【5月23日 AFP】ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク(Jigme Khesar Namgyel Wangchuck)国王(31)は20日、議会での演説で、学生のジェツン・ペマ(Jetsun Pema)さん(20)と年内に結婚する意向を明らかにした。
AFPの電話取材に応じた首都ティンプー(Thimphu)の王室報道官は、国王はかなり以前からペマさんのことを知っており、ペマさんは既に国王について国内各地をまわっていると述べた。結婚式は行うものの、第1にブータンの国力への配慮、第2に個人的な心のこもった結婚式にしたいとの希望から、国王は大がかりな公式行事を行わないよう政府に要請したという。
王室が公開した履歴によると、ティンプー出身のペマさんはインドと英ロンドン(London)のリージェンツ・カレッジ(Regents College)で学び、美術や絵画、バスケットボールが好きだという。国王も英オックスフォード(Oxford)大学に留学経験がある。
2006年に父親のジグメ・シンゲ・ワンチュク(Jigme Singye Wangchuck)前国王から王位を継承し、08年に戴冠式を行った現国王は、前国王が2001年から始めたブータンの民主化プロセスを進め、広く国民から尊敬を集めている。
世界では今年、4月に英王室のウィリアム王子(Prince William)とキャサリン妃(Duchess of Cambridge)の結婚式が行われたほか、7月にはモナコ公国の大公アルベール2世(Prince Albert II)が婚約者で南アフリカの元五輪水泳選手シャーリーン・ウィットストック(Charlene Wittstock)さんと結婚するなど、「ロイヤルウエディング年」となりつつある。(c)AFP
( 出典先:AFPBB News )
この国王陛下、日本の誰かに似てると、昨日ウ~ンと考え込みました
『ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク』でGoogle画像検索
YouTubeより、『スチュワーデス物語 スペシャル 総集編 風間杜夫 堀ちえみ』
…寝ても寝足りんアタクシの目のせいですかね???
一般人女性と言っても、国王とは遠縁の関係にあり、父親は国営ドゥルク航空のパイロット
英国留学出来るほどの上層中流階級令嬢
まぁ王妃ともなると、洋の東西問わず、その国相応の選択がなされるもの
全く庶民のねーちゃん登場は探せばあるでしょうが、まずあり得ない前提の下に考える
これが、セレブリティに関する世界の常識ですよ
豪華な家具やお洋服をボロ家に揃える、医者の嫁志願婚活中の、某島国のアホゲな女連中聞いとけ
仮にVIP級イケメンとお近づきになれた所で、それ以上には近づけないを知っとけ
戦後成金多い日本にだって、王侯貴族に連なる上流階級は存在します
由緒正しい生まれの女性が、終戦直後、市井に降りるケースが見られました
昭和十八年。日本に住むすべての人々は、狂気に似た戦争のるつぼの中へ巻き込まれた。三郎と螢子が、はじめて逢ったのは空襲警報の鳴り渡る街の地下鉄のホームであった。もみ合う人、人、その中で押し倒された若い二人の指がふとふれあった。盲目にされている戦争の最中で、人間としての青春の、愛情の喜びを得たいと願う、それは美しい心のふれ合いだった。燃え上がる愛情は日に増した。だが、時は一刻の猶予もなく、戦争の遂行のために進んでいた。三郎は母のない冷厳な法務官の息子である。兄二郎は、かつて夢多い青年であった。だが今は陸軍中尉の軍服がぴったりと身についた青年将校で、三郎にとっては悲しい存在であった。長兄の一郎は戦争で死に、その妻の正子は、三郎の家ではあわれな奴隷であった。父も兄二郎もそれはあたり前だと思っていた。この家庭、この雰囲気、三郎はたまらなかった。それに反して、螢子の家庭は、母と二人、螢子の先生のアトリエに留守番として住んでおり、螢子は小さな画家の卵として、貧しい生活のために、似顔を画いていたし、母は工場に勤め、この母と子はあふれるほどの愛情に満ちていた。三郎は明るい螢子と逢っているときだけが、幸福を身に感じるときだった。だが二人は、目に見えない戦の大きな黒い手の中で、やはり身動きできない二人だったのだ。三郎の友人は次々と召集された。二人は追われる様な日々を過ごした。そしてついに三郎に赤紙が来た。あと二日、螢子の描いたつたない三郎の肖像画が、ただ一つの思い出として残る運命の日がくる。最後に逢う日、三郎の姉正子は防空訓練で倒れ、亡き一郎の子を流産した。三郎は螢子との約束の場所へ行けなかった。その頃その場所、爆弾によってふきとばされ、螢子の若い命はあっという間に散ってしまった。三郎の征く日は更に一日早まった。螢子の見送りもなく、征く三郎、人間としての限りない平和と希望を求めた三郎は、軍用列車で運ばれる。--昭和二十年。今は亡き三郎の肖像画は黒い布でつつまれて、戦いの終わりは告げられていた。
( Movie Walker:『また逢う日まで』より引用 )
来歴・人物
久我家(こがけ)は村上天皇まで遡る村上源氏の流れを汲む華族の家柄。村上源氏(中院流)の総本家にあたる貴族・公家・華族の家柄。 公家としては清華家(明治時代以前、華族というと、この家柄のことを指していた。)、華族としては侯爵家の家格を有した。堂上十家のひとつ。 父・久我通顕は侯爵として貴族院議員を務めた。評論家の夏目通利は叔父。久我家から分岐した公家諸家としては、江戸時代に久我家から分家した岩倉具視や小桜葉子(本名:岩倉具子)を輩出した岩倉家や中院家、六条家、久世家、千種家、東久世家、池坊保子を輩出した梅渓家、愛宕家、植松家の9家がある。
東京市牛込に生まれる。1946年、 学習院女子中等科在学中、東宝第一期ニューフェイスに合格。同期に三船敏郎、堀雄二、伊豆肇、若山セツ子、堺左千夫らがいる。 なお彼女が公家育ちの名家の出身ながら芸能界を志した理由は、祖父の常通が当主だった大正時代から続く久我家の経済状態の悪化を打開するためであった。当時の久我家は世間知らずの祖父や父親が、高利貸しに金を借りて慣れぬ事業に手を出して失敗し家屋敷を押さえられた上に、さらにその窮状に付け込まれて悪党らに騙されて、昭和7年に欠食児童同情寄付金詐欺事件の首謀者の濡れ衣を一時着せられ(実際は事務所の連絡先に久我家の住所を貸した程度であったので、逮捕などはされていない)、新聞沙汰になったこともあるほど経済的に追い詰められており、この事件以降も生活は相変わらず苦しいままであった。そのような家庭状況で美子は戦後の華族制度廃止でますます実家の生活が悪化することを憂慮し、家計を助けるために職につきたいという一心からの東宝ニューフェイスへの応募だったが、実家からは「体面を汚す」と猛反対された。結局美子が「久我(こが)」姓を名乗らないことと、住所を親類宅に移すことという条件で芸能活動を許された。漢字は同じでも本名「こが はるこ」が芸名「くが よしこ」と異なるのはこのためである。
1947年、学習院を中退し、『四つの恋の物語』で映画デビューする。
1950年、今井正監督の『また逢う日まで』では、岡田英次との窓硝子ごしの接吻が話題となった(日本の映画界では1960年代のはじめ頃まで接吻のクロースアップはタブーだった)。
1954年、岸恵子、有馬稲子とともに文芸プロダクションにんじんくらぶを結成した。
1961年、俳優と結婚する気はなかったが、平田昭彦からの猛烈な求愛の末に結婚した。子はなかったが、仲の良さは1984年の平田との死別まで不変だったことは、広く知られている。
1969年より約1年間、『3時のあなた』(フジテレビ)の司会を務めるなど、1970年代以降はテレビ・舞台を中心に活躍した。
若き日より家柄・容姿のみならず、演技面も芯の通った内面と気品が見るものにも伝わる確かな実力があった。日本映画史を代表する数々の名監督達も、こぞって彼女を起用した。平田との結婚後も、そして死別後も、長年にわたって女優活動を続けたが、近年はほとんど活動休止状態となっている。
2004年、義姉にあたる女優・三ツ矢歌子(久我の方が年上)の死去の時に、久々に公の場に姿を見せた。
ワタナベエンターテインメント所属。
( Wikipedia:『久我美子』より引用 )
太宰治の‘斜陽’も吹っ飛びそうなお嬢様でございます
女優になるべくして才能を持って生まれたとは思いつつも
映画とTVで幅広い役柄を演じようが、やはり一種独特な生来の気品は感じられました
‘また逢う日まで’、究極のすれ違いが描かれました
彼女は、爆死。彼は、戦死。互いに相手の消息を知らぬまま
彼は彼女の身内と道で出会うものの、互いに素性わからずすれ違い、そんな場面が
面識無い。インターネット無い時代じゃぁ、写真共有サイトも無く、完全なる別世界の未知なる他人
たった一つの消息知る手がかりさえ、目の前にありながら手に出来ない、それが当たり前の時代
彼や彼女(亭主や嫁)の携帯コッソリという恥知らずな半面
ブログやSNSでの、本当に相手信用出来てるの?級アケスケ会話=心のつながりのような
時勢や身分など、努力しても克服出来ない壁は存在する、それを知らん戦後教育洗脳も我知らん
何とも貧相な現代日本人には「ありえねえよ~」なタワゴト映画でしょうがね
無防備に軽~く一日中機械相手にペチャクチャやってんと、頭の中身磨け。そうお返しして
千利休さんの茶道の心得いうのは
「アナタとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものでっせ
せやから、この一瞬を大切に思うて、今出来る最高のおもてなしをしましょうや」
これからも何度でも会う機会はあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれない
今朝元気に出勤した亭主が、今夜には中坊二人乗り無灯火チャリに轢き殺されるかもしれない
見方変えれば、今日は面識無くても、明日突如道で出会っちゃうかもしれない
人間関係は良くも悪くもいろんな意味で複雑怪奇、予想がつかない
その覚悟で人には接しなさいよというこっちゃ