こうしたい、という願いがあるのに、気分が変わってしまって
行動できないということは多いかと思います。

前回は、気持ちが揺れうごく理由として、「短期利益と長期利益の差」
ご紹介しました。

今回は「時間・場所による感情の変化」を考えてみたいと思います。


  <気持ちが揺れうごく理由 推測その2>

「時間・場所による感情の変化」

<時間による変化>

朝型、夜型という言葉がありますが、人の性格か、はたまた職業や
経験によるものかは分かりませんが、元気なタイミングは人によって違うようです。

古い友人と話していると思うことですが、週末の夜に飲みながら話をしていると
彼はどんなに話が盛り上がっていても「悪い、眠くなった」と夜11時には寝てしまう。
その代わり、朝からテンションが高いんですね。
会社で営業仕事をしていると、そういう生活習慣ができてしまうようです。

一方私などは朝よりも夜になってからのほうがテンションが上がってくるほうでして、
最近こそ歳のせいか、ちょっとしんどさを感じますが、調子が乗っているときには
徹夜で仕事などもありかなと思います。

と、個人的には夜のほうが調子がいいのですが、一方こんな話があります。
うろ覚えの話でソースがないのですが、人間眠いときには、通常と違った行動を
とることがあるという話です。

1.アルコールと同等の判断の鈍さ

徹夜で話してると、お酒抜きでも「あれだよ、えーあれあれ」といった、
思い出せそうで思い出せないどうしようもない会話になるアレですね。
記憶力、判断力が低下し、運転なども気をつけなくてはいけない時間です。

2.価値観や善悪好悪の判断など、心理的な制約の低下

眠い時には、布団以外の全てのことがどうでもよくなるのでしょうか。
普段だったらまず考えられないことを「やらかしてしまう」のは夜のほうが多いかも
しれませんね。

睡眠不足は洗脳に利用されることもあるようですし、夜に物事を決めると
次の日に後悔することがあるかもしれません。
そんな私が思い出すのは、情けないような、学生の時の恥ずかしい思い出。

   「夜 に 書 い た ラ ブ レ タ ー」

ええ、もちろん出してませんよ。朝に読み返して破棄しましたが、
出していたら社会的に抹殺されていたかもしれないパワーがありました。

寝る前マジ怖い。
まさに制約が解除されていたのかもしれません。

冗談はさておき、制約が下がるということは、普段我慢していることが
表面に出てくるという事でもあると思います。つまり、いつもならじっと耐えて
ごまかしていた願いがやっと顔を覗かせているのかもしれません。
時には 出 過 ぎ る 事もありますがw


<場所による変化>

場所による気分の変化、というのも大きなものではないでしょうか。

職場にいるときは「職場の顔」
実家にいるときには「家族用の顔」
個室にいるときに「自分の顔」


気づかないうちに使い分けをしているものだと思います。

TPO(Time"時間"、Place"場所"、Occasion"場合")にあった価値観や、
判断がありますから、使い分けは当たり前。優先順位も当然変わります。

あれをしなければ。これをしなきゃ。と考えているうちは、プライベートな
時の価値観や、願いなどは心の奥にしまわれています。
「今はそんなことを考えている時間ではない」と判断しているわけです。

ところが夜になると先ほど見たように、昼間の価値観から解放されて、顔を
出すこともあるかもしれません。
食事が終わった後のくつろぐ時間や、お風呂に入っているとき、寝る直前などに
いつもは考えないことが浮かんできたり、「あー、そういえば」という感じで
思いだす願いがあるかもしれません。

また朝になれば思い出さなくなる願い。
消えてしまうのだから「気のせいだ」と思うかもしれませんが、
実際は優先順位が変わっただけ。
願望自体は変わっていないのですから、いずれまた顔を出すはずです。
何時かまたと先延ばしにするより、一度真剣にその願いに向き合ってみることも
大事なのかもしれませんね。


まとめると、タイミングや時間帯、場所によって「人の願い」は消えたり
現れたりするということ。
ただ、消えるからといって「大したことではない願い」と思うのは、後々
後悔につながるかもしれません。

次回は「恒常性が変化を防ぐ」というテーマで書いてみたいと思います。
続きます。
目標を立てて、「よし、明日からこうしよう!」と決めたのに
次の日になると全然「やる気にならない」
また今度でいいか、となりそれっきり。

そんなことってありませんか?
婚活を始めたい、と考えたことがある人でも、実際にスタートするまで
時間がかかったり、また、途中でイヤになったりする人も少なくないようです。

今回は、なぜこんな風に気持ちが変化してしまうのか、その理由を
考えてみたいかと思います。

根拠がある話というよりも、私の推測ですので、正しいかどうかはまったく
保証できません。あるある、と笑って読んでいただければ幸いです。
この文章が皆さんのヒントになれば幸いです。


  気持ちが揺れうごく理由 推測その1

『短期的利益と長期的利益の差』

ご飯を食べると、おいしい!と脳が感じます。
空腹は満たされ、満足感も生まれます。

食事にかかる時間はせいぜい数十分、しかも効果はほぼ確実です。
こういった、すぐに満足できるものを短期的な利益とすると、
その逆の長期的な利益とは、こんな感じになります。

・夏休みの勉強 
夏期講習にずっと通って、テストの成績が上がった。

勉強にかかる時間は、とても長く、楽しいことではありません。
さらに、期待したほど成績が上がるのかといえば、確実ではありません。
まわりの同級生が自分よりも頑張っていれば、相対的に下がることもありえます。

努力や時間というコストを払っても、すぐに結果が見えない。
そのような長期的利益はメリットを感じにくいので、投げ出したくなるものです。

それよりも、「遊びに行く→楽しい」とか、「バイトに行く→お金がもらえる」
といった短期利益のほうが得じゃない?と考えてしまうのも仕方がありません。

学生はこのように勉強よりも、楽しいことを優先してしまいますが、
社会人はどうなるでしょうか。

以前の記事ですが、HATSという言葉を紹介しました。


Hungry  空腹
Angry   いらいらしている
Tired   疲れ
Sleepy  寝不足


この4つの状態の頭文字をとったものなんですが、
これらの状態が重なると、感情的になったり、喧嘩しやすくなったりと、
普段の状況では考えられない言動をとってしまう事が増えてしまうのです。


仕事をしている人、なかでもキツイ状態にある時には、多くの人が
この状態を経験しているのではないでしょうか。

慢性的に仕事が忙しければ、疲労やストレスは溜まる一方。
そうなると「目先のことしか考えられない」ようになります。
それはそうです。自分の体が大変で、場合によっては身体の危機のときに
長期的な利益なんてどうでもいい、としか思えませんから。

恋愛をしたい。結婚をしたい。
これらのことは長期的利益に入るかと思いますが、仕事が忙しければどうしても
優先度は低く、後回しになってしまいます。

考えなきゃ、と思いながら先伸ばしにしている。そんな時は一度、
ゆっくりと休養することをお薦めしたいと思います。
もちろん「できるならやっている!」という反論が(脳内で)すごく聞こえますが
仕事を一番の大事にすることより、自分を大事にすることが必要なときも
あるのではないでしょうか。


深くものが考えられない、とか、先のことが想像できないとか、そんな状態が
長く続いているのなら、燃えつきる前にゆっくり休んでみることを
強くお薦めいたします。
休むことによって、考え方や気分はきっと変わるでしょう。

次回は「時間・場所による感情の変化」をテーマにしたいと思います。
続きます。
タイトルどおりの話です。

最近、ネットやテレビなどで時々見かけるようになりました。
「人の作ったものが食べられない」という意見です。
「おにぎり・食べられない」などで検索すると色々出てきますね。

・工場のものなら食べられるよ派
・お店だったら大丈夫だよ派


そういった外食指向の意見があり。

・家族だったら大丈夫
・自分のはダメだが、母親ならOK


人物指定の意見もあります。

他にも
・菌が怖いからラップ使ってほしい
・そもそも手作りってのが全部無理


いろいろあるものです。


信じられない。
潔癖すぎる。
そう言うのは簡単ですが、本人にとっては
「気持ち悪いんだから、無理なものは無理」
ということなのでしょう。


これで連想するのが、「お膳立てされた恋愛はイヤ」という意見です。

・自分で相手を探さないとダメ。
・自分から告白しないとダメ
・自分で決めた相手からOKがもらえないとダメ


流れで何となく付き合うのも、誰かに紹介してもらうのも、
ましてやお見合いや婚活なんてありえない。

なんだか、似ていませんか?


食事の件に関して、私の経験からいいますと、

インドを旅行した後は、日本が綺麗すぎてありえない国に思えて困る。

あ、これはインドをディスって(批判して)いるわけではないのでご了承ください。
非常に幅のある文化を持った、興味深い国であることは間違いありません。

ありえないから拒否するだけではなく、一度経験することで幅が広がることも
あるかもしれません。

みなさんはどう考えますか?
「もやしもん」という漫画があるんですが、皆さんご存知でしょうか。
先日40才になりましたが、まだ漫画を読むのを止められません。
いい年してと思われるかもしれませんが、それはさておき。
その中で、ちょっと興味深い話がありましたのでご紹介したいと
思いました。

この漫画のテーマ、というか中心になっているのがお酒でして、
今回取り上げるのは日本酒とワインの話です。

おいしいワイン、おいしい日本酒。
良いワイン、良い日本酒とはどんなものでしょうか。

実際にはいろんな人の意見があるわけですから、評価には
「利き酒」を行ないます。
いろんなお酒を飲み比べた経験のある人が、実際に試飲し、
どんなお酒であるかを言葉で表現するわけです。


ヨーロッパ生まれのワインは、評価に加点法を使うそうです。
良いところや、特徴のあるところがあれば、点数をプラスしていく方法です。
一見、悪口のように見える評価であっても「そのワインの特徴」と
いうことであれば、プラスの評価になる。

たとえば「獣臭い」なんて言われても、そのワインらしさと前向きに
評価されることもあるというわけです。
しかし、獣臭いってどんなワインなんでしょうね(笑)


一方の日本酒は、評価は減点法によるようです。
100点満点から「足りていない部分」「よくない部分」をマイナスして
いくことで、その日本酒の評価になるわけです。
ですから、使われる言葉には「くどい・だれた・紙の臭い」など
ネガティブなものが多くなるとのこと。
この裏側には「すっきりした・飲み飽きしない・きれいな」という
100点のイメージがあるわけですね。

「人の話なのかお酒の話なのかわからないね」というセリフが印象的でした。


  <日本と欧米の違い?>

考えてみれば、結婚相手を選ぶ時、日本ではどのような判断をしているのかと
考えると。。。

プラスの評価は当然必要なことであって、その上でマイナス部分があると
「ないわー」と却下していく傾向があるのではないでしょうか。
そう考えると、日本の評価方法は減点法が多いのかも、と思ってしまいます。

考えてみれば教育の話などで出るのが、
・全ての教科が平均以上であることを望む日本
・できない教科を平均まで引き上げることよりも、得意な分野を伸ばすほうに
 重点を置く欧米方式

こんなことも連想してしまいますね。

過去を振り返れば、工芸品・美術品・音楽などの分野でも
・主題をはっきり決めて、多少大げさにでも前に出していくヨーロッパの文化。
・邪魔なものをひたすらに削ぎ落とし、大事なものをさりげなく見せようとする
 日本の文化。


なんだかいろんなところに違いがあるように思えてきます。

それぞれの歴史がある、といえばそこまでなのですが、モノづくりのこだわりなら
ともかく、人で減点法は、なかなか辛いものがあるように思います。
先月記事にした、村上春樹さんの自己評価も相当低かったですが、違いは欠点だとは
思えないんですよね。

皆さんは、減点法を選びますか?
それとも加点法を選びますか?


人との出会いを考えるときに、大事なポイントになるのかもしれませんね。
私が中学生ぐらいの時の話です。

友人たちと話をしていて、そのときの話題が
「自分がそんなに好きではない人から告白をされたらどうするか」
というものだったかと思います。

そのときの一人の答えがタイトルの通り、
「私にも選ぶ権利があるから」

その時には、特に気にもとめなかったのですが、
最近になって思い出し、少し気になりだしたので、こうして文章にして
考えてみることにしました。


長い上に面白くない可能性がありますので、面倒な方は読み飛ばし
推奨です。腹が立つ方もいらっしゃるかもしれませんので
そんなときはページを閉じることをお薦めします。

------------ ここから -------------


私が何に引っかかっているのかというと、おそらく「権利」という
言葉なのかと思います。

権利とは「あることをする」「あることをしない」と宣言しても
誰からも非難されず、罰せられない特別な状態を指します。


一般的には「国家」「社会」「会社」といった「大きな存在」対「個人」の間に
ある
と考えられます。

例えば「ストライキ権」 働く人が、会社に対し労働条件の見直しを求めて
働くことを中断することをストライキと言いました(最近ではあまり聞きませんが)。
ストライキを起こしても罰せられる事はありません。だから「権利」なのです。

さて、選ぶ権利と言うもとは何かと言うとおそらく「自由権」のことではないかと
推測されます。
自由権とは「国家の介入を排除して個人の自由を保障する権利」 
つまり個人は「自分の思うところ、考えるところに従って、自由に行動する」ことが
保証されているわけです。
この権利がない場合「恋愛から結婚までを国家が管理する」という
すごい世界が待っていることになってしまいますw

考える自由、行動の自由があるわけですから、「誰と交際するのかを決める」のも
当然自由なわけです。
ここを指して「選ぶ権利」という言葉になったのではないかと思われます。


------------ ここまで -------------


ただ、権利という言葉には、どこか上から目線というか、高圧的な意図を感じるのは
私だけでしょうか。

「選ぶ権利がある」 

この言葉の裏側には、
・好みじゃないヤツは告白してくるなよ
・断るけど、逆恨みするなよ

そういった気持ちがあるように思えるのですが、どうでしょうか。



  選ぶ権利=断る権利

この図式がなりたつなら、「気に入らない相手を断っても、誰からも非難されないし
相手から逆恨みも受けない」
となります。

告白された側からすれば、急に好きでもない相手から告白を受けて
断ったら「自分が悪者なように思われる」のはたまらない、という気持ちは
あるかと思います。


しかし権利と自由は違うものです。
「恋愛で、相手を選ぶ自由」はあっても「相手を選ぶ権利」はおそらくありません。

言葉を変えてみればはっきりするかと思います。
「結婚するのは自由」ですが、「結婚する権利」はない。

いつ、誰と結婚しても成人でありさえすれば、法律上問題はありません。
しかし、誰もが必ず結婚できるように、国が準備することはありえません。




「自由」の言葉の裏側には、「責任」が必ずついてまわります。
赤信号を無視して、横断歩道を渡るのも自由です。しかし、その結果
起こった出来事は本人が引き受けなければいけません。
告白する側も大変なら、される側も大変ですね。


ただの言葉に過ぎないとは思うのですが、言葉も繰り返し使ううちに
いつのまにか信念に変わったりするものです。
「権利がある」と言い続けていると、いつの間にかそれが本当のことのように
思えてしまうかもしれません

最近いろんな場面で「権利」を耳にすることが増えました。
それが少し気になったのでまとめてみましたが、今回はとりとめない
文章になってしまいました事をお詫びいたします。

恋愛って本当に難しいですね。
それでは、また来週。