気分は神風サンタなのですか…Xの「紅」くらい怖いものがある。
あんた基本わきまえてるって、心底、丁寧に気持ちを語り掛けるとすれば。
サイエンスゼロ(限界破裂)観てた方が面白いだろうけど、その自己実現を考えるとお気の毒に…と、忠実にコンピュータに近似解を求め得させる能力、繊細なんですね…凄いことだとは思いますが。
自分は「オッサン」です。
ゲゲゲの「おやじ」の中で目玉はブルーのつもりで。
USAで成功したかったミュージシャンが、北欧だか、とにかく寒い地域で、音楽について知らない自分的ですが、讃美歌のような唄を大衆の前で披露する訳です。
魂まで売り物にするのかって気持ちがわいてきた瞬間。
昔は、アイドル的な歌は解散したらドツボの人生だと、短絡的に神経回路が繋がってるくらいだった。
けど、シンガーソングライター? 的な、表現に酷いコンプレックスを抱く自分。
聴く側として、自分が存在するなら、それで聞き流すことは出来るし…どうやら自分は人を愛せないとか。。。
自爆的に書くけど、自分が求めているのは母性くらいの、二度と振り返れない、優しさ(AI)なのだ…ろう。
性的マイノリティーとか、言われると、そこまで素直に自分の気持ちに向き合おうとは思ってなかった自分。
社会に出てから、男のエグさとか、知った訳で。
オヤジが目玉くらいにささやく存在でしかなかった…の。
最初の自我の記憶は、お姫様になりたいという願望。
で、それは社会(ガッコ)で矯正されていくわけなんだけど。
歳重ねるに、アイドルっていうもの演じる窮屈さとか、分かり始めると(つくられた存在の面が大きく映像では見えてしまう…ので)、かなり穏やかな気持ちで観ることが出来るようになった。
反面、ここ最近のこと、自分でギターを製作する話になってしまったのっで、音楽を創るってこと、恥ずかしながらリアルに感じて、バンド立ち上げて、自分の音楽性を世に問うことで、成り上がった音楽について、感情と言うものが生まれました。
アンパンマンとバイキンマンがなぜ戦わなくてはならないのか的な、自分にとって軽く気分で聞き流してた音楽(ポップ…ロリじゃない…よ)について、敵とみなす自分の存在が大きくなってきた。
いい歳してるんで、そこは、幼いころからの素養っていうのか、まっるでない自分だから、大きな敗北感とか、あるんで、立場わきまえずに創造的破壊とか、意味も分からずに使わないのでけれど。
ある時期、遅くから始めるにあたって、憎いくらいの否定からじゃないと、出来ないのかとか。
黒人の音楽とか…ゴスペルとか、その他、歴史…。
歴史は繰り返すと、言う。。。
西と東の欲望の波の推移。
と、新大陸と滅ぼされた文明のこととか。
流れにゆだねるっていうか、自分的には、予言されてるんで、実現しなくてはならないという、オウム(ナウシカ)的で、天下りな感じでもあり、微妙なんですが。
自分の「トリセツ」危険性を踏まえてないと…大したことは出来そうにないですが…。
芸術と偽って、素人って気にも一億総芸術家もしくは評論家的な大衆の渦の中で、ドンパチしてしまうこと、現実味の薄い気持ちの中ででも、それを考える自分。
リアルに腸をえぐられるのに遠いところに住んでいられてるようなので。
出来るとすれば、「アンパン」と「ばい菌」の和解のような琴なんだろう。
納豆の様に糸を引くアンなのか、シュガーレスのものからの派生なのか(低カロリーのアンは甘さが、ぼやけてマスが)。
妥協点を見出すってのが結論…それはフォークソングとかグループサウンズとか言った時点でなされているはずだし、ロックの過激な傾倒も少数派だし、日本のひらがな的な言葉の響きの大切さを…ドミナントなんて言われても分からないけど、外れない音の線で微妙に表現していく丁寧さ、繊細さを最近は感じてはいるんですが。
スイカの一生の中に、美があって、スイカは波打ち際の浜辺で、目隠しされて割られるものだという思い込みが…もたらすこと。
自分は自爆への道の様に受け取った。
スイカを取り巻く、人間模様の中で、スイカと言う飛び道具。
真球…鋼の中空の真球。
スイカを花火に例える。
映像技術の進歩。
カメラの性能の向上。
砂漠を走る(T〇Y〇TA)の永遠を意味する保守がしやすい、聖なる四駆に乗っかって、起こっていること。
花火の打ち上げの映像から、爆発の時間経過から、火薬についての解析と、鋼の中空鉄球が生み出す、爆縮なるものを想像しがたい、事実を紙と鉛筆手掛かりに、無理くり引き出すことじゃなくて、華と針(尾)で、美しさが、もたらすの爆縮の平和利用とか、自分には想像できないですが。
自分的な帰結はその平穏をかき乱すことになると思うのです。
数の足し算で収束していく逆数…(なぜ逆さまにしなくては、ならないのかという疑問は付きまとう。。。)級数の括りの中で、取り留められる、単位的な定数。
オームの法則レベルで、自爆し、クーロン(九龍)でついに絶えた、好奇心。
特異点を含む数学的記述の不完全さ(言い過ぎてます…過程はどうでもいいから…見せろって???)。
自然の表現に確かな記述は自分的に限定できた。
ニュートン法、採った流儀とその表現の限界程度で、デカルトとか、代数学とか、独逸的ライプニッツのことは、時代交錯してるレベルだけど、オイラーの数学科で、静かな時を詩を書くように過ごしている人じゃないけど、島に住んでることで得られる、物事の洞察力とか、田舎者に出来ること。
好奇心で覗いてみて神秘性に導かれるまま、書き出してみることの大切さ。
自分は学校教育が参勤交代くらいにしか見えない障害物競走だと諦めがつく歳なんで、素直に向き合えたり。
踏まえなくてはならないこと、理解できないでは前に進めないこと。
偶然の発見で、トンデモ発明がこの現でも起こること。
まさか…と言うのです。
隠れキリシタンの踏み絵とか…なんか表現について、未だ限定的なので、包括できたらとか。
ネバエン・ストーリーで「Buddha」らしき眼からレーザービーム出てきたの記憶、思い出して。
リアルファンタジー始めたドンキホーテ的な…ってリアルじゃないですよ、そこは。
文明ゲームで戦わずして勝つ方法を考えてる程度に。
なぜ戦わなくちゃいけないのか。
必要だけど、百人斬るとかの世界。。。
-つづく…のか?-
AbemaTVで知りました。
繊細な事の流れに脱帽です。
洗練されるとか、正直、かなり遠い存在なんですね。

