人斬り松左衛門(14)逃走と終結 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

都筑四郎が黒瀬市郎助を組み伏せ、床の間に置いておいた自分の刀をまさに取らんとした時、遅れて二階に上がって来た堤松左衛門が都築に斬りかかりました。たたみ掛けるように何度も打ち込まれ、都築は避ける間もなく頭部に一ヶ所、更に右の眉から目にかけても一太刀浴びてしまいました。

 

 

傷はいずれも深くはありませんでしたが、流れ出した血が目に入り視界を奪われてしまった都築は、誤って奥の中二階に落ちて体を強く打ちつけてしまいました。

 

 

 

 

都筑四郎を斬った堤松左衛門は、続けざまに安田喜助と揉み合いになっていた吉田平之助を襲いました。吉田平之助は頭と股をしたたか斬られ、「深手にて心底に任せ申さぬ」つまり意識を失いかけ、やはり足を踏み外して中二階の部屋に落ちてしまいました。

 

 

堤松左衛門が二人を斬り倒したのを頃合いと見たのか、三人は引き上げることとし、中二階の窓から外へ次々飛び下りました。吉田平之助は意識は朦朧としながらも、一人の体にしがみつき、そのまま一緒に庭に落ちてしまいました。体を強く打った吉田は動けなくなり、こうして堤松左衛門、安田喜助、黒瀬市郎助の三人は無事逃げおおせることが出来たのです。

 

 

一方、常盤橋の福井藩邸まで “刀を取りに“ 行くために料亭を出た横井小楠ですが、料亭の玄関前には長州・土佐の士十数人が待ち構えていました。が、どういうわけか彼らは「無刀の者」が彼らの前を「腰をかがめ下座(※)致し、御免なされと申し」ながら通り過ぎようとしたのを、誰かの使用人かと思ってそのまま見逃したといいます。

 

 

階段の途中ですれ違ったのに見逃した松左衛門も松左衛門ですが、玄関前で待ち構えていた彼らも、中から男が出て来たというのに、呼び止めもせずに見逃すとは、なんとも間の抜けた話のように思われます。結局彼ら長州・土佐の者たちは料亭に一歩も立ち入ることなく引き上げて行きました。

 

 

そうして横井小楠が家来の内藤泰吉らを引き連れて料亭に戻った頃には、すでに何もかもが終わってしまっていたのです。

 

 

 

※.下座…本来は高貴な人に対して座を下りて平伏することですが、この場合は身分の低い者が身分の高い人物に対してかしこまって挨拶することを意味していると思われます。