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mathichenの徒然なるままに

mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
https://mathichen.hatenablog.com/
ココに常駐中

自分の気分転換のためのどーでもな更新ながら
たまたま通りがかってしまった皆様にも笑いをと思い


mathichenの徒然なるままに-カンカン乾先生

森田順平

森田順平(もりた じゅんぺい 1954年8月1日 - )は日本の声優。声優でありながら代表作が実写(『3年B組金八先生』の乾友彦役)という声優界でも異端な存在である。元は文学座に所属していたし、本業は俳優かもしれない。でも今は声優プロダクションのマウスプロモーションに所属しているしやはり声優だろう。

来歴
北九州市出身。舞台活動を経て、『3年B組金八先生』の数学教師・乾友彦役で好評を博す。しかし一発当たっただけでその後は泣かず飛ばずであった。洋画の吹替えなど声優活動も行っていたため、役者として売れない以上声優活動をメインに据えることを検討。1995年、諸事情により文学座を退団。マウスプロモーションに移籍する。しかし英語の北先生役の金田明夫や、養護の本田先生役の高畑淳子が地道な活動の末遅咲きながらも人気が上昇していったことを勘案すると、声優への転向は失敗だったという声も。

声優への転身後は、洋画の吹替えなどでは主役級の役を演ずることも多いが、仕事数こそ多いもののこれといった当たり役には巡り合えず、実力派だけど地味な人という微妙なポジションに落ち着いている。ちなみに声優になってからも、大河ドラマなど実写の仕事にお呼びがかかることが度々ある。高い演技力を評価されている証である。

その他
NHK大河ドラマの常連であり、『花神』を皮切りに10作品にも出演している。出演作品の数だけで言えばミスター大河と呼ばれた緒形拳、石坂浩二よりも多い。もっとも、彼が演じた役の殆どは端役であったが。
2006年のヒーロー戦隊『轟轟戦隊ボウケンジャー』では、敵幹部のリュウオーン役を中の人と外の人両方で熱演した。声優も俳優もこなせるマルチアーティストである森田だからこそこなせた芸当と言える。
桜中学校の自縛霊。

~ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「森田順平」の項目を執筆しています。~

( アンサイクロペディア:『森田順平』より引用 )



念のためペタリ → 『森田順平』( Wikipedia )



先日ファイナルを迎えた金八先生、録画したままで未視聴
で、そっちは置き、カンカンこと数学の乾先生についての備忘録をば



小中学時代から、目立ちたがり屋
演劇部では主役張らんと気が済まんタイプ
成績も悪くはないながら優秀とは~
それが、乾先生役では、当時の中学生から石を投げられたことある、嫌味なエリート気取り
金八シリーズ始まった当時は、同窓生は腹抱えて笑ったとか



独特の顔立ちは、お父さんが英国人のため
弟・浩平は、兄ちゃんに影響されて演劇を志し上京
お母さんは、デキの悪い長男だけでなく可愛い次男まで…と、嘆き節の日があったそうな



…何で、1966年生まれのわたしがそう詳しいかですと?
森田氏の元同級生から聞いたんですよ
中学の時の写真も見ちゃったもんねーだ(一目でわかる、何十年そのまんまの成長ぶり)



メモに書いていたわけでなく、記憶違いはあるやも
ウィキ、アンサイクロどっちのペディアでもないため、加筆・訂正は致しませ~ん
ただでさえ数学の成績超低空飛行をさらにの元凶だし~(イヂ悪い)

福島県出身、千葉県在住の「しばまりん」と申します。

東北関東大震災以来、テレビ等で見る被災地の現状、被災者の訴えに涙を流さない日はありません。
節電のためと、ブログを書く心の余裕がなかったため、しばらく休んでおりましたが、どうしても伝えたいことがあって久しぶりに記事を書きます。
私のつたない文章では何も伝わらないかもしれない。
もしかしたら逆効果かもしれない。
そんな不安もあって、一晩悩みましたが・・・・・・書きます。


連日報道されております、福島第一原発での事故。
東京電力の職員の方々、東京消防庁ハイパーレスキュー隊の方々による命がけの作業によって、一時的な危機は脱出したものの、いまだ予断を許さない状況です。
各方面への放射能の影響は皆様の最も気になるところかと思います。
規制値を超える数値が検出されたとして、茨城・栃木・群馬・福島県産のホウレンソウ・カキナ、福島県産の原乳に出荷制限がかかりました。

たった今搾ったばかりの原乳を、そのまま廃棄処分せざるを得ない酪農家。
出荷直前でキャンセルとなった牛乳工場。
自らの手でホウレンソウ畑を潰すしかない農家。

どれだけ悔しい思いで、廃棄処分の作業に取り掛かっていることか。
中にはすでに廃業を決意された酪農家の方もいらっしゃるようでした。


もっと悔しいのが、すでに広がりを見せている風評被害。
確かに、目には見えない放射能に対する恐怖は、誰にでもあるかと思います。
増して、それに対する知識も少ないでしょうから、なおさらでしょう。
「シーベルト」、「ベクレル」なんて言葉、初めて聞かれた方が大多数だと思います。
私も、今回の件で初めて知りました。
どれほどの数値で、人体には具体的にどのような影響が出るのか。
官房長官はじめ、各解説者、アナウンサーたちの口から聞かれるのは、「ただちに人体に影響を及ぼすものではない」、このセリフばかり。
曖昧ですよね。不安になるのも無理はないですよね。
「よくわからないから、避けたほうが安心だよね」
そう思われるのも、仕方ないことかもしれません。

ですが、今現在、市場に出回っている茨城・栃木・群馬・福島県産の野菜・牛乳はすべて、規制値を超えていない安全なものです。

どうか、風評に惑わされないでください。


すでにご存知の方も多いかと思いますが、風評被害で酷い打撃を受けているのが、福島県いわき市です。
福島第一原発より半径20~30キロ圏内には屋内退避指示が出ています。
いわき市もその一部が範囲に入っております。だけど、それはほんの一部なんです。
「いわき市」、あるいは「福島県」というだけで運送業者が恐怖心を抱き、物資がまったく届いていないというのです。
その状況に不安を感じ、県外に避難する福島県民も多数いると聞きます。
しかし、避難したくても避難できずに、そこに残っている人たちがいるんです。
仕事で残らざるを得ない人、ガソリンがなく、移動手段のない人、逃げることもままならないお年寄り・・・
放射能の不安と物資不足の不安、この両方を抱えて生きている人たちが、今、そこに大勢いるんです。

まして、原発のすぐそばで、避難することもできずに残っている人たちがいます。
原発の敷地内で懸命に作業を続ける職員の人たちがいます。
今までの、私たちの便利な暮らしを支えてきた人たちです。
私たちの安全のために、命を懸けてくれている人たちです。
見捨てないでください。


福島県からの避難者の宿泊をためらった旅館の話だとか、家族を迎えにいくので福島へ行きたいという人の乗車を拒否したタクシーの話だとか・・・
悲しくて、悔しくて、涙が出ます。

「福島」というだけで、どうか逃げないでください。


地震から一週間たった日に、福島に住む友人と交わしたメール・・・
友人から、こんな言葉が返ってきました。

「みんなで元の、いや、それ以上の日本、福島県にしよう!」

私が彼女を励まさなくてはいけない立場なのに、逆に励まされました。
被災しながらも、自分たちの町を復興させようと、前を向いて歩き始めている人たちがそこにいます。
どうか、彼らから希望を奪わないでください。
勇気を届けてください。
力を貸してください。


私の両親と弟も、福島に残っております。
実家は原発からは50キロほど離れており、幸い、食べるものなどには困っていないようです。
それでも、ガソリンや灯油といった燃料は不足しており、灯油節約のため、コタツで三人、身を寄せ合って過ごしているそうです。
家族の他にも、親戚、友人、恩師、その他私が今まで生きてきた中でお世話になっただろう人たちも、福島に残っています。


お願いです。
福島を助けてください。




節電のため、あるいは被災地を気遣って、ブログをお休みされている方も多いかと思いますが、この記事を転載してくださる方、いらっしゃいましたら、よろしくお願いします。
チェーンメールみたいな書き方で気がひけますが、どうか、ひとりでも多くの人にこの願いが届きますよう・・・

しばまりん

Yahoo!ブログ記事より転載させていただきました
転載元さんは、【26番目の黒柴】
『福島を助けてください』 http://blogs.yahoo.co.jp/marowannko26/28288577.html

風評被害は、口コミ同様、目に見えないだけに形を変え思わぬ方向への恐れ
信頼回復には数年以上かかったり、場合によっては回復ならず関係者の人生破滅も…

「東電が農家などにカネ払えば済む。どんどん不買運動しよう」
「子供には食べされらませんっ。慌ててゴミ箱に捨てました~」
対岸の火事でしかなく、己の目で商品確かめる日々の買い物出来てるの?、そういう方々へ
どれだけ、多くの人たちに非情な仕打ちをしているか…
自分を相手の立場に置き換えてみて下さい
無恥と無知を知ってもらいたいですね




 
 ハリウッド黄金期を代表する米女優エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)さんが23日、ロサンゼルス(Los Angeles)市内の病院で死去した。79歳だった。50年にわたりハリウッドで活動したテイラーさんは、華やかな恋愛遍歴でも知られ、8度結婚している。

 写真は、2人目の夫となった英俳優マイケル・ワイルディング(Michael Wilding)さん(左)とテイラーさん(右)。テイラーさんが抱きかかえているのは、1953年1月6日に誕生した息子(撮影日時不明)。(c)AFP

( 出典先:AFPBB News )



結婚回数と亭主の人数が合わないと思ったら、英国俳優リチャード・バートンとは2回結婚離婚でした~
「教会で誓い立てるまでは、(実際はどうあれ)ナニかするにも憚る」型じゃぁ、当然の結果か




Elizabeth Taylor - Father of the Bride -by Richard Bassett
‘花嫁の父’(1950年)



何で、どーすりゃ、無骨なスペンサー・トレーシーから美少女が生まれる?
母親役ジョーン・ベネットが美女のおかげ様という方向でしょうけど
いくら米国中流階級は広くて快適な持ち家暮らしといったって
自宅での披露パーティー強引すぎる。宴の後は、戦場のようなグチャグチャ状態
そこへ一人取り残された親父が、娘からお礼の電話をもらう
情緒あふれる幕切れではありました




Elizabeth Taylor - Nicky Hilton - by Richard Bassett



最初の結婚相手はコンラッド・ヒルトン・ジュニア(ヒルトン姉妹の祖父の兄にあたる)
これを記念して製作された映画でした
翌1951年、続編である‘可愛い配当’(孫の意味)が作られたものの
ヒルトン御曹司とは新婚旅行中から波風立っていた。リズ自身は莫大な離婚慰謝料いっただき~のはず



リズといえば、こんなニュースが出てきましたね



J・ディーンさん、虐待被害をE・テーラーさんに告白
2011.3.26 15:52

 米ニュースサイト「デーリービースト」は25日までに、このほど死去した米女優エリザベス・テーラーさんから生前に聞いた話として、俳優ジェームズ・ディーンさんが子供のころ、性的虐待を受けていたと報じた。
 映画「ジャイアンツ」(1956年)で2人が共演した際、ディーンさんがテーラーさんに打ち明けたという。

 テーラーさんは、ディーンさんが子どものころに母親を亡くした後、「聖職者による虐待が始まった。彼はそのことで死ぬまで苦しんだ」と話した。

 テーラーさんは97年のインタビューで「この話は私が死ぬまで書かないでね」と前置きして、ディーンさんについて語ったという。(共同)

( 出典先:MSN産経ニュース )




James Dean, Giant



ハリウッド裏面史に記載されている性癖の数々からいって、信憑性は高いざます



母親の死後、農場を営む伯母さん夫婦に預けられ、そこで育てられた
その土地での悪夢でしょう



イタリアの女優、ピア・アンジェリとの恋は有名
石頭系カトリックであるピアの母親から交際を反対されたこともあって結局2人は短期間で別れた
ピアは結局、不幸な結婚を繰り返し、39歳の若さで自殺



人生狂わされる級の苦痛は、人間1人か神さん仏さんにだけ話すもの
ブログやTwitterでは、関係者への配慮を忘れずに
読んでる方がウツウツしてくる記事を日々書く自称メンヘラー連中、聞いとけ

記事題名は、2009年12月13日Yahoo!本館記事より
http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/23188160.html

mathichenの徒然なるままに-明日、陽はふたたび

明日、陽はふたたび / Domani
1990年代、カッキアーノ。古くからの丘の上の街を襲った大地震。地震によって壊された街とひとびとの生活。再生していく中で否応なく変化する人間関係。

夜中に起こった大地震をきっかけに非日常的な生活を強いられるようになったカッキアーノのひとびと。住宅が不足しているため、複数の家族でひとつの住宅に住むことを余儀なくされる。教会も学校もバールも、街中が地震の前とは違う。その中で変化していく人間関係や見えてきたもの、ひとびとの思いを丁寧に描写した作品。

復興のために奔走し、家族のための時間が減ってしまった父親。その一方で、同居することになった男性に優しくしてやる母親。そんな両親の関係が心配でしかたないアゴスティーノ。痴呆の症状が出始めた老女を笑うアゴスティーノの兄フィリッポ。仲良しのヴァーレとティーナはふたりともアゴスティーノが好き。教師のベティは自分のルックスにコンプレックスを持っているが、イギリス人の修復士アンドリューと親密な関係に。妻は子どもが欲しくてたまらないのに、子どもよりも聖母マリアの絵の修復に気持ちが向いているアンドリュー。

押し込められた空間の中で、男女の関係も、おとなと子どもの関係も、女同士の友情も、少しずつ以前のままではいられなくなってくる。 空間は密度を増し、他者との関わりは避けられない。そして、ひとびとは己の弱さをさらけだして、強く、たくましくなっていく。復興していく街の変化と同時に描かれる人間関係の変化。時には子どもの目線で、時にはおとなの目線で。各々のエピソードを積み重ねながら、街は再生していく。

ただでさえ、感受性が強い年頃の少年・少女たちの心情は、地震などなくても揺れ動き、変化するもの。さらに地震による環境の変化というファクターが加われば、その変化も加速する。大人たちの行動に敏感になり、それを理解し自分を納得させようと行動するアゴスティーノに代表される彼らの心情やその変化の描き方が秀逸。特にフィリッポがモッチャ夫人に靴を履かせてあげたシーンは、彼の変化が如実に描かれていて印象的。つらい状況の中でも子どもたちはそれぞれ、確実に成長しているのだ。思春期の少女の描写はアルキブジの得意とするところ。ラストシーンは、時間の流れを’可愛く’見せたという感じで「かぼちゃ大王」のラストにも通じるものがある。

1997年に実際にウンブリア地方で起こった地震の話が元となっており、ロケ地もその地震の被害にあった街なので、映像はアッシジを思わせるものがある。ストーリー自体はフィクションだが、細かなエピソードなどは地震の体験者に取材しているそうだ。おそらく「教会より先に家を修理してくれ」というのは、実際のウンブリアの地震でも言われていたことなのだろう。

カッキアーノの財産であり、修復の対象となる絵画は、フラ・アンジェリコの「受胎告知」。フィレンツェのサン・マルコ修道院にある作品を基にしたものと思われる。


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ロケ地 / セッラーノ

カッキアーノは架空の街。実際のロケは、97年の地震により廃墟となってしまったセッラーノという街で行われた。


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製作 / 2001 イタリア
監督 / フランチェスカ・アルキブジ

キャスト / アゴスティーノ … ダヴィド・ブラッチ
フィリッポ(アゴスティーノの兄) … ニッコロ・センニ
ステファニア(アゴスティーノの母) … オルネッラ・ムーティ
文化庁の役人 … パオロ・タヴィアーニ

( 『CinemaItalia-イタリア映画案内-作品紹介あ』より引用 )

これで思い出されるのは

mathichenの徒然なるままに-サン・フランチェスコ大聖堂

サン・フランチェスコ聖堂
サン・フランチェスコ大聖堂(Basilica di San Francesco)は、アッシジに生まれ、死後に聖人に列せられたアッシジのフランチェスコの功績をたたえるために建設されたといわれている。1228年に教皇グレゴリウス9世によって建築が始まり、1253年に一応の完成をみたと言われている。また建築に際してはフランチェスコの弟子であったエリアの働きかけが大きかったといわれている。その後、何度も改修が行われて現在の姿になった。

聖堂は、町の北西の斜面の上に建ち、斜面を有効に利用するため建物は上下二段に分かれている。上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式と異なっている。聖堂にはチマブーエ、ジョット、マルティーニなどの画家の手になるフレスコが多数描かれ、上堂内部はルネサンス初期の画家ジョットによる聖人フランチェスコの生涯、28の場面を描いたフレスコ画が、また下堂には『玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ』がそれぞれ一番の見所である。

1997年9月26日に発生したウンブリア・マルケ地震で聖堂の建物は大きく損傷してしまったが、ボランティアによる修復工事などにより、2000年にはほぼ元の形にもどった。

( Wikipedia:『アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群』より引用 )

コチラも参照どーぞ

~子供たちにとってはワクワクするような体験でもあったが、
一瞬にして何もかもを失った大人たちには、
あらためて自らの生き方を問われる試練の場となった。
もろくも崩れた自分の人生は何だったのか。
人々の再生への営みが始まるのだった。~
( Movie Walker:『明日、陽はふたたび』より引用 )

空念仏でない信仰心が支えになったのでしょう(聞いとけ、べーグル遊びクリスマス仏教国もどき)

第二次世界大戦で破壊されたウィーン国立歌劇場は
どんなに窮乏であってもオペラ観たいんじゃのウィーン市民がお上を突き上げ
世界銀行をダム建設費用とダマくらかしてのおかげ様

確か、ポーランド人は、鉤十字ドイツの攻撃により壊滅状態のワルシャワの街を
全くの新興ではなく、戦争前の状態に修復、壁の傷まで再現しました
共産圏時代には、どっかの歌劇場建設費用捻出のため、生活品配給ガックシ減るを我慢したとも

歴史と生活に根付いた信仰と神さんのおかげ様による地道に培われた文化を守る思いこそ
人々の心の再生を成し遂げるのでしょうね

R・シュトラウスの歌劇‘影の無い女’には2組のカップルが登場します
東方の国の皇帝夫妻と、染物師バラク夫妻です



後者の嫁は、一般にはお人好しの亭主に文句タラタラ鬼嫁っぽい扱いです
背景をよく調べると、欠点はあっても単なるワガママ女房でないのがわかります
貧しい家の生まれで、口減らしのためバラクのくれるおカネで家族を養うための、『売買婚』でした
バラクが善人は承知していても、嫁への気遣いが足りない所から孤独で鬱積、そんな女性なのです



何年か前NHKの短編ドラマで、ヴェトナムから日本の農村に後妻入りする娘が描かれていました
農家の嫁は最近、中国や東南アジア出身者多いですね。斡旋業者もいるとか
皆が皆貧しい生まれとは限らない代わり、『勉強熱心で働き者』という共通点は見られます
慣れない異国の習慣を覚え、姑の病院送り迎えのため運転免許取り、農業や家事に勤しむ
大学やOL経験していても小生意気な都会の小綺麗主婦とは天と地以上の差があると思います
大都会だと、どんな形であれ、不必要な買い溜め狂騒やってるんでないかい~?



農村でなく漁港での話ですが
スリランカで働いていた独身中年のおっさんが新聞読んでいたら、17歳のギャルが花婿募集中
見合いを申し込んで会ってみると、「ウチが貧乏なんで、結婚して家を離れ家計を楽にしようかと~」
貧乏でも明朗快活な彼女を気に入ったおっさん、現地で結婚、故郷へ連れ帰りました
それから20年近くの月日が経ちました
嫁は10数年ぶりの帰郷時には、「あぁ、やっぱり異国で寂しくはあったのか…」が垣間見えた
それでも、朝から味噌汁代わりのカレー味には息子ともどもゲンナリながらも一家円満には違いない
何より、町の集会所に集うジジババ連中から「よう働くエエ子やな~」と人気者なのが素晴らしい
…これも、都会の信心も無いくせに教会結婚式希望☆のバチ当たり小娘連中にはねぇ~



2010年2月20日のYahoo!独話別館記事に一部加筆してのものです
これはカテゴリー検索に載った気がするけど、敢えてアメブロ別荘に



3年ほど前、堺市役所本庁近くの喫茶店でお昼を食べていた時
日本に嫁として来たインド美人が、日本のおばちゃんに愚痴を聞いてもらっていました
おばちゃんはスパゲッティだかドリアだかをご馳走しながら
一応、日本の流儀あれこれを諭しつつも
辛抱強く耳を傾け、納得いく内容には理解を示していました
それをフト思い出して…



東北方面には多国籍軍な農家や漁港の嫁さんが大勢いるはず
平時に何か問題生じて帰国した嫁さんもいるでしょうけど
大半は嫁ぎ先や近くの理解者などとともに、大災害真っ最中の現在も頑張っていると思います
とにもかくにも!無事をお祈りしています