北ノ庄城阯・柴田神社 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

先日、北ノ庄城阯といわれている柴田神社に行って来ました。

 

柴田神社はJR福井駅から徒歩10分とかからない場所にあるのですが、肝心の神社の近くに看板などが見当たらないため、初めてだと結構わかりづらいと思います。

 

 

柴田神社。案外こじんまりとしています。

 

 

 

もともと、この場所は柴田勝家の居城、越前北ノ庄城の本丸があり、勝家とお市の方が自害した場所だと言い伝えられてきたそうです。

 

それで、江戸時代に地元の人々の手により、この地に祠が建てられたのが柴田神社のはじまりなんだとか。

 

実際に発掘調査を行ったところ、神社の境内から石垣の跡がみつかりました。

 

 

 

この石垣は、上部がなくなり土台部分だけが残っているので、結城秀康が福井城を築城した際に再利用されたのではないかと推測されているそうです。

 

天正十一年(1583)、賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に敗れた柴田勝家は、本拠地越前にまで攻め込まれ、四月二十四日、自ら北ノ庄城に火を放ち、お市の方と共に自害しました。

 

 

柴田勝家像

 

 

 

「ワイルドだろぉ~」(死語)

 

 

そのお市の方は、織田信長の妹で、戦国一とも称される美女だったと伝わります。

 

 

お市の方像。そろそろお化粧直しされた方が・・・

 

 

そのお市の方像の隣に建つ、茶々・初・江の3姉妹(お市と浅井長政の娘たち)像。「柴田のお父様」がしっかり守ってあげている感じが、逆に悲しい・・・

 

 

 

 

ちなみに、最初の夫で三姉妹の父である浅井長政が兄信長に滅ぼされてから柴田勝家と再婚するまでの間、お市とその娘たちが身を寄せていたのが、もう一人の兄、織田信包が治める伊勢安濃津城でした。

 

お市や信長・信包兄弟の母・土田御前は安濃津の地でその生涯を終えています。

 

 

土田御前の墓(津市・四天王寺)

 

 

 

 

余談ながら、福井県が本気で大河ドラマを誘致したいのなら、やっぱりお市の方しかないのではないでしょうか。

 

それこそ、愛知・滋賀・三重・岐阜と中部地方が一致協力して誘致すれば、実現は決して難しくないように思います。