新選組 ダンダラ羽織を検証する(2) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

いつもパソコンで記事を投稿しているのですが、昨日の記事を投稿したあと、スマホで読み返してみてビックリしました。1と3のイラストが、スマホで見ると完全な緑色に見えるのです。ほかの青系のイラストは若干明るめではあるものの、色合いはほぼ変わらないので、僕のスマホは緑色が強い設定なのかも知れません。同じ色でも機器の設定の違いなどでかなり色合いが違ってくるようです。

 

 

さて、新選組のダンダラ羽織について、浅葱色とも浅黄色とも書かれていない史料が一つあります。『京都返達御用状控』(文久三年八月/東京大学史料編纂所データベース)というもので、文久三年(1863)八月十二日の夜に起きた、俗に言う大和屋焼き討ち事件に関する史料なのですが、その文中に以下のような記述があります。

 

 

浪人共、白鉢巻筒袖にて袴履きたる者三、四十人

一、蝋色割羽織、袖印白にて△△かくの如くしたる者三、四十人

 

 

ここにいう浪人共というのは、言うまでもなく壬生浪士組(のちの新選組)のことですが、三十人から四十人いたという彼等は、いずれも白鉢巻を頭に巻き、筒袖(※)に袴履きで、蝋色の羽織には袖に白く△△のような印があったというのです。

 

※.筒袖…袂(たもと)がない細い袖。腕を動かしやすいため労働者や武芸者が用いた。

 

 

では蝋色とはどんな色なのでしょう。蝋色は仏壇・仏具(位牌など)や刀の鞘などに使われる色で、本来は「ろいろ」と読みますが、『日本の色名』(京都市染織試験場)では以下のように解説しています。

 

 

【蝋色・呂色】

漆塗りの技法のひとつ。蝋色塗りの黒色である。蝋色塗りは油分を含まない蝋色漆を塗り、木炭で研ぎ出し、種油と角粉(つのこ)をつけて磨き光沢を出す。蝋色は元来黒漆塗りを指すと考えられる。

 

 

つまり黒色の一種ということになります。

 

1.蝋色(ろいろ)〈R:15、G:15、B:15〉

 

 

黒ということになると、青色系統の浅葱色/浅黄色(あさぎいろ)とも黄色系統の浅黄色(あさきいろ)とも違うことになりますが、この点に関して、ある先生がかつてご自身の著作の中で「浅葱色が夜の暗さの中で黒く見えたのではないか」と推測されていました。

 

 

しかし、これに関しては異を唱えたいと思います。というのも、浅黄色に青と黄の二種類あるのと同様に、蝋色にも実は二種類の色があるからです。『日本の色名』ではもう一つの蝋色を以下のように解説しています。

 

 

【蝋色】ろういろ

蝋のような、ごくわずかに黄味の灰色に用いられる。実際の蝋の色は透明感を伴ったもので、半透明の灰白、わずかに黄味の白と考えてよいであろう。蝋は色名としてよりも、病人や死人の顔の表現に良く用いられる。

 

 

蝋色(ろういろ)はわずかに黄色味を帯びた灰色ということになりますが、黒い蝋色(ろいろ)の方が漆塗りの色、つまり工芸で使用される色であるのに対し、黄色まじりの灰色である蝋色(ろういろ)の方は主に染め物で用いられる色であることも重要です。

 

 

2.蝋色(ろういろ)〈R:155、G:153、B:105〉

 

 

どうでしょう。夜の暗がりの中で浅葱色が黒く見えたというより、薄い黄色である浅黄色が黄色味を帯びた灰色である蝋色(ろういろ)に見えたという方が、よほど現実的だと思えるのですが。

 

 

ちなみに、「八木為三郎老人壬生ばなし」(『新選組遺聞』子母澤寛)では「これは全部に行き渡っていないので、まあ主立った人が十人に一人か二人くらい着ていた程度のものです」と、全員には行き渡らず、十人に一人か二人くらいしか着ていなかったとされる羽織ですが、『京都返達御用状控』では三、四十人いた隊士全員に行き渡っていたことになりそうです。