神話への繋がり

 

ブラックホールの後ろ側に紗端とは違う何かが動いた。黒いその影は反エネルギーの海を我が物顔で素早く移動する。女のシルエット・・・髪の毛がクネクネと生き物のように動き回る。恰も無数の蛇が頭を擡げるように。

《ファッハッハ!》

紗端の不気味な笑い声が再び木霊した。

《待ちかねたぞ、目呪紗(メジュサ)!サーシャ、マーシャ、そしてもう一人の邪悪なる娘、夜子。3つの魂が合体して現れし我が分身よ。遅れは許そう、その邪魔者どもを倒し我を地上へと誘うのだ!》

《シャー!!》

人間の姿をしながらもそこにあるのは蛇の如き冷酷な意志だった。リエが鍵だったのだ。反エネルギーに触れ、スパイラルが反転した彼女の魂は元とは正反対の邪気へと変化した。サーシャとその体に憑いていたであろうマーシャの魂を取り込んで・・・。

「メデューサ・・・」

かすみが呟く。

「え?」

アキヒコが聞き返した。

「ギリシャ神話よ。3人姉妹の怪物・・・まともにそれを見た者は呪いで石に変わると言うわ・・・」

黒い女の影はアキヒコ目掛けて進み出した。凄い加速だ。反エネルギーが歪み、影に纏わり、光を放つ。それは幾重にも重なり輝きを強めていった。重なり破壊的光量となって押し寄せて来た。

「見るな!目を閉じろ!!」

アキヒコの叫びにかすみやミカエル、アン、ヤンの全員が目呪紗から顔を逸らす。その直後破壊的光量の光が襲って来た。見たら確実に網膜を焼かれ、石の如く動きを失ったことだろう。

《シャッシャー!!》

迫り来る蛇の邪気・・・。

「どうなったんだ、」

「え?」

アキヒコの問に今度はかすみが聞き返した。

「そのギリシャ神話だよ。メデューサとか言う・・・」

「殺されたわ、英雄ペルセウスに。天空の主で全能の神だったゼウスが黄金の雨となってダナウに産ませた息子よ。」

「天空の主で全能の神か・・・まるで朱雀じゃないか。」

アキヒコの閉じた瞳にははっきりと自分に向かってくる物が見えた。そいつは何度も何度もアキヒコを導いてきた白い光の道を辿って来る。

巨大な目呪紗。RSS体のサーシャの細胞を核とし、反エネルギーに漂う黒い霧がそれに群がって形を変えていた。その髪代わりの蛇は人間をゆうに丸呑みするであろう。全ての毒牙がアキヒコに向き、ありったけの敵意を剥き出しにしていた。

―目よ・・・狙いを迷わないでね

突然リエの最後の一言がアキヒコの頭に去来し、木霊する。

―こいつのことだったのか?・・・上等だペルセウスになってみようじゃないか!だが・・・

「かすみ・・・このままここで最後を迎える愚かさを許してくれるかい?」

アキヒコの声が震えた。命に代えても救うと誓ったかすみ。永劫の距離を乗り越えて、鋼鉄の扉を抉じ開けて確かめ合った温もり。その最愛の相手に、今度は自ら死の宣告をしている。

「馬鹿ね・・・許すも何も、私はもう死んでる人間よ?」

かすみが狂ったように熱い口づけをした。溢れ出る涙はアキヒコの心の火の油となる。この絆こそ、命より尊きもの。

 

体を包む黄金のオーラが輝きを増した。

《今度こそ永遠のサヨナラだ、みんな!》

アキヒコはブラックホールに伸びたオーラのロープを鞭のように撓らせ、断ち切った。その反動でかすみを抱いたアキヒコのバリアは弾かれたようにブラックホールから遠ざかる。逆に反動で中央に引き寄せられた3機の機体がそれを遮るように立ちはだかった。

《おい、ヤバイぞ!衝突する!》

気配を察したミカエルが焦る。正面にGenbu、Souryu、Byako、そして背後から迫る目呪紗の光。挟まれたアキヒコは目を開けた。鏡水に磨かれた3つの機体、そこに映し出された目呪紗の姿。

―これだ!

アキヒコは鏡の目に向けて黄金のオーラを飛ばす。オーラは推進器の磁力に触れて増幅され、鏡水で跳ね返され、具現化した黄金の矢となり目呪紗を襲った。

《ギャァァァァァァ・・・・・・!!》

アキヒコのバリアも鏡水に跳ね返され、矢の後を追っていた。ありとあらゆる物を跳ね返す鏡水だが、唯一光だけは別だ。硝子のように透過するから機体の色が浮き彫りになる。目呪紗の強烈な光も鏡水を通して見たせいでアキヒコの網膜は無事だった。ただバリアの衝突による衝撃は軽い脳震盪をもたらし、意識を遠いものにしつつあった。二人を包むバリアは跳ね返りで増幅されて黄金の繭となっていたが、糸が解れるように薄くなっていく。消えかかった寸前、3本の矢に射抜かれた目呪紗の目の中へと吸い込まれていった。

 

強烈な光が消え、アン・モンゴメリーはそっと目を開けた。目を押さえ、悶え苦しむ目呪紗・・・。

《グァァァァァ・・・・》

その叫びを最後に静寂が漂った。

《どうなったんだい?アキヒコは何処に消えちまったんだい?》

傍目には呆気ない出来事だった。目呪紗の恐ろしさも分からぬまま顔を背けている間に終わってしまった。

《分からない・・・それより衝撃にでも備えた方が良さそうだ。》

ミカエル・シュナイザーの言葉にアンとヤン・マユニネンは頭上を見た。声をあげる間もなく巨大な渦巻きが彼らを飲み込み、続けてブラックホールが沈み込んでいった・・・。

 

渦巻きが消え、コロナの輝きも徐々に弱まっていく。裏時空には動きを止めた目呪紗と紗端が残された。

《グガガガガ・・・何という失態だ、目呪紗よ!悠久の時を経て、地上の環境が整い今まさに我が楽園に足を踏み出さんというところで通路が塞がれたのだぞ!お前などにもう用は無いわ!》

二度と来ないであろう機会を失い怒り狂う紗端は、翼を揺らし反エネルギーの波を目呪紗に浴びせた。波は漂う邪気を纏って鎌となり、動かぬ目呪紗を引裂く。黒い霧が飛び散る中、目呪紗の頭からは赤い血のような霧が広がった。リエとサーシャとマーシャの邪気の破片・・・。その赤い霧の中からは半透明の物体が出現した。タツノオトシゴのような形、まだ手足も無い胎児、あるいは人の記憶を司る海馬にも見える。千切れた蛇の髪が数本巻き付き、同化し、腹に4本と背中に4本の鞭毛を形成した。鞭毛を揺らすようにタツノオトシゴは反エネルギーの海を静かに闊歩する。その動きは恰も翼を持つ馬のようであった。

 

《ようやく会えましたね・・・》

木漏れ日の射す森の中、翼の生えた白馬に跨るアキヒコ。その白馬が意識に話し掛けてきた。

《ようやく?俺はキミを知っていたと言うのかい?》

アキヒコは白馬に問い掛けた。その答えはアキヒコ自身が知っていた。ペガサス・・・初めてその信号を感じ取ったのは首都高湾岸線でルシフェルの操るエスティマを追いかけていた時。異常に冴え渡った感覚は見える筈のない隠された路面を光る道としてイメージさせた。それはアキヒコの生まれ持った予知能力とも取れた。だがそうではない。ペガサスとの一体感が頂点に達した時、まるで車が話し掛けるように光は浮かび上がってきた。

《ペガサスか・・・》

アキヒコは呟いた。突き上げるスピードへの情熱が蘇る。

《ええ、あなたはそう呼んでくれましたね。》

白馬ペガサスは大地を蹴り、翼をゆったりと羽ばたかせると森の上に出た。燦々と降り注ぐ太陽の光。どこか懐かしい風景・・・朱羽煌雀の記憶で見た富士の樹海の様だ。

《俺を何処へ連れて行く気だい?・・・そうか天国へ・・・俺は死んだんだな。》

前方に雲が見える。垂直の崖のように立ち塞がった雲の壁にペガサスは突入していく。

《いいえ、ここはまだあなたの夢の世界。私は目呪紗の記憶中枢に潜みし穢れ無き欠片。あなたの聖なるオーラが私を呼び覚ましたのです。》

ふと、リエの香りがした。雲の壁の衝撃がアキヒコの脳天を突き抜ける・・・。

 

「うう・・・」

呻き声に揺り動かされるように、気を失っていたかすみは目覚めた。ゼリー状の柔らかいクッションが体を包んでいる。声の主は脇に横たわるアキヒコ。まだ生きている・・・その喜びが体中に浸透していく。

「夢を見ていたよ、ペガサスの。」

アキヒコがかすみを見詰めて呟いた。その瞳には出会った頃の純粋な情熱の光が息づいている。

「ペガサス・・・懐かしいわね。ただバカみたいに湾岸ではしゃいでいたあの頃。かけがえの無い思い出だわ。」

湾岸という響きが二人にはこの上なく心地良かった。アキヒコは急に思い出し、言わなければならない衝動に駆られた。

「かすみ・・・」

「なあに?」

「キミに伝えようと思って伝えられずにいた一言があるんだ。」

アキヒコは手を強く握りながら見えない目でそこにいる筈のかすみを見詰めた。

「結婚・・・しよう。」

かすみの口元が嬉しそうに緩んだ。馬鹿な一言、だが最高の一言。

「私決めていたことがあるの。式は絶対にロスのチャペルよ。」

そう言ってかすみは体を捻ってアキヒコに抱きついた。ウォーターベッドのような感触。どんな最高級ホテルのスイートでも今のこの一瞬は味わえまい。目の前に広がるは神秘のコロナ。

「綺麗・・・」

思わず呟きが洩れた。

「ああ、俺達だけが見る事の出来た特別な情景だもの。」

神秘の輝くリング、いつの間にか木の根のようなベールがそれを覆っている。根は上方で絡み合い、再び解れて数本の真直ぐな黒い柱となっている。

「あれは何かしら。私がここに飛ばされて来た時にも見えていたの。」

「多分光子流・・・いやここでは反光子流と言うか、暗子流かな。」

アキヒコは表時空を思い出しながら答えた。二つの時空が対のものだとすれば容易に想像が付く。コロナの周りで複雑に縺れているのは磁場のせいだろう。

「それを利用すれば時を遡る事が出来るのさ、ただし裏宇宙に出てしまうだろうけどね。」

時を遡る・・・なんと魅力的な言葉だろう。表時空に戻れれば時間の旅も出来たであろう、好きな過去に未来に思いのままに。だが未来とは何だろう、決まった過去に対して光子流の枝分かれの数だけ未来があるということか。

―?あんなもの最初からあったか

アキヒコの記憶には暗子流などなかった。見えない暗闇に有ったのかもしれない、だが少なくともあの場所にはなかった。

「ねえ、あの人たちが言ってた事覚えてる?」

かすみはもう一つ気になっていた事を口に出す。

「地上に大きなブラックホールが出来た時、その周りに輻射ブラックホールが出来た・・・」

「ああ、とても良く覚えてるさ。」

それはアキヒコの心に何度も何度も響き渡った言葉だ。かすみの口から出るのは意外だったが。

「じゃあ、ここに出来た大きな渦巻きはどうだったのかしら。同じように輻射があってもいいのに。」

なるほどとアキヒコは思った。だが見る限りコロナの周りに他の渦巻きなどなかった。仮に有ったとしたら一大事、紗端の侵出を防ぐために躍起になっていたことだろう。紗端・・・束の間脇に押し退けていたその存在が再び首を擡げるのと時を同じくしてコロナを背景に黒い怪鳥が羽を広げる。紗端・・・!朱羽煌雀の抑えは徐々に弱まり、ずるずると思うが侭にSuzakuが引き摺られていく。アキヒコは思わずかすみの背中に手を回し、ギュッと力を込めた。

「・・・あ!」

かすみが声をあげる。アキヒコの仕草に対してではない、その指は前方を指していた。

「見て!黒い渦巻き・・・巨大よ、コロナの比ではないわ!」

それはアキヒコにとって、初めて見るものではなかった。表時空から裏時空への侵入路が鮮明に思い起こされる。

「極点だ!」

アキヒコの作るブラックホールは時空の極点を利用する。そう、リエをブラックデルタに送り込むために作った小さなブラックホール・・・それが裏時空の極点を呼び寄せたのだ。暗子流を引き連れて、紗端が引き摺るSuzakuの後方に巨大な渦巻き型ブラックホールが口を開けていた。

―紗端を消滅させ、“下界”に戻った時から全ての出来事はリセットされます・・・

朱雀の言葉がアキヒコの記憶に蘇る。紗端といえども極点の渦巻き型ブラックホールに引き込まれたらタダでは済まない。何とかそこへ誘い込む手はないのか。

《グォォォォォ・・余計なものを呼び寄せおって!》

紗端がうめいた。ブラックホールの引力が朱羽煌雀に手を貸すようにSuzakuの動きを止めていた。もう一押し何かがあれば、均衡が崩れてブラックホールの蟻地獄へ落ちていくだろう。

 

「ペガサスと言えばね・・・」

近寄れぬ紗端に少し安堵したかすみが呟く。

「知ってる?ギリシャ神話ではメデューサから流れた血が源なのよ、そこからペガサスは生まれるの。メデューサは石にならないように鏡に映して近寄ったペルセウスに退治されるのよ。」

似ている・・・まるで神話を再現するかのように物事が進んで行くではないか。だとすれば夢に語りかけてきたペガサスは・・・。アキヒコは急に自分を包むゼリーの感触が気になってきた。自分たちは恐らく目呪紗に吸い込まれた筈、その行き着く先は・・・。

―!

アキヒコは初めて気付いた。オーラのバリアがない!自分たちはこのゼリーによって反エネルギーから守られていた。

《ペガサス!》

アキヒコはゼリーに向けて話し掛ける。

《ようやく気付いてくれましたね・・・・》

ゼリーが振動するように答えた。夢は現実だったのだ。アキヒコたちはちょうどタツノオトシゴの腹の中、目呪紗の記憶中枢に包み込まれていた。

《これは・・・お前は動くのか?》

《ええ、あなたがそう念じれば・・・》

アキヒコは懐かしい感覚を思い出し始めていた。一体感・・・FD3S・RX-7からモディファイされた感動的な車ペガサス、そのコクピットに座り孤独な夜のC1で生まれたあの感覚だ。アキヒコの心に決意が芽生えた。

「かすみ・・・新婚旅行への旅立ちだ。」

その意図するところはかすみに言わずとも伝わった。覚悟しようとしても恐怖が心の深い場所から押し寄せてくる。だがこのまま余韻に浸ろうにもアキヒコが長くはもたないことも分かっていた。一人取り残される孤独に比べたら・・・そう思った瞬間かすみの心はフッと軽くなった。

「何処までもあなたに付いて行くわ。」

アキヒコはその額にキスをし、紗端に向けて進むことを強くイメージした。ペガサスは腹と背の鞭毛を巧みに動かし、加速する。行く手には身の毛もよだつ形相の怪鳥が翼を広げて構える。そこからはありとあらゆるおぞましきものが次々と溢れ出て、二人を威嚇するように爪や牙を立てて押し寄せては消える。墓場へ招く死神でさえこれほどの恐怖は与えないだろう。ペガサスは邪魔立てする邪気を振り払い、紗端の咽元目掛けて突っ込んだ。

「きゃ!」

かすみが恐怖に目を閉じた。その刹那、ペガサスは紗端の翼で弾かれ宙を舞う。

《蝿め、身の程を思い知れ!》

紗端の怒りが裏時空を震わせる。くるくると独楽のように回るペガサス。本来無重力の裏時空だが、今巨大ブラックホールの引力が作用し、二人は酷い眩暈を感じた。

「かすみ、もう一度だ。今度はゴールインを決めてやる・・・。」

うわ言のように呟くアキヒコの蒼白の顔には、はっきりと近付いた死期が刻まれていた。付け根を縛った左足は既に感覚が無く、気を緩めれば意識さえも遠い何処かへ消えてしまいそうだ。残された時間はあと僅か、次が最後だろう。返事の代りにかすみはアキヒコの胸を優しく撫でた。声にした瞬間に涙が溢れ出しそうだ。

―まともに突入していっても所詮紗端に弾かれるだけか・・・

アキヒコは残された血液を頭に掻き集め、この最後にして最大の局面に知恵を振り絞る。どんなに硬いダイヤにも割れるポイントがある、蟻が巨象を倒すにはどうする・・・。

―紗端が翼でまともに叩いたら衝撃はあんなものではなかっただろう。何故叩かない?いや叩けないんだ。

ギリギリの淵にいる紗端、大きな羽ばたき一つでそのバランスは崩れてしまうのだ。何も一押しすることはない、紗端を擽るようにするだけでいい。

―目よ・・・狙いを迷わないでね

リエの最後の言葉が電流のように走る。紗端は目呪紗を自分の分身と言っていた、だったら弱点は同じということか!アキヒコは大きく息を吸い込んだ。ペガサスは再び紗端に向けて加速を始めた。

《蝿が、何度来ようと同じ事よ!》

手薬煉引いて待ち構える紗端。

―何故目呪紗はオーラの矢を避けられなかったんだ・・・

アキヒコは尚も考え続けた。これが最後、何か見落としがありそうな気がする。

―ひょっとしたら・・・俺に暗子が見えないのと同様に紗端や目呪紗には光子が、いや金のオーラが見えないのかも・・・

―違うな、紗端はSuzakuで朱羽煌雀のオーラに包まれた俺達に突っ込んできた。見えないんじゃない・・・逆に引き寄せられるのか?

紗端と朱雀の姿はよく似ている。お互いのオーラが磁石のN極とS極のように引き寄せあうとしたら・・それで全て説明がつきそうだ。Suzakuから自分が離れたのは朱羽煌雀が紗端に絡まった為だろう。釣合いのバランスがそれで取れたのだ。

アキヒコは最後の生気を搾り出す。頭がぼやけ、意識が途切れがちになるのを辛うじて気力が引き止めた。ペガサスの周りに薄い金のベールが浮かび上がった。

―オーラが足りない・・・ルシフェルはどうしたろう?

 

ルシフェルはアキヒコの体から弾かれ、ペガサスの尾の先に提灯の様にぶら下がっていた。事の成り行きは全て伝わって来た。

《ルシフェル・・ルシフェル・・》

最後の助けを求めるアキヒコのテレパシーが揺さぶる。ルシフェルはアキヒコのオーラに溶け込むように自分を消していった。

―ありがとう、ルシフェル・・・

だがまだ絶対的にオーラが足りなかった。目呪紗を倒すのに放出した矢、今にして思えばあれが大きい。瀕死のアキヒコの目に映るのは自分に全てを委ねたかすみ。

「かすみ・・・オーラを貰うよ・・・」

ペガサス・スクァーラルで突っ走った雪のアウトバーンが甦る。

「愛してるわ、アキヒコ・・・永遠に。」

かすみは自ら唇を重ねると、アキヒコの導きを待った。アキヒコは目に光るものを浮かべながら静かにその口から生気を吸い取っていく。二人は真に一つとなり、最後の時へと向かっていくのだ。ペガサスを包むオーラが燦然と輝き出した。

《グ・・ム・・》

紗端が唸る。自分に向けて放たれた黄金の弾丸、どう足掻こうとそれを引き寄せるのは自分だ。

《者供よ、迎え!抑えよ!》

追尾式ミサイルに対するチャフのように、紗端はペガサス目掛けて空間に漂う邪気を操る。少しでも勢いを殺してペガサスを抱え込むために。

アキヒコはオーラで牙を向く邪気を正面から受け止める。邪気は黄金のオーラに噛み付き、その牙を通してやり場の無い怒りと苦しみを流し込んでくる。その殆どは動物霊の残骸が寄り集まり変化したものだった。俗に言う低級霊。それらは不定期に特異的に地上に生じた空間の歪に吸い込まれ、ここに紛れ込んだ。アキヒコの操るブラックホールと同質の歪だ。ほとんどは反エネルギーに触れて消滅したが、強い怨念はスピンを変えて裏時空に同化したのだ。“鬼”と呼ばれる物の正体はこれかもしれない。

《うぅぅぅ・・・ぎぎぎぎ・・・》

邪気に時折人の怨念が混じっている。相当強い恨みや憎しみの邪念が本来変わり得ないスパイラルを反転させたのだろうか。いや、元々それらの感情は負の要素、人間の正常思考を停止させ、生体エネルギーのスピンを止めるのだ。そしてあまりに強い邪念は人をRSSに変えてしまう・・・。RSSは表時空(天国)に受入れられないのだ。一方通行の裏時空(地獄)へと誘われ、永遠に彷徨う。それらの情報が一瞬にしてアキヒコの頭に飛び込んで来る。

邪気は牙を立てた後、塵のように消えていった。だが人怨念は違った。邪念が一皮向けるように消え去ると、それに包まれていた正常なオーラが現れてアキヒコの黄金のオーラと同化していった。呻き声の正体はこの正常オーラだったのだ。永遠の苦しみから解放された亡者は嬉々として光り輝く。黄金のオーラは徐々に厚みを増し、紗端に迫って行った。

―やった・・・これで終わる。

アキヒコは既に抜け殻となったリエの体を抱き締め、最後の時に向かった。

 

《ア・キ・ヒ・コ・・・》

微かな朱羽煌雀のテレパシーが届いたのは、紗端の目が眼前に迫った時だった。

《そこじゃない・・・第3の目だ・・・》

「え?!」

アキヒコは視線を下方に移した。胸に不気味に輝くオレンジの虹彩、ペガサスは頭を沈めるように衝突寸前に方向を変えた。紗端は体を捩り、両翼でペガサスを挟み込んで止めようと動いた。

《グオ!おのれ!!》

紗端の喚き声が響く。朱羽煌雀が決死の力で動きを止めたのだ。

《そこには最後の超胚細胞がある・・・》

朱羽煌雀の一言は終わりまで聞き取れなかった。だが突き刺さる瞬間にアキヒコは理解した。超胚細胞・・・それを持つ限りブラックホールに飲み込まれようと紗端は再生するかもしれなかったのだ。

ズシャ!!

《ギャオォォォォ・・・・》

邪悪の黒は純粋なる金によってその身を貫かれた。そしてアキヒコは深い眠りに落ちて行った。

 

 

漆黒の希望

 

遥か遠く紗端の断末魔を聞いた気がした・・・。

トクン・・トクン・・

耳を打つ心音。

誰のものだろうか?指先に力を込めるとゼリーの感触を感じた。生きている・・・。アキヒコは静かに目を開けた。外は漆黒の闇、とてつもなく速い流れを感じる。

―ここは何処だ?

コロナ状リングの輝きが完全に失せる程長い時間が経ったとは思えない。紗端は既に極点ブラックホールの引力圏の境に居た。そこに突っ込んだ自分も当然ながらブラックホールに嵌ることを覚悟していた、だが・・・。

―そうだ、暗子流!偶然その中に弾かれたんだ。

胸が燃えるように熱い。ピストルの弾でも撃ち込まれたような感触。視線をそこにやるとオレンジの光が灯っていた。光は体の中、心臓の辺りで発光し、アキヒコの呼吸に合わせるように明るさを変えている。意識がはっきりすると感覚の無くなっていた左足にも熱さを感じた。足に力を入れてみる・・・、動く!上げた足は全体がオレンジに発光していた。

光は隣に横たわる大切な体にも灯っていた。アキヒコは視線を上げ、静かに眠る横顔を見た。

「!!、かすみ!」

そこにあるのはリエの顔ではなかった。紛れも無いかすみだ。しかも息絶えたと思ったその胸は、ゆっくりと波打っている。かすみはアキヒコの声に静かに目を開けた。

「・・アキヒコ・・。どうなったの?私たちまだ生きてるの?」

夢を見ているのか?アキヒコは両手でかすみの顔を触る。幻ではない、確かな肌の感触。

「どうしたっていうの?私の顔に何か付いてる?」

かすみの顔からオレンジの光が次第に弱まり、消えていった。アキヒコの足と胸の光も同時に消えた。

《超胚細胞です。》

ペガサスの声がした。

《あなたたちのオーラに破壊された超胚細胞の細胞液が取り付き、体に一緒に戻ったのです。そしてオーラの記憶に従い、あなたたちの細胞に再生指令を出したのでしょう。》

―朱雀の、神の褒美か・・・

アキヒコは胸の前に両手を合わせて感謝した。失われた血が再生し、体に力が漲る。思考力が戻ると同時にすぐに訪れるであろう危機的状況を理解した。暗子流だとすれば、流れの行き着く先はブラックホールなのだから・・・。だが度重なる絶望の局面を救われてきたことに、アキヒコは生への執着と自信を得ていた。

「かすみ、俺たちの世界に戻ろう!」

その目には希望の光があった。

「うん、信じてるわアキヒコ。」

かすみにも笑顔が戻る。それがアキヒコをなおさら燃え立たせた。帰れる!直感がそう伝えて来る。

―ブラックホールの中にあるホワイトホール、その境目には表時空への亀裂が入る可能性がある・・・

表時空へ戻れば全ては解決する。だがブラックホールを横切る芸当は逆立ちしても出来っこない。別の何か、別の糸口が手を伸ばせば届く所にあるような気がする。アキヒコは亡者たちの悲鳴の影に断片的に見えたイメージを思い出した。

―現世と裏時空が直接繋がることがあったんだ。考えてみれば俺の作り出すブラックホールだって不思議じゃないか。何故渦巻き型のように何もかも強欲に引き込もうとしないのか、そこに触れるものだけを異次元に誘う。

突如そのメカニズムが理解出来た気がした。

―暗子流・・・、そう、ブラックホールは裏時空の暗子流への入口だったんだ!時空の極点を利用するとはそういうことだ。物質は反エネルギーに触れて消滅し、スピン変換したエネルギー粒子もそのまま極点ブラックホールから裏宇宙へ流される。そうでない電磁シールドは異物として俺の与えた磁気エネルギーを抱えたまま暗子流の外へ排除されたということか。

この漆黒のトンネルに希望がある、現世からの入口が在るなら出口が在ってもおかしくはない。

「あ!」

「どうしたの?」

かすみがじっとアキヒコを見つめながら聞いた。

「輻射渦巻き!」

コロナの周りにそれは無かった。だが最も磁場歪の影響を受け易いのはこの暗子流ではないか・・・。そしてアキヒコにある出来事と仮説が浮かび上がった。

《ペガサス、この流れを逆行することは出来るか?》

それはつまりペガサスに光速を超えろと言う事だった。

《私の母体は記憶中枢・・・記憶信号というエネルギーがあれば可能です。あなたたちの記憶を頂けますか?》

アキヒコとかすみはお互いに顔を見合わせた。記憶を無くす・・・、それはかつて一度体験済みの出来事。例え赤の他人に戻ろうとも二人の運命は変えられまい。

「いいよ、記憶はいらない。逆行しろ!」

アキヒコは声に出して命じた。ペガサスの背腹の鞭毛が激しく揺らぎ、地を蹴り空を駆ける如く暗子流のトンネルを進み出した。消え行く記憶を前に、アキヒコはもう一度自分の考えを確認する。目にして来たブラックホール、その中で異質な物がひとつだけあった。意図しないブラックホール、そして直前の閃光・・・。出口へのヒントはそこにある。

アキヒコの頭がぼやけ出した。本能の命ずるまま無心で漆黒のうねりにペガサスを操る。一体化したペガサスの感じる気流だけを頼りに、希望の光を求めて・・・。

 

 

デジャブ

 

路面からもうもうと湯気が立ち昇っていた。アキヒコは真紅のマツダRX-7、FD3S改のバケットシートで激しく頭を振った。一瞬の出来事だった筈、だが長い時間が経過したような不思議な感覚に捕われている。ふと助手席を見るとかすみがやはり気絶していた。

「う・・・うん、」

かすみが目を開ける。

「私どうしたのかしら、ちょっと頭がぼーっとしてる。えっと・・・」

かすみは直前の出来事を思い出そうとした。それはアキヒコも同様だった。

「そうだ、ブルー・ドルフィン!スピンしただろう?」

アキヒコはそう叫ぶと車を降りて、煙の元へ駆け寄った。路肩には兄ユウサクが乗る紺色のルーフR Turbo、既に運転席は空だ。後方の横を向いた青いR34GT-R、堤の操るブルー・ドルフィンの左リアが湯気の出所だった。それと平行して黒いマクラーレンF1が止まっている。男爵北山、アキヒコの手首に嵌められたシルバーのリングの仕掛け人。タイムリミットはもう目の前に迫っている。

「見て、アキヒコ・・」

かすみが恐る恐る路面を指差した。まるでレーザーで切り取られたように路面が球状に抉れている。

「ブルー・ドルフィンの左後輪辺りが突然光ったと思ったらスピンしだした。シンデレラのロータスとすれ違う瞬間だ。」

 先にその場にいたユウサクがゆっくりと口を開いた。

―シンデレラのロータス?運転していたのは誰だっけ・・・

思い出そうとするアキヒコは軽い頭痛に見舞われる。まあいい、それより今はブルー・ドルフィンだ。

「全てが消えているよ、まるでブラックホールに飲み込まれたように・・・」

アキヒコは背後の青いGT-Rを顎で指して言った。

ブルー・ドルフィンの消えたリアセクションをかすみが横目で見て、両手で顔を覆った。

「恐い!何が起こったの?」

 

パッパーン・・、背後でクラクションが響く。マクラーレンが発したのだ。ドアを開けてゆっくりと北山が降り立った。

「済まんがレースはここまでだ。急な用が出来た。」

携帯電話を片耳に当てながら言った。

「ちょっと待ってくれ、こいつはどうするつもりだ!」

ユウサクが手首を振り上げてリングを揺らした。時刻は5時35分、あと1時間25分で毒液が体に注入される。

「ああ、悪かった。」

北山が手を横に振る。

「そいつはただのタイマーだ。7時になれば自動的に外れる。レースに真剣味を持たせるためのちょっとした細工だった。ちょっと待ってくれ・・・ああ!分かった、後で掛け直す!」

北山は携帯電話を切るとアキヒコ達に向き直った。

「済まんな、色々と。キミらの中から私の後継者を選ぶつもりだった。だがもう十分に分かったよ。とにかくレースはここまで。そして勝者はキミだ、アキヒコ君。」

アキヒコは何故かほっとした。このままレースを続けたら取り返しのつかない事態が待ち構えている、そんな予感がしたからだ。

 

「パパの会社が大変なんだよ、ラジオでやってた。」

かすみの白いロータス・エスプリターボからまるで女のような細身の美少年が現れた。

―誰だっけ・・・

アキヒコはどうしてもその少年が思い出せない。昔の恋人に瓜二つの気がするが、それも半分夢の出来事に思える。

「ルシフェル、お前か。誰が追いかけて来たのかと思ったぞ。」

北山が顔を崩す。目の中に入れても痛くない、そんな感じだ。

「タンデオンの裏組織と噂されてた秘密宗教組織ブラッククロスが突然解散宣言を出したのさ。ヨーロッパでは大騒ぎ。タンデオンの株価は急落、まあ一時的なものだろうけどね。逆にこれでタンデオンの灰色が払拭されてクリーンなイメージになる気がするよ。」

14才の長いブロンドが風に靡く。

「バカ!あたしの大事な車を傷つけたらどうするつもりよ、この腕白坊や!」

かすみが腰に両手を当てて眉を吊り上げた。黄色いNS-Xや黒いエスティマ事件は子供の悪戯では済まされない。ルシフェルの悪名は頭に刻み込まれているというのに、何故か心底憎めなかった。ちょっと口元が緩む。

「ごめんよ、気を悪くしたならパパに好きな車を買ってもらってよ。」

まるで逆らえない姉を前にしたように、ルシフェルは両手を合わせて頭を下げた。

―ルシフェル・・・病弱で既に息を引き取ったというのは昨夜の夢・・だったな。変な夢を見たものだ。

アキヒコは決まり悪そうに爪で頬を掻いた。

「アキヒコ君、約束通りキミには300万ドル進呈しよう。だがどうだ?私の果たせなかった夢を継いでくれる気にはならないかね?その気があったら明日にでも連絡をくれ。とにかく私は急いで東京に戻らねばならん。」

北山はマクラーレンに乗ると、ホイールスピンを残して伊豆スカイラインを箱根に向かった。後にはしばし静寂が漂う。

「ミッドナイト・バード、俺を乗せてってくれないか?」

ブルー・ドルフィン堤が静かに言った。

「ああ、だけど乗り心地は保証しないぜ。」

ユウサクが気障に答える。アキヒコはその横顔に心から安堵を覚えた。

「兄さん、この先は軽く流して行こうよ。もうバトルはいいだろ?」

一度抜けた気合は戻らない。今朝方までユウサクに抱いていた蟠りはすっかり消えた。それが何だったのかも今では思い出せない。

「アキヒコ、私たちもドライブしよ。見て、とても綺麗な風景よ。」

紫色の山々をかすみが遠い目で見詰める。

「何だか私とても疲れちゃった。」

 

「パパはね、癌だったんだ。だから半ば自棄になってたところもあったみたい。でもね、ここに来る直前に病院で検診を受けたら消えたんだってさ、信じられる?僕はそれがあなたたちのお陰みたいな気がするよ。だからこれからも離れないで欲しいな、ダメ?」

ペガサスに乗り込もうとする二人にルシフェルが話し掛けてきた。

「ああ、考えてみるよ。俺もなんだか疲れた。別荘のベッドを借りてもいいかな?」

アキヒコはルシフェルの頼みを聞く気になっていた。リエと言う名の夢に見た恋人が重なる。こいつとなら家族のような付き合いをするのも悪くないかもしれない、そんな気分が心に広がる。もちろん一番側に置くのは・・左手に寄り添うかすみ。

「早くベッドに行こうよ、かすみ。」

耳元で囁く。

「エッチ!」

ちょっと頬を染めてかすみがアキヒコを小突いた。絶対に側を離れない、そんな思いを胸に抱いて・・・。

 

 

黄色の暖かな光に包まれた時空では2羽の尾の長い鳥の意識が絡み合うように飛び回る。朱雀・・・そして紗端と呼ばれた同種の宇宙生物。ブラックホールで刻まれ、ホワイトホールとの境界に生じた空間の亀裂からここに飛ばされた。DSSのその生体エネルギーはスピン変換を受けて浄化され、黄金に輝く。朱羽煌雀だったエネルギーがそれに融合して故郷を滑空する。その下方には大きく流れを変えた光子流が大河のようにゆったりと煌いていた。

裏時空の暗子流、その凍りつく漆黒の濁流にはジェット気流のように吐き出されたアキヒコとかすみの記憶の断片が泳いでいた。流れに逆らい、やがてそれらは遠い過去に辿り着くであろう。磁場の歪が異空間のブラックホールをのぞかせる時、人々はそこに何かのメッセージを感じ取り、やがて神話となるのだ。

 

恐るべき邪悪の象徴紗端は消え、大都市東京は朝日にその姿を浮かび上がらせた。やがて始まる喧騒を前に、灰色の巨大生物は束の間の休息を貪る。この都市の未来は、失われかけた人類の未来は、歯車を変えて動き出した。だが手放しの安心は出来ない。ビルの陰には常に妬みや恨みや怒りのエネルギーが木枯らしのように渦巻いている。それらは核となる何かを求め蠢いているのだ。明日の紗端は人の心に棲んでいるかもしれない・・・。