京都見廻組の市中見廻り(1) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

京都見廻組は、新選組などと共に幕末の京都の治安を守った組織のひとつで、旗本や御家人などの幕臣から構成されていることで知られています。新選組に比べると人気も知名度もかなり劣るようですが、坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺した近江屋事件の「真犯人」としてご存知の方も多いのではないでしょうか。

 

 

その京都見廻組は新選組同様、隊列を組んで市中見廻りをしていたわけですが、元隊士の鈴木邦定がその時の様子を証言しています。

 

 

ところが慶応三年でしたか、維新の時に城番が廃されて見廻り役となりました。

(中略)

見廻り役とは月に六回ぐらい、肝煎の先導で義経袴にブツ割羽織、脚絆に草鞋で編み笠をかぶって、手槍をさげて市中を巡回したのです。(『懸葵』大正六年七月号)

 

 

二条城の城番が廃止されたのは、実際には慶応ニ年(1866)にことで、鈴木邦定はこの時に見廻組に編入されたようです(役職は不明)。市中見廻りは月に六回ぐらいというので、五日に一度の勤務(一勤四休)でしょうか。

 

 

肝煎(隊長。新選組の組頭にあたる)に先導され、市中を練り歩く一隊は、義経袴(白絹の腰紐をつけるなど装飾を施した袴)、ブツ割(さき)羽織(背中の下半分が開いた羽織)を着用し、足は脚絆に草鞋履きで、編笠をかぶり手槍を担ぐというスタイルだったようです。残念ながら色についての証言はありませんが、深読みすれば、色については特に語るまでもないような、地味な色合いだったのかも知れません。だいたいこんな感じだったのではないかとイラストを描いてみました。

 

 

 

 

絵の下手なのはご勘弁を。