記事題名は、2009年12月13日Yahoo!本館記事より
http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/23188160.html
明日、陽はふたたび / Domani
1990年代、カッキアーノ。古くからの丘の上の街を襲った大地震。地震によって壊された街とひとびとの生活。再生していく中で否応なく変化する人間関係。
夜中に起こった大地震をきっかけに非日常的な生活を強いられるようになったカッキアーノのひとびと。住宅が不足しているため、複数の家族でひとつの住宅に住むことを余儀なくされる。教会も学校もバールも、街中が地震の前とは違う。その中で変化していく人間関係や見えてきたもの、ひとびとの思いを丁寧に描写した作品。
復興のために奔走し、家族のための時間が減ってしまった父親。その一方で、同居することになった男性に優しくしてやる母親。そんな両親の関係が心配でしかたないアゴスティーノ。痴呆の症状が出始めた老女を笑うアゴスティーノの兄フィリッポ。仲良しのヴァーレとティーナはふたりともアゴスティーノが好き。教師のベティは自分のルックスにコンプレックスを持っているが、イギリス人の修復士アンドリューと親密な関係に。妻は子どもが欲しくてたまらないのに、子どもよりも聖母マリアの絵の修復に気持ちが向いているアンドリュー。
押し込められた空間の中で、男女の関係も、おとなと子どもの関係も、女同士の友情も、少しずつ以前のままではいられなくなってくる。 空間は密度を増し、他者との関わりは避けられない。そして、ひとびとは己の弱さをさらけだして、強く、たくましくなっていく。復興していく街の変化と同時に描かれる人間関係の変化。時には子どもの目線で、時にはおとなの目線で。各々のエピソードを積み重ねながら、街は再生していく。
ただでさえ、感受性が強い年頃の少年・少女たちの心情は、地震などなくても揺れ動き、変化するもの。さらに地震による環境の変化というファクターが加われば、その変化も加速する。大人たちの行動に敏感になり、それを理解し自分を納得させようと行動するアゴスティーノに代表される彼らの心情やその変化の描き方が秀逸。特にフィリッポがモッチャ夫人に靴を履かせてあげたシーンは、彼の変化が如実に描かれていて印象的。つらい状況の中でも子どもたちはそれぞれ、確実に成長しているのだ。思春期の少女の描写はアルキブジの得意とするところ。ラストシーンは、時間の流れを’可愛く’見せたという感じで「かぼちゃ大王」のラストにも通じるものがある。
1997年に実際にウンブリア地方で起こった地震の話が元となっており、ロケ地もその地震の被害にあった街なので、映像はアッシジを思わせるものがある。ストーリー自体はフィクションだが、細かなエピソードなどは地震の体験者に取材しているそうだ。おそらく「教会より先に家を修理してくれ」というのは、実際のウンブリアの地震でも言われていたことなのだろう。
カッキアーノの財産であり、修復の対象となる絵画は、フラ・アンジェリコの「受胎告知」。フィレンツェのサン・マルコ修道院にある作品を基にしたものと思われる。
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ロケ地 / セッラーノ
カッキアーノは架空の街。実際のロケは、97年の地震により廃墟となってしまったセッラーノという街で行われた。
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製作 / 2001 イタリア
監督 / フランチェスカ・アルキブジ
キャスト / アゴスティーノ … ダヴィド・ブラッチ
フィリッポ(アゴスティーノの兄) … ニッコロ・センニ
ステファニア(アゴスティーノの母) … オルネッラ・ムーティ
文化庁の役人 … パオロ・タヴィアーニ
( 『CinemaItalia-イタリア映画案内-作品紹介あ』より引用 )
これで思い出されるのは
サン・フランチェスコ聖堂
サン・フランチェスコ大聖堂(Basilica di San Francesco)は、アッシジに生まれ、死後に聖人に列せられたアッシジのフランチェスコの功績をたたえるために建設されたといわれている。1228年に教皇グレゴリウス9世によって建築が始まり、1253年に一応の完成をみたと言われている。また建築に際してはフランチェスコの弟子であったエリアの働きかけが大きかったといわれている。その後、何度も改修が行われて現在の姿になった。
聖堂は、町の北西の斜面の上に建ち、斜面を有効に利用するため建物は上下二段に分かれている。上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式と異なっている。聖堂にはチマブーエ、ジョット、マルティーニなどの画家の手になるフレスコが多数描かれ、上堂内部はルネサンス初期の画家ジョットによる聖人フランチェスコの生涯、28の場面を描いたフレスコ画が、また下堂には『玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ』がそれぞれ一番の見所である。
1997年9月26日に発生したウンブリア・マルケ地震で聖堂の建物は大きく損傷してしまったが、ボランティアによる修復工事などにより、2000年にはほぼ元の形にもどった。
( Wikipedia:『アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群』より引用 )
コチラも参照どーぞ
~子供たちにとってはワクワクするような体験でもあったが、
一瞬にして何もかもを失った大人たちには、
あらためて自らの生き方を問われる試練の場となった。
もろくも崩れた自分の人生は何だったのか。
人々の再生への営みが始まるのだった。~
( Movie Walker:『明日、陽はふたたび』より引用 )
空念仏でない信仰心が支えになったのでしょう(聞いとけ、べーグル遊びクリスマス仏教国もどき)
第二次世界大戦で破壊されたウィーン国立歌劇場は
どんなに窮乏であってもオペラ観たいんじゃのウィーン市民がお上を突き上げ
世界銀行をダム建設費用とダマくらかしてのおかげ様
確か、ポーランド人は、鉤十字ドイツの攻撃により壊滅状態のワルシャワの街を
全くの新興ではなく、戦争前の状態に修復、壁の傷まで再現しました
共産圏時代には、どっかの歌劇場建設費用捻出のため、生活品配給ガックシ減るを我慢したとも
歴史と生活に根付いた信仰と神さんのおかげ様による地道に培われた文化を守る思いこそ
人々の心の再生を成し遂げるのでしょうね