森林の四季は巡るらしい。
一年を通して森を見たことがない。
落ち葉が100年で1センチ積もるのだというけど、それを確認できない自分。
植林の木を育てるのに70年かかるのだとすることが、一種の信仰なのかもしれない。
杉は伐採されても、その寿命の分、建築材として生きているとか聞いた。
環境を整えられるのなら、数百年とかあるんだろう。
自然災害のサイクルとの妥協点だったりするのか?
動画の中では、おが屑の花飾りには敵わないと思った。
擬態すること、虫になりすました(実際に森に行き、風の音を聞き、虫の音を奏でる過程を経て)。
木登りなら、どういうわけか、動画の方々の誰よりも上手かもしれない。
虫たちと小動物と自然にカモフラージュされた人たちの中に映像を観る側として打ち解けられない自分。
観客席にいないせいだろうか?
欲張って、一番立派な木に登って、木の枝を断ち、髪の毛で弓を作り、彼らに矢を放つなら、彼らは、その持ちうる道具すべてを用いて、その木を切り倒すだろうか(単純に捕まる)。
始まりを知らない植林の森において、間伐材として息の根を止められるか?
しとめられた木は、その後、寿命の2倍、人間によって生かされるという。
自然の分け前、残念だけど、山里は美しいとか言うけど(地方創生のスローガンのせいもあるだろうけど)大きな存在として人間の前にはもういない。
人間の考えられることと時間には限界があって、高齢化を前に消え去っていくものなんでしょう。
木をこよなく愛する人は、水の源と下流の海への影響なども踏まえて、木と向き合っていたりする。
森以上に大きな全体を見て行動しているみたいです。
自分はただ、ヒノキを自動かんなでねじ伏せることが出来ないことを恨み、製材のカスで出来た、端材(焼き肉の、どの部位が旨いか不味いかなどを考えているという) を問題にしている。
煮るなり焼くなりして、料理のように木材を調理すれば出来そうな可能性は感じてはいるけど。
熊は人を見ると逃げるものではなくなったみたいだ。
動画の中では、野獣は出てこない。
自分が自然に模すことによって、気付かれないようにしている?
ハンティングっていうゲームとの距離はどうなんだろう?
音楽への参加が出来るとすれば冬を狙って、森に火を放つくらいのことくらいしかできない(誰が火を消すのか…そもそも針葉樹に…)。
おが屑を使ってしまった、彼らの表現を弱点だと見抜いたとでもいうか?
それを解ってて木の文明とかお酒とか自分が言うまでもないのですが。
弱さを露骨に出した手法。
でも、彼の音楽(分かりやすく偉人の掌の中で玉乗りをしてくださっている)は、凄かった。
この人は、関西ではナンセンス(笑いの的、待ってました!)なことをやっている。
ミュージッカルソーは中国が発祥だとされる説があるが、定かでないらしい。
木の命を絶つときに使われる鋸の表現、テルミンの音に似ている気はする。
与作は木を切っているリズム、「オノ」と「ノコ」の違いはあるが、チェーンソーアートにも似て、職人の気づき?
蒸気機関車に石炭をくべる作業は大変だけど、電車は楽そうに見える。
楽になった分、何か職業から分け前をもらうようなこと?
平面の重ね合わせで、自然は出来ていると、この絶対的不利な自分が、それでも悪あがきを続けるのです。
今日は、彼の音楽から、何かを得たいがために時間を浪費することを決めた!