしたんだ。そこに偶然写ったのは何だと思う?紛れもない我が息子、朱羽煌雀の姿さ。あいつがいつの間にか完成させたとんでもない物と一緒にな。》

米倉は半分嬉しそうに笑った。ヴェロキラプトルは憎らしげにそれを睨む。

《お前はどっちの味方だ?朱羽煌雀の生存がそんなに嬉しいか。》

《ハッハッハッ、嬉しいね。そんなに簡単に死なれちゃ困る。真の俺との対面がまだだというのにな。最後は俺の手で葬り去るのさ。》

米倉の冷たく鋭い目がヴェロキラプトルを刺す。さしものラプトルもその眼光に一瞬黙り込んだ。

《あいつはついに手に入れたようだぜ、ブラッククロスがついぞ奴の幼少の頭脳から引き出せなかった幻の亜光速飛行体を。4機のやたらとすばしっこいネズミどもに我が戦闘爆撃隊は全滅した。そして反重力要塞の存在さえも暴かれた。》

《お前たちだって作り上げたのだろう?亜光速飛行体を。黒い三角翼でウイルスを運んで来たではないか。何を恐れることがある、お前の望み通り直接手を下せばよい。》

《悔しいがあれは偽物だ。人間のオーラを推進エネルギーに変えるという画期的な研究成果ではあるが、機能の美しさではあいつらの陽電子を使った反物質核融合には及ばない。なんせ無限のエネルギーを得ることが出来るのだから。俺たちのヒトオーラ推進器は1000マイルの飛行に人間一人分のオーラを必要とする。長距離飛行は容易ではないのさ。》

米倉はテレパシーで話しながら、ちょっと顔をしかめた。富士上空からアメリカまで亜光速飛行体ブラックデルタのテストフライトを敢行するのに組織の末端構成員20人の命を頂戴した。彼らの不条理な断末魔が耳に残る。

《ブァハッハッ、何をいらぬ心配しとる。この地球上には60億もの人間が溢れかえっているのだぞ、少々減らしつつはあるがな。それにな、世界中に十分な恐怖を与えた後は各地に人間牧場を作る予定だ。奴らが無駄に捨ててる卵子と精子を機械受精させればそれこそいくらでも人間を作れるのだ。煮て喰おうが焼いて喰おうが我らの思うがまま、どうだ?考えただけでもゾクゾクするだろう。》

ヴェロキラプトルは長い舌をチロチロさせながら口の端を歪めた。

ワーグナーは恐ろしくなってそっと壁伝いに手探りで移動する。なんて奴らだ、このままでは人類は悪魔に支配されるどころか生産と消費の対象とされるのだ。この陰謀を誰かに伝えなければ・・、もう手遅れかもしれないが。

ドアノブに左手がかかった。額に汗が伝う。そっと音を立てないように回して・・

「ズキューン!!」

銃声が木霊する。ドアノブを掴みかけたワーグナーの左手に黒い穴が開いた。ワーグナーは悲鳴を上げて手を押さえ、床にしゃがみ込んだ。

「(銃で撃たれるのが望みだったよな、補佐官よ。)」

米倉の右手に握られたワルサーの銃口から紫色の煙が立ち昇る。

「(俺は人の心が読めるのだよ。次にあんたが何をしたいかは全てお見通しだ。さて、では考える必要をなくしてあげようか。)」

米倉はワーグナーの心臓に照準を合わせる。ワーグナーの心に湧き上がる死への恐怖心が手に取るように分かる。右手の人差し指に力を込めかけた時、激しくドアを叩く音が響いた。

「(補佐官!どうしました。今の銃声は何ですか!)」

ホワイトハウスのボディガードが外側からドアを引き開けた。それを利用してワーグナーが廊下に転げ出る。ボディガードは部屋の中に陣取るヴェロキラプトルの異様な姿に一瞬硬直した。

「(撃て、そいつらを殺すんだ!大統領殺害の真犯人だ!)」

ワーグナーの叫ぶような命令にボディガードは慌てて銃身を上げた。が、タイミングが遅すぎた。ヴェロキラプトルの鉤爪が腹に突き刺さり、ボディガードの屈強な体がまるで藁人形のように軽々と天井に叩きつけられた。血飛沫が地下シェルターの白い壁を赤く染める。ボディガードの体は変な形に折れ曲がり、内臓をはみ出しながら床に落ちた。

ワーグナーは嘔吐しながら慌てて走り出した。廊下の反対側から数人の応援が駆けつけ、蒼ざめたワーグナーを背中の後に防護する。1人の額を米倉の銃弾が撃ち抜いた。防弾チョッキを着ていることは一瞬に読み取られていた。ヴェロキラプトルも廊下に出るやいなや凄まじい速さでボディガードに迫ると鉤爪で2人の首を貫き、残りの1人の頭を口に咥え込んだ。

ワーグナーは必死の形相で再び走る。ホワイトハウスに警報ブザーが鳴り響きエレベーターや階段から次々と警備兵が押し寄せてきた。さすがに奴らもこれまでだろう。ワーグナーは少し落ち着きを取り戻してエレベーターのドアを閉めた。

 

警備兵に取り囲まれても米倉は不敵な笑いを浮かべる。ラプトルもその気になれば4、5人は一瞬に殺せるのだろうが身構えた状態で動こうとしない。ジリジリと包囲の輪を詰める警備兵たちの目が真赤に充血するのを見て米倉はついに大声で笑い出した。

「(ハァハッハッ!さあ、殺戮パーティの始まりだ!周りに居る奴はみんな敵だぞ!)」

警備兵たちはピクリとして横を見渡す。次の瞬間隊列はあっという間に崩れて互いに格闘を始めた。何発もの銃声が響く。米倉とラプトルはその中を悠然と歩き始めた。

《即効性ウイルスが効いたようだ。サーシャとマーシャを空調室に忍ばせて正解だった。こいつらは互いに殺し合いを続けるだろうが俺たちを攻撃することはない。ウイルスに支配された脳は紗端には絶対服従だからな。》

 

ホワイトハウスの門兵にワーグナーは余裕で声をかけた。

「(見張りご苦労さん。地下シェルターの騒動もここでは嘘のようだ。さすがの奴らもこれで囚われの身、明日の朝刊にこの騒ぎが載らないよう揉み消すか。国民に余計な心配をかける必要もない。)」

門兵は敬礼した。その目は赤く充血し、不気味な笑いが口元に浮かんでいる。ワーグナーは声を上げる間もなくゆっくりと膝から崩れ落ちた。咽を銃で撃ち抜かれて。せめてもの救いは彼の望み通り銃で死ねたことだろうか・・・。

 

 

ディナーミーティング

 

イタリア・ミラノ近郊のペガサスアウトモビリに戻った朱羽煌雀たちは連日飛行訓練を繰り返していた。空の上では音速でさえそれほどスピード感はないが、彼らの求めるのは光速である。雲や海や太陽やありとあらゆる景色は溶けて流れ出すが、それでも速度計の針はほとんど動いていないように見える。朱羽煌雀は秒速1500km、マッハ表示で約5000という途方もない瞬間速度まで記録した。頭は陶酔状態となり、数秒間は正常な思考がストップした。もはや人間の目で追える限界を遥かに超えている。だがこの速度の倍は出さなくては時空の向うへ旅立つことは出来ないのだ。

「(無理だよ、体がついて行かない。とてもじゃないが生身の体で対応できる速度じゃないぜ。)」

白牙虎鉧がグチっぽく言った。圭子の用意したディナーを囲みながら、訓練のミーティングを行うのが日課になっている。朱羽煌雀たち4人に加え、長谷川、マルコ、圭子それにフミカと堤の総勢9人のメンバーだ。

「(すごいわよね、秒速1000キロを超えてるわけでしょ?40秒で地球1周なんて信じられない。)」

長谷川から教わっている英語で圭子が会話に加わる。

「(でも目標は光速だ。秒速30万km。Suzakuの速度計はまだほとんど動いていない状態だ。)」

と朱羽煌雀。白布衣日夜子が時空の彼方に吸い込まれて早2ヶ月が経とうとしている。電磁シールド消滅まであと1ヶ月、未だに時空侵入の目処が立たない状態に焦りが募る。

「(あなたの目的は時空の向うへ行くことだろう?ブラックホールを呼び起こして飛び込めばいいじゃないか。)」

長谷川が朱羽煌雀に向かって予てからの疑問を投げかけた。朱羽煌雀は笑いながら首を横に振る。

「(俺の作るブラックホールは時空へ通じる入口ではない。反物質で満ちた裏宇宙への一方通行の通路さ。時空はこの表宇宙と裏宇宙の間に存在するクッションみたいな存在でやはり表時空と裏時空がある。)」

朱羽煌雀の頭に見たこともない映像が蘇り、口が勝手に説明を始めた。朱雀の記憶だろう。

「(表時空は光子に溢れた眩い世界、天国という言葉がピッタリの明るい空間だ。裏時空は紗端が住まう闇の世界、反物質の光子に当る素粒子は光を発しないからな。そしてブラックホールは2つの時空を捻じ曲げて開けた裏宇宙への入口だ。そこから時空に侵入することは出来ない。)」

「(じゃあ日夜子さんは裏宇宙に飛ばされたの?時空ではなくて・・もう探しようもないの?)」

圭子が聞いた。やっと会えた2人の娘、かすみとリエ。幸せを噛みしめる間もなくかすみは死に、残されたリエも違う存在になって彼方へ消えた。どうか無事であって欲しい、母としての本能が胸を突き上げる。

「(ブラックホールから裏宇宙へ物質は通り抜けることはできない。日夜子を包む電磁シールドが消えない限りは時空エリアに引っかかっているはずだ。その間に何としても時空に入り、探し出さなくては・・)」

刻一刻と刻まれるタイムリミットに朱羽煌雀の言葉が詰まる。

「(でもさ、ドップラー効果っていうのか、高速で飛ぶ時自分に向かってくる光と後方に置き去りにする光では相対速度が変わるじゃないか。向かってくる光は青っぽく、遠ざかる光は赤っぽく見えるって何処かで聞いた気がするけど、飛んでいる時チラリと見た後方の光は色も明るさも全然変わってないんだ。その瞬間はまるで自分が止まっているように感じたよ。)」

白牙虎鉧の何気ない言葉に圭子の顔色が変わった。

「(・・そう。ひょっとするとあなたたちがこのままいくら頑張っても光の速さには近づけないかもしれない。光の速さは常に一定というのが相対性理論の根幹、それが正しければ追いかけても追いかけても光には近付くことは出来ないのだわ。私よりも主任の方が専門だったのだけれど・・)」

恩師竹村博士は東京消滅とともにもうこの世にいないだろう。圭子の心にやるせない怒りが静かに燃え上がる。

 

バチバチッという音と共にコンピューターのCRTが点灯した。ルシフェル訪問の合図だ。画面にルシフェルの顔が現われる。最近ビデオチップの制御をマスターしたらしい。

《最新ニュースがあるよ。アメリカで妙な騒ぎが起きているんだ。公式なコメントは一切ないけど、凶悪犯罪が多発しているらしいよ。》

ルシフェルがはしゃぐような抑揚で話し出した。

「随分うれしそうじゃないか、凶悪犯罪が好きなのか?」

朱羽煌雀がちょっと眉をひそめる。

《そういうわけじゃないけど、僕の出番が来たかなと思って・・》

「分かった、続けろよ。」

《ネットの裏情報ではアメリカのあちこちで無差別殺人が起きてるらしいんだ。最初はシカゴから始まって徐々に広がってるみたい。原因は良く分からないけど、善良な市民が突如として暴れだすらしいよ。》

善良な市民が突如として狂人に変貌する。朱羽煌雀の脳裏に5000年前の忌まわしき出来事が蘇る。

「何件ぐらい起きてるんだ?」

《正確なところは一切分からないんだけど、少なくても10箇所で発生してるよ。ネット上では様々な憶測が飛び交ってる。潜伏してたテロ組織が一斉に活動しだしただとか、テレビなんかを通じてサブリミットのような刺激情報が流されただとか、何れにしろテロリスト説が有力だね。》

「いや十中八九紗端の仕業だろう。きっかけが何かは分からないが、殺人者たちの意識は紗端に支配されているだろうよ。」

朱羽煌雀は腕組みをして考え込んだ。このまま放っておいたら殺人者たちは組織を形成し、次第に巨大化していくだろう。そしてやがては人間社会を牛耳って・・・。

《それと全然別の情報だけど、怪物を見たって噂が残ってるんだ。もう1ヶ月以上前の話らしいけどね。噂をもとにイラストもあったけど見る?》

ルシフェルは自分の顔を消してCRTにイラストを映し出した。尖った獰猛な口、長い尾、鉤爪、そして緑の羽毛。

《こんな変な奴見たこともないだろ?形は恐竜に似てるけど・・》

「ヴェロキラプトル・・」

朱羽煌雀が呟く。

「(何だって?あんたの話に出てきた例の最強の恐竜?)」

玄蘒武炫が驚きの声を上げた。

《やっぱり恐竜なんだ。こいつは剥製なんかじゃないらしいよ。こいつのせいで人口数万人の町が全滅したって噂もあるくらいだ。かなり信憑性にかけるけどね。》

「町一つが全滅っていったら大事件じゃないか。何故ニュースにならない?」

《テロ以来アメリカの情報は軍や政府によって検閲され、操作されてる可能性があるんだ。そして軍の封鎖下にあるエリアが最近増えてる。ひょっとしたらその一つかもしれないね。》

「(これは俺たちが考えてるよりも事態は深刻かもしれないぞ。紗端がアメリカ政府を操作できる立場に居たとしたらどうだ?東京を消滅させたのも奴の残虐な楽しみだったかもしれない。どう考えてもまともな政府の行動じゃなかったしな。俺たちにはアメリカという大国をバックに持った紗端と対決する覚悟が必要だ。さらに科学力と豊富な資金を持ったブラッククロスもいる。リーダーを失った日本を放っておくわけにもいかない。とてもこの人数で、しかもテロの指名手配を受けた身では対処できそうにないな・・)」

朱羽煌雀はテーブルを囲むメンバーに言った。その声は沈んでいる。時空へ飛んで白布衣日夜子を救い出す道は断念するしかないか。

《日本にはまだリーダーは健在だよ。偶然だけど大阪と東京の地下との暗号連絡を聞いたもの。》

「本当か?お前暗号が解読できるのか?」

《それはね。長い間この中に住んでる身だもの、生活の知恵として身に付くさ。東京に核の落ちた夜、ミサイルの接近を事前にキャッチした首脳たちは皇居の地下に掘られた太平洋戦争中の巨大な防空壕に避難したらしい。今は核シェルターに改造されていて九死に一生を得たんだよ。首相や大臣たちや、皇族もね。水や食料には困らないみたいだけど当面脱出の術がないらしいよ。》

「他には誰かいないの?その防空壕には。例えば・・」

圭子が思わずCRTを両手で掴んで訊ねる。ルシフェルは二コリと笑った。

《老師って名前がリストにあったよ。それと科学者の名前も何人か。》

「本当?お父様が生きてるですって!?」

圭子が長谷川に抱きついた。長谷川は驚きと嬉しさが入り混じった複雑な心境で両手のやり場に困っている。

「老師ってだけであなたのお父さんだと決め付けると・・」

「間違いないわ!他にそう呼ばれる人物はいないもの。」

長谷川の言葉を圭子は大声で遮った。

「ルシフェル、その東京の地下壕に侵入できるか?会話が交わせたら最高だけど。」

朱羽煌雀の問にルシフェルは小躍りした。

《そうこなくっちゃ、任せてよ!仕事が出来るなんて最高!しばらく待っててね。》

CRTがブツッと切れ、笑ったルシフェルの残像が次第に薄くなっていった。目の前の冷めかけた料理の皿が下げられる。

「暖めなおすわね。みんなお腹空いたでしょ。」

圭子の弾んだ声がキッチンに消えていった。

 

 

 

 

[第三部⑤へ続く]