なぜ学ぶ? | Teacher Kuroda 奮闘記 【La C Lo】

Teacher Kuroda 奮闘記 【La C Lo】

愛知県日進市で、小中学生に数学&総合学習を行う「数学コーチングⓇ」、自己探求を行う「対話と探求」、様々な世代を対象に子育て、キャリア教育などを行う「La C Lo サポート」。
共育共創家の黒田忠晃が、日々の出来事、教育に対する想いなどを綴っていきます。

一昨日、中1クラスで、キャリア教育講座を実施しました。


僕自身の学び等々を踏まえて、それぞれの段階に応じて必要な知識を提供したり、自分とつながるきっかけを作っていこうと思い、3年間を通じた教材を創りました。


今回中1は、中学生になるにあたって、知っておいてほしいことをお伝えし、ワークと、意見共有を通して気づきを持ってもらいました。


その中に、「なぜ学ぶのでしょうか?」という質問を入れています。


正解はないのですね。だから今の段階での自分自身の出したものが答えです。

「1分で書いてみましょう。」とふって書いてもらいましたが、みなさん戸惑うことなくすっと書いていました。


この質問、大人でも難しいもののように感じます。ひょっとしたら、大人は答えが出せない人がいるかもしれません。


「学び」=「勉強」ではないと思います。


以前も書いたことがありますが、「勉強」は「勉めを強いる」ので、半ば受動的、それに対して、学びは主体的。


子どもの頃に「勉強」をさせられてきた人は、ひょっとしたら大人になって勉強はしなくてもいいと思っている人もいるかもしれません。でもそれは、きっと違いますね。


明確な目的を持っていれば、それに近づくために必要な学びが出てくる。


僕自身も、学びを続けています。それは、自分のミッション・ビジョンに近づくためであり、前の自分と比べた成長を感じるため、学びを通してより生きやすくなるため、そして、目の前にいる子どもたち、保護者の方々のため。


大人が学ぶ姿を見せなければ、子どもだって学ばないです。だって、説得力ないですから。僕は前職の時からそれを思って、周りに馬鹿にされようが、あれこれやってきました。


今の仕事に直接関係ないことも在りますが、その学びが意外なところでつながって、結果今に役立っていることもあるので、おもしろいです。事実、リフレクソロジーを習っていなかったら、今がないわけですし。


「なぜ働くのか」にある意味通ずる部分もあると思いますが、ことある事に「なぜ学ぶのか」は考えていきたいものです。