はつという女 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

文化三(1806)年の話です。下野国足利郡上川崎村(現・栃木県足利市川崎町)に「はつ」という30歳になる百姓の女性がいました。

 

はつの家では10年以上前に夫の逸八を亡くし、前年には舅の堪左衛門も亡くなってしまい、残されたのは病身の姑と10歳になる息子の堪弥、それにはつの3人だけでしたが、はつは一人で農業に従事するかたわら、日雇いの仕事や洗濯雇いなどの副業にも勤しんで貧しい家を一人で支えていました。

 

この年の十二月六日の夜のことでした。はつが夜なべの仕事を終えてウトウトしかけた頃、隣の部屋の戸棚をゴトゴトと開ける音がしました。

 

「どろぼう!」

 

はつが思わず大声を出すと、二人の男が部屋に入って来て、はつを押し倒し、そのまま押さえつけてしまいました。更にもう一人の盗人が戸棚から衣類を取り出している様子が聞こえてきました。

 

はつを押さえつけている盗人の一人が「ババアを切り殺せ」と怒鳴り、戸棚を荒らしていた盗人が刃物を抜いて姑に近付こうとしている様子がわかると、はつは姑救いたさの余り、男が二人がかりで押さえつけていたのを、どう体をねじったものか衣服を残してスルリと抜け出しました。

 

そうして全裸のまま刃物を持った盗人に飛びかかり、背後から抱きつきながら「どろぼう!」「誰か捕まえて!」などと叫んでいると、隣の家に住む金五右衛門、堪左衛門がこの声に気づいて駆けつけたため、はつが抱きついていた盗人は取り押さえられ、残りの二人は逃げ去って行きました。取り押さえられた盗人は無宿人の太蔵と名乗りました。

 

はつは全身20ヶ所に傷を負っていましたが、幸い命に別状はなかったようです。そして翌文化四年になって、代官所からはつに対して以下の沙汰が下されました。

 

文化四卯年四月

  野州足利郡上川崎村

     百姓逸八後家 はつ 卯三十一歳   

右はつ義、数年貞操を守り、舅姑に孝行を尽くし、その上この度姑を囲い盗賊を取り押さえ始末、女の身にて健気の仕方に候。よって褒美として、所持の田畑永代下され、年貢、諸役は免除。金五十両下さる。

 

めでたしめでたし・・・なんですが、最後にちょっと味噌をつけると、夫の逸八が亡くなったのが10年以上前なのに息子の堪弥は10歳・・・・・・。まあ、細かいことは良しとしときますか(笑)