神々の黄昏を奏でた皇帝円舞曲 | mathichenの徒然なるままに

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$mathichenの徒然なるままに-秋の道~ゾフィー・ホテク~




1914年、ロシア帝国を後ろ盾とする汎スラブ主義に沸くバルカン半島に
ハプスブルク帝国継承予定フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ大公夫妻訪問
飛んで火に入る夏の虫。サラエボの町でセルビア民族主義を奉じる秘密組織黒手組の凶弾に仆れた
大公夫妻が治安を懸念する周囲から訪問をやめるよう忠告を受けていたのを振り切った理由として
妻ゾフィー・ホテクは貴族出身で皇位継承者夫人なのに、幼児を含む皇族の末席に置かれる冷遇に耐える日々
ゾフィーとの結婚ゆえに、『皇太子』ではなく遠回しな『皇位継承者』と呼ばれるフランツ・フェルディナント
サラエボでは、皇太子夫妻待遇で迎えてくれるという
大公妃の称号すら許されないゾフィーが、皇太子妃として夫と同席出来る
訪問中に14回目の結婚記念日を迎えるもあり、本来あるべき自分たちの姿を一時でも享受したい
フランツ・フェルディナントの治療が遅れたのは、お洒落好きの服装を取り外すに時間かかり過ぎが原因は置き
最期の言葉は、「ゾフィー、死んではいけない。子供たちのために生きなくては」
皇位継承権を与えられない不遇の下に生まれた子供たちの将来が不安だったのでしょう
凶弾は大公夫妻を葬ったのみならず、第一次世界大戦を招き、やがてハプスブルク帝国を崩壊させた
経緯を考えれば、ハプスブルク帝国は自業自得、因果は巡る糸車のように

【慟哭と恩讐の彼方に想いを馳せて】( 今朝のYahoo!本館記事より )




「戦争は他家に任せておけ。幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」
ハプスブルク家の所領を増やすための金科玉条
スペイン系ハプスブルク家(アブスブルゴ家)には裏目に出ましたね
宗教改革盛り上がる16世紀のフェリペ2世、国の経済に貢献するユダヤ人を叩き出してまで、カトリック死守組
存命中ビビリ続けた2番目の嫁、世にもブッサイクな血まみれ姉さん女房メアリー・テューダー
メアリーようやく地獄落ち後、フランスとの講和のため迎えた28歳も若いエリザベート・ド・ヴァロワ
前者はどんだけ英国の新教徒を迫害、後者はカトリーヌ・ド・メディシスの娘からもわかるように、2人もやはりカトリック
この2人はまぁ事情わかるとして、問題は濃い血族婚である最初と最後の嫁
ポルトガル王女マリア・マヌエラは、二重に繋がってるんだかの従兄妹関係
オーストリア・ハプスブルク家ののアナ・デ・アウストリアは、伯父さんと姪っ子の関係
フェリペ2世だけでなく、アブスブルゴ家には現在では考えられない濃い血族婚が多かったですが
理由は、『地理が不利』。地中海の向こう側にはイスラム世界が勢力を誇る、イベリア半島と欧州西端に位置する
中欧に位置する宗家のように隣近所からという選択肢が限られる
異教の影響受けずキリスト教死守のためには同じ欧州内から、しかし適齢期の娘息子探す旅路は長い
必然的に宗家から調達やお返しが増えた結果、選択肢少ない方に劣性遺伝の展示会状態が現れた
17世紀に入ると明らかに障害者や脆弱のため夭折が増え、1700年遂に後継者いないアブスブルゴ家消滅の末路




ハプスブルク=ロートリンゲン家に対しては正直、カワイくないのよの感想を持つ当所管理人です




女帝マリア・テレジアの場合、「ちょっと待ったれ、自分に甘く娘にキビシイんかい」
王侯貴族は政略結婚が通例の時代にあって、自分は初恋の相手と恋愛結婚、子供は所領増やす持ち駒だから政略結婚
いや十数人生まれた子供全員が政略結婚ならば、別に構わないんですよ
マリア・アントニアなんてどうやら、物心つく頃から未来のフランス王妃として取引あったようですし
最もお気に入りの娘マリア・クリスティーナには、恋人との結婚を認めてやりながら
「アタシも彼氏との結婚を」とお願いするマリア・アマーリアには、どうも顔も頭も悪い婿さんを押しつける理不尽がねぇ
嫁入り先で荒れまくりの日々を送るマリア・アマーリアに説教の手紙と帰国禁止命令と勘当、ちょっとぉ(怒)




フランツ・ヨーゼフ2世の場合、「未来の皇帝2人も不幸にしてどおすんのさ」
母方の従妹に当たるエリーザベトと、母ゾフィー大公妃の反対を押し切って結婚
(見合い相手の妹を見初めて結婚、よくある話ながら、皇族の通例から外れるという意味で恵まれてるですな)
皇后エリーザベトを終生心から愛していたといわれるが
そのエリーザベトは、政務に忙殺される夫との心のすれ違い、ゾフィー大公妃との嫁姑いがみ合いなどもあって
息詰まる宮廷生活を嫌い、ウィーンに留まることなく旅ガラスの日々を送った
皇帝はその淋しさを紛らわすため、エリーザベトから紹介された舞台女優カタリーナ・シュラットと仲良しさん
そんな家庭環境じゃぁ、聡明で将来を嘱望されようが長男ルドルフ君は落ち着かんでしょ
で、1889年にマリア・ヴェッツェラ男爵令嬢とマイヤーリンクで謎の心中だか暗殺だかを遂げ、第一の持ち駒を失う
ルドルフ君に代わる後継者として選ばれたのが、甥に当たるフランツ・フェルディナント君
その次の皇位継承者と目されていたカール大公の結婚式では、フランツ・フェルディナント君への嫌がらせする老皇帝
カール大公(後のカール1世)の妃ツィタは、パルマ公女であり、スペイン・フランスの両ブルボン家の血を引く
「あら生きてたの?」的爺さんは結婚式のバルコニー登場して「民衆よ喜べ」とばかりの手を振るサーヴィスまで
未来の皇后に相応しいってんで上機嫌はわかりますけどね
理不尽な差別から鬱屈していった第ニの持ち駒夫婦はそりゃ、危険承知でサラエボに出かけていきますわ




なお、オーストリア=ハンガリー帝国最後の皇后となったツィタ・フォン・ブルボン=パルマ
出身が第一次世界大戦の交戦国であるフランスイとタリアに結びつく、国民から『イタリア女』、ちょいと気の毒は置き
プライドが高く、フランツ・ヨーゼフ皇帝の母ゾフィー大公妃に酷似する鬼嫁系
貴族特有の選民思想も強く、ハプスブルク家お坊ちゃま亭主以上に、ハプスブルク王朝の存続は神の真理
何とまぁ1989年に死ぬまで、必ずや王朝の栄光は帰ってくると本気で信じていたそうな
(スペイン、ベルギー、ルクセンブルクの君主位継承権を保持する子孫により、王朝君主返り咲きの可能性はある)
写真見ても「こりゃ本物の雲の上階級だわ」が漂っているツィタ
でも、熱測れというくらい筋金入りだからこそ、何があろうとも揺るがぬ自信の持ち主だからこそ
幼児にまで頭を下げる身分(出身成分厳しい北朝鮮かよ)に置かれていたゾフィー・ホテクに公の場で挨拶したことがある
本音はどうあれ、皇位継承者夫人に対して貴婦人としての礼儀をわきまえていた、救われますよね