大日山の山頂で自ら腹を切った堤松左衛門は、その血で辞世の句を認めました。しかし、その壮絶な死に様が同志たちの間に広まったことが、かえって災いしてしまったのか、史料によって若干の差異があり、どれが正しいものなのか、わからなくなってしまっています。
たとえば、『堤義次割腹始末』『殉難十六志士略伝』では
大空を 照り行く神や知らすらん
君のためにと 残す心を
となっていますが、『幕末勤王歌人集』では
君が為 尽くす心は久方の
天津みそらの 神ぞ知るらむ
となっています。また『大正大礼贈位内申書』では
久方の 天照神や知らすらん
国の為にと 残すまことは
となっています。ちなみに「久方の」は「はるか彼方の」という意味で、空や雲にかかる枕詞(まくらことば)です。更に『筑紫熱血 神州正気 前編』では
久方の 天照神や知ろしめす
国の為にと 残すまことは
となっていて、『贈位内申書』と微妙に異なっています。他にも
大空を 照り行く月や知らすらん
君が為にと 尽くす心と
など諸説あるようです。これらの句は意味も言葉も少しずつ異なっていて、どれが正しいものなのか判断するのは、実際に辞世の句を血で書いた白衣が見つかりでもしないかぎり困難だと思われます。
ちなみに、『堤義次割腹始末』では上記の辞世の句のほかに
大君の 詔のままにしたがひて
ささげまつらん賤しこの身を
武士の 猛き心は梓弓
挽きてゆるめぬ時にこそあれ
餓るとも 何ぞいとわん君の為
かねてなき身と思い知れれば
咲く花の 散るを忘るな春山の
嶺のあらしの誘い来ぬ間に
の四首を紹介しています。無論、瀕死の状態で五つも歌を詠めたとは思えませんが、かなり早い段階で死を決していたことを思えば、あらかじめ詠んでおいたものだと考えることは出来ます。ただ、この史料がどこまで信頼出来るものなのかは、まだ未検証ではあるのですが・・・。
※.大日山