正直、五輪には全然興味わかない。真央ちゃんだろうがヨナちゃんだろうがヨカッタね
トリノの時は、静香ちゃんにウラミはなくても、日本人選手唯一のメダルにすがりつく俗世に(`∀´)
2年半後のロンドンでの夏季大会も似たり寄ったりなのです。でしょうよ
冬季と夏季の同年開催は負担大きく、1994年のアルベールヴィル以来、冬季は夏季の中間年開催
わたしの最初に記憶ある五輪は、札幌(冬季)とミュンヘン(夏季)、つまり1972年と古代大会
氷上に尻モチでも銅メダルのジャネット・リンちゃん、『銀盤の妖精』はカルピスCMでもメチャ可愛かった~
ミュンヘンは…スピルバーグ映画でも知られる通り、パレスチナ過激派によるテロ事件発生でした
後年知った所によると、当時のブランデージIOC会長は反ユダヤと親ナチで有名であり、
実際にドイツを去る選手はほとんどいなかったものの、五輪続行決定その他で非難轟々だったそうな
思えば、五輪ってモメゴト付き物なのです
モントリオール(1976年夏季)は、ニュージーランドのラグビーチームが南アフリカ共和国へ遠征を巡り、
人種差別政策抵抗運動とばかりにアフリカ諸国のボイコット
モスクワ(1980年夏季)は、ソ連のアフガン侵攻直後とあって、西側諸国のボイコット
ロスアンゼルス(1984年夏季)は、お礼参りですわな、ルーマニアを除く東側諸国のボイコット
ソウル(1988年夏季)は、ほぼ全地域揃った代わり、北朝鮮があり得ない共催を叫んでいました
柔道の山下泰裕選手は、不本意なモスクワ不参加の無念を、ロス金メダルで晴らしました
環境激変や外貨稼ぎに振り回され、2年後の世界体操競技選手権では醜態さらしたナディア・コマネチも、
1976年当時可能だった14歳での参加で10点満点の『白い妖精』、これだけで幸運です
オリンピック・アスリートに対する精神面での支援体制が実施されるようになっている現代
ごく当たり前のことと捉えられるでしょうが…
「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました...」
「...幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい
気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」
東京(1964年夏季)、男子マラソン銅メダル獲得した陸上自衛官・円谷幸吉選手
「次のメキシコ五輪では金メダル獲得します」と宣言、日本中の期待を集めるも、
公私で様々な不運に見舞われ、期待に応えなければとの重圧に押しつぶされ、
1968年初頭、カミソリで頸動脈を切って自殺、27歳の若さで
円谷選手の哀しい最期が契機となった、苦い教訓の産物なのです。現代の選手への恩恵は…
(お詫びと訂正)
1994年の冬季五輪は、リレハンメルでした。失礼致しましたm(__)m
開催時期が近すぎるせいか1992年とゴッチャになりやすい…