精神の自由とフランクル心理学 | 数学を通して優しさや愛を伝える松岡学のブログ

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アドラー心理学的な世界観のコラムやエッセイを書いています

やりがいのある日々を過ごしたいと思っても、
仕事場の環境や雰囲気、人間関係など、
自分ではなかなか選べないものです。

劣悪な環境や雰囲気、嫌な上司のもとにおかれ、
自分ではどうしようもないこともあります。

自分の意志ではどうしようもない
圧倒的な状況におかれたときは、
どうすればいいのでしょうか?




オーストリアの精神科医・ヴィクトール・フランクルは、
このような問いかけに示唆を与えてくれます。

彼はユダヤ人であるがゆえに、ナチスドイツにより、
強制収容所に送られました。

フランクルも含めて、収容者たちは、
財産、衣服、名前など、すべてを奪われました。

そして、

強制収容所という極限状態で生き延びるために、
略奪や騙し合いなどを行います。


そんな悲惨な状況の中でフランクルは、

通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、
なけなしのパンを譲っている
ほんのひと握りの人々を見かけます。


そこから彼は、次のことを発見しました。

たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、
人間としての最後の自由だけは奪えない


フランクルはこれを「精神の自由」といいました。


強制収容所というような特異な環境におかれたとき、

他の人と同じように略奪を始めるか、
それとも品行方正にふるまうか、

自分がどのような精神的存在になるかについては、
環境が決めるのではなく、
自分自身が決めるということなのです。
 

 

 


強制収容所というと、
遠い世界のことのように思えるかもしれませんが、
果たしてそうでしょうか?


普段の生活で、

劣悪な環境におかれたとき、
意地悪な同僚が職場にいるとき、

あなたはどうしますか?



「規模の大きい、小さい」 はありますが、
似たような状況は、日常生活でも見られると思うのです。




つまり、


もしあなたが、

望まない環境や状況、嫌な人間関係のもとに
おかれていたとしても、

そこでどのようにふるまうかは、
あなた自身が決めることができます。

すなわち、

劣悪な環境に押しつぶされるのか、
それとも、そんな状況でも意味を見出し、
前向きな態度をとるのか、

それはあなたの精神が決めることなのです。

 


 


ただ、望まない環境にいると

「より良い環境に、早く移ってがんばりたい」

というように、
次の環境に移ることばかり考えてしまいます。


でもそれは、未来に関心が行き過ぎて、
現在をおごそかにしてしまうことかもしれません。


人間は 「今、ここ」 を生きることが大切なのです。


強制収容所では生きて出られるかどうかだけが、
人々の関心事だったといいます。

もし、生きて出られないのなら、
この苦しみのすべてには意味がない、
というわけなのです。

収容されている人々は、

「今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる」

と信じていました。


しかし、

フランクルは逆のことを確信していました。

収容所を生きて出られるかどうかという
偶然に左右される生には意味がなく、

収容所における 「今ここ」 にこそ
意味があると考えたのです。


フランクルはいいます。

けれども現実には、人間の真価は
 収容所生活でこそ発揮されたのだ。


 おびただしい被収容者のように無気力に
 その日その日をやり過ごしたか、

 あるいは、ごく少数の人々のように
 内面的な勝利をかちえたか、
 ということに」



ですから、

 

貴重な人生を、

あなたは 「今、ここ」 を生きて欲しいと思います。