「普通に生きる」というドキュメンタリー映画。
イントロダクションをご紹介。
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静岡県富士市にある 生活介護事業所でら~とは、
『どんなに重い障害を持っていても、本人もその家族も普通に生きてゆける社会をめざす』
という理念のもと、
親たちの努力で、ゼロから立ち上げた重症心身障害児者のための通所施設です。
重症児の多くは、嚥下障害、呼吸障害等のため、
日常的な介護として経管栄養、痰の吸引、酸素吸入等の医療的ケアを必要としています。
そのため、でら~とには生活支援員の他に看護師も常勤し、
毎日、それぞれの障害や個性に合わせたプログラムで日中活動を支援しています。
利用者は多くの人や地域との関わりの中で、社会性を身につけ、
誰からも介護を受けられるように成長してゆきます。
そして親たちも、法制度の改革の波に揉まれつつも行政に働きかけ、
自分たちのニーズにあった制度や施設づくりを行い続けてきました。
いずれは親も子もそれぞれの人生を明るく送れる地域社会づくりを目指して、
『福祉の受け手から担い手となる』発想が、親たちの新しい未来を切り拓いてきました。
映画は、2つ目の施設建設計画が持ち上がった頃からの5年間を追います。
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約90分の映画の中には、法律や行政との壁に立ち向かう母親たちの姿、
障害児を授かった当時にさまざまな葛藤、それを乗り越えた姿、
重度障がいを抱えた子の現状、彼らの気づかせてくれること、彼らの笑顔
などなどたくさんの場面が描かれていましたので、
多面的に考えさせられることがありました。
身の周りにないことは、なかなか知り得ることがありません。
知っている範囲の中だけで生きていくこともできるかも知れない。
しかし、幅広く世界を知ることは、自分の生活なども振り返るきっかけになり、
何かしらの大切なことに気づかされることがあります。
「普通に生きる」ってどういうことなんでしょう?
これにどう答えるか。とても難しい。
当たり前と思うことが、とても難しいことであることに気づきたい。
普通に生きることは、自分だけの力ではなしえない。
そこには必ず周りのだれかが存在する。人であり、制度であり。
わがままで、自分勝手に動いたり、乱雑に人を扱ったり、
自分たちの利益だけを考えた制度だったり、
これらのものがまかり通ってしまうと、だれかが普通に生きることができなくなる。
だからこそ、人とのつながり、周りを想うことを大切にしたい。
また、親たちの行動力にも大きな学びがありました。
あることを成し遂げたいと思って、主体的市民として行動する姿。
想いを強くもち、粘り強く行動すれば、実現する。
市民の熱い想いが、社会を変える実感。
この映画は、障がい者との関わりがある人が見る機会が多いのかもしれませんが、
やはり、あまり知らない人がみることに意義があるように感じました。
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約90分の映画の中には、法律や行政との壁に立ち向かう母親たちの姿、
障害児を授かった当時にさまざまな葛藤、それを乗り越えた姿、
重度障がいを抱えた子の現状、彼らの気づかせてくれること、彼らの笑顔
などなどたくさんの場面が描かれていましたので、
多面的に考えさせられることがありました。
身の周りにないことは、なかなか知り得ることがありません。
知っている範囲の中だけで生きていくこともできるかも知れない。
しかし、幅広く世界を知ることは、自分の生活なども振り返るきっかけになり、
何かしらの大切なことに気づかされることがあります。
「普通に生きる」ってどういうことなんでしょう?
これにどう答えるか。とても難しい。
当たり前と思うことが、とても難しいことであることに気づきたい。
普通に生きることは、自分だけの力ではなしえない。
そこには必ず周りのだれかが存在する。人であり、制度であり。
わがままで、自分勝手に動いたり、乱雑に人を扱ったり、
自分たちの利益だけを考えた制度だったり、
これらのものがまかり通ってしまうと、だれかが普通に生きることができなくなる。
だからこそ、人とのつながり、周りを想うことを大切にしたい。
また、親たちの行動力にも大きな学びがありました。
あることを成し遂げたいと思って、主体的市民として行動する姿。
想いを強くもち、粘り強く行動すれば、実現する。
市民の熱い想いが、社会を変える実感。
この映画は、障がい者との関わりがある人が見る機会が多いのかもしれませんが、
やはり、あまり知らない人がみることに意義があるように感じました。