イビキ職人みみはなこ 検査の道
ミシュランぼやきの一夜明けて、みみはなこは今日も元気です
イビキの検査を勉強に出かけた日のことは、遠い昔になりましたが、よーく覚えています。
朝も昼も夜もない、研修医生活の日々、昼間に電車に乗って出かけるって、それだけでルンルン気分なのでした。
行先は0医大。教授が研究テーマにされていて、当時としてはよそにない検査システムを作り上げておられたのです。
しかし、ルンルンだけが先行していたその日のあたし。予習ってものをしていかなかったせいで、ちんぷんかんぷん。ギル・ミノーの無呼吸の定義(*)なんて言われてもなんのこっちゃ???
0医大では、教室をあげて取り組んでおられることもあり、特別の検査室があって、ひとりの患者さんに8人がかりで検査を行っていました。今なら、セット販売されている検査装置が、ひとつずつ機械屋さんにオーダーで作ってもらっているみたいで、各パートに各担当医がついているという具合です。
一通りの見学を終えたらもちろんとんぼ返り。
帰って教授に報告いたしました。「先生、あんな検査うちではできません!8人がかりでやってるんですよ!」
「きみなぁ、そこを一人でできるようにアレンジしてやるんやないか。何のためにいってきたんや?」
あたしの訴えも一蹴でした。
うちの教授のすごいところは、こうやって、いいように言えば人にチャンスを与えて、ちょっと言葉わるくいえば上手に部下を使って、どんどんj守備範囲を広げていくところです。今なら、これこそが上に立つ者に必須の心得とわかるんですが、当時は「なんでえ?ひとりでなんか無理ぃー」と泣きごとを言ってただけの未熟なあたしでした。
しかし、イビキの手術は近づいてきます。患者さんは、もうじき入院です。 つづく
緊急独り言:イビキ職人みみはなこのミシュランなんかシラン
みみはなこです。
今日も元気です。といいたいですが、ちょっとお怒りモードです。
ミシュランがいかに精巧な舌をお持ちでないかよくわかりました。おおざっぱな舌は持ってるようですが、中身の並べ方が違う!!
あたしは、本湖月が湖月のころから、おやっさんが28歳独身のころから、セーラー服をきてパパにあのお店に連れて行ってもらってた。といっても、けっして贅沢っていうのではなく、うちのパパはお医者でもなく、町の特定郵便局長さんだったから、公務員のお給料でごはんが食べられるお店だったの。パパはいいかっこしいやったからちょっとはむりしてたかもしれないけど。
それから、こんにちまで、他の三つ星みたいに伝統を受け継ぐとかではなく、おやっさんが自分の力で、日本一おいしい店にしたわけです。建て替えたと思ったら法善寺横丁の火事。その後の復興も並大抵じゃなかったと思います。お料理だけでなく、食器やお道具もすばらしい。火事で一回焼けちゃってるんだよ!。
で、なんで???もうミシュランなんか買わない。
ま、前から、ここ以外にいきたいところなんかなかったし、どうでもいいんだけど。
今日はおやっさんが九州へ教授にいかれてるので、おかみちゃんと番頭さんに電話して、この腹立ちをぶちまけてしまった・・・
みんな、自分の舌で考えよう!
舌がだめなひとは耳鼻咽喉科にいこう!
イビキ職人みみはなこ イビキって病気なの?
台風一過みみはなこも晴れ晴れ
というのは今週末に、みみはなこの診察室10周年のパーティーがあるからです。
さて、舞台は、十数年前の教授室にもどりましょう。
急に呼び出されて、イビキの手術知ってるか?なんて言われても、あたしの頭の中身は
知らんがなイビキって病気なん
しかし、おそれおおくも教授にそんな口たたけない
はあ。とか、いやあ。とかごまかしの返事をすると、
「今度その手術するから、調べとくように」
といわれたのでした。
キヲツケッ!!ハイッ!!!です。
それが、あたしのイビキ第一号の患者さんです。
しかし、これはあたしにとっての第一号であるだけでなく、科にとっての第一号でもあったのです。
当時はネット検索なんてものはありませんでした。
専門誌のバックナンバーを調べるのです。
「Shiro Fijita」のオペレーションというのが、原型です。
しかし、この手術をすることだけが、与えられた仕事ではありませんでした。
大学というところは、研究機関です。検査をしなければなりません。もちろん大学でなくても、
どうしていびきをかくのか調べないと、どこをどのように切ればいいのかわからないですよね。
そのころのあたしは、そんなこともわかっていませんでした。
その検査を習いに行き習得するように命じられたのでした。
それでも、まだ、「イビキってほんまに病気なの?」と思っていたのでした。