新選組 加納惣三郎(2)押小路 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

『維新史跡図説』に「押小路の木綿問屋越前屋の次男」とされる加納惣三郎の実家ですが、この「押小路(おしこうじ)」というのは京都の町を東西にのびる通りの名前で、二条通のひとつ南になります。

 

そのため、単に押小路といっても場所を特定する事は不可能なのですが、そのためか、司馬遼太郎の『新選組血風録』では「押小路高倉西入ル心形刀流浜野仙左衛門のもとで目録を得、師範代をつとめていて、その浜野道場にちかい木綿問屋越後屋が生家」だとしています。ただしこれは裏付けのある話ではなく、司馬の創作であろうと思われます。

 

 

加納惣三郎が通っていた道場があった?押小路通高倉西入ル付近。写真の奥へ続くのが押小路通で、左右が高倉通。

 

 

ちなみにこの押小路高倉西入ルの地は、安政の大獄で投獄された梅田雲浜の邸宅や、坂本龍馬の妻楢崎龍の実家などから徒歩5、6分ぐらいの場所です。そしてこの押小路通というのは、ある意味、幕末を象徴するような通りであると言えるかも知れません。というのも、押小路通の西端にあるのが京都における徳川将軍家の居城二条城であるのに対し、東端にあるのが、木屋町の長州藩邸なのです。

 

 

押小路通西端、二条城東南隅櫓。

 

 

押小路通の東端、長州藩邸跡(京都ホテルオークラ)。