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首相献金問題、市民の党代表「よど号犯と接触」北で10年ほど前
2011.8.1 01:13
 
 菅直人首相の資金管理団体が、東京都三鷹市議選に立候補した日本人拉致事件容疑者の長男(28)が所属する政治団体「市民の党」(酒井剛代表)から派生した政治団体に計6250万円を政治献金していた問題で、酒井代表が過去に北朝鮮を訪れ、よど号ハイジャック事件の犯人や関係者らと接触していたことが31日、分かった。酒井代表が産経新聞の取材に明らかにした。市民の党と北朝鮮、よど号犯の密接な関係が改めて鮮明になった。

 三鷹市議選に出馬した長男の父親は、よど号犯の故田宮高麿元リーダーで、母親は昭和55年に石岡亨さん=拉致当時(22)=と松木薫さん=同(26)=を欧州から北朝鮮に拉致したとして、結婚目的誘拐容疑で国際手配されている森順子容疑者(58)。森容疑者は北朝鮮にとどまっているとされる。

 酒井代表は産経新聞の取材に、「10年ほど前に北朝鮮に行き、よど号の人間や娘たちと会った」と発言。「その中には(三鷹市議選に出馬した)長男の姉もいた」とした上で、「そうした縁もあって、長男が(日本に)帰国してきてからつながりがあった」と市議選に擁立した背景を明らかにした。

 酒井代表は自身が長男の選挙応援に入ったことも認め、「今の10代、20代が今後、大変な思いをする。若い人に頑張ってほしかった。統一地方選には若い人間をいろいろ出しており、彼はそのうちの一人」と説明。一方、日本人拉致事件については「最低な問題と考えている。解決する一番いい方法は日朝国交正常化だ」と自説を展開した。

 市民の党をめぐっては、菅首相や故田宮元リーダー、カンボジアのポル・ポト派幹部らが、同党の事実上の機関紙にメッセージを寄せたり寄稿したりしていたことが既に判明している。

 菅首相の資金管理団体「草志会」は、市民の党から派生した政治団体「政権交代をめざす市民の会」に、平成19~21年の3年間で計6250万円を寄付。民主党からは同時期、草志会へ計1億4980万円が献金されていた。

■北の“同志”支援軽率

 市民の党の酒井剛代表がよど号ハイジャック事件犯との接触を明らかにしたことで、両者の関係性は決定的となった。菅首相が国会で「献金は連携・支援のため」と述べた政治団体の実態は、“革命の熱狂”に取りつかれた極左勢力そのものといえ、首相の政治姿勢や説明責任が改めて問われるのは必至だ。

 よど号事件は昭和45年3月31日に発生。故田宮高麿元リーダーが率いる共産主義者同盟赤軍派9人が、羽田発福岡行き日本航空のボーイング727(通称・よど号)を乗っ取り、韓国・金浦(きんぽ)空港で乗客を解放後に北朝鮮に渡った。

 日本初のハイジャック事件で、「海外で活動家を軍事訓練させ、日本に上陸させ武装蜂起を決行する」という「国際根拠地建設論」が唱えられた。

 北朝鮮で生活を始めた9人は、現地で日本人女性と結婚。田宮元リーダーは森順子容疑者との間に2男1女をもうけた。

 その後、田宮元リーダーら3人と日本国内に戻った2人が死亡。今も現地に残るのは4人となっている。一方、よど号犯の子供は「計20人」(尾崎道明公安調査庁長官)で、平成13年以降、全員が日本に帰国している。そのうちの1人が、今年4月の東京都三鷹市議選に市民の党から出馬し、落選した田宮元リーダーの長男だ。

 酒井代表はこうした勢力に共感を示しており、平成15年の雑誌の対談記事では「革命一筋。この30年間他に何も考えたことはない」などと話し、自らを「レーニン主義者」と紹介している。

 菅首相は今回の献金問題に絡み、7月21日の参院予算委員会で「そういうこと(拉致実行犯と近い関係)があったとすれば大変申し訳ない」などと陳謝した。だが、献金の目的については「ローカルパーティーと民主党の活動の連携・支援のため」と述べるのみだ。

 拉致被害者支援組織「救う会」会長で東京基督教大学の西岡力教授は、「酒井代表がよど号犯やその子供らと会えたことは、北朝鮮が酒井代表を同志と考えたか、対日工作に利用できると判断して許可を出したことになる。酒井代表や市民の党が北と密接な関係にあったのは明白だ」と強調。その上で、「こうした政治団体と『連携・支援』を図るため巨額献金をした菅首相は極めて軽率といえ、総理の資格が問われる問題だ」と指弾している。

( 出典先:MSN産経ニュース )



よど号ハイジャック犯といえば



すでに死亡したメンバーでは
1996年カンボジアで拘束されてタイに移送、後に日本国内で病死の田中義三は別として
リーダーの田宮高麿は
「死の前日まで特に異状が見られず、病死というより不審死」
彼と思想対立があったらしい岡本武は
「妻とともに土砂崩れで死亡とされるも、国外脱出を図るなどから、強制収容所に送られた可能性大」
1985年に病死とされる吉田金太郎は
「1970年代に、同名の祖父が資本家である出身成分を問われ、強制収容所に送られた可能性大」



赤木志郎、若林盛亮、魚本公博(旧姓:安部)、小西隆裕
40年後の現在も北朝鮮に在住する4名
何かと不安を抱えていると読んだことがあります



柴田 泰弘(しばた やすひろ、1953年 - 2011年)はよど号グループの最年少構成員、テロリスト。

概要
1969年、神戸市立須磨高等学校に入学。その頃赤軍派に参加し、大菩薩峠事件に関与した。1970年3月31日に仲間8人とともによど号ハイジャック事件を起こした際には、グループ最年少で高校入学してから約1年の16歳の少年であった。北朝鮮に亡命後、1977年5月4日に八尾恵と結婚、娘2人をもうける(1990年代後半に離婚)。

1985年春によど号グループ最高幹部の田宮高麿から革命のために日本で人と金を集める命令を受けて極秘帰国。他人になりすまして潜伏活動をしていたが、1988年5月6日に兵庫県警外事課により偽造旅券の疑いで逮捕。指紋の照合でよど号メンバー柴田であることが確認される。よど号メンバー初の逮捕であった。

よど号事件で強盗致傷、国外移送略取罪等で起訴され、1990年12月20日に東京地裁で懲役5年の判決が言い渡される。上訴をするも1993年11月に懲役5年が確定、刑務所に収監される。

未決拘置期間を差し引いて、1994年7月21日に出所。その後は元グループ仲間やその支援者らとは距離を置き大阪府大阪市で1人暮らしした。

その後も娘は北朝鮮に留まっていたが次女が2004年1月に日本に帰国、長女が2006年6月に帰国している。

2011年6月23日、大阪府大阪市浪速区の自宅アパートの布団で死亡しているのをアパートの管理人と大阪府警浪速署員が発見した。58歳没。外傷は無く、病死とみられる。

エピソード
・日本の裁判で起訴された際、裁判所の人定質問で職業を問われて「職業革命家です」と即答した。
・所持していた偽造旅券は北朝鮮による日本人拉致問題によって拉致された石岡亨の偽造パスポートである。

( Wikipedia:『柴田泰弘』より引用 )



今日になって、死亡を知りました



1970年当時、未成年ということで『少年S』と報道されたそうですね
太古の高校生は、現代よりはるかに知的好奇心旺盛で、「社会(世界)を変える」意識に燃えていて
大学で燃え盛る学園紛争の火種が各地の高校にも飛んで行ったよう



満期出所しているから、その後は一市民として暮らした
2010年3月、産経新聞の取材に対して「もう(運動は)やりません。疲れちゃってるんで」
元グループ仲間や支援者らのみならず家族とも離れ、独り暮らしでの最期
己の過去に対する罪悪感、人生に対する喪失感、精神的支柱の無さによる不安感
ですかね?



孤独死であっても、過去との訣別はせめてもの救いなのでしょうか?