戦国時代に現在の京都府南部(久世郡・綴喜郡・相楽郡)の国人や農民たちが守護の畠山氏を追放し、8年間にわたって自治を実現させた山城国一揆(やましろのくにいっき)の新史料がみつかったそうです。
今回みつかったのは、一揆の中核的役割りを果たしていた国人・椿井(つばい)家に伝わった書状を江戸時代後期に書き写したものだそうで、山城国一揆の当事者側の史料がみつかったのはこれが初めてだといいます。8年間の自治実現のあと鎮圧されて一揆は終結したものの、その後も「三十六人衆」と呼ばれた国人衆が連絡を取り合い、万が一攻撃された時の対応策を練ったり、敵方に間者を送る算段をするような内容も含まれているのだとか。
戦国時代で農民の自治というと、なんだか『七人の侍』を思い起こさせるような話ですね。もっともあっちの方の敵は守護ではなく野伏でしたけど。