1
ある日のこと、コータは練習走行で車が微妙にふらつくのを感じた。ガレージに戻ってサンドロに話すと、早速リフトアップして点検してくれた。
「お前、どういう走りをしたらこんなになるんだ?」
「え?」
「右リアのサスペンションアームに亀裂が入ってる。放っておいたら大事になるところだ。普通に走る分にはこうはならないぞ」
あっ!とコータは声を上げる。最終コーナーの魔法の20センチアタック、あれしかない。
「お前らそんなことやってたのか。まあジョージやカールにも伝えておくが、純のランダーや文佳のローラはプロトタイプのレーシングカーだから負荷に耐えるよう普通より丈夫なパーツを使ってるからまあ大丈夫だろう。それに比べてお前のアバルト850レーサーは普通の市販車さ。フィアット850レーサーが正しい。俺がアバルトまがいのチューニング施して、勝手にアバルトと呼んでるだけだ。だから無理な運転が続けばそれなりにやられる」
思い返せば魔法の20センチを多用していたのはコータだけだ。本来4輪で支える車重と遠心力を右側のタイヤを引っ掛けるようにして受け持たせる。コータは何度か右の後輪だけを引っ掛けたから、ひとつのタイヤにほとんど全ての負荷が掛かった可能性がある。車の性能差を埋めるためとはいえ、後悔の念が湧いてくる。
「パーツはもう手に入らないから、図面起こして削り出しで発注するしかないな。しばらくはお蔵入りだ」
自業自得、コータは当面走ることは諦めるしかない。
ショップ対抗戦の方は文佳とアンドリューが熱戦を繰り広げた。スターティンググリッドが勝敗を分けるので、予選が設けられた。その結果やはりローラmk1が速く、文佳が連勝を築きだした。口コミで徐々に観戦者が増え、文佳はアイドル扱いされるようになった。
観戦者が増えるにつれ、ショップアピールのために残りのメンバーも出場したが、3位までに入ることは出来ず引き立て役に回った。コータがしばらく走れなくなるのを機に、対抗戦は月1回にしようとなった。
心持ち元気のない文佳にカヨが声を掛ける。
「アンタは走りたいよね、スターだものね」
「いえ、そうじゃなくて、コータさんが走れないのが不憫で」
「え?アンタ、コータが気になるの」
「ええ、何となく」
文佳は顔を赤らめる。
うーん、とカヨは考え込んだ。
「一条は気になる?」
「社長は別に…」
「純は?」
「彼は子供の頃からの仲だから、別に普通です」
「ふーん、コータが好きなのか」
「な、何言ってるんですか、私なんて似合わないし、コータさんにはカヨさんがいるじゃないですか!」
分かりやすい子、とカヨは笑った。
「アタシ別にコータとは何でもないよ。ジジイが無理やり一緒に住まわせてるだけだから」
オープンレースは腕自慢がやってくるようになり、参加希望が増えたので予選で上位16台までが決勝に進めることにした。タイム測定の負荷が大変になるので、コータを中心に光電管方式の自動計測システムを導入した。これは有料で練習走行時にも利用出来るようにしたため、誰もが自分の客観的な実力を把握するようになった。
オープンレースの常勝者として、トミーカイラZZ-Sが現れた。もちろんショップ関係者は参加していないが。
「最終コーナーを攻略するには、車重を軽くするか、グリップを高めるか。あのZZは720kgと軽い上に極端なワイドトレッド比と低重心で踏ん張ってしまう(全長3630mm、全幅1740mm、全高1110mm、ホイールベース2375mm)。加えてミッドシップエンジンの生む優位性だね。特に追加レイアウトはヘアピンで繋がれたストップアンドゴーだから、クルッと回って200馬力で加速していけるZZ-Sの独壇場なんだ」
アンドリューが分析する。あらゆる車に造詣が深く、車博士のようだ。
2
一条がクーパー倶楽部を訪れた。
「梅木さん、ミニクーパーSを10台揃えることは出来ますか、もちろんクラシックタイプのね」
「10台か、ギリギリ何とかなると思うが、どうしたんです?」
「実はアメリカからの打診で、ある映画スタッフが急ぎでミニクーパーSを10台探しているらしいのです。もちろんあちらこちらに声掛ければ集められるのだろうが、条件があって、10台全て指示通りに再塗装したいらしい。バラバラに集めてから塗装作業に入っては間に合わないと困っているのです。加えて映画のワンシーンにこのサーキットの高架鉄橋を10台で走行するところを使いたいと言う。無理を聞いてくれたら、前作の映画に使用した車を交換に出してもいいと。それがね、クーパーt49らしいのですよ。ご存じですか?」
ジョージはゴクンとつばを飲んだ。ご存じもなにも、かの歴史的名車クーパーモナコではないか。普通なら逆立ちしても手に入らない。
「現金が良ければ用意するが、まだ興行収入が入ってこないので、しばらく先になりそうですよ」
「いやいや、とんでもない。交換で是非話をまとめてください」
ジョージは慌てて一条にお願いした。
「分かりました。ではさっそく作業に入ってください。納期は1週間、こちらが先方のイメージイラストになります」
1週間はかなり厳しい。ジョージは塗装ブースを持つサンドロに相談したがどうにも無理だ。それにむやみに再塗装すると車の価値を下げてしまうことになりかねない。そこで一条を通して、ある提案をした。10台を識別したいのならゼッケンを付ければいい。
10台のミニクーパーSを間に合わせた時、撮影団はやってきた。沢山の機材と若干の俳優陣、大型のトレーラーには約束のクーパーモナコt49が積まれているのだろう。ミニの走行に必要なドライバーは現地調達ということで、サーキットの関係者が集められた。アンドリューが参加する姿を見て、俳優たちが驚く。彼らも主役になれない脇役専門で、アンドリューとは旧知の仲だった。
「ヘイ、アンドリュー!こんなところで何やってる。ドライバーなんて微々たるギャラで、エンドロールにクレジットも出ないぜ」
「フッ、そんなんじゃないのさ」
アンドリューが髪をかきあげる。
「君が突然消えちまって心配してたところさ。また戻って一緒にやらないか?」
「いや、今が最高だ」
とアンドリューは仲間たちの誘いを断った。
ミニには主役と2名の脇役が一度車内カメラと撮影スタッフを乗せて走行し、その後ピットで何カットか撮影して役割を終えた。そしてサーキットのメンバーが覆面してミニに乗り込み、速いペースで高架鉄橋を縦列走行するところを遠方から撮って予定終了となった。
「おかげでいい絵が撮れた。サンキュー」
映画が公開されればまたサーキットにファンがやってくることだろう。
トレーラーから出されたのはクーパーt49ではなかった。ジョージは顔を曇らす。
「約束が違うようだが?」
「すまないが、クーパーt49はしばらく保有することになった。これはその前に使ったレンハムGTという車だ。オースチンヒーレーがベースのバックヤードスペシャルで、それなりに希少価値はあるのだが、映画に添うように改造してしまってね。フレーム、サスペンションを強化して、エンジンをコベントリーのFWBというものに交換した。そのため速さは格段に上がったが、オリジナルではなくなったから、ビンテージとしての価値は下げてしまった。我々としてはこのレンハムGTがあなたたちにうってつけだと思う。ミニ10台にそぐわなければ残額は後にキャッシュということでどうだろうか?」
ジョージは車を丹念にチェックする。悪くはない。それどころかかなりの掘り出し物だろう。だが、クーパー倶楽部には似合わない気がする。
「あなたたちも約束を変更した。再塗装をゼッケンに代えたでしょう」
確かにそうではある。
「俺にくれませんか?」
コータはレンハムGTに胸が高鳴っていた。小さくて低くてスタイリッシュ、フィアット850レーサーが色褪せて見える。
「うむ、今回は君らの手も借りてるしなあ。今後うちのショップを手伝ってくれるならいいだろう」
コータは大興奮だ。だが今度はサンドロがモヤモヤしていた。彼としては別の作戦があったのだ。コータがクーパー倶楽部に奪われてしまうのは困る。
「コータ、何だその、俺も新しく車を調達できそうな話があるんだが、うちに留まらないか?」
「はっ?クーパー倶楽部を手伝うことになっても、俺はかる路の一員ですよ。勝手に追い出されたら住むところもなくなって困ります」
コータは笑った。大変だろうが、今までの倍働けばいい。
「よーし、じゃそれで手を打とう」
ジョージはコータの肩を叩いた。
3
「最近オープンレース常勝のZZを見かけないなあ」
純がコータに話しかけた。コータは午後は大体クーパー倶楽部でSNSの更新などをやっている。作業は別に何処でも出来るが、自分の切り替えと、純との交流を深めたくてガレージに来ている。
「そういえばそうだね」
目立つ車だけに、来場していればすぐに分かる。
「妙な話を聞いたよ」
なぜかいるアンドリューが割り込んだ。彼は毎日サーキットに遊びに来て、話し相手を探してぶらぶらしている。特に日本語が話せないカールの通訳を兼ねて懇意にしていた。
「どんな話だい?」
コータが聞いた。アンドリューは一般客のレンタルピットも覗いたりするので結構な情報通だ。
「何人か車を取られたって言ってるらしい」
「盗難か?」
「いや、どうも互いの車を賭けた、闇レースが秘かにやられてるらしくてさ、ZZもそれで車を無くしたって噂さ」
「何だって!」
コータは驚いた。
「本当なら見過ごせないな」
と純。
3人はもっと情報を集めることにした。
サンドロがコータにある話を持ちかけた。
「この間ちらっと言ったことだがな」
そういえば車の調達がどうのとか言っていた。
「昔の客の知り合いが珍しいアバルトを秘蔵してるらしくてな、いつかは俺のところで整備を頼みたいと言ってたらしいが、先日そのお方が急死してしまったらしい。遺族はアバルトを処分したいが、古すぎて一般の買い取り業者では値を付けられず、二束三文なら引き取ると足下を見られた。それで俺に相談がきたのさ」
サンドロは一息つくと続けた。
「とりあえず車の写真を送ってもらったんだが、こいつがナント、シムカときた。アバルトシムカ1300だぜ、おい」
そう言われてもコータにはピンと来ない。
「この手の車は海外のオークションで取引されて相場が決まる。国産の新車が買えるくらいの額を提示してみたら、遺族の方が驚いて、それでお願いしますとなった。まるで宝くじにでも当たった気分だぜ。近々引き取りに行くから、車載トラックの手配を頼みたい」
アバルトはフィアット車をベースに1000cc以下の3部門を席巻し、次なる目標として1300ccクラスに照準を合わせ、フランスのシムカ社とのコラボレーションをスタートさせる。シムカ社はフィアット社と深い関係を持ち、第二次大戦後技術的な協力関係を継続して、1961年初めてのリヤエンジン車となるシムカ1000をデビューさせる。
シムカ社は、アバルトがフィアット車の量産車とそのコンポーネンツを使用し、レースの勝利により高いプロモーション効果を得るのを横目に見ていた。そして、それまでモータースポーツとは無縁だったシムカという地味なブランドを変革するには、エンスージァストに注目される魅力的な高性能車の開発が近道と考えたようだ。こうしてシムカ社は、アバルトにシムカ1000のコンポーネンツをベースとしたスポーツモデルの開発を依頼した。
アバルトは先に大成功を収めたレーシングGT、フィアットアバルト1000ビアルベーロと同様の手法でシムカベースの新型GTの開発をスタートさせ、アバルトシムカ1300を作り上げた。リヤに搭載されるエンジンは、アバルトが新たに開発した1298cc水冷直列4気筒DOHCユニットで、10.4:1まで高めた圧縮比と2基のウェーバー45DCOEツインチョークキャブレターが組み合わせられ、125hp/6000rpmのパワーを発生した。エンジンオイルの潤滑方式は、エンジン搭載位置を下げられるドライサンプ式が採用された。スタイリングはフィアットアバルト1000ビアルベーロに倣ったモダンかつ流麗なものを纏う。社内でデザインされた最新ベルリネッタスタイルを踏襲し、カロッツェリアのベッカリスでアルミ製のボディが製作された。一回り大きいシムカ1000のフロアパンを用いるためボディは拡大され、全長3555mm×全幅1480mm×全高1140mm、ホイールベースは2090mmである。乾燥重量は630kgと軽量だった。
アバルトシムカ1300は1962年2月から正式に販売が開始されると、アバルトファンはもちろんのこと、世界中のエンスージァストから高い評価を得る。レースデビューを果たすと、すぐさまGTカテゴリーのレースで高いポテンシャルを見せつけ、さっそく9つのメジャーレースで優勝を勝ち取った。
買い取ったアバルトシムカ1300をじっくりと眺め、サンドロはこいつは上物だと満足顔だ。
「一応細かく点検するが、保管状態が良かったからそのまま走れるだろう。長い間仕舞われていたようだが、車は走ってなんぼだ」
コータは詳しくはないが、このままオークションなどに出したら結構高値が付きそうだ。だがサンドロはそういうことに興味がない。
「さてコータ、お前にこの車をと思ったんだがな」
コータはそうだったのかと揺れた。
アバルトシムカ1300、630kgのリアエンジン・リアドライブ(RR)、パワーウエイトレシオはロータスエウロペを抜き、ローラmk1に並ぶ5.0だ。シムカは走行中のエンジン冷却のため、リアフードが少し開いた状態で固定される。これがレーシーな雰囲気を醸し出して、フィアットやフォルクスワーゲンビートル、あるいは日本の軽黎明期のRR車のチューニングにおいて、ひとつのトレンドとなった。
もともとサンドロとジョージが中心になってこの山間に作ったノスタルジックサーキット、彼らが手掛けるフィアットアバルトやミニクーパーのような小ぶりな車で楽しむように出来ている。つまり現代の車のサイズでは狭いのだ。
一条はローラmk1を文佳に与えたものの、自分でサーキットを楽しむ車を相変わらず物色していた。ランボルギーニに代わるコンパクトサイズで屋根付きのGTカーがいい。それも多少運転技術を要するような…
かる路の店先に鎮座するアバルトシムカは、そんな一条の鼻をくすぐる魅力を放っていた。
「桃田さん、店先のアバルトシムカは?」
一条はアバルトシムカ1300の価値をよく認識している。
「ああ、ちょっとあるコネで入手してね。コータを乗せるつもりだったが行き違いがあって宙ぶらりんになっちまった。ああして置いとくと眺めてく来場者もいるから、いい客引きにはなるかな。しかし一条さん、よくご存知だねぇ」
「幾らなら譲りますか?」
「は?」
「持ち主が決まっていないなら私に譲ってほしいと言ってるのです」
こうしてアバルトシムカは、よき新しい主人に巡り逢えた。
4
賭けレースの情報はなかなか得られなかったが、ついに尻尾をつかんだ。知り合いが被害にあったと言うのだ。
「フリー走行の混雑した時間帯に話を持ちかけられたみたいです。互いの車を賭けて1周のバトルをやろうと。俺の知り合いはジャガーのEタイプに乗ってて、相手は初期のロータスセブンで、こちらの先導でピットを出て1周の間に抜かれなかったら知り合いの勝ちだと。で楽勝と思って始めたらピットの出口で遅い車にでくわして、一瞬の躊躇を相手に抜かれちまったそうです。その後3人に寄り詰められて、車取られて、譲渡証明書かされたって」
「その3人組に何か特徴は?」
「後から加わった2人は外人だったって言ってました」
ロータスセブンに外人2人、漠然とはしているが、結構な情報である。通常来場者には時刻の刻印された入場券を渡して、帰りに滞在時間に応じた料金を請求する。会員の場合は会員証の提示で割引を受けるが、一般客には身分確認などしていない。会員の中にはロータスセブンは何台かいるが、外国人はいない。
「ま、会員がそんなことするとは思えないな」
純がため息を吐いた。
「ちょっと待って、トミーカイラの人は会員になってなかったかしら」
カヨがメンバーリストをチェックする。
「あ、やっぱり。トミーカイラZZ-Sってあるわ。この人に連絡して聞いてみればいいじゃない」
サーキットでの聞き込みに時間を費やしていたが、もっともな話だ。
「ああ、確かにやられたよ」
電話口の向こうで稲垣は相当に落ち込んでいるようだ。
「相手はロータスセブンで、こっちが先導ならまず負ける要素がない。そしたらピット出口でいきなり遅い奴に塞がれて、あっと思ったらセブンが前に出てた。必死で抜き返そうとしたが、コースが込んでてダメだった」
「でその後外国人2人が入った3人組に囲まれて」
「うん、よく知ってるね。車のキー取られて、譲渡証明書かされて終わりさ」
奇妙な一致は、ピット出口で遅い車に引っかかったことだ。それは混雑したコースでは仕方が無い。しかし、ロータスセブンはまるでそれを予期したかのように利用している。
「ひょっとしたらさ、遅い車ってのも仲間なんじゃないか?示し合わせてタイミング良く妨害する。だとしたらレースどころか詐欺じゃないか!」
純が憤慨する。
「だったらさ、警察に任せた方がいいんじゃないの?」
カヨの提案に他のみんなは渋った。警察は車好きの理解者とは言えない。それに書類が交わされている以上法的な問題はないだろう。しかしこのままにはできない。コータたちは罠を仕掛けてみることにした。
5
「来たわよ」
カヨがコータに連絡する。ロータスセブンと、 少し時間をずらして西洋人の2人組が古いオースチンヒーレーで現れた。コータはレンハムGTでいかにも一般客のように来場する。15分ほど走って駐車場に戻ると案の定ロータスセブンが近寄ってきた。
「いい車だね、さぞかし速いんだろうな」
「ああ、随分と入れ込んでるからね」
コータは白々しく答えた。
「金が幾ら有っても足りないくらいだ」
「うらやましいねえ、俺もそんな車欲しいぜ。どうだろう、俺に一発チャンスをくれないか?お互いの車を賭けてピットスタートの1周レース。お宅の先導で、もし俺が先にゴールしたら俺の勝ちというルールでさ」
「うーん、その車でかい?五分五分ってところじゃないか。それに俺は別にアンタの車に興味はない」
「だから先導をやるって言ってるんだ。俺の車に興味がなければ売っちまえばいい。紛れもないロータスのセブンだから、ちょっとした金になるぜ」
コータはしばし考え込む振りをする。
「互いにズルなしなら受けてもいい」
「そうこなくっちゃな。よし、やろうぜ」
コータが先導でピットロードに並ぶ。
「どう?」
「オースチンヒーレーがホームストレートで邪魔にならないように内側に寄せてストップしている」
コータの無線に純が答える。コータはスタートを切った。ピットロードは徐行しなければならない。その間にオースチンヒーレーが走り出した。コータがピットロードから本線に合流しようとした瞬間にオースチンヒーレーが横切り、加速させない。後ろのロータスセブンはすぐさまアウト側に飛び出して、コータの前に出た。コータは抜き返そうと努力するが抜かない。そう、実際には抜けただろうが、ロータスセブンを勝たせた。
困惑の表情で駐車場に戻ったコータにロータスセブンが横付けした。
「やったぜ、奇跡だ。さあ、俺に車の鍵をくれ」
「いや、嫌だ、何かの間違いだ」
渋るコータのもとに2人の白人がやってきて威圧する。
「お前の負けだ。観念しろ」
そう言って譲渡証明書を突き付ける。
「仲間がいたのか?」
「まあな」
ロータスセブンの男はニヤニヤしている。
「じゃあ、ご破算だ」
とコータは突っぱねた。
「な、何だとう!」
男は虚を突かれて慌てるが、2人の白人が力ずくでコータを抑える。
「そこまでだよ」
純とサンドロたちが回りを取り囲んだ。
「アンタ、ズルはなしだって約束したろ?ところがアンタのお仲間が、俺の妨害をした」
コータが2人を振り払って言った。
「へん、どこに証拠が」
あくまでもしらを切ろうとする男にコータがピシャリと言い放つ。
「証拠は全て揃ってるよ。まずはアンタとの会話の録音。それからお仲間が運転するオースチンヒーレーの一部始終を録画させてもらった。その白人さんが車から降りるところまでバッチリだ」
「クソ!今回は引き下がってやるか」
男たちは場を去ろうとする。
「そうはいかないわよ」
カヨが合図すると警官が現れた。
「ゆっくりと話を聞いてもらうことね。余罪が楽しみだわ」
6
賭けレースの男は恐喝容疑で書類送検され、稲垣のもとにトミーカイラZZ-Sが戻ってきた。他の被害者たちも車を取り戻せた。しかし外国人たちは保釈金ですぐに釈放となったようだ。
「うーん、あの外人たちが仕切ってる感じがするがなぁ。これだから警察ってのは」
サンドロが不満をぶつける。
「なんとなくですが、裏に国際的シンジケートみたいなものが絡んでる気がしますね」
事件を聞いた一条が言った。みんな背筋に悪寒が走った気がした。
コータはすっかりレンハムGT改が気に入った。皮肉にも例の外人たちが乗っていたオースチンヒーレースプライトmk1、通称カニ目をベースにしているが、重たい鉄製のモノコックシャシーはチューブラーフレームで作り直され、前後特注の鍛造アルミ製ダブルウィッシュボーンサスペンションにディスクブレーキと全く別物の中身にコベントリークライマックスのFWB1500ccを積み、全幅1349mm、530kgに100馬力、パワーウエイトレシオ5.15と、かなりのポテンシャルを有する。そしてスタイリッシュなFRPボディーを被せたその姿には、元のオースチンヒーレーとはサイズ(3490mm×1349mm×1210mm、HB2030mm)を除けば共通点がない。古典的なFRレイアウトが感性をくすぐる。
コータは本当の楽しみを理解した。それは車と一体となること。限界はあるかもしれないが、小さければ小さいほど一体感が増す。車内の広さや豪華さを求めるアルファードやエルグランド派とは対極の世界だろう。
オープンレースで王座に返り咲いたZZの稲垣は、挨拶を兼ねてコータたちのガレージにきた。
「おめでとう。やっぱり速いね」
コータが祝福する。
「俺、思うんですけど、なんかここのスタッフのみなさんの手のひらで踊らされてる感じで、多分サーキット最速って訳じゃないのかもなって。みなさんレースには出ないんですか?」
なかなか鋭いところを突くなとコータは思った。
「はっは、俺たちは裏方で、お客さんが楽しんでなんぼだから」
「でもスタッフのみなさんだけで、たまにレースやってるって話じゃないですか。俺もそこに参加できないですかね」
「それ、面白いんじゃないか」
ガレージをブラついていたアンドリューが賛同する。
「僕らがオープンレースに出るのはどうかと思うが、逆にオープンレースのウイナーがショップ対抗戦に特別枠で出るのは有りだと思うんだ」
という訳で、ショップ対抗戦は面白味を増した。コータは新たな相棒を手にしたし、稲垣のトミーカイラZZ-Sはパワーウエイトレシオ3.6と桁違いの数値だ。そしてアバルトシムカで一条もやる気満々になっている。
7
久しぶりのショップ対抗戦。駐車場には文佳の親衛隊が陣取り、さらにカリスマ的王者、稲垣の走りを見ようとすし詰め状態だ。
予選はトミーカイラZZ-Sの稲垣がトップ、コースレコード更新である。続いてアバルトシムカ1300の一条、これまでの絶対王者ローラmk1の文佳が3番手だ。4番手にレンハムGT改のコータ、5番手がロータス11のアンドリュー、ロータスエウロペの林崎が6番手で、ランダーr6の純は最下位の7番手だ。 ヒストリックカークラブは参加を見送った。
すっかりお遊び気分は消え、各車ともガソリンをギリギリまで減らして軽量化する始末だ。ガレージピットを出て1周すると、スターティンググリッドについた。レースはいつも通りの3周。周回数を増やしてもいいが、3周の高密度な駆け引きが何とも言えないドラマを生む。
グリーンフラッグで一斉にスタート、声援の中、ZZがトップを守る。そのまま引き離しにかかるが、一条のアバルトシムカが背後に付けて最速ラインを取らせない。下り第4ヘアピンから上り第5ヘアピンを回ると文佳のローラがアバルトシムカの真横に並んだ。道幅は狭いのだが、コンパクトな2台なら十分な広さだ。困ったのは先頭の稲垣だ。インもアウトも少しでも開ければ突っ込んできそうだ。それで第6ヘアピンに中途半端に突入する羽目になった。アウトから最速ラインを通った文佳が出口で稲垣に並ぶ。車幅の広いZZとの並走は互いに擦りそうで慎重になる。第7コーナーは文佳のローラがイン側で勝負ありだった。稲垣は直ぐさまローラの後ろに付こうとするが、一条がローラにテールツーノーズで続き、それを拒んだ。慎重になるあまり、スピードが緩んだ稲垣のZZに容赦なくコータのレンハムGTが並んで、一気に抜き去ると、とどめを刺すようにアンドリューのロータス11も抜き去った。ここはノスタルジックサーキット、ノスタルジックな小さな車が似合う場所。
やや車幅のあるロータスエウロペはそうすんなりはいかない。ZZに阻まれてアクセルを踏み込めない。リズムを崩した2台を純が見逃す訳もなく、最終コーナーの立ち上がりで前に出た。
2周目からはおなじみのメンバーの争いだ。ローラの文佳、アバルトシムカの一条、レンハムGTのコータ、ロータス11のアンドリューが数珠つなぎで駆け抜けていく。だが後ろをブロックしなければいけないため、ペースは上がらない。今度は後ろを気にせずに飛ばし出した稲垣のZZがあっと言う間に純を追い詰める。ミラーで様子を見たアンドリューは、このレースのトップは諦めた。純を待って2台でバトルを演じながら、稲垣のラインを潰す。これにより、先頭の3台と後ろの4台の間に差が広がっていく。
そのままの順位でラストラップに入る。文佳と一条にとって条件は変わらないが、コータは後ろを気にせずに自由なライン取りが可能だ。これまでフィアット850レーサーに乗ってきたから、リアエンジンのアバルトシムカの挙動はよく分かる。インを閉めながらそこそこのスピードでコーナーを回れるので、まず抜くのは困難だ。コータは複数のコーナーを巧みに組み合わせて攻略を挑む。第2コーナーでクリッピングをクリアすると第3コーナーはややアウト寄りで下りの直線に繋ぐ。第4ヘアピンに向けてコータがイン側になるため、当然のように一条はインを塞ぐラインを通る。するとコータは思い切りアウトに振って第4ヘアピンのインへ切り込んでいく。インを抑え続ける一条のアバルトが目の前を塞ぐが、コータはクロスするようにアウトに膨らむと 、出口で並んだ。どちらも加速は譲らない。だが勝負は既についたも同然だ。第5ヘアピンのインを抑えたコータのレンハムGTは今度は第6ヘアピンに向けて反対側へ移りインを抑えにかかる。車半分の差で並走する一条のアバルトだが、第6ヘアピンを抜けたところでコータが完全に前に出た。もう後ろを気にする余裕はない。コータは文佳の攻略を素早く練る。第7ヘアピンで真後ろにつけるとスリップストリームを利用して、最終複合コーナーの入り口でインに飛び込んだ。文佳のローラはワンテンポ遅れながらも最速ラインを取る。悪いがコータに行き場はなく、自滅待ちだ。
「限界を超えないと限界は分からない」
以前、文佳に教えたことだ。コータはスピン覚悟でグッとアクセルを強めた。レンハムGTの後輪がブレイクして流れる。コータは素早くカウンターステアを切ると、一瞬ステアリングを放す。セルフアライニングトルクが効いて、レンハムGTは最小限のカウンターでドリフト体勢になった。エスケープゾーンが迫る中、文佳のローラが内側を抜けようとする。両車は逆Vの字の関係にある。コータの視界が先に開け、本能的にアクセルを開けるとドリフトから加速に変わった。イン側にローラのスペースを残してレンハムGTは見事に立ち上がり、トップでゴールを切った。
「どんな魔法を使ったんだ?」
誰も最終ラップの最終コーナーの出来事が分からなかった。
「全部撮らせてもらいました」
映画スタッフが声を掛けてきた。
「監督が気になるから残れと言いまして、この数週間カメラを回してました」
「何だって!じゃあ賭けレースもかい」
アンドリューが英語で対話する。
「ええ、素晴らしいドキュメントが出来ますよ」
フィルムでコータの走りが判明し、口々に褒め称える。
「いや、お手上げでした。全然レベルが違う。オープンレースではあり得ないバトルですよ」
稲垣が恐縮したように言う。
「何言ってんだよ、コース最速はコースレコード持ってる君だろ」
純が笑う。お手上げなのは自分だ。もうランダーr6では歯が立たない。
終わり










