近藤勇遭難の地碑 | またしちのブログ

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今日は墨染に行って来ました。墨染といえば慶応三年(1867)十二月十八日、京都を引き払い伏見奉行所に陣を移していた新選組の近藤勇が、二条城での軍議を終え伏見に戻る途中に御陵衛士の阿部十郎・篠原泰之進らに狙撃された場所です。

 

 

その「遭難の地」を示す石碑が建っているというので見に行って来ました。「この付近 近藤勇 遭難の地」と書かれた石碑は、京阪墨染駅から墨染通を西に約700mほど歩いた料亭の前に立っていました。まだ、そんなに古くない石碑です。

 

 

・・・でも、ここじゃないよね、たぶん(笑)

 

 

まあ、あくまで「この付近」ですから。墨染の、一種の町おこしアイテムとして評価しましょう。じゃあ、実際はどのあたりだったのか、という話になるのですが、僕はそれこそ京阪墨染駅のあたりだったんじゃないかと思っています。

 

 

時代劇などでは、近藤勇襲撃シーンはたいてい人里離れた森の中の道だったりしますが、この石碑が立っているあたりは、明治二十五年の地図でも周囲一帯田圃か畑で、現在の墨染通はその中を通る細い農道だったようです。また京阪墨染駅付近は伏見の町の北の入口で、民家が建ち並んでいましたが、町が始まるエリアということで道幅が急に狭くなる場所でもあったようですね。あるいはそのことが近藤を狙う御陵衛士たちに大きなチャンスを与えたのかも知れませんね。