渡邊昇談話を読む(12) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

その日、渡邊昇は寺町通今出川下ルの大久保利通邸(①)で坂本龍馬・中岡慎太郎と酒を飲み、猪熊通中立売上ルにあった岡山藩邸(②)のとなりにあった下宿に帰ろうと千鳥足でフラフラ歩いていたところ、途中で黒装束の「一見して新選組の者」とわかった二人組に尾行されているのに気づきました。

 

 

 

地図で見てみれば一目瞭然ですが、大久保邸から下宿へと向かうためには、どうしても御所の中を通るか、あるいは御所の周りをぐるりと回らないといけません。無論、一番近いのは御所の中を通り、中立売御門を出てそのまま中立売通を直進することでしょう。倒幕派ならば身の安全を考えて遠回りをするという手もあったでしょうが、剛気な上に泥酔していたこの時の渡邊なら、御所内を堂々とまかり通って行ったとしても不思議ではないでしょう。

 

だとしたら、酔っ払ってふらふらと歩いている渡邊を、「あいつ、どうも怪しい」と尾行するのは、新選組ではなく御所の警備に当たっていた幕府の役人であったかも知れません。そう考えると、ひとつ興味深い事実に行き当たります。

 

渡邊の下宿先へと向かうには、中立売御門を抜けて中立売通を進むのが近いわけですが、その中立売御門の周りの公卿門、新在家(蛤御門の南側)及び南門の警備をしていたのが、実は京都見廻組でした。

 

京都見廻組は京都の治安を守るために幕臣を集めて結成された組織であり、新選組同様に市中見廻りの任に従事しながら、御所内各所及び日ノ岡峠(蹴上)などの警備にも当たっていましたが、その京都見廻組の隊士の中に、渡邊の談話と妙に符合する人物がいるのです。