美しき姉妹(三) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

講釈師松林伯知が明治30年に発表した『幕府名士近藤勇』において、近藤勇の愛した姉妹のうち、吉原の花魁黛が実在の人物であることは以前お伝えしましたが、実は妹の花鶴にもモデルになったと思われる人物がいます。

 

それは君鶴という京の上七軒にいた芸妓で、実は近藤ではなく、土方歳三の愛妾だった女性です。その君鶴については、土方の甥にあたる佐藤俊宣が「西遊紀行」(俊宣の子、佐藤昱・著『聞きがき新選組』に抜粋収録)に

 

土方歳三の愛妾を探る。北野天神東門上七軒の歌妓、君鶴と云いし者。その後、人に嫁し既に四年前死去せりと聞知す。

 

と書き記しています。この京都行は明治22年の話です。また、伊東成郎先生はコラム『新選組と花街』のなかで慶応三年(1867)に京都の花街で働く約2400名の女性を綴った『四方のはな』という資料に、上七軒と同じ北野の花街である下之森の「いかや」という店に「君つる」という芸妓がたしかにいたことを紹介しています。

 

その下之森の花街は、嘉永五年(1852)に自ら願い出て上七軒組合の支配下に入っています(『京都府下遊廓由緒』)。なので佐藤俊宣の「上七軒の歌妓、君鶴」という言い回しは決して間違いではないということになります。

 

 

 

※.北野遊廓街(上七軒・下之森・五番町)

 

一方、松林伯知は『幕府名士近藤勇』のなかで維新後の花鶴ことおぬいの消息を以下のように記しています。

 

京都をあとに丹波の国の山間に逃れ、のち明治三年の春再び京に出て五条の瀬戸物屋すなわち陶器師茂兵衛が妻になりしが、子細ありて明治五年離別せられ、のち神戸の商人の世話になり尾上他見蔵門人と呼ぶ尾上多見太郎という田舎俳優に思われしを、おぬいは驚き、その俳優を辱め船を浮かめて長崎に行きしが、その後は音沙汰なしと、この頃京都に来たりし陶器商後藤市太郎という老人が話により、ちょっとあらましを申しおき候。

 

つまり、維新後は一旦丹波の山間部に逃れたものの、明治3年に京に戻って五条の瀬戸物(清水焼のこと)屋の陶器師茂兵衛という男に嫁いだ。しかし2年後の明治5年に離縁され、その後は神戸の商人の妾となっていた。ところが役者の尾上他見蔵の門下である尾上多見太郎という男に見初められ、自分の妾になるように迫られたので、困ったおぬいは船に乗って長崎まで逃げてしまい、その後の消息はわからないという話を、最近京都に来ていた陶器商の後藤市太郎という老人から聞いたというのです。

 

この話に出てくる尾上他見蔵(正しくは多見蔵。二代目)と尾上多見太郎はいずれも実在する役者で、特に多見太郎はこの『幕府名士近藤勇』が発表された明治30年頃にはまだ存命であった可能性が高いと思われます。一見、おぬい本人でないと知り得ないような内容なので、逆にいかにも作り話のようですが、講釈師の松林伯知をあえて信じるならば、彼自身が京都に赴いて取材しなければ書けない内容だと言えます。

 

余談ながら同姓同名で、おそらくはその名を譲られたものと思われる、尾上多見太郎という明治25年生まれの役者が、その後大正から昭和初期にかけてのサイレント映画で活躍しています。あるいは花鶴に逃げられた尾上多見太郎の息子なのではないかと思うのですが、その明治25年生まれの方の尾上多見太郎が、実は生涯5度にわたって近藤勇を演じているというのも何か奇縁と言うべきでしょうか(他に土方歳三と芹沢鴨を一度ずつ演じている)。

 

土方歳三の愛妾であった君鶴が、近藤勇の愛妾花鶴へと置き変えられた理由は、単純に主役の近藤に花を持たせたということなのかも知れませんが、たとえば前回紹介しました、その出会いのエピソードの八坂神社を北野天満宮に置き換えれば、そのまま話が成り立ちます。

 

このあたり、松林伯知の講談『幕府名士近藤勇』と『新撰組十勇士伝』を、単なる作り話ではなく、内情をかなり詳しく知る人々に詳しく取材した話に、客受けを狙って色々と手を加えたものなのではないかと考えたくなるところです。

 

では、新選組の内情を詳しく知る人々とは誰かと言われれば、その人というのは当然ごく一部に限られてくるわけですが、そのあたりの話は、またあらためて別の題で書くことにしましょう。

 

 

余談ながら、下之森は慶長八年(1603)三月二十五日に、出雲阿国が初めて歌舞伎踊りを披露したと推定される地であり、また宮本武蔵が吉岡一門と決闘したのは、実は一乗寺下り松ではなく、ここ一条下之森下り松であったとする話が江戸時代中期には既にあったそうです(吉岡道場がこの近くにあったと推定されることなどから)。

 

そんな下之森の芸妓君鶴と、剣士土方歳三の出会いというのも何か運命的なものを感じてしまいます。

 

 

※.下之森花街跡(現・北野商店街)。