新選組 ダンダラ羽織を検証する(1) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

新選組の制服、いわゆる隊服として浅葱色(あさぎいろ)のダンダラ羽織はとても有名です。浅葱という色については「切腹の際の裃(かみしも)の色」だとか「野暮の代名詞」などといわれ、そんな色を敢えて隊服に選んだことにカッコ良さを感じる人は多いでしょう。かくいう僕もその一人です。

 

 

では、そもそも浅葱色とはどんな色なのでしょう。本来の「浅葱色」とはネギの若芽の色を意味し、やや緑がかった青色を指しますが、その一方で、藍染めでは藍色より薄く水色より濃い色全般を「浅葱色」と呼びます。そのためか今回参照した、日本の伝統色を解説した書籍や着物関係のホームページなどでは、それぞれ「浅葱色」としている色が、実は微妙に違っていたりします。

 

 

 

1.『日本の色名』(京都市染織試験場編)の浅葱色〈R:71、G:157、B:132〉(ただし目測)

 

 

2.『きもの用語大全』の浅葱色〈R:000、G:165、B:191〉

 

 

3.『有職の色彩図鑑』(八條忠基)の浅葱色〈R:161、G:231、B:168〉

 

 

4.『きものと悉皆みなぎ』の浅葱色(1)〈R:000、G:135、B:157〉

 

 

5.『きものと悉皆みなぎ』の浅葱色(2)〈R:081、G:164、B:177〉

 

 

 

時代劇などでよく見るのは、最後の5番ぐらいの色味でしょうか。ちなみにRGBというのはパソコンやテレビなどで色を表現する方法のひとつで、赤(Red)、緑(Green)、青(Blue)の三原色の割合を、それぞれ0から255までの数値で表しているものです。

 

 

では、新選組の着用していた羽織が浅葱色だったとする根拠はどこにあるのでしょう。文献や史料を見てみると

 

浅黄色の袖へだんだら染めを染め抜いて」(『新選組始末記』子母澤寛)

 

浅黄色の袖へ忠臣蔵の義士が討ち入りに着用したようにだんだら染めを染め抜いた」(『新選組顛末記』永倉新八)

 

浅黄の薄い色のぶっさき羽織」(『新選組遺聞』子母澤寛)

 

浅黄色へ袖口のところばかり白く山形を抜き候」(『騒擾日記』)

 

「羽織は浅黄にて、誠と云う字を染め込み致し有る由」(『八條隆祐卿御手録』)

 

 

実は、「浅黄」と書かれたものはあっても、「浅葱」と書いたものは見当たりません。ということは浅葱色ではなかったのかというと、実はそうともいえないのです。というのも浅葱と浅黄は昔から混同されていたからで、和の色の公式データベースとでも言うべき『日本の色名』(京都市染織試験場編/1998)には

 

 

『延喜式・縫殿寮』の浅黄はアササキ・ウスキと読み、刈安染め(※)の薄い黄色の事であったが、中世の『太平記』などでは、浅黄はすでに青系の色に移っていたようである。

 

※.刈安染め…ススキに似たイネ科の多年草カリヤスで染めた黄色。やや青みがかってくすんでいるのが特徴。近江(現在の滋賀県)伊吹山産のものが古代より有名で、刈りやすいことからこの名がついたという。黄色系の最も代表的な染料で、書物によっては苅安色を黄色の別称とする場合もある。浅黄色はその中で薄い色を指す。

 

 

との解説があり、中世には浅葱色に「浅黄」の当て字が使われていたことがわかります。が、その一方で黄色い刈安染めの「浅黄色」の方も使い続けられ、その読みも元々「うすき」と読んでいたのが「あさき」もしくは「あさぎ」と読まれるようになっていったため、記録の混同が生じてしまうことになるのでした。ちなみに、現在は浅葱色との区別のため「うすき」の読みに戻されています。

 

 

そうすると、新選組のダンダラ羽織は本当に浅葱色だったのか、それとも黄色い浅黄色だったのか、一度検証してみる必要がありそうです。

 

 

6.浅黄色(あさきいろ)〈R:252、G:240、B:154〉

 

 

【参照ホームページ】

 

きもの用語大全 - Powered by 創美苑

 

 

きものと悉皆みなぎ - 日本の伝統色

 

 

 

『人斬り松左衛門』は、まだ長くなりそうなので、区切りの良いところで一旦小休止とします。このダンダラ羽織の検証が終わった後で再開するつもりです。