半次郎??? | またしちのブログ

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今年の6月に中村半次郎(桐野利秋)の写真について、ちょっと記事を書きました。中村半次郎だとしてネット上に広まっている写真が実は従兄弟の別府晋介なんじゃないかというものです。

 

 

その記事はこちら → 半次郎?

 

 

さて、その時に紹介した中村半次郎のもう一枚の写真、恋人の村田さとと一緒に写っている写真なのですが、実はこちらにもちょっと疑問を持っていました。

 

 

中村半次郎と村田さととされる写真。

 

 

この写真と明治維新後に撮られた桐野利秋と改名後の半次郎の写真を見比べてみると、どうも違和感があるのです。

 

 

維新後に撮影された写真。

 

 

たしかに顔の特徴は似通っている点が多いと思います。ただ、下の写真に比べてあまりにも童顔のように思えるのです。この2枚の写真の撮影時期はおそらく5年ほどしか離れていないはずであり、そう考えると顔、変わりすぎじゃないでしょうか。

 

 

 

・・・・・・というわけで、実はこの(上の)写真も中村半次郎ではないんじゃないかと考えました。というのも、別府晋介の時と同様に、この写真つまり村田さとと一緒に写真に写ってしかるべき人物、しかも中村半次郎に似ていて、半次郎より若くて当然の人物が一人いるからです。

 

それは半次郎の実の弟である山之内半左衛門(種国)です。しかも、半左衛門には村田さとと一緒に写真に写ってしかるべき根拠があるのです。

 

中村半次郎こと桐野利秋は、正妻ヒサとの間に子を授からず、西南戦争で半次郎が戦死した後はヒサが桐野家の家督を一時的に相続しましたが、明治18年になって半左衛門の長子で既に山之内家の家督を継いでいた栄熊(明治3年生まれ)が桐野家の家督を継承し桐野利儀(としのり)と名乗りました。

 

・・・が、この桐野利儀、実は半左衛門の子ではないとする話があるのです。では、誰の子かというと他でもない、中村半次郎が外の女性に産ませた子だというのです(『薩摩の密偵・桐野利秋』他)。

 

だとするとこの写真は、村田さとが産んだ子を引き取りに来た際に撮影されたものという可能性もあるのではないか、と考えたのです。

 

そこで、確認の意味で前回同様、画像編集ソフトを使ってこの2枚の写真を重ね合わせてみました。その結果は・・・・・・・・・・・・

 

 

2枚の写真を合成したもの。

 

 

 

 

ありゃ、多少のズレはあるものの、鼻筋は完全に一致。顔の輪郭や目と口の位置・大きさもほとんど同じようです。実の兄弟だとしても、さすがにここまで一致することは考えにくいのではないかと思います。

 

つまり結論は、この写真はやっぱり中村半次郎その人である可能性が極めて高いということになりそうです。

 

 

ちなみに、『薩摩の密偵桐野利秋』(桐野作人)によれば、むしろこの女性が村田さとではない可能性もあるそう・・・。

 

半次郎には村田さとの他に園子という名の愛人がいたという話や、東京でも女性を囲っていたという話もありますが、果たして真相はどうだったのでしょう。