潜水艦ユウナギ

 

海上自衛隊ディーゼル潜水艦ユウナギは東京湾の海底でエンジンを停止して様子を覗っていた。狭い湾の出口を抜けた向こうには何が待っているか分からない。3隻の原子力潜水艦の推進音が止んで20分、アメリカ海軍太平洋艦隊に所属する彼らもこちらの出方を監視しているようだ。全面戦争に突入する気配はない。その気になれば圧倒的軍事力を持つアメリカは3日もあれば日本を制圧してしまうことだろう。だが小競り合いは別だ。廃墟東京から密かに脱出するものがあればテロリストの残党として処分の大義名分が成り立つ。

元皇居の地下に掘られた核シェルターからの脱出路は思わぬところにあった。シェルターは蟻の巣のように大小様々な小部屋が狭い通路で繋がれた構造になっており、まるで迷路の様相を呈している。よくこれだけのトンネルを戦時下に作ったものだとあらためて感心させられる。内閣諜報室の特殊工作員たちは昼夜を問わずに迷路を探索し、ついに戦時中に作られたトンネルの見取り図を発見した。下水や浸み出る地下水を放出するための細い廃水路が何本か作られていたが、それらが集まった個所に妙な空洞らしきものが描かれている。工作員たちは和式便所の1つを壊すと配管の周囲を掘り広げ、人が通れる穴を開けて廃水路に侵入した。暗闇を懐中電灯で慎重に進むと彼らの目の前に信じ難いものが現われた。潜水艦ドッグ、第2次大戦中のナチスドイツが作り上げた傑作Uボートを招き入れるための施設だった。

 

ユウナギの中心部にある作戦室には5人のメンバーが小さなテーブルを囲んでいた。

「突破するしかないでしょう。このまま時間を費やしてはいずれ浮上せざるを得なくなる。浮いた潜水艦ほど無力なものはないですからな。」

法務大臣のしわがれ声だ。

「ディーゼル艦と原子力艦で勝負になると思うのかね?それも相手は3隻だ。ここに居る間は少なくても攻撃を受ける心配はないだろう。魚雷を撃てる位置関係ではないのだろう?艦長。」

「はい。攻撃をしかけるためには富津岬を湾内に入ってくる必要があります。」

総理大臣の問にユウナギ艦長大草は声を押し殺して答えた。性能の良いソナーならこんな会話さえ捕えられる可能性があるのだ。

「この中で一番的確な判断を下せるのは経験豊かな艦長であるキミだろう。意見を言いたまえ。」

「恐れ入ります陛下。」

テーブルの上座に位置する、海図パネルを背にした席に向けて大草は深々と礼をした。

「この状況に対して勝利を得る、すなわち外洋に脱出できる確率は極めて低く、身の安全を考えるのであれば無条件降伏が妥当かと考えますが・・」

「何か奥の手があるのか?」

「いえ、敵とすれば一気に湾内に攻め入れば我々を拿捕、撃沈することは容易なはずなのにそれをしてこないのが気にかかるのです。踏み込めない理由があるのか、何かを待っているのか、今暫くは様子を見るのが賢明ではないでしょうか。」

大草は歯切れの悪い言い方しかできない自分が不甲斐無かったが、致し方ない。

「よし、もう少しこのまま状況を見よう。どう足掻いても袋の鼠に変わりはないのだから。」

陛下の決断はその場に不思議な安心感をもたらした。

 

「敵は・・アメリカではない。紗端だ。」

腕組みをしてじっと聞き入っていた老師、宗陰が口を開いた。

「ルシフェルとやらの情報が確かだとすれば、アメリカでは裏で何かとんでもない事件が起こっているようだ。大統領を暗殺した真犯人はブラッククロス、ワシの愛弟子だった米倉さえブラッククロスと繋がりがあったほどじゃから奴等の組織は世界各国に深く根を下ろしていることだろう。そして奴等の崇拝する紗端こそ真の敵なのじゃ。」

「うむ、あのルシフェルを見て私もようやく目が覚めた。いや逆に夢の中にいるような気分だが、ともかく我々の常識を超えた世界があることは直感的に理解できたよ。老師の言う通りもはや事態は国家や人種を超えた所にあるのだろう。強いて言えば思想。我々が悪とするものを善と崇める者たちだ。なんとか朱羽煌雀に会ってみたいものだ。我々の進むべき道を教えてくれる神とやらに。」

総理大臣も朱羽煌雀に対する考えを改め、老師と意を同じくしたようだ。防衛長官らブラッククロスの息のかかった高官たちは船尾の機関室に幽閉した。

“こちらソナー室、艦長応答願います。”

艦内放送が響く。敵に位置を教える危険を冒してまでの行動は緊急事態を意味していた。

「どうしたソナー班、艦長だが。」

大草がマイクを手にして早口で切り返す。

“原潜が浮上します。深度50、40、30m。どうやら潜望鏡深度まで浮上するようです。あっ発射管が開きます!”

急激な事態の変化にソナー隊員の声が震える。

「魚雷か!?」

法務大臣がギュッと手を握り締めながら叫んだ。

「いや、浮上して魚雷はありません。潜望鏡を上げたとなると・・」

大草の説明を遮るようにソナー隊員の声が響いた。

“ミサイルの発射音です。対空ミサイルが8発放たれました!”

「対空ミサイルだと?我々を相手に何故そんなものを?」

総理大臣の質問に宗陰がニヤリと笑って答える。

「どうやら相手は我々ではないということじゃ。艦長、この機に東京湾脱出だ!」

 

 

海中の攻防

 

「(雲を撃破せよとはどういう指令でしょう?)」

アメリカ海軍原子力潜水艦ゴールデンベアの副長パーキンスが訊ねる。

「(私に聞かれてもな・・ペンタゴン最高司令部の勅命だ。)」

暗号無線を手に艦長のグレイが答えた。目標の“雲”はすぐに判明した。東京上空に浮かぶ異様に大きな樽型の積乱雲。この季節にこの場所であんな雲は不自然だ。

“(ミサイル目標まで5秒、4秒、3秒・・)”

レーダー監視兵の声が艦内に響く。

“(目標到達、命中!目標破壊・・いえ、しません。健在です。ミサイル自爆のようです!)”

潜望鏡を覗くグレイの手が震える。ミサイルの爆風で雲の一部が千切れ飛び、岩肌のようなものが一瞬顔を出した。雲はすぐに修復され、岩肌を隠す。やはりただの雲ではない。グレイは手に握り締めたペンタゴンの奇妙な指令を読み返した。

(我が母国、暴動により騒乱状態にあり。国防長官暗殺され指揮系統混乱。これは最後の正しき指令と取られたし。全軍に告ぐ、ワシントンより西に飛び去りし巨大積乱雲を撃破せよ。繰り返す、巨大積乱雲を撃破せよ。)

その後太平洋艦隊司令部から、積乱雲は空軍の猛攻を退けアメリカ本土を抜けて太平洋を西に向かったとの情報が入った。空母から飛び立ったF14トムキャットの精鋭たちも消息を絶った。

「(何者だ、あの雲は・・)」

グレイの歯軋りを艦内放送が破る。

“(自衛隊ディーゼル艦、東京湾を出ます。当艦の下方に向けて20ノットで潜航中。)”

「(ほっとけ!あれに関しては何の指令も受け取らん。)」

“(魚雷スクリュー音接近!8本、その後方に16本!)”

「(なに?ユウナギが放ったのか?)」

グレイが叫ぶ。

“(いえ、後方からです!最適回避コースは・・間に合いません。誘導型か音紋追尾型か分かりません!)”

「(エンジン全速全開!右90度旋回!デコイ発射しろ!)」

 

ゴールデンベア破壊の衝撃波はユウナギの船体をも揺らした。ソナー隊員が耳を塞ぐ。ほぼ同時に残りの2隻の原潜も消え去った。

「何処からだ?魚雷の発射位置は?」

“前方です。原潜らしき5隻の国籍不明潜水艦がいつの間にか現れました。実に静かなエンジンです。魚雷発射音から推定して当艦を180度囲む位置取りにいると思われます。完全に包囲網に入りました。”

「ブラッククロス・・」

宗陰が呟く。

「ブラッククロスだ?そんな馬鹿な?たかが宗教団体が軍事力を持つことなどあり得ない。」

総理の言葉に宗陰が首を横に振る。

「これまでの常識は捨て去ることじゃ、総理。」

“魚雷発射音!全部で40本です。目標は当艦!避けられる本数ではありません!”

悲鳴に近い声が木霊する。

「覚悟を決めた方が良さそうだな。」

陛下の言葉に全員無言で頷いた。

 

ユウナギに向けて前方180度の方向から40本の魚雷が迫る。あと10数秒もすれば日本国家消滅の瞬間が訪れる。ユウナギの後方にキラリと青い光が反射すると、渦流がユウナギを追い越した。前方で2本に割れると、左右に広がり、魚雷の進路を塞ぐ。魚雷は渦流に突入するとその衝撃で爆発した。海中が揺れる。

大きな青いエイのような影がユウナギの脇を猛スピードで抜き去る。5隻の原潜の間をすり抜けるようにスラロームしていく。エイの泳ぎ去った後には大きな渦流が発生し、原潜を飲み込んでいった。制御を失った5隻の原潜は海底の岩場に叩きつけられ、動きを止めた。

 

「何だ?何が起こった?」

“水流です。渦流が突然発生して魚雷と原潜を飲み込んだ模様です。自然に助けられました!奇跡です!”

ソナー隊員の興奮した声が返ってきた。

『朱羽煌雀様・・』

宗陰は静かに目を閉じて心の中で感謝する。こんな都合のいい自然現象はない。ユウナギだけすり抜ける渦流なんて・・。

 

 

夕暮れの廃墟

 

荒れ果てた東京を見慣れぬ生物が走り回る。長い尾でバランスを取りながら2本足でビルの崩落後を走り抜けると、目の前に立ち塞がる鉄骨をジャンプで避ける。前足にキラリと光る鉤爪。ヴェロキラプトル。

「ギャオォォォォォンン!!!」

凄まじい咆哮が木霊する。

《美味い、美味いぞ!苦しみに満ちた赤きオーラよ、何というご馳走だ。この日を待ち望んだぞ!》

放射能防護服に身を包んだ米倉の頭にラプトルのテレパシーが響いた。ラプトルには放射能など全く影響ないらしい。

《たっぷりと楽しみなよ。これだけ大量の彷徨えるオーラなんて滅多にないチャンスだ。》

ニヤニヤ笑いながら米倉がテレパシーを返した。反重力要塞でも亜光速飛行体ブラックデルタのためにヒトオーラを採取している。これで当面の間は無駄な人殺しをせずに済むだろう。赤い夕焼けは大気のせいだけではなさそうだ。赤きオーラが染め上げたここだけの特別な夕焼け。米倉は満足そうにそれを見上げる。

『あいつにとっても赤は特別な色だったな・・』

ペガサス、スクァーラル、そしてSuzaku。今は朱羽煌雀となった高野アキヒコに思いを馳せる。自分にとって血の繋がった息子だが、世界を手にするためには邪魔な存在。考えてみればこうなる前に始末するチャンスはいくらでもあった。何故今日まで生かしてきたのか・・。

《いやに感傷的なのね。私たちには邪魔な感情だと教えたのはあなたなのに。それって親子の情?》

いつの間にか反重力要塞からサーシャとマーシャが降り立ち、側に立っていた。気配を感じさせない身のこなし、それよりも米倉の心を読んだことが驚きだ。双子は確実に進化している。

『親子の情?冗談はよせ。必要な情報を引き出すために生かしてるだけだ・・』

葬り去った人としての感情が擡げかかるのを米倉は打ち消した。自分はいつから人でなくなったのか?心を支配する紗端のエネルギーが増幅し、米倉の思考を遮った。

 

 

洋上の対面

 

すっかり暗くなった横須賀沖。慎重に浮上したユウナギに海上自衛隊大型巡洋艦クロシオが近付く。小型ボートでユウナギの客人たちを収容し、これ以上ない丁重さで自艦に向かい入れた。

 

ブリッジの作戦室に集まった面々は久しぶりに味わう新鮮な空気を満喫する。薄く開けた小窓を通して潮の香りが鼻腔をくすぐる。やや荒れた波のうねりは時たま足元をすくおうとする。一種独特の雰囲気を持つ夜の海、隙あらば誰かを引き込もうと手薬煉引いているようだ。

「艦長、我々が地下壕に閉じ込められていた間の状況を簡単に聞きたい。」

固めの座り心地の良くない椅子に表情を硬くしながら総理が口を開いた。

「はい。まず東京の様子ですが何も残っていません。1000万の民と建造物はあの一瞬で消滅しました。核ミサイルはご承知と思いますがアメリカが放ったものです。テロリストをかくまうテロ国家に対する報復処置だと弁明しています。ミサイル着弾と前後して在日米軍部隊は退去しました。これは日本を占拠する気がないことを示すものと思われます。ただしアメリカ政府から日本への正式なコメントは未だに何もありません。」

クロシオ艦長沖田が淡々と説明する。心身ともに鍛え上げた生粋の自衛官は、直立不動の姿勢を微動だに崩さない。

「アメリカに関して妙な噂を耳にしているが、正確な情報を教えてくれ。」

法務大臣の問に沖田は小首を傾げる。

「妙な噂とは?」

「各地で暴動が起きているらしいが・・」

ルシフェルのもたらした非公式情報を法務大臣は掻い摘んで話した。

「はっきり申しまして現在日本は無政府状態。むしろ暴動が起きて不思議でないのは日本の方でしょう。そんな状況では満足な情報など入りません。ましてや諜報活動など我々の耳には届きません。各国のニュースでアメリカが民間航空機の離発着を大幅に制限したという報道はしばらく前にありましたが・・。テロ対策の名目で実質的にはほとんど国際線、国内線とも利用できないとのことです。どうも厳戒態勢がしかれ、各国のメディアも自由な報道ができないようです。それに・・」

沖田の言葉を遮るようにドアがノックされ、見張りの担当官が敬礼して入室した。沖田の耳元で何事か囁く。

「国籍不明の見慣れぬ飛行物体が2機、当艦上空を旋回しているそうです。攻撃の意思は見られないことから敵意はないと思われます。どうやら当艦とコンタクトを取りたがっているようですが・・」

沖田は首脳たちに向かって指示を仰ぐ。

「朱羽煌雀様じゃな。艦長、着艦許可を出しなされ。」

宗陰が静かに言った。

「着艦ですと?これは空母ではない。こんな狭い甲板にいったいどうやって降りると・・」

「いいから老師の言う通りに!」

とまどう沖田を総理が厳しい口調で促した。

 

 巡洋艦クロシオに音もなく降り立った2機の小さな飛行体。紅と蒼が甲板を照らす照明にキラキラ輝く。銃を構える船員たちを宗陰が制した。

「失礼なことは止しなさい。」

Suzakuのキャノピーから痩身の若者が現われた。風に靡く黒髪と深いエメラルドグリーンの瞳。隣には褐色の膚をしたビーナスが見事な肢体をスラリと伸ばす。

「お待ちしておりました、煌雀様。」

宗陰が深々とお辞儀した。

「久しぶりだな、老師。」

朱羽煌雀が微笑を返した。その顔には安堵の色が浮かぶ。

「夜風は冷えまする。まずは中へ、会わせたいお方もおりますゆえ。」

宗陰に連れられて朱羽煌雀と蒼鱗龍娯は作戦室へと招かれた。

 

「あなたが朱羽煌雀か、お若いな。」

陛下が右手を差し出す。朱羽煌雀はその手を当然の如く握り返した。多少は身動ぎすることを予想した面々はあっけに取られる。

「ほほう、私を前に眉一つ動かさないとは。やはり宗陰の言う通り特別な方らしい。」

「この際お互いの値踏みは無駄だ。私のことを聞いているなら挨拶抜きで本題に入ろう。」

ガタッと椅子が倒れた。総理大臣が朱羽煌雀の態度に顔を真赤に憤慨する。

「何様のつもりだ!やはりお前はテロリストか!」

《失礼があったら謝る。今は時間が惜しいのだ。》

突然未体験のテレパシーを受け、総理は口を噤んだ。人は自分の想像を越えた事態に遭遇すると勢いを削がれるものだ。

「まず私はテロリストなどではない。アメリカ大統領ロックダムを殺したとされているだろうが、全くの濡れ衣。私を封じるためのブラッククロスの陰謀だ。」

宗陰が頷く。

「そして世界はそのブラッククロスに、いや、恐るべき紗端に支配されようとしている。あなたがたに求めたいのは私の自由。そして私を支える者たちの保護だ。」

朱羽煌雀はじっと一同を見渡した。半信半疑の雰囲気に何か後押しが必要だ。

「あの魚雷は危ないところだったねえ。恩をきせるわけじゃないけど、何に救われたか分かるかい?」

痺れを切らした蒼鱗龍娯が口を挟んだ。意味よりもその流暢な日本語に気を取られた首脳たちは、蒼鱗が顎で指した窓の外を見て言葉の重要性を理解した。巡洋艦のすぐ側に竜巻が発生し、天高く舞い上がる。

「あっ、それじゃ魚雷が消えたのはキミの・・・」

法務大臣が口をパクパクさせる。

「あんたも見せておやりよ、朱羽。」

そう言うと蒼鱗は手に取ったカップを宙に投げた。朱羽煌雀の操る黒球がそれを消し去った。

「分かった。十分だ。我々には他にすがる者もなし。あなた方を全面的に援護しよう。」

陛下が再び朱羽煌雀の手を握った。

 

 

竹村の閃き

 

巡洋艦クロシオのレーダー室に急あつらえのモニターがセットされた。船室で休んでいた国立原子物理研究所主任研究員竹村博士は若い船員に丁重に案内されてモニターの前に座った。

「何だね、別に苦情を言うわけじゃないが、私がこんな場所に呼ばれても役に立つとも思えないのだが。そもそも私の専門は・・」

深夜の眠りを妨げられた竹村は、やや朦朧とした表情で不機嫌を前面に出す。

「まあ博士、この非常時だ。多少の失礼は我慢いただこう。その画面を見れば眠気も覚めるのではないかな?」

壁を背にどっしりと座った影が発した聞き覚えのある声に竹村は背筋を伸ばして立ち上がりながら振り返えった。

「陛下!いらっしゃるとは存ぜず失礼いたしました。私ごときにお声をかけて下さるとは何たる光栄。恐れ入ります。」

深々とお辞儀した竹村はあらためて画面を向き直り、椅子に座りなおす。

モニターがザザッと音を立てると、人の顔が現われた。まだ何処となくあどけなさの残る少年の表情だ。

「ルシフェル君、また会えてうれしいよ。紹介しよう、こちらが竹村博士だ。」

宗陰が画面に話しかける。

《こんばんは、みなさん。あっ朱羽煌雀さん、導きありがとうございます。あなたの気は何処にいても明瞭だ。特にこんな洋上では迷いようがない。》

画面から返ってきた頭に直接響く機械的な声に、竹村の表情が固まった。レーダー制御装置の出力端子からアンテナ線だけを繋いだ只の古い白黒CRT、今となっては骨董品と呼べそうな代物にテレビ電話の機能があるとは思えない。

《えっと、竹村博士、初めまして。ルシフェルです。圭子おばさん、いけね、広沢圭子さんがあなたの助言を求めています。メッセージを伝えますね。》

画面がブラックアウトすると、ビデオ画像の再生が始まった。

「お父様、主任、生きていらしたなんてこれ以上の喜びはありません。早くお目にかかりたいですわ。でもその前に私たちにはしなければならないことがあります。そこにいるはずの朱羽煌雀様を時空に送り出さなくては。主任、もうSuzakuは御覧になりました?私たちの創造し得ない素晴らしい飛行物体です。既に秒速1000km/hという信じられないスピードを記録しています。でも私には気にかかることがあるのです。テスト飛行を繰り返す彼らが口を揃えて断言している、光のドップラー効果が見られないという事実。まわりを流れる光の速さに差異が生じれば確実に起こるはずの現象が一向に現れないのはどう考えればいいのでしょう?何か簡単なことを見落としている気もするのですが私には分かりません。時間がないのです。助言を、主任の助言をお願いします。」

画面の向うで圭子が頭を下げてビデオは切れた。

「Suzakuとは何です?本当に秒速1000km/hも出る有人飛行物体があるというなら私は今すぐ海を泳いででも見てみたいものだ。」

竹村の興奮した鼻息が荒い。まるでお気に入りのおもちゃを見つけた子供のようだ。

「海を泳ぐ必要はない。」

壁に寄りかかった長髪の若者が言った。

「我がSuzakuを見たければ甲板にある。」

 

巡洋艦クロシオに乗り合わせた人々は手が離せない者を除いて所狭しと後部甲板に集まった。陛下を始めとした首脳陣たちは一段高いデッキから下を見下ろしている。朱羽煌雀はSuzakuに乗り込むと推進器中枢へ電流を流すイグニッションスイッチを押した。推進器の球体が磁力を受けて浮遊し、回転を始める。

フワッと甲板から浮き上がったSuzakuにどよめきと歓声が上がる。竹村は居ても立っても居られず奇声を上げてデッキを駆け降りた。

「信じられん!こいつは・・中でどんなエネルギー反応が起きているというんだ?光子を発しているところからすると相当高度な核分裂か。素粒子分裂を伴った・・」

目を皿のようにして観察しながら竹村は独り言のように呟く。そして自分の言葉に原子物理学者の本能が矛盾を嗅ぎつけ、首を傾げた。

「光子を発する・・何か引っかかるぞ・・うん、そうか、これだ。このままではいくら強力な推進力を得ようと光速には近づけない。こんな盲点に気が付かないとは広沢君もよほど冷静さを失っているんだな。」

フワフワと浮かぶSuzakuを眺めながら竹村が満足そうに頷いた。その時後部甲板デッキの沖田艦長に、若い航海士が血相を変えて呼びかけた。

「たっ大変です、艦長!急いで無線室へ来て下さい!」

 

 

提案

 

「・・また傷害事件の通報あり。被害者は30代男性。加害者は若い女で、包丁を振り回して意味不明の言葉を叫んでいる模様。現場近くのパトカーは急行されたし。本町3丁目交差点付近で轢き逃げと思われる遺体が放置されているとの通報あり。被害者は頭部裂傷で即死の模様。現場近くで見慣れない敏捷な大型の動物らしきものを見たとの情報もあるが事件との関連は不明。(ガチャ)なっ何だ!ウワー、ばっ化け物!恐竜だ!助け・・(ズチャ!)」

スピーカーから流れる無線録音は肉を引き裂く不気味な音で途切れていた。

「横須賀の警察無線です。たまたま傍受しましたが、どうも陸ではただならぬ事件が起こっているようです。どうしましょう?」

通信員が沖田の指示を仰ぐ。

「陸上自衛隊との連絡は取れるのか?」

「先程から試みていますが、回線が繋がりません。」

部屋の入口で聞いていた朱羽煌雀と蒼鱗龍娯が口を揃えて言った。

「紗端だ!」

急いでSuzakuとSouryuに乗り込もうとした2人を宗陰が呼び止めた。

「ちょっとお待ち下さい。別の無線が入ったようです。」

 

「(こちらアメリカ海軍太平洋第7艦隊指令ロビン・ヤールマン准将。海上自衛隊巡洋艦の諸君、聞こえるか?この無線を聞いていたら応答願いたい。繰り返す。海上自衛隊巡洋艦の諸君、応答願いたい。攻撃の意思はない。話をしたいのだ。)」

無線からは野太い英語が流れていた。

「艦長?」

通信員が沖田に問う。沖田は頷いて無線のマイクを手にした。

「(こちら日本国海上自衛隊巡洋艦クロシオの艦長沖田だ。ヤールマン准将、・・貴兄の無線はよく聞こえた。話とは何だ?東京を・・廃墟にしただけでは不満かね?場合によっては貴兄の空母と・・刺し違える覚悟はあるぞ。)」

時折つまりながらも沖田は英語で話しかけた。その声は怒りに震えている。

「(ミスター沖田、応答感謝する。貴方の気持ちは察して余りある。だがまずはあの核ミサイルがアメリカの意思でなかったことを弁明したい。)」

ヤールマンは突然予想外の言葉を吐いた。

「(今更何を言ってる。我々は今回の攻撃に関するアメリカの声明をはっきりと聞いたぞ。テロリストを匿う国家への報復だとな。そして国民の半数以上が支持しているとな。)」

沖田は船上で聞いたラジオの放送を思い出す。忘れようとしても忘れられない屈辱の放送だ。

「(その声明を発表したワーグナー補佐官はもうこの世にいない。我々海軍を統括したラウグ国防長官も既に天に召されている。核の発射ボタンは彼ら2人の持つキーで封じられていた。彼らの命を奪った奴こそ東京を崩壊させた史上最悪の犯罪者だ。アメリカは政府高官のほとんどを失い、無政府状態にある。我々はようやく事件の概要を掴むことができた。我々を彷徨える海賊同様に追いやったのは悪魔信仰集団ブラッククロスだと。)」

無線を通してヤールマンの低音が響き渡る。よく通る声だ。

「(開拓時代さながらの無法地帯と化した本土を命からがらヘリで脱出した2名のCIAエージェントが、私の空母への着艦許可と引き換えに知り得る全てを告白した。恐ろしい話だ。手短に説明しよう。CIAはアラスカの凍土で恐竜の完全なる凍結体を発見した。彼らはそれを慎重に発掘し空軍秘密基地で調査しようとした。かつての墜落したUFOのエイリアン同様に。その最中異変が起きたらしい。CIAにも潜伏するブラッククロス構成員がラプトルを何らかの手段で生き返らせたのだ。空軍基地の全員が血の海の中で息絶え、目覚めたヴェロキラプトルはそこから消えた。そして殺戮を繰り返しながら、後で分かったことだが、こともあろうにホワイトハウスの核シェルターに潜んだのだ。ラプトルはその野蛮は風体に似つかわしくない知能の持ち主らしい。FBIが踏み込んだホワイトハウス地下には大きな羽毛が落ちていた。発掘されたラプトル体表を覆っていた羽毛だ。確たる証拠はないが、奴は補佐官を操り、国防長官を殺害し、東京壊滅への禁断のボタンを押した。次にターゲットを我がアメリカに切替え、正体不明の細菌兵器を使用して国民の1割以上を凶悪な殺人鬼に変貌させた。)」

じっと腕組みをしながら聞き入っていた総理が口を開いた。

「(私は日本国総理大臣、大林だ。ヤールマン准将、キミの話は俄かには信じ難いが、軍人であるキミが我々に作り話をする理由も見当たらない。情勢は圧倒的にアメリカに有利なわけだし、その気になれば我らを打破することも造作ないだろう。それらを考え合わせればここはキミの話を真実と取るのが妥当だと思う。さて、ホワイトハウス内部で大変な異変が起きていたことは分かった。だがその後の細菌兵器はどうして分かった?それだけの騒動が起きていて何故ニュースにならないのだ。)」

外交官の経験もある英語は流暢だ。

「(これはサー・大林、ご無事で居られたことを神に感謝します。我々も洋上にいて常時ニュースが入るわけではないが、どうも我が本土は軍の警備体制に置かれ昼夜を問わず無断外出を禁じているようだ。マスコミも完全なる報道管制をしかれ、国民に動揺を与えるニュースはシャットアウトされている。細菌兵器の情報はカナダの医療研究所が発信元だ。国境近くで死亡した何体かの暴動犯の遺体を解剖した結果、脳から共通のウィルスが検出されたらしい。)」

クロシオの無線室に沈黙が漂う。世界はゆっくりと破滅への坂道を転がり出し、グングンその速度を速めているのだ。

「(我々の提案だが・・)」

ヤールマンが切り出した。

「(ブラッククロスの本拠地を攻撃し、撃破したい。我が太平洋艦隊はすでに多くの艦載機を失い、手負いの状態にある。勝手な申し出だが貴国の自衛隊を我が艦隊に組み入れていただけないか?)」

昨日の敵は今日の友ではないが、あまりにも突然だ。

「(我々こそ貴兄の祖国より放たれた禁断の兵器により壊滅状態にあることをお忘れか?日本本土を守るべき自衛隊を貸し出すことなど到底無理な話だ。大体憲法が許さん・・)」

大林総理は自分に染み付いた“常識”に気がつき一瞬言葉を止めた。この期に及んで何が憲法か。未だに消滅した国会を相手に論じている自分が滑稽だ。

「(ともかく今自衛隊を我々の指揮下から離すことなど自殺行為だ。何処から攻撃の魔の手が伸びるか分からない。大体そのブラッククロスの本拠地までどうやって出向こうというのか?ヨーロッパの何処かという程度で正確な場所さえ分からないのじゃないかね?)」

「(奴らの本拠地は今、日本にある・・)」

ヤールマンのその一言に、一同は言葉を失った。

 

「(奴らの科学力は、信じられないことだが、我々の常識外にある。私はたとえ空軍秘密基地にエイリアンの遺体があろうと不規則な動きをするUFOなどあり得ないと信じてきた。空中で停止するのはともかく、そこから急加速したり急角度でターンすることなどどう考えても不自然だ。目撃者の畏怖感が作り出した錯覚だとね。だがあれを見た時、間違っていたのは私の方だと気が付いた。)」

ヤールマンはクロシオの返答を待たずに独り言のように話し出した。

「(本国からの最後の指令は全く意味を持たない言葉だった。“ワシントンを飛び去った巨大積乱雲を撃破せよ。”その意味は実物を目にした時それ以外表現のしようがないことが良く分かった。ブラッククロスは山を浮かび上がらせ、自在に動かすことに成功したのだ。山だぞ、絶対に動くことのない山を奴らは飛ばしたのだ。雲はそれを覆うカモフラージュ。もっともそんなものなくても奴らの要塞フライングシャトーはビクともしなかったがね。ああ、フライングシャトーは私が勝手に名付けたものだ。山の頂に古城を抱いているものでね。)」

朱羽煌雀の脳裏に富士の上空で遭遇したタンデオンの古城が浮かぶ。あれを見れば誰もが腰を抜かすことは間違いない。ブラックキャノンを跳ね返した電磁シールド。浮遊の原理は謎だが富士からワシントンに移動し、再び戻ってきたということか。

「(奴らの武器は弾丸やミサイルではない。雲に近付けば計器は狂い、頭が混乱する。我が艦隊の航空機は1/5が自滅した。そして恐ろしくすばしっこい黒い三角翼。その1機に7機のトムキャットが撃墜された。はっきりいって奴らを仕留める具体的手立てはない。だが見逃すことは軍人としてできない。貴方たちの“神風”精神が今私には分かる気がするよ・・)」

ヤールマンの低音から命を賭した覚悟が伝わる。

「(・・分かった。自衛隊を貴兄の指揮下に置くことはできないが、共通の敵に向けて全面的に協力しよう。我々は和平条約のもとアメリカの庇護の下にあった。本来なら貴兄の望み通り兵力を差し出すべきかもしれないが、こちらの事情も理解して欲しい。)」

大林総理の言葉にヤールマンの声量が大きくなった。

「(ありがたい!十分だ。)」

「(俺たちも微力ながら協力しよう。)」

朱羽煌雀が壁際から大きな声で言った。

「(誰だキミは?)」

ヤールマンが興味を示す。

「(あなたたちがテロリストと呼んだ人物さ。今となっては過去のことだろうけどね。)」

 

 

虚しい攻撃

 

夜の闇に閃光と衝撃音が走る。横須賀沖に停泊した空母シーギャラガを飛び立ったF-14は、放射能の残る東京低空に浮遊するブラッククロスの半重力要塞フライングシャトーに上空からナパーム弾を浴びせかけた。飛び散る炎はすでに灰と化した焼け野原に広がり、フライングシャトーを囲んだ。巨大な要塞は炎を全く意に介さない。それはそうだろう。内部は窺い知れないが、外側は山の岩肌。それを電磁シールドが守り、さらに雲が覆っている。地上から100m付近にいたフライングシャトーはゆっくりと上昇を始めた。自衛隊のF-15が遠方から多弾頭対地ミサイルを浴びせる。照準を合わせる必要もないほど目標は大きい。ミサイルはF-15の翼を離れると5つに分裂し、広がりながらフライングシャトーの山肌を目指した。周りを覆った雲は切れ、要塞の全貌があらわになる。もう隠す必要もないと判断したのか、それとも・・・。

フライングシャトーのあちこちから光線が放たれる。レーザーのようだ。ミサイルは光線に触れて遥か手前で爆発した。1発はレーザーを潜り抜け岩肌に到達したかに見えたが、見えない壁に当って自爆した。

「(攻撃中止、全機隊形を整えよ。)」

星条マークを翼につけたF-14トムキャットと日の丸をつけたF-15イーグルは、それぞれ間隔をおいてV字態勢を取った。

「(やみくもに攻撃しても全くダメだ。何とか突破口を見出さなくてはならない。)」

「(一回り観察したが、噴射口一つありゃしない。爆弾もミサイルも頑丈そうな岩肌に届く前に消滅しちまうようだ。)」

「(もっと近付いて見ないと分からない。接近許可を頼む。)」

「(まて、ハワイ沖での仲間の墜落を忘れたのか。一定距離より近付くと計器が狂い、強烈な頭痛に襲われるらしい。それにあのレーザーを見たろ?)」

無線を通して興奮したやりとりが交される。

「(母艦より指令。横須賀郊外にラプトル捕捉。始末せよ。)」

「(チェッ、歯応えのない目標に切替えだぜ。)」

 

《煩いハエがやってきたか。》

人間狩を楽しみ、肉を喰らっていたヴェロキラプトルが前方上空を見やった。肉は生きるために喰うのではない、歯応えを楽しむガムのようなものだ。本当のご馳走、体のエネルギーとなるのは赤いオーラだ。

断続的な光とともに地上を土煙が走った。F-14から放たれた機銃だ。ラプトルはギリギリまで引き付けると僅かに身を沈め、フワリとジャンプした。まるで重力がないかのように体は遠方に移動する。バキャバキャバキャッ!木をなぎ倒しラプトルが元居た付近を虚しく弾丸が土煙を上げた。

照明弾が輝く。光に照らし出されたラプトル目掛け、低空を四方からF-15が機銃を放ちながら近付く。前方と側方の3機は示し合わせたように右に旋回して腹を見せながら同士討ちを避けた。後方の1機がそのままラプトルを狙い撃ちしようとした。ラプトルは信じられない脚力で前方のF-15に向けて飛び、反動を利用して後方から飛来した本命のF-15のキャノピーに飛び付いた。蹴りをくらった前方のイーグルは衝撃で態勢を崩し、失速した。翼が大地に触れ、機体が粉々に飛び散る。ラプトルは後ろ足で羽交い絞めにしたキャノピーにゆっくりと鉤爪を振り上げる。パイロットの恐怖に引き攣ったヘルメット目掛け、勢いよく叩きつけた。キャノピーが割れ、ヘルメットに穴が開き、鉤爪はパイロットの脳天に突き刺さる。悲鳴を上げる間もなく即死したパイロットをその場に置き去りにして、地上に接触する寸前にラプトルはイーグルを思いっきり蹴った。300mは飛んだだろうか。地面を後ろ足が滑り、もうもうと土煙を立てた。

ミサイルが放たれた。市街地からそんなに離れていないこの場所で本来使うべき武器ではない。ラプトルはニヤリと口の端を歪めると、ミサイルに向けて立ちはだかる。目にも止まらぬ速さで背を向けるとミサイルを軽く尻尾で撥ね退けた。ミサイルは横須賀の繁華街に矛先を変えて襲い掛かる。

《ギャーハッハッ、殺し合え!》

ラプトルの咆哮が木霊した。

黒球がミサイルの前方に現われて行く手を遮った。キラキラと光子を放ちながらミサイルは反物質の世界へ吸い込まれる。開けた口を閉ざすこともせずにラプトルは素早く辺りを見回した。赤外領域を感知する目は闇でも熱を発する物を判別する。流線型のフォルムが視界の隅に捕えられたかと思うと、次の瞬間風圧が鎧の皮膚を覆った羽毛を揺すった。

《朱羽煌雀!!》

タンデオンの古城で相対したオーラの波動が、500m前方で停止した紅き飛行体から伝わる。5才のアキヒコの映像がラプトルの網膜の裏に浮かんだ。そうだ、かつては一体だったこともある魂を揺さぶる波動だ。

『ラプトル・・』

朱羽煌雀は瞬きもせずにじっと前方の古代生物を凝視した。ルシフェルの話には聞いていたが、実際目の前にするとその異様な迫力に身震いする。

両者は互いに向き合ったまま微動だにしない。緊迫感に空気も止まる。

《また会ったな、朱羽煌雀。》

おぞましい感触のテレパシーが脳幹に響く。体中に鳥肌が立ち、侵入した悪寒の原因を排除したがる。

《やはり・・紗端か。》

覚えのあるテレパシーに朱羽煌雀は答えた。

《フハハハハ、小娘のことはもう諦めたか?時間は残されていないぞ。あと10日あまりで娘を包むシールドは消滅する。》

考えたくない現実を紗端が突きつける。そう、タイムリミットは確実に迫っているのだ。

《そのへんにしとけよ、兄弟。引き返すぞ。》

黒い三角翼、ブラックデルタが音もなく近寄るとラプトルの頭上で停止した。電磁シールドがラプトルを覆い、体をフワリと浮かせた。そして消える・・。実際には目にも止まらぬ速さで加速し、飛び去ったのだ。Suzakuを遥かに凌ぐ瞬発力、いったいどういう推進器を使っているのか・・。

 

《何故奴を仕留めない?》

ラプトルがブラックデルタを操縦する米倉に聞く。

《側にもう1機青いのがいた。2機相手では万が一ということもある。》

米倉がテレパシーで返す。

《それだけならいいが・・》

ラプトルの懐疑心に米倉は思考を閉ざした。

 

 

海上の合同キャンプ

 

空母シーギャラガに米軍輸送機が到着したのは僅か2日後のことだった。ミラノ郊外、ペガサスアウトモビリにあった主要な機材を全て運び出し、この巨大空母の一角を拠点にすることになったのだ。輸送機から降り立った長谷川やマルコをヤールマンのごつい手が向かえた。小柄な圭子はヤールマンに片手でひょいと抱え上げられて笑いながら悲鳴を上げる。

「(よく来てくれた。我がシーギャラガにようこそ。諸君の機材は特別に改装した整備室に運び込んだ。荷物はそれぞれの部屋に運ばせよう。部屋は後で士官に案内させるが、この艦全体を我家と思ってくれたまえ。)」

ヤールマンは快く長谷川たちを向かい入れた。一昨日までCIAを牽制しながらビクビクしていたのが嘘のようだ。大手を振って太陽の下を歩ける喜び、こんな気分を味わうなんて日本に暮らしていた時欠片も思わなかった。

ヤールマンの傍らに控えた2名の背広すがたの男たちが前に歩み出る。

「(CIAのワイズナムとこちら同じくブロンクス。私たちの同胞がこれまで失礼な振る舞いをしたことをお許し下さい。大統領暗殺がブラッククロスの行為であったことはCIAに潜入していた彼らのスパイの口から明らかになりました。今やアメリカもあなた方の日本も瀕死の状態。一致協力して事に当りましょう。)」

ワイズナムの差し出す右手を握りながら長谷川は複雑な心境だった。少なくても東京を壊滅させた核ミサイルはアメリカから発射されたものではないか。実際ボタンを押したのが誰であろうと、もともとあんな装備さえなければ・・・。

 

シーギャラガの飛行甲板にSuzaku、Souryu、Genbu、Byakoの4機の飛行体は翼を休めていた。整備兵たちはそのすっきりとした小さな機体の秘める驚くべき性能の秘密を知りたくて代わる代わる覗き込む。機体を洗おうとホースから水を浴びせた新米兵は、全てを跳ね返し水滴さえ付かない不思議な塗装表面に首を傾げた。そっと手を触れようとしてスルッと滑る。

少し離れた場所でヒソヒソ話をしていた4人整備兵は玄蘒武炫に近寄ると思い切って話しかけた。

「(あのー、ミカエル・シュナイザーさんですよね、F1チャンプの・・)」

「(去年まではそう呼ばれてたかな。)」

玄蘒はニコリと笑いながら答える。

「(やっぱりそうだ!俺大ファンなんです。握手して下さい。それとサインとか・・)」

「(握手はいいが、サインは勘弁してくれ。私にとってシュナイザーはもう過去の人間なんだ。)」

玄蘒の呟きも手を握り締める若者の耳には届かないようだ。感激で上の空、わざわざ気分を壊すこともないだろう。

「(じゃあ、こいつが誰だか分かるかい?)」

玄蘒武炫は白牙虎鉧の肩に手をやりながら別の整備兵に訊ねる。

「(もちろん、貴公子ヤン・マユニネン!)」

懐かしい響きに白牙虎鉧の顔がほころんだ。

「(でもな、俺たちより速い奴がいるのさ。あそこにな。世界がこんなにならなきゃ史上最速と呼ばれる男になってるだろうよ。)」

白牙虎鉧の指差す向うには朱羽煌雀の姿があった。

 

「(諸君!我々には立ち向かわなければならない幾つかの戦いがある。私はベトナムを経験し、歴戦の強者と呼ばれてきた。だが今我々が立ち向かう相手は屈強の兵士でも尻込みするであろう。知っていると思うが諸君の母国は大変な状況にある。愛する家族は諸君の勇敢な戦いを待ち望んでいよう。残念ながらすでに多くの同胞がこの世を去った。今ここに再度お願いする。諸君の命を私に預けてくれ。そして力を合わせて祖国に、いやこの地球に平和を取り戻そうではないか!)」

食堂に集めた全乗組員と客人にヤールマンが檄を飛ばす。彼のの演説はヒトラー並だ。響き渡る心地良い低音と選び抜いた言葉が聞くものの心を捉え、一つにした。

「(我々は軍人である。戦いのプロであるが、目の前に立ち塞がる敵は戦いだけで倒すことはできない。一つめは例のフライングシャトーとラプトルだ。我が大統領を暗殺した憎むべきブラッククロスの居城だ。全兵力を上げて叩き潰す!と言いたいところだが、正面からぶつかっても傷一つ付けられないことが分かっている。そして二つめは我が祖国、いや今や親愛なる日本をも蝕む謎の細菌兵器だ。これも残念ながら我々の力だけではいかんともしがたい。そしてもう一つ、紹介しよう、これから我々の総司令官となるシュバ閣下だ。閣下の抱える問題は最も難問である。我々は閣下の指揮のもと国家を超えて団結しようではないか!)」

ヤールマンの敬礼を受けて朱羽煌雀はマットの敷かれたテーブルの上に立った。全員が敬礼し、言葉を待つ。傍らには陛下が頷いている。

「(私はこれまで自由に行動できない境遇にあった。今こうしてみんなの協力を得られる立場になったことをヤールマン准将と日本の首脳陣に感謝したい。さて、我々が相手にしようとしているのは薄々感じている者もいるだろうが、人間ではない。キミたちの主の教えでも悪名高き存在、サタンだ。サタンは今ヴェロキラプトルという最強の体を手に入れ、この世界の支配に動き出した。ウイルスも同じくサタンの分身だ。そして奴の恐るべき本体はこの世界にはなく、私は愛する者を救うため、サタンを倒すために見えない世界に飛び立たなければならない。私にキミたちの力を貸してくれ。残された時間は少ない。今後は専門チームに分かれてそれぞれの難題に立ち向かおう。協力ありがとう。)」

食堂に耳をつんざく拍手が鳴り響く。蒼鱗龍娯も玄蘒武炫も白牙虎鉧も掌が真赤になるほどの拍手をしていた。

 

 

作戦会議1・第5整備室

 

クロシオから乗り込んだ竹村は、改装された第5整備室に設置されたEMS(ユーロ・モデリング・システムス)製のワークステーションのモニターをじっと見つめている。そこにはSuzaku推進器の設計図があった。背後に控えるモデリングシステムがそれを具現化し、秘薬が仕上げた。後ろ手を組んだ宗陰が鍵付きのガラスケースに収められた4つの神宝をじっくりと眺める。地球という偉大な生命が長い年月で育んだ成果だ。

「素晴らしい!こんな仕組みだったのか。いったい誰が考え出したものやら。科学の画期的進歩と言えよう。」

竹村は推進器の設計図に賞賛の言葉を送る。

「いいえ、科学の進歩とは違います。」

圭子が打ち消した。

「生命の神秘ですわ。これはもともと時空を駆け巡った朱雀の体内構造だと聞きました。朱羽煌雀様が記憶として継承したのを具現化したものです。」

若かりし頃は物質の本質を見極めたくて原子物理学を学び、超自然現象の存在など否定する立場を取り続けた。だが、ブラックホールの糸口を探り出し、それを自在に操る神のような若者に出会った今、彼女にはありとあらゆる神話が実話に思える。

「ふむ、まあよい。推進器は完璧だが、機体の方には重大なミスがあることにキミたちは気付いていないだろう。」

「えっ!」

長谷川と圭子が同時に驚きの声を上げる。

「確かに最初は欠陥品でした。出力を上げるほど危険な低速中性子が発生して推進器を蝕みました。でも今はその問題も解決し、いくらでも出力は上がりますわ。」

圭子が反論する。

「だから推進器は完璧だと言っただろう。問題はそれではない。Suzakuが飛び立つ姿を今一度思い起こしたまえ。」

圭子と長谷川がじっと目を閉じて空想する。美しい姿、メイン噴射口から煌く光の洪水。

「どうだ?広沢君、分かったか?」

竹村は圭子に聞いた。

「いえ、主任・・」

「いいか、Suzakuの後から何が出ている。」

「反応の副産物、光子です。」

「キミはアインシュタインの相対性理論を忘れたか?キミたちの目指す光速とは何だ?光を発するものが光の速さで移動できるのか?」

竹村の一言に圭子の顔色が変わった。

「そうか!大変なことを見落としてましたわ。ありがとうございます、主任!」

竹村は笑顔で頷いた。

「それと、Suzakuは光の速さで飛ぶ必要はないよ。光が波動であることを忘れるな。宇宙航行で多用されるワープ理論は机上の空論ではない。」

圭子は何度も頷きながら長谷川と機体のスケッチをテーブルに広げ出した。

 

 

作成会議2・医務室

 

「カナダの医療研究所の発表では、ウイルスは主に脳に作用するようだ。脳炎を引き起こす西ナイルウイルスと同種のものかもしれないが実際には現物を見てみないと・・暴動犯の解剖記録には脳が黒く変色し、極端に縮小していたとある。変色部の組織検査は癌細胞の特徴を示している。」

医務室に集まった宮内庁直属の医師たちは、アメリカを壊滅させようとしているウイルスへの対策に取り組もうとしていた。対岸の火事ではない。横須賀でも同様の事件は起きた。日本にも細菌は放たれ、急速に広まりつつあるのだ。

「ウイルスはワシントンから広まったと考えられる。暴動の発生日と件数で広がりを追うとこのようになる。」

医師団のリーダーを務める菅野の操作でパソコンのモニターに北アメリカの地図が表示された。そこに赤く暴動事件の広がりが描かれている。

「すごい勢いで広がっていますね。2週間でアメリカ全土をほぼ制圧か・・メキシコにも波及している。西ナイルウイルスと同種だとすると蚊を媒体とした血液感染が通説ですがこの速度は異常だ。うん?ちょっとまてよ、最初は同心円状の広がりを見せているのに途中から半円になっているぞ。カナダに向けての広がりがないな。どういうことでしょう。」

「山や湖を境にしているわけでもなさそうですね。多少の歪はあるが緯度にそっているように見える。ここ数週間の温度分布は出せますか。最高気温がいいと思う・・」

菅野の補佐を務める30代の医師伊藤がモニターに平均気温の線を表示した。暴動の境界線はほぼ気温の線と一致している。

「やっぱりこれか!このウイルスはおそらく空気感染するんです。最悪の感染方法だが、唯一の弱点は気温でしょう。氷点下ではウイルス自体の活動が停止すると思われます。気温0℃と感染の境界線がほぼ一致している。ウイルスのサンプルが欲しいですね。この艦に持ち込むのは非常に危険なことは分かりきっていますが。」

「引き受けよう。」

後で聞いていた朱羽煌雀が言った。

「ところで脳の癌細胞というのがちょっと気になる。確か去年の初秋、東京でそういう事例が報告された記憶があるんだ。非常に珍しいことなので覚えている。」

菅野が自分のノートパソコンを広げて調べ出した。

「あった、これだ!43才男性。死因は直接の心筋梗塞だが、末期のリンパ癌で入院していた。本人の意思で死後解剖に供されているが、脳細胞からも癌組織が発見されている。驚くべきことに一部は自然治癒していたが・・」

朱羽煌雀の頭にある人物が過ぎり、思わず訊ねた。

「その患者の名前は?」

「普通は明かすことができないんですが・・そんなこと言ってる場合じゃないですな。北山・・元です。」

「北山だって!」

フミカとともに同席していた堤が大声で叫んだ。あの伊豆スカイラインでの命を賭けた公道レース。自分にとって忘れようにも忘れられない最後のカーバトルとなった。

『やっぱり!』

朱羽煌雀の予感は的中した。北山が服用していたブラッククロスの脳内活性剤、紗端ウイルスと何らかの関係があるのだろうか。

「仮にその北山元の癌がウイルスによるものだとすれば自然治癒が重要になります。血清を作れる可能性がある。組織見本は残っていませんか?血液サンプルでもいい。」

医師の一人が言った。

「・・東京だからな。保存されたとしても蒸発だ。」

菅野が寂しく呟いた。

 

「それと・・全然関係ないかもしれませんが、去年の初秋と言えば池袋で無差別傷害事件がありましたね。犯人は全く自覚症状がなく、誰かに操られていたようだったと。」

「おお、その事件は覚えている。私の知り合いが精神鑑定を頼まれたよ。同時期にアメリカで17名の無差別射殺事件もあったぞ。共通点は犯人に事件の記憶がないこととパソコンマニアだったことかな。」

菅野が伊藤の発言に補足した。

《その事件は僕のせいだよ。ごめんなさい。》

アメリカ地図を表示していたパソコンモニターがちらつき、少年の顔が現われた。医師団は驚き、1歩のけぞる。

「あまり嚇かさないほうがいいぞ、ルシフェル。」

朱羽煌雀が悪戯を諭す。

《別に嚇かすつもりじゃ・・去年のあの事件は僕の中にいた悪い心、紗端がやったんだ。当時僕は世界中のコンピューターをハッキングして回っていた。その傍ら遊びがてらにパソコンを通して人間を操っていたのさ。ちょっと脳のある部分に刺激を与えると人間って簡単に凶暴性を発揮することを紗端は知っているのさ。》

「待てよ、ウイルスと同じように紗端に脳を支配された無差別事件の犯人たちは脳を癌にやられたのか?」

朱羽煌雀の問に菅野は記憶を辿る。

「いえ、知人が3ヶ月は精神病院で鑑定を続けていました。受け応えは常にしっかりしていて、何の異常もなかったと言ってましたっけ。今回のウイルスとは全く違います。1~2週間で脳が萎縮して言葉も話せなくなるようですから。」

「ルシフェル、お前パパ、北山元も操っていたよな。そして彼の脳の癌は一部治癒していた。」

朱羽煌雀は答えの一端を見つけた気がした。

「何と!では紗端、いや失礼、ルシフェル君に操られた人間にはウイルスに対する血清ができていた可能性があるのか!しかし今彼らと接触する手立ては思いつかない。東京にいた犯人は生存していないだろうし、アメリカの犯人もどうなっているやら。」

菅野のやるせなさそうな声に朱羽煌雀が答える。

「ルシフェルが乗り移っていた人物は少なくてももう2人いる。箱根の別荘にいた給仕松本、そして私だ。」

 

 

作戦会議3・司令室

 

「(フライングシャトーに付け入る隙はないのか・・)」

司令室でヤールマンが3人の飛行中隊長たちを前に目を伏せる。玄蘒武炫、白牙虎鉧、そして蒼鱗龍娯も同席していた。

「(これが遠方から写した磁力線です。フライングシャトーは強力な磁力線に囲まれて全く見ることができません。肉眼でははっきりと見えていましたが・・)」

「(ふむ、謎のバリアの正体は磁力線か。どおりで近寄ると計器が狂うわけだ。激しい頭痛もこいつのせいか。しかしこれだけ強力な磁界をどうやって発生させているのだろうか。)」

「(電磁シールドだよ。詳しい仕組みは分からないけどね。)」

蒼鱗龍娯が口を挟んだ。タンデオンの古城で味わったあの椅子の苦しみ、偶然ルシフェルの侵入がなかったら今頃ここには居なかっただろう。

「(電気か。だとすれば突破口はありそうだな。内部から供給しているであろう電気が止まればシールドは消えるわけだ。例えば水、雷、それから・・)」

ヤールマンの言葉に蒼鱗龍娯と白牙虎鉧が顔を見合わせる。彼らの特殊能力を名指しで言われているようなものだ。

「(そう簡単にはいかないだろうな。雨や雷は奴らも自然災害として考慮しているはずだ。シールドに囲まれた状態では水も雷も無力だろう。プラスなにかのキーポイントを見つける必要がある。)」

玄蘒武炫が冷静に分析する。

「(あの黒い三角翼はフライングシャトーから発進してましたよね。何機かのEF2000も見た。シールドは外からだけでなく中からも破ることはできないでしょうから、少なくとも発進の瞬間は何処かに穴が開くのでは?)」

第2中隊長のセネガルが言った。

「(そうか、シールドさえ突破できれば可能性が出てくるな。生還の見込みは薄い任務だが、祖国のため、世界のため、志願を募ろう。)」

第1中隊長ケルンが意気込む。

「(待てよ、焦りは良くないぞ。もう少し冷静に考えてみろ。)」

玄蘒武炫がセネガルとケルンを制する。

「(俺たちは以前あのブラッククロスの古城で電磁シールドの恐ろしさを体験した。それは閉じ込められたが最後、あらゆるものを外に出さないシールドだった。だが逆に外からのものは素通りだ。俺たちに向けられたナイフや銃弾は何の抵抗も無くシールドを通過した。)」

「(じゃあそれと逆向きだとすれば、中から出るのは自由ってわけですね。くそ、シールドに穴が開くことはないってことか・・・)」

セネガルが拳でテーブルを叩く。

「(いや、逆に帰還するときは穴がなければ入れないってことさ。だがその隙間はどんな大きさだ?何秒開いている?そしてシールドの向うにどのくらいの余裕がある?首尾よくシールドを突破したとして、そこに岩肌が待ち構えていたら終わりだ。何れにせよ敵機を追っての潜入はあんたらの機体じゃ無理さ。俺たちがやる。)」

玄蘒武炫は白牙虎鉧と蒼鱗龍娯に視線を送る。2人は無言で頷いた。

「(何にでも必ず弱点はあるものだ。それが要塞のアキレス腱であることを願うしかないな。そして残念ながら我々にはそのアキレス腱を切る力もないのだろう。あなた方に頼るしかなさそうだ。全力で援護するとしか言いようがない。)」

ヤールマンは玄蘒武炫の手をしっかりと握り締めた。

 

「(肝心な物を忘れていないかい?)」

蒼鱗龍娯が髪をかきあげながら言った。

「(あの白亜紀の生きた化石をどうするのさ。)」

「(そうだ、あの怪物はやっかいだ。我々は楽観視していた。所詮は生物、ジェット戦闘機で一捻りだとな。ところがどうだ?驚くべき俊敏さと身体能力、そして知能。F-15が葬られるなんて誰が予想したろう。)」

第3中隊長のアンダーソンが頭を抱える。彼は2日前の自衛隊機の惨劇を目の当たりにした。

「(一応ボスキャラだからな。奴が実際どのくらいの能力を持つのか知る物は誰一人いない。ゲームの最終章は常に未知の領域さ。)」

白牙虎鉧が半分おどけて言ったが誰も笑う者はいない。

「(確かにラプトルはやっかいだ。1体でもこの地上に止められる者はいないかもしれない。)」

いつの間に入ってきたのか、朱羽煌雀が立っていた。

「(だが本来は群れをなして狩をしたと聞く。あの冷酷無情で比類なき獰猛なやつが何頭もいることを想像しただけで恐ろしい。奴は、ラプトルはそれを目論んでいることだろう。)」

「(完全なる個体がまだ地下に埋まっているということかい?)」

蒼鱗龍娯が聞いた。

「(いや、そんなものおそらくないだろう。だがクローンという手がある。ブラッククロスならやるだろうさ。ブラッククロスの科学力は世界の最先端をも超えている。そこには人類を超えた英知が働いていると見たほうが良さそうだ。ラプトルの築いた古代文明、ブラッククロスの影にはそれが見え隠れする。)」

「(ああ、いつか説明してくれた話か。地球をも滅ぼしかねないほど成長した恐るべき文明。)」

白牙虎鉧が言った。

「(そうだ。そうなる前に始末しなくては。)」

朱羽煌雀はその先を口に出すことは止めた。本当に恐ろしいのはラプトルの身体能力ではない。紗端の精神エネルギー・サイコキネシスだ。自分か奴か、どちらかが消滅する戦いとなるだろう・・・。

 

 

 

 

[第三部(終)へ続く]