名古屋最終日 | パパゲーナのブログ

パパゲーナのブログ

ブログの説明を入力します。

名古屋駅のコインロッカーに大きい荷物を預け愛知の魅力発見ツアーに参加しました。
ガイド付のバスに乗って先ずは名古屋城に行きました。
この正門は馬車が通れる様に明治43年に皇居の蓮池御門が移築されたそうです。
徳川家康が豊臣家を牽制するために建てた名古屋城、第二次世界大戦で焼けてしまった1945年に再築されたそうです。昭和実測図があったため外側は本物通りに再現できたが、現市長は中も鉄筋ではなく再現したいが文化庁が「石垣は当時のままだから壊さない様に調査する事」と言ってきていて、エレベーターをつけるか論争があったがお年寄りや肢体不自由な方も見たいからと内側に設置される事が決まったそうです。現在は外側にエレベーターが付いてます。
金鯱は北側が雄で南側が雌
赤丸が外付けのエレベーター



西南隅櫓、上の方に菊の御紋が付いています。
加藤清正石挽き像、石垣造りの名人のため名古屋城の天守閣を任されたそうです。
鉄で作られた表二之門と右側にある鉄砲穴

第二次世界大戦で焼けてしまった本丸御殿は2018年に再築されました。本丸御殿は藩主の住まいと政庁として使われていて家康の九男の徳川義直が城主だったそうです。
屋根の曲線は唐破風で柱は四方柾目
基本は杮葺きですが奥右側が瓦屋根になっているのは、そこが台所で火を使うためだからだそうです。


狩野派が描いた竹林豹虎図、当時日本に虎がいなかったため想像で描いた事から雌だと思って豹も描いてしまったそうです🐅
床の間で書院造り
表書院の天井
一番低いお侍が入る一〜三ノ間の天井は格天井(ごうてんじょう)
三ノ間はジャコウネコの襖絵
二の間は秋をイメージされている襖絵
一ノ間は徳川義直に謁見できるところで桜と松の襖絵
天井が小組格天井
上段之間

折上げ小組格天井
花欄間
筬欄間(おさらんま)
明かりをとるため鞘欄間
対面所と言われているが城主や家族や親族のみが入れる場所
左側が上段之間で徳川義直の部屋(京都の情景の襖絵)、右ご春姫の部屋(和歌山の情景の襖絵)で2人の婚礼が執り行われました。
漆塗り折上げ小組格天井(春姫の部屋)
漆塗り二重折上げ小組格天井(義直の部屋)
鷺の廊下



上洛殿、将軍が京都に行く際に泊まられた部屋
将軍が「何かあった時に太鼓を鳴らせ」と言っていたが鳥が太鼓に乗ってしまうほど平和だった事から閑古鳥という言葉ができた。

天井の絵がまだ完成されていない
彫刻欄間
釘隠しには栗鼠と葡萄が貼られていて、どちらも子孫繁栄の象徴
山鵲の幸せを呼ぶ青い鳥が描かれた欄間
裏表で絵が違う
将軍しか入れない上段之間で、絵は中国の漢の時代の逸話が流行っていたため、狩野派が山水画で描いたそうです。
食べ物を温め直す場所
煙突の穴
お毒見役の部屋
食べ物を温め直す場所
天守閣・小天守閣・本丸御殿
三代将軍家光が上洛するにあたって作られた湯殿・黒木書院
上段之間、将軍が入浴後に寛いだ部屋

ニノ間(脱衣所)


松の木で作られた黒木書院(ニノ間)
家康が休まれたと言われている一ノ間
襖だけでは暗くなるため間に障子を挟むため溝が3列あるそうです。
梅花雉小禽鳥図の襖

上から2つ目の大きい石の右側に「加東肥後守」と刻印されている 
扇勾配の石垣
剣塀、敵が侵入して来ないように作られている塀


堀がどちら側からも鵜の首の様に狭くなっていて敵が攻めてきた時に、ここだけ守れば大丈夫だった所だそうです。

お昼はきしめんを食べました。身体が温まって美味しかったです😋
家康の遺品を散在させてはいけないと徳川美術館が作られた。








左が太刀で右が刀




躙口からは刀を持っては通れないため刀置き場がある
梅花天目











古今雛

















本館の玄関、昭和10年に完成







御所人形 若君・姫君
























お内裏様の黄色の装束は天皇しかお召になれない高貴な色だそうです。








庭園
上流

奥に滝
江戸にある尾張下屋敷庭園の遺跡を発掘した石を運んできて作られた滝だそうです。







中国西湖の橋




大曽根の瀧
名古屋駅に行く前に温泉♨
オイルマッサージをうけてから入浴
入浴後キウイ豆乳ジュース😋
帰路につきました🚅